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多様性を認め合い、つながり合う。新しい魅力や価値を生み出すまち「川崎市」

提供:川崎市

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川崎市の魅力や多様性について学ぶ子どもたち

いよいよ2024年7月1日に市制100周年を迎える川崎市。市制100周年、さらにその先の未来に向けて策定された川崎市ブランドメッセージ「Colors,Future!いろいろって、未来。」と、そのメッセージが表すまちのあり方について、昔から様々な人や文化などを受け入れながら「住みやすいまち」として成長してきた"かわさき"の成り立ちと今の川崎市の取り組みを紐解きながら紹介する。

人や文化の交流で栄えてきたまち

東海道川崎宿の歴史を今に伝える東海道かわさき宿交流館

「東海道五十三次」の1つ、東海道川崎宿。川崎市が発展する礎となった場所だ。
「1601年に宿駅伝馬制度ができたときは、まだ川崎宿はありませんでしたが、品川宿から神奈川宿が約20kmと離れていたことから、両宿の伝馬負担を軽減させるため、その中間にあるこの地が1623年に宿場として開設されました。大名行列の宿場としてはもちろん、川崎大師が厄除けで有名なことから、観光地としても非常に賑わったと聞いています」
そう話すのは、東海道かわさき宿交流館副館長の濱舘幸二さん。多くの人が行き交うまちになっただけでなく、立地の良さから江戸に物資を届ける物流拠点としての役割も担うことに。

2023年は川崎宿が起立して400年。東海道かわさき宿交流館では東海道川崎宿の歴史を振り返る企画展が実施されたほか、東海道の六郷橋から下並木までの間に109基の中間灯が灯されるなど、まちをあげて様々な記念イベントが開催されてきた。川崎宿起立400年プロジェクト推進会議の会長である鬼塚保さんは、川崎駅広域商店街連合会の会長としても、この川崎の地を70年以上にわたり見守ってきた。
「かつては工業のまち、労働者のまちと言われてきた川崎市ですが、市内には若者を集める施設も増え、移住して来る人も増えています。いまや音楽のまち、スポーツのまちなどと言われる『多様性のあるまち』として変化し続けています」

川崎宿起立400年プロジェクト推進会議会長・鬼塚保さん

東海道川崎宿の文字と浮世絵をデザインした中間灯

川崎へ移り住む人たちが定住する理由

川崎市は、戦前・戦後を通じて、市外の地方出身者や外国人が多く働いており、まちの発展を支えてきた。その中でも、市内にあった紡績工場には多くの沖縄の人たちが就職し、これを機に市内へ移住して、川崎の地で暮らすようになった。

現在も、市内には沖縄にルーツを持つ人が多く住んでいるが、なぜ川崎市で暮らし続けているのだろうか――川崎市沖縄県人会の会長である金城宏淳さんと副会長の前田幸男さんは、次のように語る。
「川崎には市外や外国から移住し生活している人が多いですが、川崎はいろいろな人を受け入れてくれる土台がある」(金城さん)
「就職を機に川崎に移住してきた。生活をしていくうちに川崎が好きになり、もう50年が経つ。私の故郷は、川崎だと思っています」(前田さん)

左/川崎市沖縄県人会会長・金城宏淳さん。右/副会長・前田幸男さん

そんな川崎市は、海外からも多くの人が移り住んだ「多文化共生のまち」でもある。1996年には外国人市民の市政参加のための仕組みとして「外国人市民代表者会議」を条例で設置。外国人を地域社会づくりのパートナーと位置づけ、様々なバックグラウンドを持つ人たちが主体的に、住みよいまちづくりを進めている。

会議の委員長を務めるペレーラ ラヒル サンケータさんは、「会議では公募で選ばれた外国人市民が、市内の外国人市民の代表として、日常生活で不便に感じることや、『こんなまちになってほしいな』と思うことを話し合い、その内容を提言として市に報告しています」と話す。2022年度~2023年度は、産後支援や介護保険、日本語学習などについての話し合いが行われている。話し合いの内容は2年に1度、提言として取りまとめられ、市に報告される。これまで報告された提言は、施策に反映するよう取り組まれ、「居住支援制度」の創設や「川崎市やさしい日本語ガイドライン」の作成などが実現した。

「多文化共生社会の実現を目指している川崎市は、外国人にとっても非常に住みやすいまち。これからもいろんな文化に触れられる賑やかなまちとして栄えていってほしいですね」(ペレーラさん)

福田紀彦市長に年次報告書を渡すペレーラ ラヒル サンケータさん:左から2番目

誰もが自分らしく暮らせるまちを目指して

様々な人々が分け隔てなく暮らしていくことのできる社会――そんな「共生社会」を目指す取り組みも進んでいる。その取り組みの一環として、市立川崎高等学校では、文化祭で「心のバリアフリー」をテーマに、バリアフルレストランを開催した。バリアフルレストランとは、「車いす使用者が多数派、二足歩行者が少数派である社会」を体験するプログラムのこと。多数派である車いすに乗る人の目線でつくられた社会は、天井が低く、机やいすも必要としないため、少数派である二足歩行者にとっては暮らしにくい。「本当の意味での共生社会とは何か」を考えさせられるプログラムなのだ。

このプログラムを企画した日本ケアフィット共育機構の佐藤雄一郎さんは次のように話す。
「多くの人は障害のある人の大変さはその人の心や身体に原因があると考えてしまいがちですが、実際はそうではありません。障害のない人に合わせてつくられた社会のあり方が、障害のある人の困りごとを生み出しています。これを"障害の社会モデル"といいますが、『社会が障害を生み出しているのだ』という考え方を、少しでも多くの方に知ってもらいたい」

市立川崎高等学校福祉科学科長の佐藤智広先生は、「このプログラムを体験して、物事を一面的にしか見ていなかったことを痛感した。車いすを使用する人もしない人も、両方が利用しやすい環境をつくることが本当の共生社会の実現につながるのだと感じた」と話す。また、バリアフルレストランの運営に携わった3年生の岡安大和さんも、「バリアフルレストランを通じて、障害のある人の気持ちや困難を知れたので、今後は学んだことを発信していきたい」と力強く語った。

障害の有る無しにかかわらず、誰もが自分らしく暮らせるまちを考える。そんな取り組みも着々と進んでいるのだ。

市立川崎高等学校福祉科の生徒が体験した「バリアフルレストラン」

子どもたち発信で未来のまちづくり

市立川崎小学校の授業、ポスター制作が熱い!

教育現場での取り組みは、ほかにもある。未来を担う子どもたちが川崎の魅力や多様性を学び、「川崎小学校の魅力を伝えるポスター」の制作を行う市立川崎小学校が、一例。

川崎市では、市の多彩な魅力を一言で表現し、都市の将来像を示すものとして、「Colors, Future!いろいろって、未来。」というブランドメッセージを策定し、市内外に広く発信している。同校では川崎市ブランドメッセージを活用した授業を取り入れ、子どもたちと一緒に"最幸の学校"をつくるための取り組みにつなげようと考えている。ブランドメッセージを活用した授業は6年生の総合的な学習の時間で行われ、子どもたちはチームごとに分担して、ブランドメッセージを参考にしながら、「自分たちならどのようなキャッチフレーズや写真を使って、川崎小学校の魅力を発信するか」を協力しながら考えていく。"川崎小学校のいいところ"がふんだんに表現されたポスターは完成後、全校生徒の前、学校のWebサイトなどでお披露目される。

中臣信丈校長に聞いた。
「創立150周年に向けて3年前にこの授業を始めました。ポスターを制作することで、6年生たちは自分たちの学校に誇りや愛着を感じるようになりました。発表を聞く下級生の子どもたちも、『学校が好き』という思いをさらに深めながら、立派に発表する上級生の姿を見て、『自分もあんな6年生になりたい』と憧れるようですよ」

同校は、約2割(13カ国)が外国籍である子どもたちが通う、多様性にあふれた環境だ。
「ブランドメッセージ自体が、本校にとって魅力的なものです。低学年の子どもたちにとって多様性という言葉は難しいので、川崎小学校では、『みんなでよくなることが大切』と伝えています。そういう気持ちで『教え合い』『助け合い』『あいさつ』を大切にしつつ、学校生活を送りましょう、と。これによって、子どもたちなりに多様性を理解し、大切にしたいと思うようになっているのではないでしょうか」(中臣校長)

市立川崎小学校・中臣信丈校長

川崎市シティプロモーション推進室・高見拓さんは、「川崎市ブランドメッセージは、川崎の持つ多彩な魅力を一言で表現しています。子どものうちから"多様性"に触れてもらうことで、隣の人に優しくできたり、『いろいろであることがいいことだ』と思ってもらえたら嬉しいですね。市立川崎小学校では、川崎の魅力やブランドメッセージに関するGIGA端末用のデジタル副読本を活用した取り組みを行ってもらいました。ブランドメッセージに込めた想いまで知ってもらえるよう、今後もブランドメッセージの周知に努めていきたいです」と話す。

川崎市シティプロモーション推進室・高見拓さん

魔法の言葉、"多様性は可能性"

「Colors,Future!いろいろって、未来。」には、多様性を認め合い、つながり合うことで、新しい魅力や価値を生み出すことができるまちを目指すという意味が込められている。このブランドメッセージは市民にアンケートなどを行い、策定されたものだ。福田紀彦市長は、「多様性こそ川崎の発展の源。市制100周年を迎える今、『多様性こそ可能性』であることを、次の100年に向けてあらためてみんなで認識していきたい」と語る。

そして、これからの川崎市について、福田市長はこう続ける。
「昔から、川崎市は国籍や民族、文化の違いを豊かさだと認め合うことを大事にしてきました。まさに多様性はあたたかさであり、可能性です。ブランドメッセージのロゴを構成している3つの色は光の三原色で、少しずつ混ぜていくと無限の色を生み出すことができます。154万人の市民は一人ひとり全員が違う色。そこを重ね合わせることで新しい価値や考え方、イノベーションを生み出していけるのではないでしょうか。川崎市ではこれからも多様性の意味というものを大切にしていきます」

川崎市・福田紀彦市長

「川崎宿」としてヒトとモノが行き交うまちから、他県や他国からの移住者が定住し、みんなが交流してつながってきたまち・川崎。多様性を認め合い、つながり合うことで、新たな魅力・価値を生み出していく川崎市。2024年に迎える市制100周年、そしてその先も多様な主体と一緒になって、新たな「まちのかたち」をつくり上げていく。