Yahoo!ニュース

「ナノを照らす」巨大顕微鏡仙台に 24年度稼働、研究開発拠点を集積へ

提供:仙台市

最終更新:

仙台市で建設が進む「ナノテラス」(2022年8月撮影、光科学イノベーションセンター提供)

東北大学の青葉山新キャンパス(仙台市)で建設が進む「次世代放射光施設」で、性能を決定づける重要な装置である加速器の設置が大詰めを迎えている。加速器が作り出す極めて明るい放射光を物質に当て、ナノメートル(ナノは10億分の1。1ナノメートルは100万分の1ミリ)級の超微細な世界を可視化しようという巨大な顕微鏡だ。2024年度に本格稼働の予定。世界最先端のこの施設を中核に、企業や大学の研究開発拠点が集まる「リサーチコンプレックス」が形成され、仙台発の新たなイノベーション(技術革新)や高付加価値の創出につながると期待が高まっている。

光速近くまで加速し曲げる

次世代放射光施設に22年6月、公募で選ばれた「NanoTerasu(ナノテラス)」という愛称がついた。国の量子科学技術研究開発機構とともに施設運営に当たる一般財団法人光科学イノベーションセンターの高田昌樹理事長は「ナノの世界を照らす-。親しみのわく名前だ。人が集うテラス(Terrace)のような雰囲気も感じられる」と、完成後の姿に思いをはせるように語る。
ナノテラスは、仙台駅から地下鉄で9分、仙台市街地の西の丘陵地に位置している。東京ドーム17個分ある青葉山新キャンパスの一角に、直線状のライナック棟と、それにつながるドーナツ状の蓄積リング棟が、ほぼ完成。建屋内では加速器や観測装置の設置、調整が進められている。

実験ホールで説明する高田昌樹光科学イノベーションセンター理事長。後ろの装置は蓄積リング用電磁石で右の壁の向こうにあるリングトンネルに設置する=仙台市のナノテラス

放射光を利用するには、まず、ライナック棟で発生させた電子を、電磁石を並べた長さ110メートルの直線状の加速器により光速近くまで一気に加速させる。電子は蓄積リング棟の1周349メートルある円形の加速器(蓄積リング)を周回。進路を磁場で曲げたときに発生する放射光を、厚さ約1メートルの遮蔽(しゃへい)壁に開けた穴から実験ホールに設けたビームライン(実験室)に導き、試料に照射する。

最先端の光で構造、機能を可視化

放射光の正体は強力なX線だ。「物質や材料を構成する元素や内部構造、機能の情報をマイクロメートル(1000分の1ミリ)からナノメートルのレベルまで可視化できる」(高田理事長)という。
1997年に運用を開始した大型放射光施設「SPring-8」(兵庫県佐用町)は、80億電子ボルト(8GeV)の高いエネルギーで電子を加速し、波長が短く金属材料の深部を見るのに適した「硬X線」を主に使う。一方、ナノテラスは3GeVで波長が長い「軟X線」。材料の表面や反応を観測でき、リチウムや炭素、リンなどの軽元素や生体材料の分析に強いため、幅広い産業分野でニーズが高い。

蓄積リングを周回する電子を曲げるときに放射光が発生、ビームラインに導く(東北大提供)

世界約50カ所の放射光施設のうち9カ所は国内にあり、硬X線領域ではSPring-8が今でも世界トップクラスの性能だが、軟X線領域では20年近く海外に後れを取っているのが現状。高田理事長は「ナノテラスの放射光は軟X線でも太陽の10億倍と非常に明るい上に、コヒーレンス(光の波の形のそろい具合)が100倍近く高くなる、世界最先端の光。海外につけられていた性能差を一気に逆転できる」と、自信を見せる。

そうめんの食感、微細な穴が左右

滑らかな舌触り、ツルツルしたのどごし-。夏の食卓に欠かせない手延べそうめんの食感を解明するのにも、放射光が活躍した。「揖保乃糸(いぼのいと)」を製造する兵庫県手延素麺(そうめん)協同組合によると、原料は小麦粉、食塩、食用植物油、水とシンプルだ。こねて帯状にした生地を、束ねてよじりながら細長く引き延ばし、さらに束ねて延ばす、という手作業を繰り返し、細い麺に仕上げる。
同組合の原信岳研究室室長は、ライフスタイルの変化にマッチした、火や電子レンジを使わずに調理できる手延べそうめんの開発に取り組んできた。一方、車で30分ほどの距離にあるSPring-8では、兵庫県立大大学院理学研究科の高山裕貴助教がビームラインの食品分野への活用を模索。そうめんとX線光学という畑違いの2人は2019年に出会い、製法の違いが麺の構造や食感にどう影響するか調べることになった。

SPring-8の放射光で撮影した手延べ麺(左)と機械麺の断面。手延べ麺は内部に穴が多く、つながっていることが分かった(兵庫県立大提供)

直径0.6~0.9ミリの乾麺をSPring-8で観察すると、手延べ麺は内部に20~30マイクロメートル(1マイクロメートルは1000分の1ミリ)の小さな穴があき、それが麺の長さの方向に数十~数百マイクロメートルにわたりつながっていた。刃物で切って細くする機械麺では、5マイクロメートル程度の穴はあるもののつながっていなかった。高山助教は「実験室にあるX線CTでは分解能(2点間を見分ける性能)が足りず、穴の連なりまでは見えなかった」と振り返る。

伝統製法の良さ再認識

原室長にとって予想外だったのは「穴の数は生地を束ねて延ばす『複合』の回数によると考えていたが、複合回数や生地をこねる時間を変えても大差なかった」こと。
これらの結果から、高山助教と原室長は「手延べ麺は昔ながらの製法で多くの穴ができ、毛管現象で均一に湯が浸透するため、ゆでても伸びにくく、食感は滑らかだが歯切れが良い」「生地をこねるだけの機械麺では、穴はつながらず、表面からしか湯が浸透しないので、ゆでムラができやすい」と、食感の違いを科学的に導き出した。

兵庫県手延素麺協同組合の原信岳研究室室長(左)と兵庫県立大の高山裕貴助教=兵庫県たつの市の兵庫県手延素麺協同組合

原室長が目指す新タイプの手延べそうめんは試作段階だが「600年にわたって受け継がれる手延べの良さを再認識できた。新しい取り組みにつなげられる」。高山助教も「軟X線であれば、そうめんの構造をより詳しく解明できそう。酸化や劣化を評価するのにも使えるのではないか」と、ナノテラスの活用に期待を込めている。

コンタクトの好き嫌い、9割は表面感触

「一般ユーザーのコンタクトレンズの好き嫌いの9割以上は、使用時の感触で決まる」。コンタクトレンズ大手メニコン(名古屋市)の伊藤恵利学術広報担当部長によると、コンタクトレンズ素材は、安全な使用に欠かせない高い酸素透過性を目指して開発が続けられてきた。一方、指先やまぶたの感じる装用感は、表面の数十ナノメートルの構造により決まり「良いコンタクトを作りたければ、バルク(素材全体)の安全性、酸素透過性を向上させるとともに、表面を正しく見る必要がある」というわけだ。
ナノレベルでの表面分析は困難を極め、SPring-8の硬X線、あいちシンクロトロン光センター(愛知県瀬戸市)の軟X線と硬X線の中間に当たるテンダーX線、さらにJ-PARC(茨城県東海村)の中性子線などを使い分けてきた。

放射光を使ってコンタクトレンズ素材を調べる準備をするメニコンの伊藤恵利学術広報担当部長(左)=愛知県瀬戸市のあいちシンクロトロン光センター(メニコン提供)

観察にこだわるきっかけは、入社3年目の1995年、新素材開発の際に先輩から浴びせられた言葉だった。当時のコンタクト素材の主流で水を多く含むハイドロゲル成分と、酸素を良く通す親油性のシリコーン(ケイ素化合物)成分を混ぜて素材を作ろうとするが、それぞれの成分が大きな塊を作り白濁してしまう。両方の成分を溶かす溶媒を入れることで解決し「透明性を保てたのは塊ができても小さいから、との仮説を社内報告会で説明したら、先輩に『それを見たのか? 見てきたようなことを話すな』と怒られた」と明かす。

正しさ支える武器に

検証したくても、試料を真空中に置く必要がある電子顕微鏡では水分が蒸発し「干物を見て生きているタコを想像しろと言うようなもの」。仮説の正しさが証明されたのは15年後。放射光なら水につかった状態の構造も見られると教わり、SPring-8で観察したときだった。「素材の中で原料がどのように配置され、その結果できた構造がこういう機能を持っている、と一元的に説明できるようになったことが、放射光を利用した最大の成果」
その後、ハイドロゲルとシリコーンが化学反応する速度をコントロールすれば、より良い素材ができることも突き止めた。その発想で開発した特殊な原料は現在、2週間連続装用のソフトコンタクトに使われているという。

メニコンの伊藤恵利担当部長=名古屋市のメニコン本社

1990年代前半には国産品がほとんどを占めていた国内のコンタクトレンズ市場は、外資系メーカーに押されている。伊藤担当部長は「偶然でもいいからいいものを作り、できた暁には必然だったと後付けでも説明できないといけない」「学術的に解明しておくと、自分たちの言っていることの正しさを支えてくれる強力な武器になる」と、放射光の活用を推奨している。

カーボンニュートラルにも貢献

放射光は食品、資源・エネルギー、化粧品、自動車、金属加工、医薬品とさまざまな産業分野で利用されている。光科学イノベーションセンターの高田理事長が特に注目しているのは、温室効果ガスの排出量と吸収量を均衡させる「カーボンニュートラル」。「例えば、石油を掘らなくて済むよう、プラスチックなど石油製品のポリマーをリサイクルして使い続ける。そこで必要なのが、分子レベルでポリマーがどうつながり、どうバラバラにして原料に戻すか。放射光で解析し、シミュレーション技術や人工知能(AI)と組み合わせれば実現する」

放射光施設の利用が期待される産業分野(東北大提供)

高田理事長は「ナノレベルで見ることは課題解決の糸口になるが、サイエンスとつながり、放射光の専門家でなくても得られたデータが利用できないと解決に至らない」と、産学連携の重要性を強調。地元の自治体と経済界の後押しも欠かせないことから、大型研究基盤整備としては国内初の「官民地域パートナーシップ」と、企業が大学や研究機関の研究者と一対一で組む「コアリション(有志連合)」という方式を導入した。

産学官金連携で「有志連合」

ナノテラスの建設費は約380億円。このうち約200億円を国、約180億円を光科学イノベーションセンター、宮城県、仙台市、東北大、東北経済連合会(東経連)の5者が地域パートナーとして負担する。企業は一口5000万円で、10年間にわたり年間200時間の施設利用権を持つコアリションメンバーとして加わり、学術メンバーから放射光を使った実験やデータ分析などの支援を受けられる仕組みだ。約120社が参加を表明し、最終的には210社を目指している。

電子を光速近くまで加速するライナック棟の加速器=仙台市のナノテラス(光科学イノベーションセンター提供)

東経連は中小企業向けに小口利用の制度を創設。仙台市も研究開発拠点や企業の立地を支援する助成制度、既存の放射光施設を使って多様な事例に挑戦するトライアルユース事業、周知広報を目的とした企業向けオンラインセミナー(11月22日開催予定)など、企業参加のハードルを下げる施策を実施している。

課題解決と共創の場に

学術側にとっても、コアリションによって企業が持ち込む課題が新たなテーマとなり、研究開発が加速される効果が見込まれる。
東北大は、ナノテラスに隣接する約4万平方メートルの区域に「サイエンスパーク」の整備を進めている。青木孝文理事・副学長によると「サイエンスパーク構想のもと、ナノテラスと連動し、社会的な課題の解決に当たるプラットフォーム、多様な立場の人や組織と協力して新たな価値を生み出す『共創』の場」という位置付けだ。

ナノテラスやサイエンスパークの整備が進む東北大青葉山新キャンパス。一部はCG(東北大提供)

ビームラインの設計や運用を学術面から支援し、異業種、異分野のイノベーションを戦略的に創出、新たな学問や研究領域を開拓する「国際放射光イノベーション・スマート研究センター」や、放射光で得られた高精細で大量のデータを解析する「未踏スケールデータアナリティクスセンター」を既に設置。今後、企業が研究開発で使用できるレンタルラボを備えた施設「青葉山ユニバース(仮称)」などを新設する。仙台駅近くの片平キャンパスには、たんぱく質などの構造の情報を高分解能で得られる「クライオ電子顕微鏡」が整備され、ナノテラスと役割分担しながら利用できる。
青木理事が「課題解決の鍵」と重視しているのがデータの解析だ。ナノテラスでは年間60ペタバイト(ペタは1000兆。1ペタバイトは100万ギガバイト)という膨大なデータが得られる。「データを分析して企業にとって重要な価値を生み出し、社会実装やスタートアップにつなげることが極めて重要」として、大学の情報科学、データ科学の人材や研究成果を活用した大学発スタートアップ企業などが活躍することに期待を寄せる。
サイエンスパーク構想では、東北大と多くの企業が「産学共創事業」を創出して拡大成長するため、学内の技術と人財、資金を統合するプラットフォームを提供できる大学子会社の設立を目指している。

国際競争力の源泉に

高い技術力を持つ企業や大学、研究機関を大規模に集積させ、最先端の研究開発や、成果の事業化、人材育成を一体的・統合的に展開するリサーチコンプレックスが、ナノテラスとサイエンスパークで形成されれば、国内最大規模となる。東経連の試算では、ナノテラスの経済波及効果は稼働後10年間で1兆9017億円、雇用創出効果は仙台市だけで1万6033人に達する。

東北大の青木孝文理事・副学長=仙台市の東北大片平キャンパス

青木理事は「仙台、東北大には全国から若い人材が集まって来るが、大学卒業などを機に首都圏に多く転出している。リサーチコンプレックスにより国内外から高度な人材が定着し、新製品や新技術の研究開発で、地域企業やスタートアップにも大きなチャンスが生まれる」と、仙台経済圏の新たなポテンシャルへの期待を説明。金属工学者で元東北帝国大総長の本多光太郎博士の言葉「産業は学問の道場なり」を引用した上で「実証的な研究をやるのが東北大のアイデンティティー。大学が民間の課題解決に貢献することが、国際競争力の源泉になる」と締めくくった。