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「MADE IN TOKUSHIMA」で映画が作り続けられる理由とは――徳島県民による徳島県民のための幸福な映画祭。

提供:徳島県

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第1回徳島国際(短編)映画祭ポスター

話題のヒット作を上映するわけでもなく、芸術性を競うコンペティションでもなく、「映画を創るための映画祭」として独自の路線を歩む「徳島国際映画祭」。初開催から6年、「MADE IN TOKUSHIMA」と冠された徳島産の映画は16本にものぼり、県民たちを楽しませてきた。会場のスクリーンには、地元の風景や知った顔が映し出され、エンドロールには自分の名前が並び、指を差す。上映後の会場は常にあたたかい拍手で満たされる。
「徳島県を舞台に映画を撮ることで、徳島県の良さを学び、発信すると同時に、県内クリエイターの育成をしたい」という意図のもと企画されたこの映画祭は、2020年にコロナウイルスの影響で中止になったものの、県民の後押しもあり、2021年にはドライブイン・シアターや屋外上映、オンライン上映を組み合わせた「#徳島ニューノーマル映画祭」として開催を続ける。

映画祭会場のあわぎんホールを埋め尽くす観客

徳島県の映画祭が、地元で愛される「祭り」になるまで。

2016年の3月20日。第一回「徳島国際短編映画祭」の最終日。会場の「あわぎんホール」は大勢の人で埋め尽くされていた。上映されたのは「桜谷小学校、最後の174日」。廃校になる小学校を舞台に、最後の生徒となった11人の生徒と、先生や地域の人々の暮らしを描いたドキュメンタリー映画だ。舞台となった地域からもたくさんの人が来場した。見たことのある子どもたちがスクリーンに映ると、慈しむような眼差しで映画を見て、笑い、泣き、楽しんだ。上映後には監督たちと共に、主役の小学生たちも舞台に上がり、緊張しながらも舞台挨拶。万雷の拍手が鳴り響いた。この映画祭は、地域の人たちが楽しむための「お祭り」になった。

桜谷小学校の生徒達による舞台挨拶

誰でも映画を撮れる時代だから、自分たちにしか撮れない映画を。

徳島国際短編映画祭が開催されるきっかけになったのは、2015年に制定された徳島県の共通コンセプト「vs東京」だ。地方の売りである自然や特産品をPRするのであれば、「近隣の同じような"地方"ではなく、"都会"と比べたほうがその良さが際立つ」という思想から産まれたこのコンセプトは、自県の良さを押し付けるのではなく、「東京にはないものが、徳島にはある」というコミュニケーションを作ることで、自分たちが住んでいる町の良さに気づき、発信して欲しいと言う思いが込められている。
「桜谷小学校、最後の174日」の企画を担当した、ドローイングアンドマニュアル株式会社の唐津宏治氏は「初めて桜谷小学校に行った時に、衝撃を受けた」と語る。「ぼくは東京で暮らしているのですが、徳島県の方から「徳島県ならではの映画を作りたい」という話をもらって、廃校になる小学校を舞台に映画を作ろうと、桜谷小学校に取材に行ったのです」。
少子化は良くないこと、という印象を持っていたのだが、徳島県の山間にあるその小学校での教育は、予想を遥かに超えて豊かなものだった。「最後の生徒は11人だったのですけど、それぞれ気遣いあってすごく仲が良くて。自然に囲まれた地域だから、先生たちも例えば木を拾ってきてアート作品を作る図工の授業や、その地域でしかできない特別な授業もされていて。僕たちはそれを映像に収めて、編集して、見てもらっただけ。徳島県には、東京にはない現実や物語がある、まさに「vs東京」的な視点があったからこそ作れた映画ですし、徳島県のあの小学校でしか描けなかった物語です」

地元スタッフを巻き込んだ映画作りが加速。自らの街を撮り、みんなで観る喜びが産まれる。

徳島国際映画祭をきっかけに羽ばたいた映像作家もいる。その代表となるのが、千葉県から移住してきた映像作家・長岡マイル氏だ。彼は、徳島県の神山町に住む美容師のおばあちゃんに魅せられて、彼女のドキュメンタリー映像を撮るために移住を決意。完成のイメージを掴めぬまま、彼女に寄り添うように6年もの間(!)、映像を撮り続けていた。

神山アローン

感性に任せて、なかばライフワークのように撮り続けていた映像だったが、移住してきた徳島県で映画祭が開催されるという話を聞き、ようやく「映画にする」ことを決意。上映日ギリギリまでの編集作業を経て「神山アローン」と題されたドキュメンタリー映画がスクリーンを飾った。「徳島での映画祭開催がなかったら、「神山アローン」を映画として完成させる機会がなかったかもしれない」と長岡監督は振り返る。この映画は徳島を飛び出し、札幌国際短編映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞、小布施短編映画祭で一般審査員賞など、徳島県に存在する物語の価値を印象付けた。

映画祭が続いていくとともに、「MADE IN TOKUSHIMA」映画が生み出され続ける。

徳島県出身の明石知幸監督「波乗りオフィスへようこそ」や、蔦哲一朗監督「AWA TURN(仮)」にように、徳島中のさまざまな地域で映画の制作が加速していった。

クジラの骨

第4回の映画祭オープニングを飾った「クジラの骨」もその一つ。徳島県の最南部・海陽町という港町を舞台に、徳島県出身のNHKプロデューサー福岡利武氏を監督に、カメラマン、プロデューサー、プロダクションマネージャーと、すべてのポジションを徳島のスタッフで固めた。映画祭にはたくさんの町民が鑑賞に駆けつけ、自らの街が映画の舞台になったことを喜び、拍手をした。

ぞめきのくに

また、映画「ぞめきのくに」は、県立高校や徳島市の東新町商店街、阿波おどりの「阿呆連」が撮影に協力。阿波おどりの魅力が詰まった作品となった。主演の葉月ひとみ氏は、ショートショートフィルムフェスティバル&アジア2020 ジャパン部門において、ベストアクター賞を受賞した。

コロナ禍でも、映画作りの情熱は止まらない。

徳島国際映画祭は、「地元の人が」「地元で作り」「地元で見る」という、まるでお祭りのような独特の文化が産まれ始めていた。スクリーンに映る自分の街を「綺麗」と感心し、ぎこちない演技をする自分の友達をにこやかにながめる。徳島国際映画祭のポスターにはこんなコピーが書かれていた「見飽きてしまった海、何の変哲もない山、抜け出したかった街、すべては映画の舞台になる。」

そして2020年、徳島市からほど近い小松島市で菱川勢一監督による「新青春」が撮影される。惜しくもコロナウイルスの影響で、映画祭は開催できなかったが、この徳島産の映画は海外でいくつものアワードを受賞。地方で撮られた映画だからこそ、海外の同じような境遇の視聴者にとって共感や新鮮さを与えられるのではないかと感じる結果となった。いつの日か、映画ファンの間で「TOKUSHIMA」という名前が浸透する日が来るかもしれない。

新青春

そして昨年の夏には、徳島県に点在する古事記の伝説をもとにした「少女H」が制作される。徳島商工会議所青年部が制作した映画だが、「コロナでイベントができないのなら、映画を作ろう」というカジュアルさで、映画制作プロジェクトが進行した。これほどまでに映画作りが徳島県に根付いたのも徳島国際映画祭の影響であろう。

少女H

そして、「#徳島ニューノーマル映画祭」。映画を軸に、人々が寄りそえるように。

いまや「映画制作」は特別なものではない。誰でも映画が撮れる時代なら、自分の身の回りのことを映画にしてみようというこの気質は、「踊る阿呆と見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン」でお馴染みの阿波おどりの魂が息づく徳島県民ならではかもしれない。
徳島国際映画祭をきっかけに、徳島県ではこれからもたくさん映画が生まれていくだろう。地元のスタッフで作り、地元のキャストが出演して、地元の人がそれを見て楽しむ。この文化が根付いたもの、どんな状況でも粘り強く、開催を続けてきたからこそだ。創設時から映画祭に携わる徳島県庁の加藤貴弘・副課長は、「映画を創り、楽しむという、徳島ならではの映画祭のスタイルが産まれてきた。せっかく根付きかけていたクリエイティブの命脈を、コロナで断ち切るわけにはいかない。屋外上映にオンライン配信を組み合わせたブレンデッド開催でニューノーマルな姿を見せたかった」と生まれ変わった映画祭の開催に力を込める。
徳島では、「映画」というものが、新しい領域へと踏み込んだように感じる。2021年の「#徳島ニューノーマル映画祭」も、新しい上映形態ではあるが、根本は変わらない。自分たちで作って、自分たちで楽しむ、地産地消の映画祭。もはやこれは、地域で暮らす人にとっての、年に一度の祭りなのだ。