正規雇用か非正規雇用かの違いにかかわらず、同じ労働であれば同じ賃金を払うべきだとする「同一労働同一賃金」。安倍内閣は6月2日、「一億総活躍プラン」を閣議決定し、同一労働同一賃金の実現に向けた施策を打ち出した。非正規雇用の待遇改善が狙いだという。もともとヨーロッパ各国で広まった同一労働同一賃金とは、どのような仕組みなのか。はたして、年功序列型の企業が多い日本になじむのだろうか。(Yahoo!ニュース編集部)
「正社員もパートも同じ土俵に」
日本にも、同一労働同一賃金と呼べる仕組みを実現している企業がある。兵庫県姫路市のエス・アイ。姫路城から車で30分ほどの場所に社屋がある。
従業員は約50人。データ入力や人材採用代行、ホームページ制作などが主な業務で、社内には約70台のパソコン、約60台の入力専用端末などのIT機器が並ぶ。
同社は創業9年目の2000年から「同一労働同一賃金」の導入を始めた。受注増と同時に正社員の残業が増加。そのアンバランスを解決するため、パート従業員を自由出勤にしたことがきっかけだったと、今本茂男社長は言う。
「その制度を採り入れたら、短い時間しか働かないパートの方がモチベーションを出してくれた。正社員は『9時から5時半まで仕事するだけでいい』とのんきなもので、責任感も薄い。従業員同士に意識の格差が生まれ、これはいけない、と。それなら同じ土俵に、と考えました」
同じ土俵とは、正社員の月給制を廃止し、パートも正社員も「時間給制」に統一することだった。基本時間給を決め、それに独自に算出した上乗せ分を加えていく。その整備に3年半かかったという。
アンケートと面談で「時間給」を決定
では、労働の「同一」をどう測定したのか。答えは「数値化」だった。
「パンチ打ち込みを基本にして、例えばそれを『1』とします。(同じ入力作業でも)プログラマーはノウハウを持っているから2.5倍ぐらいの力を出しているとか、模索しながら計算方法を変えていきました。格差が出るたびに差を縮めるように計算しました。計算式は複雑です」
全社員は毎月、会社側のアンケートに答える形で、自分の仕事を5段階で自己評価する。他の社員についても、第三者には分からない形で評価する。項目は全部で126作業区分。この「評価表」に基づいて年2回、経営者が社員と話し合い、基本時間給にプラスする加算分を決めていく。いずれもエス・アイが独自に作り上げたシステムだ。
この制度が進むにつれ、正社員と非正規の賃金格差はどんどん縮まった。そうなると、「人件費抑制のための非正規」は意味を持たない。だから同社は全員を正社員にしたという。
もちろん歓迎ばかりではない。時間給の部分は「同一労働同一賃金」になっているが、加算部分は能力などで差が付く。勤続年数が長いだけで賃金が上がるわけではない。取材に対して、給与の不満を漏らす社員もいた。
欧州企業は「職務」で賃金が決まる
同一労働同一賃金の考え方は西ヨーロッパ各国で始まった。1950年代には男女の賃金差別を禁止。やがて、不利益を与えてはいけない対象に、パートや派遣労働も含めていった。代表格はオランダで、姫路市のエス・アイも「オランダ型を目指している」という。
同国は1980年代から90年代にかけて議論を重ねながら、「同一の価値を持つ労働においては、フルタイムとパートタイムの賃金に差を付けてはならない」という法制度を整え、浸透させてきた。
EU(欧州連合)の労働法に詳しい高橋賢司・立正大学准教授によると、欧州では主に仕事の内容、つまり「職務」によって賃金が決まる。この「職務型」に対し、日本企業の多くは「職能型」であり、能力やスキルで賃金が決まる。ただ、日本ではスキル評価の仕組みが整わないまま、戦後経済を駆け抜けた。
「だから実際には、職能の部分は勤続年数で評価されるようになりました」と高橋准教授は指摘する。勤務年数が長いと賃金が上がり、それが終身雇用制度を支えることにもつながる。一方の欧州では、仕事内容が同じであればどの企業であっても賃金に大きな差はなく、それに伴って転職市場も発達した。欧州型と日本型。違いは大きい。
フランスに本社を置くアクサ生命。その日本法人は東京・白金台の高層ビルにある。同社は2000年に旧日本団体生命を買収する形で日本に進出し、賃金体系を日本型の「職能制」からEU型の「職務制」に変えた。
執行役の種村尚人事部門長によると、世界展開する同社には、「どのポジションにいくらの賃金がふさわしいか」というグローバルなマーケット価格がある。その基礎は「ジョブ・ディスクリプション」。日本語に訳せば「職務記述書」だ。種村氏はこう話す。
「従業員一人一人のポジション全てにジョブ・ディスクリプションがあり、この仕事にはいくらぐらい払いますと、はっきり書いてあります。非常に能力があると判断すれば、一つ上のポジションに上がって、大きな給料を取りながら新しい仕事に挑戦していく」
逆に、同じポジションに長くいれば、給料は上がっていかない。「ペイ・フォー・パフォーマンス。会社の成長にどう貢献したかで(待遇が)決まります」
「年功序列に慣れた社員から反発あった」
旧会社の買収後、EU型の「同一労働同一賃金」への移行には5年の時間が必要だった。混乱もあったという。当時を知る佐野泰弘・人事総務部長が振り返る。
「年功序列に慣れていた社員からすると、自分の仕事の大小が明らかになってしまい、『(新制度では)思っていた賃金ではない』という人もいた。相当な反発もあり、辞めた人もいる。現在は、この制度に不満を持つ人はいないと思いますが......」
こうしたEU型の働き方を、日本に定着させることは可能なのか。働く人にとってのメリット・デメリットは何か。そもそも日本に適しているのかどうか。
東京大学社会科学研究所の水町勇一郎教授は「日本でも同一労働同一賃金を」と提唱してきた。安倍政権の「一億総活躍プラン」は、同一労働同一賃金の推進をうたい、水町教授はそれに関する厚生労働省の審議会メンバーも務める。
同一労働同一賃金の実現に向けた課題について、水町教授にメールで質問すると、次のような答えが返ってきた。
「日本への導入に際しては、『合理的理由のない待遇格差』を禁止する法改正を行うことが必要です。それとともに『合理的理由』の中身について、政府がガイドライン等で具体的に定め、共通の理解を深めていくべきです」
同一賃金で「正社員」にしわ寄せ?
2016年の最新統計では、非正規雇用者は2000万人を超え、全雇用者の約4割にも達する。現在、非正規雇用の賃金は、正規雇用の6割弱にすぎないが、同一労働同一賃金の趣旨からすると、企業は正規と非正規の賃金を同一にしなければいけない。
そのとき、「正社員がしわ寄せを食うのではないか」との声は根強い。その懸念に対し、水町教授はこう指摘する。
「正社員の賃金を下げての格差是正は許されません。男女間の格差を均等法改正で是正したとき、男性の賃金を引き下げて合わせることはできなかった。あれと同じです。(導入後は)労働分配率を見直したり、生産性向上を図ったりすることで、非正規労働者の待遇改善を進めていく。それが企業に求められます」
一方、立正大学の高橋准教授は「正社員の賃金が下がる」可能性を指摘する。
「企業の払える労働コストはほぼ一定なので、非正規の賃金を上げると、その分をどこかで下げざるを得ない。一番考えられるのは正社員の賃金下げ。正社員と非正規の賃金格差は縮まりますが、正社員には不満が残るでしょう」
年功賃金の正規雇用とそうではない非正規雇用。その区分が染みついた日本では、「法律だけ作っても、政府の思った通りにはならないと思います」と高橋准教授は言う。
閣議決定された「一億総活躍プラン」は、同一労働同一賃金について、こう宣言している。
「正規か、非正規かといった雇用の形態にかかわらない均等・均衡待遇を確保する。そして、同一労働同一賃金の実現に踏み込む。同一労働同一賃金の実現に向けて、我が国の雇用慣行には十分に留意しつつ、躊躇なく法改正の準備を進める」
政府のプランについて、日本労働弁護団の事務局長を務める嶋﨑量弁護士は「非正規雇用の待遇改善を目指すという方向性自体は評価できるが、政府が同一労働同一賃金として打ち出した施策は不十分だ」と指摘する。
もっと優先すべき施策があるとして、「非正規と正規の格差は賃金が低い人こそ問題なので、最低賃金の抜本的引き上げのほうが待遇改善には効果的だ」と話している。
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[写真]
撮影:八尋伸
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝