Yahoo!ニュース

子どもの夢、「寺子屋」で育む――地域で支える川崎の放課後学習サポート

提供:川崎市

最終更新:

子どもの放課後をどうするか――。子育て世帯、特に共働きの家庭にとっては切実な課題だが、東京と隣り合う大都市、川崎市で地域ぐるみの取り組みが定着している。学校施設を活用して、地域の大人たちが学習サポートをしたり、体験活動を一緒に楽しんだりする「地域の寺子屋」事業だ。保護者でも学校の先生でもない、多様なバックグラウンドを持つ大人が子どもたちに寄り添い、その姿が将来の夢や目標につながっていく。子育て世帯の流入などで、2030年まで人口増が予測される川崎市。そんな「成長都市」ならではの課題や取り組みを追うため、「寺子屋」の教室を訪ねた。

「先生のようになりたい」

「すごい!正解だよ!ここはちょっと惜しかったね」「二つの辺の長さが同じだから、二等辺三角形って言うんだよ」。

下布田小学校の「寺子屋」の風景

川崎市多摩区にある市立下布田小学校。水曜日の放課後、その図書室が「寺子屋」に変身する。子どもたちや「寺子屋先生」のにぎやかな声。歌声までもが聞こえてくるが、その「先生」は怒らない。むしろその目をじっと見つめて、笑顔でこう言った。「その歌、最後まで歌ってよ」

寺子屋しもふだ運営委員会の委員長、大庭美代子さんの本業は助産師だ。寺子屋では週に1度、希望する家庭の児童を預かり、コーディネーターとして学習サポートや体験活動を運営している。大庭さんが、本業とは直接結びつかない活動に奔走することになったきっかけは、自身の小学生時代の、ある先生との出会いだった。

熊本県で過ごした幼少期、家が貧しかった。引っ越しに伴う転校が多く、友達もなかなかできなかった。「家庭にも学校にも居場所がなく、さみしい思いを募らせていた」。3年生の途中から転入した四つ目の学校。担任の先生が、放課後に自宅に招いてくれるようになった。教え子数人に勉強を教えたり、おやつを出したり。土曜日には引率して遊びに連れて行ってくれたりもした。

自身の経験も交え、取り組みへの思いを語る大庭さん

「とにかく楽しく勉強できた。何より、自分のことを気に掛けてくれている大人がいるという安心感があった」と大庭さん。「先生のようになりたい」と教員を志し、夢に向かって勉学に励むようになった。悩んだ末、教員にはならなかったが、目標を持ち、くじけないことの大切さを伝えたいとの思いは抱き続けていた。

2014年、川崎市内に転居。地域で活動する中で、市の寺子屋事業のことを知った。「まさに、先生がやっていたことだ。ぜひやりたいと思った」。自分の地域でも立ち上げようと仲間を集めて、17年11月に運営委員会を設立。翌年3月の開講にこぎ着けた。「子どもの成長をみるのが楽しい。勉強であれレクリエーションであれ、その子の好きなものや得意なものが見つかったとき、とてもやりがいを感じる」と目を輝かせた。

続く人口流入 川崎ならではの課題

川崎市が「地域の寺子屋事業」を始めたのは14年度から。週1度の学習サポートのほか、地元の伝統活動・スポーツ・科学教室など、幅広いプログラムを展開する体験活動も月に1回行っている。地域ぐるみの教育力向上や豊かな人間性の形成、シニアを含む多世代の生涯学習拠点づくりが事業の狙いだ。大庭さんのように、各地域で活動する市民らを中心に、市内の小中学校など54カ所で実施されている。

月1回開かれる体験活動も好評を博している

背景にあったのは、子育て世帯の流入が続く川崎市ならではの事情だった。市内の全世帯に対する核家族世帯の割合は50%超で、18歳未満の子どもがいる核家族世帯の過半数が共働き。放課後の子どもの過ごし方への対応を求めるニーズは高い。さらに、14年度の全国学力・学習状況調査では、全国と比べて授業以外での勉強に熱心な子と、そうでない子の二極化が顕著であること、「将来の夢や目標を持っている」と答えた子どもの割合が少ないことが明らかになっていた。こうした現状に対応するために生まれた寺子屋。だからこそ「できた」「褒められた」体験を通じて、子どもたちのやる気を引き出すことを重視している。

現在では市内で約2800人の児童・生徒が寺子屋に登録。参加者アンケートでも、「親や先生以外の大人と話せた」「勉強が好きになった」「分からないところが分かるようになった」といった回答が多く寄せられているという。

OBが寺子屋先生に

川崎小で寺子屋先生と一緒に勉強に取り組む子どもたち

国民的人気歌手だった坂本九さんの母校でもある市立川崎小学校(川崎区)では、学校OBたちが寺子屋を引っ張っている。町内会などの活動で長年おなじみのメンバーたち。子どもと関わっていく機会をつくりたいとの思いから、OBの渡辺景一さんが中心となって17年にスタートさせた。今年最初の寺子屋も、3・6年生約20人が集まり和気あいあい。今では、街で会った児童が「あっ、寺子屋のおじさんだ」と声を掛けてくれるなど、身近な存在になっているという。

渡辺さんの同級生でもある小嶋功さんは、「ワイワイ集まって楽しめる子どもの居場所であると同時に、大人の居場所づくりにもなっている」。渡辺さんは、「運営メンバーが仲良く協力して、末永く活動を続けることが大事だと思う」と今後を見据える。地元に根付く人たちのエネルギーが、寺子屋の活動を支えているのだ。

笑顔で語り合う渡辺さん(中央)ら

世代を超えたつながりを再構築

塾や習い事とも、学童保育(放課後児童クラブ)とも違う放課後の過ごし方としての寺子屋。その意義はどこにあるだろうか。下布田小と川崎小の「寺子屋先生」が口をそろえて強調したのは、「居場所」というキーワードだ。

大庭さんはこう語る。「私自身、家でも学校でもない居場所があったから夢ができ、目標とすべき大人と出会えた。誰かと出会って目標ができれば、その子の未来につながっていく。寺子屋での出会いが、将来を広げていけるのではないか」。教えることのみならず、寄り添うことを大切にする。「子どもたちの横にいてくれる、見ていてくれる」ことを意味する「いるだけ支援」という言葉が、寺子屋の特色をよく示している。

そして、それを支えるのが地域の力だ。下布田小の千野隆之校長は、「子どもたちは地域での経験によって育っていく。多くの大人と関われる寺子屋は、成長のためによいものだと思う」と言う。だが、寺子屋がつなぐのは大人と子どもだけではない。川崎小で活動する同小同窓会事務局の西尾喜明さんは、手応えをこう話す。「私たちが楽しんでやっていることは、子どもたちや他の大人たちにも''伝染''しているのでは。よい循環になっていると思う」

地域の活力によって運営される場が、そこにいる大人同士の関係もより密なものにしていく。都市化が進み、地域社会の関係希薄化が指摘される中、寺子屋は世代を超えた人と人とのつながりをつくり直す機能も果たしているのだ。

教室に、明るいやりとりが響く。

「すごい、漢字の書き取り全問正解だったね」「うん。私、漢字の勉強好きなんだ」

もうすぐ新学年。新しい出会いが、また始まる。