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「奇跡的な最低」本州一低い分水界 さびれた資料館に光―― フィールドミュージアム再生にかける人々の思い

提供:兵庫県丹波市

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本州一低い分水界を上空から。赤いラインを境に水の行先が分かれる

「奇跡的な最低なんです」―― 。兵庫県丹波市氷上町石生にある何の変哲もない交差点を指さし、同市教育委員会文化財課の職員が言う。はて、何のことかと首をかしげる。「ここは本州一低い中央分水界なんですよ」。さらに首をひねる。「簡単に言うと、ここの南側に降った雨は瀬戸内海へ、北側に降った雨は日本海へと流れていくという分岐点になっているんです」。あぁ、なるほど。それで交差点の名称が「水分(みわか)れ」か。これってすごいこと? と問うと、「はい。100万分の1の奇跡です」と力いっぱい返された。改めて流れゆく川のせせらぎに目をやる。遠く海が見える気がした。そんな地質学的ロマンのあふれる場所で、今、一つのミュージアムが産声を上げようとしている。

標高わずか95メートルで日本をまたぐ

少しややこしいかもしれないが、お付き合い願いたい。すべての川が海につながっていて、日本が四方を海に囲まれていることを考えれば、どこかに、その川がどこの海に流れていくかが分かれる場所があることになる。これが「分水界」。列島を背骨のように連なっており、分水界を越えるということは「日本をまたぐ」こと。水は分水界をどちらかに越えると、問答無用で一つの海に流れていく。

分水界を作り出した要因の一つ「扇状地」。山から扇状に土地が広がる

多くの場合、分水界は標高の高い山にある。そこに降った雨が尾根を伝って南北に流れ落ちることで分水界になることは想像してもらえるはずだ。最高地点は長野県と岐阜県にまたがる乗鞍岳で標高3026メートル。対して山と山に挟まれた「谷中(こくちゅう)」にある丹波市の分水界は標高がわずか95メートルしかなく、本州では最も低い場所で水が南北に分かれる。

では、なぜ、こんなにも低い場所に分水界が存在しているのか。同課職員は、「本来の分水界はもっと北。それが長い時間をかけて川が土地を削ったり、ほかの川と合流することなどを繰り返していくうち、今の場所にまで分水界が移動してきたとされています。そして、数万年経つと、また別の場所に変わる。いたって普通の光景が地質学的にみて奇跡的な場所なのです」と言い、またも力が入る。

こうなる条件がいくつかあり、もともとこの土地が湖や湿地だったこと(確率1・2%)、川同士の奪い合いが起きた(確率0・1%)などなど、さまざまな要因を積み上げていった結果、冒頭の「100万分の1の奇跡」になるという。

ヒト・モノ・コトの「交差点」 ナウマンゾウも通った?

「最低ですね」と言われると、まるでけなされているかのような気分になることが多いが、丹波市の場合、「最高」の誉め言葉になる。

分水界を越えて東西南北を行き来しようとする場合、高い山を越えるよりも低い場所を通ったほうが楽だ。丹波市の水分れを中心に南北に伸びる低地帯「氷上回廊(ひかみかいろう)」は、瀬戸内海と日本海を結ぶ一本の道のようになっている。

そのため渡り鳥たちは今も氷上回廊を抜け、太古の昔にはあのナウマンゾウも通ったと考えられている。気候でさえも南北入り混じり、雪国と南国の木が共存する森がある。その特殊な気候が作り出す作物は美味で、全国的にも名高い丹波大納言小豆、丹波栗、丹波黒大豆などの産地になっている。

人間も同様。江戸時代には河川を利用した輸送「舟運(しゅううん)」が発達し、高瀬舟によってさまざまな土地の産物が水分れに集まった。人が動けば、物とともに文化も動く。水分れは、さまざまなモノの「交差点」「多様性の宝庫」ともいえる。

水分れが水分れたる証拠の魚「ミナミトミヨ」の標本

水分れの存在を端的に表しているのが川魚だ。瀬戸内海へ続く同市の佐治川で、日本海側の川にいるはずの「ヤマメ」が発見されている。また、かつてはトゲウオ科の「ミナミトミヨ」が採集されている。現在は絶滅しているが、この魚も仲間の多くは日本海側にいる。

このミステリーの要因こそが水分れで、かれらは氷上回廊を通り抜けて瀬戸内海側にやってきたとされており、洪水が発生した際、日本海側と瀬戸内海側の川の水が入り混じったことが原因と考えられている。

貴重でもわかりづらい 資料館も「さびれる」

地元では1988年、この存在をまちづくりにつなげようと、分水界がある全国の自治体に呼び掛けた「水分れサミット」を開催。自然と川、それらが生み出した伝統や文化を振り返り、「人間と自然の調和」を共有した。現在の「SDGs」(持続可能な開発目標)にもつながる先進的な取り組みだった。この祭典に合わせて建設されたのが、「水分れ資料館」。立体模型や舟運に使われた高瀬舟のほか、水分れの歴史を伝えるパネルなどを展示してきた。

しかし、そもそも分水界は説明が難しく、わかりづらい。ぱっと見て、「うわぁ」と感動を呼ぶ土地でもない。その貴重さとは裏腹に、来館者は減少の一途をたどり続け、今では年間でも2000人程度しか訪れていないという「さびれた資料館」になっていた。

リニューアルされたミュージアムの展示

2019年、この資料館をリニューアルしようとするプロジェクトが動き出した。貴重な地勢だけでなく、生態系の豊かさやヒト・コト・モノの交流史、環境保護の重要性も含めて総合的に発信するガイダンス施設「氷上回廊 水分れフィールドミュージアム」として生まれ変わらせるものだ。

リニューアル後の施設(2021年3月20日オープン)では、最新のプロジェクションマッピング技術を活用し、水が分かれていく様子をわかりやすく説明。また、超ワイドスクリーンを使った4K映像を投影したり、2万5000年続く氷上回廊の歴史を壁面全体に展示するなど、スタイリッシュで、現代的な施設としてよみがえる。

子どもたちも楽しめるようにと、特殊な砂「キネクトサンド」とプロジェクションマッピングを活用して水分れの地形を作る遊びや、すごろく、地元産木材を使った木のおもちゃなど、体験に重点を置いたコーナーも設けた。

再認識で地元住民のアイデンティティーに

しかし、設備だけのリニューアルでは、いずれは来館者に飽きられてしまい、かつての資料館と同じ轍を踏む。そこで行政とともに施設を盛り上げていくもう一つのエンジンになるのが、地元住民らを中心に作る「友の会」だ。

「ここで生まれ育ったけれど、分水界のことは意識してこなかった。でも、今は違う。地形的、学術的な価値があり、地域を代表する財産。自分たちが暮らしている場所が、実は"すごいところ"だと認識することで、住民の誇りやアイデンティティーにつながると思っています」

友の会の山田康さん(71)が熱く語る。山田さんの自宅は分水界の真上に建っており、まさに「分水界の住人」だ。ミュージアム整備に携わることで、ほかの誰でもない、地元住民が、その価値を見つめ直し始めている。

友の会の指揮を執る山田さん

友の会はリニューアルプロジェクトのスタートと同時に設立。施設整備にアイデアを出すなどして協力しながら、友の会でも施設を活用したワークショップを企画し、子どもたちが集い、学び、自然への関心を深められるようなイベントを展開していく。

ワークショップ実現に向けた動きを加速させるなど、今、友の会には勢いがある。ただ、それはスタートダッシュとも言え、これからもずっと保てるかどうかはわからない。緩やかであってもアクセルを踏み続けるためには、山田さんは「子どもたち」が重要と考えている。

「私は地元地区の自治会長。もちろん、地域を盛り上げたいという思いはあるけれど、それは義務感でもある。義務感でやってしまうと、しんどくなるし、長続きしない。ワークショップなどを通して、本当に水分れのことが、丹波市のことが大好きな人が生まれ、その人たちがメインになってほしい。それはやはり次世代。子どもたちがワイワイやっていてこそ、地域に活気が出るもんです」と豪快に笑う。

水分れの価値を発信すること。その命題と表裏一体になっている最終目標は、少子高齢化が進む地域を活性化していくこと。「子どもたちは大人になって、地方を出てくかもしれないけれど、誇りがあれば、外で丹波市のことを良いところだと宣伝してくれるメッセンジャーになる。いつかは地元に戻ろうと思ってくれるかもしれない。ミュージアムを盛り上げることは、この地域を次世代につなげる種まきなんです」

学び深める児童たち 誇りは次世代に

水分れのおひざ元にある丹波市立東小学校で開かれた市教委文化財課の出前授業。「水分れから南北に延びる低地帯のことを何ていうか知ってる?」という投げかけに間髪入れず手が上がる。「氷上回廊です!」

普段から水分れについて学びを深めている児童たち。ミュージアムのオープンを間近に控え、職員らがリニューアル後の施設の一端を紹介しようと来校した。ミナミトミヨの3D標本や遊び感覚で舟運を学べるすごろく、生き物を知るかるた――。さらにはドローンも使って、学校上空の空から見る水分れの地形をライブ配信。児童たちは目を輝かせながら最新技術やゲームを楽しむ。

水分れを起点に発達した「舟運」を学ぶ「舟運すごろく」を楽しむ児童たち

ミナミトミヨの説明では、淡水魚として初めて絶滅種となったことも紹介。環境破壊がさらに進むと、ほかにもこのままではいなくなってしまう生き物がたくさんいることを話すと、一人の児童が手を上げた。「前、クジラのおなかの中からゴミがたくさん出てきたって聞いた」。プラスチックなどの海洋ゴミ問題だ。

授業を行っている場所は海に流れゆく川の分岐点。職員は、「ここで川に捨てられたゴミも、いつか海に流れ着いてクジラが食べてしまう。ゴミを見つけたら拾ってほしいし、きちんと分別して」と呼びかけた。分水界の話から生物多様性、そして、環境保護へと、話題がひとりでに広がっていく。短い時間ではあったものの、フィールドミュージアムの目指す形が体現されていた。

授業を終えた3年生の男の子は、「リニューアルが楽しみ。家族みんなで行ってみたい。そして、水分れのことをもっと知りたいと思った」とうなずく。さびれた資料館の再生を軸にし、まちの誇りを次世代につなぐ活動は、ゆっくりとスタートを切った。