自動車の世界ではEV(電気自動車)化が急速に進んでいますが、実は船の世界でも「EV船」が登場しています。世界初の"ピュア電動タンカー"を世に送り出したのは、日本の船会社です。
それが、旭タンカー(東京都千代田区)が発注した「あさひ」と「あかり」です。前者は2022年4月、後者は2023年3月に竣工しました。
それぞれ川崎港を拠点として、東京湾内で外航船に燃料輸送・燃料補給を行う旭タンカーのバンカリング船として運航されます。
2023年3月に竣工した2番船「あかり」(深水千翔撮影)。
どちらも、川崎重工業が開発した内航船用大容量バッテリー推進システムを採用し、動力用のエンジンは積んでいません。航行や離着桟、荷役、停泊中の船内電源といった船の運用に必要な電力を全てバッテリーで賄うことができ、CO2(二酸化炭素)を排出しない完全ゼロエミッション運用が可能です。
先行していた「あさひ」に続き「あかり」が就航したことにより、東京湾内でバンカリングを担うEVタンカーは2隻体制に。これにより1隻が検査や修繕でドック入りしても、ゼロエミッション運航というアドバンテージを持つサービスを継続して提供できます。
また、EVタンカーを複数隻使うことによって、バッテリーのみで運航する船舶の運用ノウハウを蓄積していけば、さらなる普及へ役立てることも可能になるでしょう。
2隻とも旭タンカーのロゴが大きくペイントされている(深水千翔撮影)。
両船は、社会的要請であるカーボンニュートラルを海運業界として強力に推進する、その象徴的な船となるだけでなく、「海の働き方改革」をもたらす存在となりそうです。
「サラリーマン的な働き方」 もう船の働き方は"特殊"じゃない
一般的な船は、常にディーゼルエンジン(主機関)が回り、そこから運航や荷役に使う動力を全て賄っています。このため船内は常にエンジンの騒音・振動とともにあるほか、機関室内には所狭しと機器が並び、熱気のなかで機関士がメンテナンスにあたっています。
そのエンジンがない「あさひ」と「あかり」は、船の環境が一変しています。騒音、振動、オイル臭が低減され、船内の快適性・居住性が格段に向上しただけでなく、仕事の時間概念すら、大きく変えたのです。
「あかり」機関室。静かで涼しく、広々としている(深水千翔撮影)。
まず、ディーゼル船で始業前に行っていたエンジンの暖機運転といった朝のスタンバイ作業が不要に。これまで出航の2時間前には乗船して、船を動けるようにする準備が必要でしたが、「あさひ」と「あかり」はボタン一つで船が"起動"します。
東京湾内のバンカリング業務が行われるのは朝から夕方にかけてで、給電のため必ず川崎港に戻ってくるということもあり、より"サラリーマン的な働き方"ができるようになったといいます。
「あかり」の船内にはくつろげるリビングも(深水千翔撮影)。
船員ひとりひとりの負担を減らす
また、「あかり」には係船索ウインチの遠隔操作装置を搭載しています。実はこの装置が、「あさひ」の1年間の運用を踏まえた大きな改善点だそう。
「本船クラスの小型船型としては、乗船している乗組員の数も大型船と比べて少ないです。しかしながら設備や作業内容はほぼ同じなので、一人の役割が多いのが現状です」。旭タンカーの船舶環境安全部担当である岸 和宏執行役員はこう話します。
「あさひ」の現場で得た知見を「あかり」へフィードバックさせたと話す岸執行役員(深水千翔撮影)。
製油所や大型船への給油のために着離桟(着離舷)する際には、船首、船尾から係船索を桟橋や給油する船へ渡して、巻いたり緩めたりを係船索ウインチで行います。使用する係船索ごとに、そのドラム前へ移動してウインチを操作する必要をなくし、遠隔で一元操作が可能になったことで、船員の負担は大きく軽減されたといいます。
係船索のウインチは遠隔操作が可能(深水千翔撮影)。
海のハイブリッドEV「あすか」も登場
「あさひ」「あかり」の2隻に続き、旭タンカーは2023年6月にもう一つの"EV船"を竣工させました。名前は「あすか」。こちらはピュア電動ではなく、自動車でいえば「ハイブリッドEV」に当たるものです。
2023年6月に竣工したハイブリッド船「あすか」(深水千翔撮影)。
大容量蓄電池とディーゼル発電機を組み合わせ、推進用の大型モーターを駆動させるシステムを採用した船です。神戸港を拠点に、阪神エリアの発電所のバイオマス燃料輸送に従事します。
こちらも従来型のディーゼル主機関は存在しません。それに代わり、「あすか」は大容量蓄電池と発電機のハイブリッドで、強力なモーター2基を駆動させる電気推進システムを搭載し、バッテリーからの給電による航行を可能にしました。
バウスラスターと2基のプロペラは機動性に優れる。進水式にて(深水千翔撮影)。
これにより、船内はディーゼル船に比べ機関部区画がコンパクトになるため、空いた場所は乗組員の居住区の拡張や追加貨物スペースなどとして活用。さらに、船首側のバウスラスターと2基のプロペラ、そして操船支援機能を組み合わせることで、高い操船性能と操作の容易さを両立しています。
災害時の給電機能を持つ「海のハイブリッドEV」
「あすか」は自動車のHEV(ハイブリッドEV)と同じように、自然災害などにより陸上送電設備がダウンし、沿岸部の広範囲に給電ができない場合、船に搭載された発電機から陸上に電力供給を行う機能も搭載しています。陸上の道路や送電インフラが寸断されても、海上から被災地付近の港へ急行することで、消防・病院・避難所といった拠点となる施設に向けて電力を確保することを想定しています。この機能は「あさひ」「あかり」にも備わっています。
「あすか」のバッテリー室(深水千翔撮影)。
なお実際の「あすか」の運航は、出入港や離着桟、荷役といった作業時に蓄電池に貯めた電気を使用することで、港内作業の完全ゼロエミッション化を実現。これにより、運航時のCO2(二酸化炭素)排出量や燃料費を既存船に比べて最大50%削減することを見込んでいます。
さらに発電機とその燃料も、将来的にはLNG(液化天然ガス)や水素、アンモニア、合成燃料などに切り替え、航行を含む全てのオペレーションのCO2フリー化も検討可能です。
この「あすか」は、商船三井や旭タンカーなどが出資するe5ラボ(東京都千代田区)がコンセプトを手掛け、三菱重工業グループの三菱造船(横浜市)が設計とシステムインテグレーションを行う普及型ハイブリッドEV貨物船「DroneSHIP」のプロトタイプに位置付けられています。つまり、今後に同型の船が多く登場する、その先駆けの存在になります。
「あすか」は発電用の木質ペレット輸送に従事する(深水千翔撮影)。
いちタンカー会社がここまで投資を進めるワケ
立て続けに登場した「あさひ」、「あかり」、「あすか」の3隻は、造船所や重工メーカー、舶用機器メーカーとゼロベースから開発した意欲的な取り組みの結実といえます。ではなぜ、日本のいちタンカー会社が、ここまで強力にEV船の建造を推進するに至ったのでしょうか。
ひとつには、国内を運航する内航海運業界が抱える課題があります。
内航海運は、国内貨物の44%、石油など産業基礎物資の約8割を運ぶ重要なインフラです。ただ、業界全体では50歳以上の船員が50%以上と高齢化が進行。法定耐用年数(14年)を超えた船舶の割合も7割と、船の高齢化も深刻な状況です。
「あかり」のブリッジ。運航に関わる全ての情報を一元的に管理しながら、ジョイスティックで直感的に操船ができる(深水千翔撮影)。
そうしたなかで、政府が掲げた2050年カーボンニュートラルを実現するため、海運業界はGHG(温室効果ガス)のさらなる削減が求められています。
若手船員が働ける魅力的な職場環境を整えつつ、環境に配慮した先進的な船舶を導入していくこと−−EV船の導入はいわば、海の働き方をアップデートし、複合的な課題を一挙に解決する狙いがあります。
「あすか」はタブレット端末も活用できる運航支援システム「ナビコ」を搭載。船陸間の通信を常時接続させ、船舶の遠隔モニタリングや予兆検知なども可能に(深水千翔撮影)。
変わらなければ、選ばれなくなってしまう
さらに、こうした環境に配慮した輸送を求める荷主の声が日増しに大きくなっている状況があります。
世界的にも、例えばアマゾン・ドット・コムや家具のイケア、タイヤのミシュラン、日用品のユニリーバといった海運にとって大手の荷主が、2040年までに海上貨物の全てを水素やアンモニアといったゼロカーボン燃料を使用する船舶に切り替えることを表明しており、荷主が主導して海運を含めたバリューチェーン全体で脱炭素化を推進していく方針を示しています。
「あさひ」。川崎港の給電施設で(深水千翔撮影)。
こうした流れを受け、日本の大手荷主もサプライチェーン全体のGHG排出量を大幅に削減する方向に舵を切り、大手船社もそれに対応する新燃料船の開発を積極的に行っています。
貨物船は20年以上使われ続けるため、例えば今年ディーゼル船が竣工した場合は2040年代もまだ現役で運航しています。そのままでは、海運のカーボンニュートラルはいつまで経っても実現しないのです。
「EVタンカーなんてビジネスになるわけがないと、社内外で言われ続けてきました」
旭タンカーの春山茂一社長はこう振り返り、次のように続けました。
「あかり」竣工式で(深水千翔撮影)。
「それでもこれからの時代は環境保全と企業活動を両立しなければ、企業の存続はありえないという信念の元、本プロジェクトを続けたところ、ありがたいことにこの理念に共感してくださるお客様も現れ、ビジネスとして続けられる見通しが立ちつつあります。EVタンカーを運航し続ける当社を見た他社が追随することで、海運業界全体にEV船を普及させることが当社の最終目的です」
今回、旭タンカーが先頭に立って、関東と関西両方でEV船が実際に運航を始めました。これが海運、造船、港湾という海事業界全体を引っ張っていくきっかけになるか、注目されます。