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農家のプライドと村ぐるみではぐくむ「黒いダイヤ」―丹波篠山の特産・丹波黒大豆の魅力に迫る

提供:兵庫県丹波篠山市

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兵庫県丹波篠山市の特産「丹波黒大豆」。おせち料理に登場する黒大豆の煮豆は、まるで「黒いダイヤ」だ

モチモチとした食感、口の中に広がる甘さ、鼻に抜ける芳醇な香り―。あぁ、"口福"。兵庫県丹波篠山市の冬の特産「丹波黒大豆」。おせち料理の定番で、漆黒の煮豆がてりっと輝くさまは、見るからに高級感たっぷりだ。毎年秋には完熟前の「黒枝豆」を求めて都市圏から多くの人が同市を訪れ、インターチェンジに起きる渋滞は風物詩にもなっている。世界一大粒の大豆で、品質の良さも相まって「黒いダイヤ」とも称される逸品。数百年に渡って脈々と受け継がれている伝統作物は、どのような人々の手によってつくりだされているのか。また、生産現場ではどのような課題が起きているのか。味覚の「裏側」まで堪能する。

秋には多くの人が買い求める丹波黒大豆の枝豆

300年続く伝統「市民のアイデンティティー」

「良い豆をはぐくむ要素は3つ。天候、土、そして人です。寒暖の差が大きく、粘土質の土壌が特徴の丹波篠山の農家は、プライドを持って栽培しているからおいしい。『出来の悪い豆は見られたくないから出荷しない』という人がいるほどなんです」と苦笑するのは、同市の老舗黒大豆卸問屋「小田垣商店」の小田垣昇社長(50)。「丹波篠山の人が市外で出身地を紹介するときも、『黒豆の―』と言うことがある。このまちで暮らす人にとってのアイデンティティーになっていると言ってもいい」

歴史は古く、現在、確認されている最も古い文献では、江戸時代中期に出された料理本「料理網目調味抄」に「くろ豆は丹州笹山の名物なり」と記されている。幕府に献上されたという史料もあり、少なくとも約300年前には栽培されていたことがうかがえる。

江戸時代はまち全体で栽培していたわけではなく、一部の農家が作っていたと考えられている。明治元年、鋳物業から種苗業に業種転換した小田垣商店は、いち早く黒大豆の魅力を発掘、普及に乗り出した。とはいえ当時はコメの栽培が主流。なかなか受け入れられなかったが、1970年に始まった減反政策で、コメに変わる「売れる作物」として黒大豆栽培が拡大した。「食べていただければ、『おいしい』と喜んでもらえる。そういう作物だからこそ、あきらめずに普及を続けたんだと思います」

小田垣商店で行われている黒大豆の選別作業「手撰り(てより)」

枝豆でも好評 あの人気漫画にも登場

ちなみに黒枝豆として販売を始めたのも小田垣商店。1973年、黒大豆の今年の作柄を見てもらうために完熟前の豆を各地に送ったところ、「枝豆でもおいしい」と評判になったことから、新しい食べ方として販売を始めたという。当時は「枝豆なんて邪道」とも言われたが、88年に丹波篠山などを会場に開かれた祭典で売り出すと人気が爆発。さらに人気漫画「美味しんぼ」に取り上げられる。こんな内容だ。

「ビアホールの社長のためにと供された黒枝豆。さやから出てきた豆を見た社長は、黒っぽい豆を『変色している』として、一口も食べずに激怒し、店員をクビにする。しかし、丹波篠山を訪れて本場の味に感動し、店員を呼び戻す」―。人気はさらに高まり、一躍、秋の丹波篠山を代表する味覚になった。

近年の市場も、国内で生産される丹波黒大豆の6―7割を扱う小田垣社長が詳しい。「おせち料理を食べる家庭が減ったことで、昔と比べておせちでの需要は減っています。けれど、大豆は"畑の肉"と言われるほどタンパク質が豊富。そして、黒大豆はそのほかの栄養もたっぷり。健康志向の人は増え続けているので、年間を通して黒大豆を味わってもらえるようにしていきたいですね」

「丹波黒大豆と小田垣商店は一蓮托生です」と語る小田垣社長

「くろう豆」村ぐるみで生み出し

現在、市内の栽培面積は557ヘクタール(東京ドーム118個分)に上り、市町村別栽培量でも全国1位を誇る。栽培農家は2660戸で市内全農家の半数以上。ここまで成長したのは先述の歴史があるが、かつては栽培量が少なかったにもかかわらず、脈々と作り続けられたことには別の歴史がある。
そもそも年間降水量が少なく、盆地を囲む山も低いため、農業に使う水の確保が困難な土地。そこで村人たちが集まり、その年には水を引かずに稲作をしない「犠牲田(ぎせいでん)」を設けた。文字通り犠牲になった田を畑にして在来の豆を栽培したのが生産の始まりだ。

このシステムのすべてを「ムラ」で協議して決めていたことから、「地域全体で農業に取り組む」という風土が定着。また、黒大豆の栽培は複数回の土寄せなど非常に手間がかかり、「くろう(苦労)豆」と言われるほど。個人では経営が成り立ちにくいことからも、村ぐるみで話し合い、助け合う体制の基礎となった。

このシステムは今も残る。市内には農業が盛んな集落が230カ所あるが、そのうち118カ所に「集落営農組織」がある。農業用の機械を共同で購入して使ったり、害虫などの防除を共同で行うなど、村を上げて作物を栽培。組織化率は51%に上り、兵庫県の平均31%を大きく上回る。

「村ぐるみ」での黒大豆栽培に励む農事組合法人「丹波ささやま おただ」のメンバーら

「農業が好きやからしかたがない」

「自分たちの村の農地は自分たちで守る。それが組合の考え方。『先祖代々の土地を守る』と言えば、かっこいいけれど、『先祖代々の土地やからしかたがない』と言ったほうがしっくりきます」。同市小多田にある農事組合法人「丹波ささやま おただ」の岸本久芳組合長(71)が苦笑する。ただし、続く言葉がある。

「もっと言えば、『農業が好きやからしかたがない』。好きじゃないと、いくら先祖代々の土地でもやりません」。種をまき、芽が出て、獣害をかわしながら大きく育っていく。収穫の瞬間が一番の喜びには違いないが、季節ごとに喜びがあるから続けられる。

丹波黒大豆のさやには独特の模様がある。以前、同法人が販売したスーパーでは、現場のスタッフが出荷したての黒大豆を「劣化している」と判断し、特売コーナーに回されたこともあったそう。「正直言って見た目は悪い。シミやソバカスばかりのようなもの。けれど、中身はピカイチなんです。ぜひ一度、食べてみてほしいですね」

主力は60代以上 少子高齢化が課題

課題もある。地方の過疎化、少子高齢化は深刻で、同法人も主力は60代以上。団塊の世代が定年を迎えたことで、何とか労働力を維持しているのが現状だ。市内の他の組合も似たり寄ったりの状況。ただでさえ、「くろう豆」。このまま行けば、収量は減少の一途をたどり、近い将来、「幻の」という枕詞が付くことになる可能性もある。

「先人がブランド化され、実績を積んできた黒大豆をさらに発展させたい。そのためには『農業で食べていける』という体制を作らないといけません」(岸本組合長)。同法人では組合農地の拡大と設備投資に加え、組合専従のスタッフを雇うことで組織を維持しようと考えている。また、ドローンを使った防除など最新技術も取り入れ、省力化を図っている。

法人ではドローンを使ったスマート農業にも取り組んでいる

大学の授業を機に新規就農 27歳の思いは

担い手不足が大きな課題の丹波黒大豆。しかし、光もある。同市西紀南地区で農業に励む大坂宇津実さん(27)。大阪市出身のIターン農家だ。丹波篠山との関わりは、神戸大学農学部に通っていた時のこと。授業の一環で同市を訪れ、農業を体験した。「都会だったら隣に誰が住んでいるかもわからず、近所の人と話すこともないのに、ここでは顔を見ればあいさつが当たり前。その温かさにどっぷりはまりました」

在学中、大坂さんは仲間とともに農業ボランティアサークルを結成。毎週末、泊まり込みで同市を訪れ、農業に汗を流し、農家と、そして、仲間たちとの親交を深めた。

それまでは暮らしに根付いた文化的な「農」に関心があったが、いつしか作物を作って販売するという商売「農業」に気持ちが向く。「農家のおじいちゃんやおばあちゃんと話していて、『自分だったら、こういうふうに売るのにな』と思うことがあった。みんな『農業は儲からない』と言っているけれど、改善できるところも多いのでは、と。もちろん、後で『何もわかっていなかった』と思うことになりますが」

「どろんこやさい」の屋号で農業に励む大坂さん

かっこいい農家に憧れ 黒大豆武器に高みへ

ふつふつとした思いを抱いていた時、ドイツの農家を視察。そこでは作物を作るだけでなく、レストランを開設するなど多角的な経営に取り組んでいた。「農家ってかっこいい! そう思えたんです」。2017年、新規就農者としての生活をスタートした。

当然、主力の作物に選んだのは黒大豆。ほとんどを黒枝豆で販売している。「毎年、秋には丹波篠山に来て、黒枝豆を買って帰るという流れができている。『作れば売れる』という作物があるのは、新規就農者にとってもとてもありがたいです。黒大豆があってくれてよかった」と感謝する。

伝統を土台に新風を入れようと事業を進める大坂さん。「本当は外作業が苦手。暑いんで」と破顔しつつ、「農業を基軸にしながら、人とかかわる仕事がしたい。ドイツのようにレストランを開いたり、これから農業を始めたいという若者のスタートアップを支えたり。これからも挑戦を続けます」と黒大豆を武器にしつつ、さらなる高みを目指している。

老若男女問わず、プライドを持って栽培する農家が、天と地とともに生み出す丹波黒大豆。口に入る機会があるならば、豆の中に凝縮された思いも味わってもらいたい。