「"乗客=善人"という前提が崩れかけている」――2021年10月、関東の私鉄・京王線の車内で男が男性を刺したあと、車両に火をつける事件が発生。緊急停車した列車の窓から逃げる人々の姿はニュースでもたびたび報じられた。一方で、ホームからの転落や踏切での衝突など、鉄道事故は日常的に発生している。年末年始に帰省客が増加すると見られるなか、鉄道でのトラブルに遭遇したとき、私たちはどのような行動をとればよいのだろうか。安全への意識と対策が再び問われている今、「もしものとき」の対処法をイラストで解説する。(監修:えちごトキめき鉄道代表取締役社長・鳥塚亮、Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
列車内で異変に気づいたら
乗客が車内で異変に気づいた際、乗務員に知らせる手段が車両内に設置された「車内通報ボタン」だ。しかし設置場所や使い方を把握し、いざというときにためらわずにボタンを押せる人は少ないのではないだろうか。
例えばドアに荷物が挟まったまま車両が動き出したときや、急病人が発生したときなど、車内でトラブルに遭遇したら、まずはこの車内通報ボタンを探してほしい。在来線ではドア付近や車両の端に、新幹線では客室の両端やデッキに設置されていることが多い。車内通報ボタンの名称や形状は鉄道会社によって異なるが、その多くは赤い「SOS」マークとともに設置されているため、目印になるはずだ。
車内通報ボタンを押すと、多くのタイプでは乗務員が応答するので、状況を伝えて指示をあおぐことができる。一方で、押すと車両が緊急停車する仕組みになっているボタンもあるため、注意書きを確認する必要がある。いずれにしても緊急事態を伝える役割に変わりはないので、必要な場合はためらわずに押すことが大切だ。鉄道会社を経営する鳥塚亮氏は、乗客へのアドバイスとしてこう語る。
- 鳥塚さん
年末年始の帰省で列車を利用する人も増えると思います。いざというときに冷静に行動できるように、自分がよく使う列車のどこに車内通報ボタンが設置されているのか、そしてどのような注意が書かれているのか、確認しておくことが大切です。
過去にホテルなどでの火災が相次いだこともあり、宿泊の際に非常階段の場所を確認するように言われた方もいると思いますが、列車を利用する際も、万一に備えた心構えを持っていただきたいです。
1960年、東京都生まれ。元ブリティッシュ・エアウェイズ旅客運航部長。2009年に公募で千葉県のいすみ鉄道代表取締役社長に就任し、数々の施策で地方創生に貢献。2019年9月、新潟県の第三セクターえちごトキめき鉄道社長に就任。
どうやって車両から避難する?
災害や事故などで次の駅にたどり着けない場合、乗客は車両から降りて線路沿いに避難するケースがある。その際、どのような点に注意すればよいだろうか。
地上区間を走る列車では、駅間で緊急停車した際、車外に乗客を誘導するケースも想定されている。このため、避難はしごの装備や座席がすべり台になるように設計されているものが多い。避難の方法などは鉄道会社によって異なるので、乗客の判断のみで安易に車外に出ることは避け、乗務員の指示に従うのが原則だ。
地下鉄の場合は駅間が短くトンネル内のスペースも狭いことから、最寄り駅に停車しての避難を想定している鉄道会社もある。一部の地下鉄では線路付近に高圧電線があり、むやみに車外に出ると危険性も高い。
- 鳥塚さん
車両の床から地面までは1メートル以上の高低差があります。避難はしごなどを使わず、直接車両から降りる避難方法の場合は、あわてて飛び降りず、しゃがんだ姿勢で降りるなどケガをしないように注意してください。
非常用ドアコックの使用には注意が必要
車両内には緊急用として手動でドアを開けることができる「非常用ドアコック」が設置されているが、使用にはリスクもあり注意が必要だ。
ドアコックは、乗客が非常時に車両の自動ドアを手動で開けるための機器だ。一般的に車両のドア付近に設置されていることが多い。形状や使い方は鉄道会社によって異なる。あくまでも非常用のため、いたずらなどで操作すると法律で罰せられる可能性がある。
- 鳥塚さん
非常用ドアコックを使用すると列車は緊急停車するため、走行中の操作は危険です。まずは車内通報ボタンを押して、乗務員に異常を伝えることを優先してください。過去には非常用ドアコックを開けて乗客が車外に出た際、反対方向から走行する列車に巻き込まれて大勢が亡くなった痛ましい事故も発生しています。こうした二次被害を防ぐためにも、避難経路についても乗務員の指示に従うことが重要です。しかし万が一のため、車内通報ボタンと同様に、普段乗る列車のドアコックの設置位置と注意書きを確認しておくことをおすすめします。
ホーム上で異変があった場合は?
トラブルに遭遇する場所は、車内だけではない。駅のホームで異変に気づいた場合、私たちがとれる行動は?
駅のホームで多いのが、転落事故だ。2019年度には2887件、新型コロナウイルスの影響で鉄道利用者が減少した2020年度も1370件発生している。転落を目撃したら、ためらわずただちにホームに設置された「非常停止ボタン」を押そう。ホームの非常停止ボタンには、押すとブレーキが作動して緊急停車するもの、駅係員に危険を知らせるものなどがある。
運行本数が多い路線では二次被害を出さないためにも、線路に下りて無理に助けようとしないこと。もし自分が転落してしまった場合は、ホーム下の空間に避難し、あわてて上ろうとしないこと。不審物・不審者の目撃など、緊急を要さない場合は付近の駅係員に直接伝えるか、構内のインターホンを使って知らせよう。
踏切でトラブルがあったら?
国土交通省の資料によると、2020年度に発生した踏切障害事故の件数は165件。これは鉄道における運転事故全体の34.2%にのぼる。また、その事故で計74人が亡くなっている。踏切でのトラブル発生時にできることは?
列車は、踏切の警報機が鳴り始めてから約30秒、遮断機が下りてから約20秒で通過する。警報機や遮断機が作動したら、踏切内に進入しないことが鉄則だ。もし踏切内での危険な状況に遭遇したら、当事者・目撃者にかかわらず踏切付近の「非常ボタン」をためらわずに押し、踏切の外に避難、または避難をうながそう。自動車の場合、自走可能であればゆっくり前進して、しゃ断棒を押し上げて避難。自走できない場合は、ただちに車から降りて踏切の外に避難をし、発煙筒を使用して周囲に危険を知らせよう。
踏切の非常ボタンには、連絡先が記載されている場合もある。非常ボタンを押した後に電話ができる状況であれば、連絡をしてトラブルの状況を伝えよう。
- 鳥塚さん
日本の一般的な列車では、非常ブレーキをかけてから停車するまでの距離について、約600メートル以内を標準としています。またこれは別の言葉で言うと、非常ボタンを押したからといって、列車が踏切手前で停車できるとは限らないことを意味します。
車のドライバーも歩行者も、あらためて踏切の危険性に対する認識を持つべきではないでしょうか。
鉄道のセキュリティはどうやって確保する?
今後の鉄道の安全対策は、どのように進められていくのだろうか。2021年8月に起きた小田急線車内での無差別刺傷事件を受け、国土交通省はJRや大手民間鉄道事業者と鉄道の安全対策についての意見交換を実施。同年9月に今後の対策を取りまとめた。
その内容として、まず警備の強化が挙げられる。防犯カメラを増やすことや、駅係員や警備員による巡回、警察との連係強化などが含まれる。AI(人工知能)を活用した防犯カメラの画像解析による不審者・不審物の検知、スマホやタブレット端末を活用したリアルタイムでの情報共有など、最新技術を活用した被害回避策も盛り込まれている。また車両内での事件発生を想定した訓練にも、すでに各社が取り組んでいる。
加えて、10月に発生した京王線での事件を受けて、車内通報ボタンのデザインや使い方を鉄道各社で共通化する議論も始まっている。こうした鉄道会社の安全対策だけではなく、乗客側の危機管理も重要になってくる、と鳥塚氏は指摘する。
- 鳥塚さん
飛行機の搭乗時には、テロリストを想定した厳しいセキュリティチェック体制が敷かれています。一方で鉄道の場合、「乗客=善人」という前提で安全対策がとられてきました。しかしその前提が崩れるようなトラブルが続いています。
京王線の事件では、安全のために設置していたホームドアが避難の障壁となる事態も起こりました。鉄道会社側からすると、これまでの安全対策との兼ね合いを考慮しながら、セキュリティをどう啓発するか悩ましい点も多いのが実情です。一方で乗客も、日ごろから避難経路や非常用設備を確認しておくなど、「鉄道の安全性」への意識を高めなければいけない局面にあるのではないでしょうか。
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