民謡「デカンショ節」と日本六古窯の一つ「丹波焼」で、2つの日本遺産に認定されている兵庫県丹波篠山市。日本農業遺産にも認定された丹波黒大豆をはじめ、マツタケ、栗、山の芋などの農産物も有名だ。近年、この山間部にあるまちで、こだわりの詰まったカフェや料理店のオープンが相次いでいる。なぜ人通りの多い都市部ではなく、人口が少ない地方で開業するのか。市の中でも中心市街地から離れた地域にある店を訪ね、店主に話を聞くと、緑に囲まれた美しい景観や歴史を感じさせる古民家などに加え、農産物や丹波焼などの産業、さらには豊かな自然が育む水や空気、そして地域に住む人の温かさなど、ここにしかない魅力が見えてきた。
「額縁」から望む田園風景 「時間忘れ のんびりと」
昨年12月、同市栗柄にオープンしたカフェ「おやつ 晴レノ日」。辺りは山に囲まれ、のどかな田園風景が眼前に広がる。大阪府から移住した西村未来さん(29)、明美さん(55)親子が、3年前に近くの古民家と一緒に購入したガレージを改装。「窓から眺められるこの景色が一番」と、店主の未来さんは顔をほころばせる。「田植えの時期になると緑が茂り、稲穂が実れば黄金色に染まる。冬には一面が雪で真っ白に染まる。季節によって景色の色が変わるのも好きです」
地元産の黒豆きな粉を使用した「深煎りきなこのシフォンケーキ」
生まれも育ちも大阪。開業前は、大阪でカフェ店員や保育士をしていた。5年ほど前、1人で西日本各地の田舎を旅して回った。帰路につき、大阪の駅に着いた時だった。「人がウワーっといる風景がしんどいと思ったんですよね。その頃から、人が少ない静かな環境を求めるようになっていました」
その後、丹波篠山市に移住した未来さんは、「思えば今までウグイスの鳴き声も聞いたことがなかったし、山菜を見たことすらなかった。大阪で育った自分にとっては、田舎の当たり前が感動の連続です」と充実感をにじませる。「田舎にこういう店がポツンとあったら、大阪で生まれ育った自分は行きたいと思う」と都市部からの集客を見込み、「ある程度やっていけるのでは」と開店に踏み切った。
カフェで提供するのは、旬の果物、野菜を使ったケーキや焼き菓子などの手作りスイーツ。地元の食材も積極的に使う。「深煎りきなこのシフォンケーキ」には、地元産の黒豆きな粉を使用。「黒豆きな粉は普通のきな粉より深く、香ばしい香りが特長」(未来さん)。ほどよい苦みで、ふわふわした食感のケーキに、ホイップクリームとイチゴがマッチし、上品な大人の味を堪能できる。黒豆きな粉を使ったカフェオレ風の「きなこオレ」も人気という。
オープンして約3カ月。インスタグラムで「額縁のような窓から田園風景が楽しめる」などと評判になっており、はるばる遠方から足を運ぶ客も多いという。「外の景色を見ながらぼーっと、時間を忘れてのんびりと過ごしてもらいたい」とほほ笑む。
理想の「トカイナカ」で腕振るう 「丹波焼」の器に助けられ
「自然のままに時間が流れていることを感じられます」と丹波篠山の魅力を語る櫻井龍弥さん。
同市今田町下立杭にあるガレット専門店「SAKURAI」を営む櫻井龍弥さん(46)。「いつか田舎で店を」という秘めた夢をかなえるために巡り合った地は、神戸から車で1時間ほどの場所にある丹波篠山だった。
フランス料理を作って約15年。神戸の一流ホテルで経験を積み、神戸・元町にあったレストランでは料理長を任された。しかし、一昨年3月、コロナ禍の影響で突如、閉店に追い込まれた。結婚式の披露宴や2次会で利用する客が多く、1年後までの予約がほぼ全てキャンセルになったからだ。
「もともと郊外で遊ぶのが好きなんです。キャンプをしたり、林道を四輪駆動車で走り回ったり。神戸のまちの中で生まれ育ったので、いつか田舎でゆっくりしながら自分の店を、という思いはありました」。閉店のショックもあったが、30代のころから秘めていた夢を実現させるべく、理想の地を探し始めた。そして、たどり着いた。
「農産物が豊富で自然が豊か。にもかかわらず、都会からはそんなに離れていなくて、大阪や神戸から1時間ほどで来られる。篠山城跡など観光地も多い。いわば『トカイナカ』。理想の場所だと直感しました」。閉業した旅館を改修し、昨年1月に「SAKURAI」をオープンした。
「SAKURAI」で提供しているガレット。地元の食材もふんだんに使う。
そば粉を使ったフランスの郷土料理・ガレットをメインにしたコース料理を提供する。鹿肉や同市住山地区で長く守られてきた「住山ごぼう」、大納言小豆など、地元で仕入れた食材をふんだんに使う。朝、近くの直売所に向かう。食材を自分の目で見て、手で触れて吟味し、仕入れる。朝採りの新鮮な食材をその日のうちに使う。「どんな野菜が欲しい?」と聞いてくれる地元農家とのつながりも増えた。「産地で店をやっているからこそのメリットです」と話す。
店の"武器"になっているのが器。今田町は丹波焼の産地だ。店では10軒以上の窯元の器を取り扱う。「無骨な昔ながらの器もあれば、モダンな器もある。同じメニューを出しても、器が違うだけで料理の見え方が変わる。さらには、うまさも引き立てる。僕が器に助けられています」とほほ笑む。
開業して1年がたった。「こっちに来てから、昼間の長さが違うことに気付きました。『夏はこんな時間まで日が長いんや』『冬は早く暮れるなぁ』って。都市部ではどこかしら光っているので、感覚が麻痺していたんでしょうかね。自然のままに時間が流れていることを感じられます」。自然に囲まれた理想の地で、今日も腕を振るう。
体が生き返る空気感 客と過ごすゆっくりとした時間
同市福住の重要伝統的建造物群保存地区にあるパン店「なりとぱん」を開くのは、長く大阪でパン作りをしてきた伊勢成人さん(51)、千佳子さん(48)夫婦だ。2020年7月に本格オープン。築約150年の古民家を改装した店舗は、宿場町だった町屋の特徴を残す。成人さんが石臼をひいて作る有機小麦と、天然酵母、丹波篠山の地が育んだ水、空気、そして地場の有機野菜を使ったパンとスープが好評だ。
「今の暮らしが本当に楽しい。大阪時代を忘れちゃうほどね」と笑い合う伊勢成人さんと千佳子さん。
成人さんは大阪府枚方市の出身で、高校卒業後、大手パンメーカーに就職。サンドイッチなどには料理の技量も必要だと感じ、和食店でも修業した。その後、知人が立ち上げたパン店に勤め、ひたすらパンを焼き続けた。2007年には、千佳子さんの実家の近くで開業。天然酵母と国産小麦、水にこだわったパンを提供し、人気店となった。
18年、取引のあったコーヒー店が福住で開業し、納品を兼ねて初めて丹波篠山を訪れた。「最初はこの1回きりになるだろうと思っていた」と笑うが、コーヒー店に来る常連客の人柄、自然豊かな風景、空気や光までもが心地よく、「体が生き返るようだった」。勤務していた店でへとへとになるまでパンを焼く生活が嫌になって開業したはずなのに、職人気質がもたげ、また同じような生活に戻りつつある現状との葛藤に苦しんでいた頃でもあった。
福住へ2度、3度と訪れるうち、会う人が皆優しく、魅力的だった。その中で、今の店舗となる物件にも出合った。理想的な土地の空気感、人柄、そして魅力ある物件がそろった。移住や開店に向けて市役所などでさまざまな手続きをする際も、「職員の方が、書類の書き方を丁寧に教えてくださり、応援してくれた。ここで頑張ろうと思えました」と目を輝かせる。
歴史的な街並みが広がる重要伝統的建造物群保存地区にある「なりとぱん」。建物だけでなく、地域の人たちの支え合いの心も残っている。
福住は市内でも少子高齢化が進み、人口が少ない地域。だが、「車を使って広い範囲で人が動く。良いものを作っていれば、人は来てくれる。ここで売れなくても、大阪で売ればいい」と不安はなかったという。オープンにこぎつけた時期はまさに新型コロナウイルスが広がり始めた頃。もともと、すぐに店が軌道に乗るとは考えていなかったし、「ここで作るパンを追求する時間になった」という。
店に電話は置いていない。大阪で開業していたころ、予約や商品の問い合わせなど、よく店の電話が鳴った。来客に加え、電話対応をしているうちにパンが焦げたりして、客に出せなくなったことが少なくなかった。客と親しく話す暇もなかった。「2人とも器用じゃないんです。ここではお客様にゆっくりしてもらうために、できることをできる範囲で一生懸命やりたい」と千佳子さん。主に口コミや雑誌などで知り、店まで来てくれた客に集中する。「今はお客様が少なくても、本当に楽しい」とほほ笑む。
農家とも知り合いになり、畑が借りられた。「自分で小麦を栽培しようと思っています」と成人さん。「農家さんには、『大変やぞ』と言われていますが、頑張ります。自分が食べたいと思うものを作る。ここなら、それができる」。自分たちのスタイルを見つけた今、以前抱えていたような葛藤や悩みは、もうない。
有機小麦と天然酵母、丹波篠山の地が育んだ水、空気で作られたパン。
人が少ない地方で開業する人々が求めるのは、つき詰めるとモノではなく、居心地の良い時間なのかもしれない。それは店を訪れた人々にもきっと伝わる。まもなく新緑の季節。肩の力を抜いて、ほっと一息。丹波篠山に流れる時間を体感してほしい。