「観光」という言葉で思い浮かべるのは、その土地の特産品に舌鼓を打ったり、著名な史跡やランドスケープを訪れたりすることが多い。一方、兵庫県丹波篠山市で8月4日から8日にかけて実施されたツアーは従来の観光とは一線を画す。テーマであり、誘客の資源としたのは、「地域イノベーションの最前線」。古民家再生、農村のまちづくり、新しい農業のスタイルなど、地方で起きている「新機軸」を学ぼうというもので、東京や沖縄、果てはメキシコから計11人の参加があった。参加者が費用を出してでも触れたかったものとは何か。ツアーに同行すると、農村の未来が見えてきた。
古民家再生の先に クルーは70代、80代
「新しい挑戦が必要だけれど教科書はない。取り組みは白紙に書き綴っていくようなもの。だから、社名がNOTEなんです」と語る藤原社長
「私たちが展開しているのはリゾートではありません。大切にしているのは、『まちの暮らし』を見てもらうこと。それを味わった瞬間に満足していただける」
丹波篠山市に拠点を置き、古民家を再生した宿泊施設などを手掛けている株式会社「NOTE」。一行を前にした同社社長の藤原岳史さん(47)が取り組みを紹介する。想像がつかない内容に、参加者は自然と前のめりになっていく。
篠山城跡を中心に広がる城下町全体を一つのホテルととらえた「篠山城下町ホテルNIPPONIA」などを展開する同社。築100年を超える古民家が客室で、一帯に21室が分散する。「エントランスの建物から、一番遠い部屋まで2・2キロ。歩けば20分はかかります。道中はホテルの廊下であって、『途中でお茶でも飲んでいってください』と。客室に行くまでに地域にお金を落としてもらえるのです」
2007年から始まった事業は、今や各地に波及し、北は函館、南は沖縄まで、全国30地域で同社のメソッドを生かした取り組みが展開されている。再生した古民家は14年間で約170棟。人気の秘密は古民家に宿泊できることだけではない。
「地元の70代、80代の人がホテルのクルー。お客さんが村を歩いていると、村人は『うちのお客様』と思って話しかけます。おばあちゃんから『来年来ても私はいないかもしれないから、早く来てね』なんて営業がかかることも」。会場がどっと沸く。
地方はどこも人口減が課題となっており、空き家も増え続けている。しかし、藤原さんは言う。「地元民は空き家を衰退の象徴ととらえがちだけれど、『宝物ですよ』と伝えていく。そして、観(み)る観光から、地域の人々と関わる関光へ。そんなことを考えながら取り組みを進めています」
「ど」がつくほどのローカルに軸足を置きつつ、しかし意識は最先端。当たり前の暮らしを未来につなげる取り組みを熱く、熱く語った。
わずか数キロのエリア 職人が続々移住
「自分たちのプロダクトで客を呼んでくることができる。そんな人をマッチングしています」と語る安達さん
宿場町の面影が色濃く残る同市福住地区では、この地区の「エリアマネジメント」を生業としている安達鷹矢さん(34)のもとを訪れた。安達さんが事務所を構えるのは閉校した元小学校だ。
「まち全体として、どういう人がやってきて、どういう循環が生まれるかをイメージしながら取り組んでいます」。自身も大阪府高槻市出身の移住者は、柔和な笑顔を浮かべながら事業を説明し始めた。
元宿場町とはいえ、城下町がある市の中心部から十数キロ。閉校した小学校が語るように、少子高齢化が進んでいる。しかし、今、この地区には写真、オーガニックスペシャリティーコーヒー、天然酵母パン、イタリアンレストランなど、さまざまな職種の「職人」たちが続々と移住し、店舗を出している。多くが古民家を改修した建物だ。
地域の活性化のために外部の力を呼び込むことに積極的な住民と、美しく豊かな自然と景観、それらに引かれた移住者がまた次の移住者を呼ぶなど、理想的な構図が生まれている。そして、このわずか数キロの範囲の未来を描いているのが安達さんだ。
「移住する人にまず大切なことは、生活コストと事業コストを統合していくこと。都市部でお店をしていると、自宅の家賃とお店の家賃分で数十万円の利益が絶対に必要になる。でも、ここなら自宅兼店舗で必要な利益は数万円。売らなきゃいけない、作らなきゃいけないという考え方が減ります。そして、コストコントロールができれば、やりたいことを追求していけるようになるのです」。みな得心したようにうなずく。
安達さんが管理する宿泊施設では、地元の野菜を言い値の3倍で買い取っている。「外からきた自分たちが客を呼んで、この景観をダシに稼いでいくのは『ダサい』。客が来れば来るほど、みなさんが今までやってきたことで収益が上がることをきちんと表現したいんです」。ここにも農村の未来を描く人物がいた。
厳しい農業の現状 新たな価値で挑戦
「一番大変なのは獣害。一晩でカボチャを全部やられたこともあります」と話す吉良さん
「農都宣言」をしている丹波篠山の基幹産業は、いわずもがな農業だ。今では多くが兼業農家で、主力は60歳以上。耕作放棄地も生まれ続けている。また、近年はシカやイノシシなどの野生動物が里に下りてくることが増え、獣害も問題になっている。
「草刈りを怠ったり、獣害対策をきちんとしていなかったりすると、すぐに『野生の王国』になる。それをなんとか食い止めているというのが現状です」。畑の中心で、同市古市地区で「丹波篠山 吉良農園」を営む吉良佳晃さん(37)が話す。地元で生まれ育ち、大学から市外に出て化学メーカーに勤務していた吉良さん。農村の現状を知り、地域の課題解決のために帰郷して農家に転身した。
吉良さんが小さな農地の前で立ち止まった。「正直、米だけを作っていると確実に赤字。この農地の100倍から150倍の広さがないと経営は成り立ちません」。非農家ばかりの参加者が現実に絶句する。
吉良さんは約1・5ヘクタールで年間約60品種の野菜やハーブを栽培し、レストランなどに卸している。なるべく自然に近い農法を実践し、さまざまな野菜を時期に応じて「パッチワーク」のように栽培することで、収益化につなげている。
手掛ける農地は山からの谷筋がほとんどで、一つ一つの農地が狭い。狭いということは農業機械などが入りにくく手がかかる。さらに化学肥料や農薬を使用していない。「効率」とは真逆の位置にある。
しかし、吉良さんはその位置にこそ可能性を見出している。「日本の里山は農業などで人の手が入ることによって生き物の多様性が維持されてきたんです。消費者の皆さんに野菜のいろんな価値、ストーリーを見出してもらいたい。そんな思いで農業を続けています」
吉良さんは、「ミチノムコウ」という名の新たなプロジェクトをスタートしている。農業や里山での活動に都市部の人を呼び込み、「関係人口」を生み出すもので、第一弾は、参加者で酒米を作って地元の酒蔵で醸す取り組みだ。
「2、3年後、失敗しているかもしれないし、うまくいっているかもしれない。皆さんも、また見に来てください」。この話自体が、年に一度でも丹波篠山に通う理由になり、関係人口の創出につながっていた。
キーワードは「人」 20歳女子大生の気づき
閉校した元小学校を活用した「里山工房くもべ」での振り返り。地元食材を使った弁当などを食べながら、ツアーで得た学びを披露し合った
参加した11人が今回のツアーに興味を持った理由は様々。「地方移住に興味がある」「田舎で野菜を作りたい」――。そんな中、東京の大学でまちづくりを学んでいる20歳の女性2人の姿もあった。小澤歩実さんと小松瑞季さん。小澤さんがツアーを知り、母の実家が丹波篠山ということもあって参加。友人の小松さんも二つ返事で同行した。
「現場に足を運ばないと生の声は聞けない。出会ったからこそ、強い思いを感じることができた」と振り返り、「東京でも地方でも、まちづくりのキーワードは『人』だと思う。とても良い経験になった」と充実した表情を浮かべた。
ともに東京生まれ、東京育ち。都ではカエルも見たことがなかったが、このまちでは様々な生き物があふれている。ジビエも初めて食べた。そして、何より人と人とのつながりが濃密にあることを実感した。
ツアー中、思い出に残っている場面はいくつもある。その中でもすぐによみがえるのが、通りすがりの地元の人がペコリと会釈してくれたこと。「東京では絶対ないです」――。
都会→地方の立場を考え直す 新たな観光創出を
「草刈りし終えた跡を眺めている時が幸せという人がいる。初めはわからなかったけれど、今ならわかる。生活のクオリティーが豊かだと思います」と語る生野さん
今回のツアーは観光協会、商工会などが観光まちづくりのために組織した「Masse丹波篠山」が企画した。実働部隊の一人として動いたのは一般社団法人「ウイズささやま」の生野雅一さん(40)。生野さんは2年前に開かれた二拠点生活ツアーに東京から参加した一人。すぐに丹波篠山に移住した。
アフリカ専門の旅行会社に勤務し、駐在員としてケニアで長年ツアーコーディネーターを務めた経験を持つ。しかし、コロナ禍で旅行業がストップ。「コロナ禍が収まるまでの数年間をどう使うかと考えたときに、地方移住なんてのもおもしろいかもと、なんとなくツアーに参加したんです」
実際に暮らしてみると、季節を肌で感じることが多いことに驚いた。「朝、霧が深かったら昼から晴れる。彼岸花が咲き始めたからそろそろ涼しくなる。あと2、3回雨が降ったらホタルが飛び始める――。地元の人との会話は『魔法使いか?』と思うほど。東京では、気温以外に季節の変化を感じる要素がなかった。自然を身近に感じながら暮らすということが、どれほどぜいたくかを感じています。それに村の人が村のことを教えてくれて、少しずつ、丹波篠山の人になっていく。これが生々しくて、異文化交流のようにおもしろかった」
今度は自身がツアーの切り口を考える立場に。「コロナ禍で旅行業界は大きく変わりました。従来の団体旅行は正直、時代に合っていない。そして、これまでの旅行は都会が地方を『消費』しに行くものだったけれど、都会と地方で双方向に学びを生むことがこれからの観光になると」
古民家を改装したおしゃれなカフェや、「自然が豊かで住みやすい」などのキャッチフレーズは全国の地方に共通している。そこで目に止まったのが、過去のツアーに参加した若い女性の意見。「自分が暮らすまちのことを自分事として考えておられたことに感銘を受けた」。今回のツアーはこの意見を突き詰めた。
「田舎で若い人がまちづくりを仕事にして、ちゃんと生計を立てている。おそらく都会の人には想像ができないことだと思います。地元にしかできない実験的な企画でもあったけれど、満員御礼。びっくりです」
自身も少しずつ根付き始めたから思う。「今までの日本社会のゴールは都会にあったかもしれない。でも、ずっと都会にいた自分からすると、『田舎にもゴールとしての選択肢がある』と思う。だからこそ、都会と田舎が互いに交流し、お互いを知ってリスペクトが生まれるような関係性が作れたらと思います」
田舎で新たな取り組みを進める人々を資源ととらえる「新たな観光」の動きが生まれつつある。