日本がアメリカに“かなわない”根本的な理由、自民総裁選の議論も日銀記者会見もつまらない
■好奇心からの記者の質問が圧倒的に少ない日本 これが、日本だとどうなるか? 記者はあらかじめ用意してきた(あるいは上司に指示されてきた)質問を、前の質問者が何を聞いていたとしても、繰り返し聞く。好奇心からの質問ではない。 そして、アメリカは、金融市場一筋、あるいはFEDを10年以上追ってます、みたいな人ばかりだが、日本は人事異動で、新しく若い(というか金融市場、金融政策の経験が少ない)が交代で入ってくる。その後ろで、個人的に(? )興味のあるベテラン記者が時間の最後のほうでやや鋭い質問を投げる。だから、たまに私は寝てしまい、15時半からの会見で16時15分ごろから、パッと目が覚めることも正直あった。
しかし、今回の問題は、この違いはどこから来ているのか? ということである。 植田和男総裁は真摯この上ない。黒田東彦前総裁は、木で鼻をくくったような官僚答弁だったが、あれぞプロ、プロの官僚として、記者会見の質疑でのミスはほぼなかった。むしろ、植田総裁は正直すぎて、波紋を呼ぶことが多い。だから、私も植田総裁になって寝ることは皆無になったのだが、それでも、やっぱりつまらない。なぜなんだ? ■日本では質問の名を借りた「非難」に
端的に言えば、上述したように、日本の記者の質問がつまらない、ということなのだが、問題はそこではなく、彼らも職業人として、一生懸命やっている質問があれなのだ。それは、なぜなのか? 私は、いまさら、アメリカと日本の中央銀行記者会見での質問の単純なしかし根本的な違いに気がついた。 前述の記事でも指摘したが、それは、アメリカの質問は、好奇心からくるまさに「質問」なのだが、日本の質問は、質問の名を借りた「非難」なのである。
植田総裁、この前はこう言っていたのに、今日はこう言っている。矛盾じゃないのか。さっきこういった、ということは、今後は物価が上がらない限り利上げをしないんですね。庶民は円安で困っている。何とも思わないのか! という具合だ。揚げ足取りか、言質を取るか、あるいは単純な非難。だいたいがこの3つである。 こう書くと、日銀記者会見に集まっている記者は嫌な奴ばかりに聞こえるかもしれないが、そうではない。日本人全員がこういう風なのである。