日本がアメリカに“かなわない”根本的な理由、自民総裁選の議論も日銀記者会見もつまらない
■もはや本音で論戦を戦わせる必要がある? しかし、やっぱりこのままでは日本はダメなのではなかろうか。本音で議論を戦わせることが重要なのではないか。金融政策決定会合をやっても、審議委員という社外取締役的なのか、社内の中途採用取締役なのか、わからない人が、後で公開される議事録に残ることを前提に議論して、本当に意味のある議論になるのか。 かつてのように、「円卓(マルタク)」という内部で議論するスタイルのほうが、やっぱりよっぽど実質的にいい議論ができるのではないか。自民党の総裁選挙も、あんな茶番の討論会よりも、密室での冷や汗の吹き出す腹の探り合いで決まるほうがよっぽど本質的で、総理の3年間は党という組織がまとまるのではないか。そしてそれは政治、政策にとってもプラスではないか、という気がしてくる。
かつての密室がダメ、というなら、公開討論は今のままではダメだ。日本はどっちにするのか、あるいは第三の道、日本的な世界にこれまでにない、画期的な社会や組織としての議論の在り方を発明して、イノベーションを起こさないといけないのではないだろうか。 しかし、そのイノベーションを起こすための議論をする場が日本には存在しえないので、私はやっぱり絶望的になるのである。 と書いたが、20日15時半から行われた植田総裁の会見は、いつもよりは少しよかった気がする。植田氏はアメリカで教育され、活躍してきた経済学者であるから、もともと率直で、一生懸命わかりやすく説明しようとしている。
それが日本銀行総裁という枠組み、日本社会という枠組みではうまくバランスが取れないことがあるだけだ。最初の審議委員のときに失言した反省もあるようだ(2008年1月28日付日本経済新聞の「私の苦笑い」というコラム参照)。ただ、植田総裁になってから、彼の率直さが記者たちにも少しずついい影響を与えているように感じる。少しは希望があるか? ただ、幹事社の冒頭の質問などでは不満も残った。「金融市場が不安定」なら利上げしない、ということの判断基準に質問があったが、もっと遠慮せずに具体的に、「金融市場」とは、本来は国債市場だと思いますが、この件では、為替市場と株式市場のことですよね? などと聞いてほしかった。