医療ジャーナリスト市川衛さんに聞く――その医療・健康記事は誰かに「害」を与えていませんか
医療・健康に関する記事は、場合によっては人の生命を左右しかねません。目下のコロナ禍では予防対策やワクチンをめぐる報道がそうですし、がんなどの重い病気に関する情報はもちろん、健康、美容などのジャンルでも誤った情報発信が行われると読者に「害」を与える可能性があります。いま、メディアはどんなことに注意を払うべきなのでしょうか? 医療ジャーナリストで、「教養としての健康情報」(講談社)などの著書がある市川衛(いちかわ・まもる)さんに聞きました。(取材・構成:Yahoo!ニュース、撮影:黑田菜月)
読者に不利益を与える4つの「害」とは?
――市川さんは医療・健康情報で「不適切なもの」をどう定義していますか?
読む人にとって明らかな「害」が想定されるか否かですね。
市川衛さん。取材は感染対策を留意の上、2021年12月頭に行っている
――「実害」があるかどうか、ということですか?
はい、読者に明らかな不利益を与える危険性のある情報発信です。大きく4パターンあると考えています。1つ目は「健康への害」。「痩せる」などと称して健康を害するようなサプリメントを薦めたり、けがや病気の標準治療(※1)に対して「もっと良い方法がある」などと主張し、読んだ人が信じることで当事者の適切な治療機会を奪ったりするものです。
2つ目は、読者に対し「経済的な害」を与えるものです。たとえば、高額な治療法であるにもかかわらず、効果が実際より高いように誤認させ、利用するよう仕向けるものです。それを信じた患者さんやご家族が多額の代金を借金してまで支払い、生活の基盤を壊されてしまうケースもあります。
3つ目は「精神的な害」です。ある病気や治療法に関して不正確な情報を流すことで、当事者および関係者が誹謗中傷を浴びる。または、差別などをされ、精神的な害を被るというケースです。
4つ目は「医療や介護現場への害」です。希少な病気なのに大勢の人がかかると誤認させる記事があるとします。その記事を読んで、「自分もそうかも?」とたくさんの人が検査を求めて医療機関に殺到すれば、通常の診療がパンクしてしまいます。医療機関のスタッフに負荷がかかるだけでなく、本来治療を受けるべき人が受けられなくなるという実害が起きかねません。
「害」のある情報発信。背景には何があるのか?
――そうした害のある発信はなぜ起きてしまうのでしょうか?
明確な「悪意」、例えば高額な治療法を開発した人物が特定の商品や書籍を売りたいがために、情報操作するケースは存在します。しかし、それは全体から見れば大きな割合ではありません。目につくのは発信する側に悪意はなく、ただ基礎知識が不足しているために結果として誤った情報が拡散されるケースです。むしろ「善意」により拡散しているために、対処はより難しくなります。
また、情報を伝えるメディアは営利企業ですから、当然「読まれる、視聴される」ことは重要です。読者からの要望が高い「新しいダイエット法」や「簡単な血糖値の下げ方」などは掲載したい情報でしょう。そのため、その情報に根拠があるかどうか、という検証は二の次になることもあるのではないでしょうか。
――広告に話を移します。医療・健康関連の広告は、消費者保護の観点から「薬機法」(医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律)で規制されていますね。こうした規制はなぜあるのでしょうか。
医療や健康に関する広告では、特定の治療法や薬、商品を売りたいがために「誇大に見せようとする」人が出てきかねません。そこで医薬品などに関しては「誇大広告規制」(※2)というものがあって、薬事承認された表現の範疇を超えて訴求してはならないと定められているんです。「絶対に効く」「必ず治る」などと言ってはなりません。ただ最近ではネット広告などで、こうした規制のギリギリを狙った表現を使って訴求しようとするものが目につくようになり、「薬機法チャレンジ」などと言われて問題視されています。こうした姿勢は、消費者のためになっているとは言えません。
――社会がコロナ禍に見舞われるいま、ワクチンや治療薬をめぐる報道量が増えています。ただ、前出のように発信者の医療・健康報道に関する理解が乏しいことから、問題のある記事もあるように思えます。市川さんはどう考えますか?
治療薬には様々な候補が挙がってきましたが、そのなかにアビガンやイベルメクチンがあります。この2つは日本国内では新型コロナへの治療に関しては薬事承認されていません。ところが一時、これらを服用して回復したとする有名人の体験談が多数報道されましたよね。
――はい、記憶に新しいところです。
これは基本的なところですが、ある薬を使って回復したからといって、その薬に効果があるとは言えません。その薬を使わなくても、自然に回復した可能性が十分にあるからです。
そのため医薬品の効果を調べる際には、服用した場合と、服用していない場合で被験者にどんな違いがあったのか、なるべく大きな規模で臨床試験を行う必要があります。臨床試験で大規模に調べてみたら、薬には効果だけではなく副作用があり、薬を飲んだ結果、病が治るどころか亡くなる人が増えてしまっていた、という結果が判明することも少なくありません。
ですので、アビガンやイベルメクチンに関して、誰もが認めるような臨床試験の結果が出ていないにもかかわらず、あたかも効果があるようにミスリードさせる体験談などを報じることは、読者や視聴者に不利益を与える危険性があります。
確かな情報か否か? 判別するポイントがある
――報道する側は、極めて高いリテラシーをもって臨まないとなりませんね。
命に関わる情報ですからね。ただし、ここでいうリテラシーはそれほど高度な代物ではありません。医療・健康分野のニュースを扱う際、いくつか確認するべきポイントがあって、これをどこまで徹底できるかです。
――なるほど、具体的なポイントがあるんですね。
治療法研究を例にとるなら、「その研究は人間を対象にしたものか」と「人間を対象にしたものであれば、薬を使った人とそうでない人を比較しているか」の2点は最低限確認してほしいです。
――「この情報は大学などの研究機関が発表しているから問題ない」とはならないのでしょうか?
ならないですね。新型コロナの感染防止で「お茶に効果がある」というニュース(※3)が出回ったのを覚えていませんか?
――ありましたね。その後、ヒトへの効果があるとミスリードさせる内容ではないかと批判されました。
こうした記事の問題点は、細胞に対して実験室で行った研究の結果をヒトが飲用した場合にも起きうるととれる内容になっていること。そして、その研究を行った研究者のコメントしか掲載していないことです。
ある物質を細胞に直接触れさせた場合と、人間が飲用した場合で同じ結果が出るとは限りません。むしろ、違う結果になることがほとんどです。その点を記者が理解していなかったのではないかと思わざるを得ません。
むろん、新しい研究そのものを取材し、世に知らしめることは悪いことではありません。しかしなぜ、第三者の研究者に取材しなかったのか。そうすれば「まだ細胞への実験であり、人間に効くかどうかはわからない」という指摘が得られたはずで、それを掲載すればバランスの取れた記事になりました。
その研究を行った当事者にとって、記事で期待が高まることは利益につながります。ですので、自らにとって「都合の悪い」情報をわざわざ教えてくれることはなかなか期待できません。繰り返しになりますが、医療や健康に関わる情報は命に関わります。「面白そう」だから記事にするのではなく、ちゃんと第三者にあたる専門家に確認をとって必要ならコメントを載せることが求められます。欧米のメディアでは基本的な作業ですが、率直に言って日本ではマスメディアを含めて徹底していないという印象を持っています。
査読前の論文をどう扱うべきか?
――新型コロナウイルスに関する報道では、「査読前」と呼ばれる研究結果が扱われることも珍しくありませんでした。つまり、第三者にあたる研究者がチェックする前の論文です。こういった情報はどう扱うべきでしょうか?
査読前論文、「プレプリント」とも呼ばれるものですね。わたしは発信に対し慎重になったほうがよいと考えます。新型コロナに関して言うならば、2020年の2月から3月のような、ウイルスの性質もリスクも全く未知だった時期はまだしも、事態が一定の落ち着きを見せる現段階においては慎重であるべきかと思います。いまは査読のスピードも上がっていますし、それを待ってからのほうが信頼性担保の観点からもよいです。
「それでも意義ある情報だから出すべき」と考える場合は、メディア側になぜ出してよいと考えたかについて説明責任が生じると思います。論文を書いた研究者はどんな実績があり、どんな発言をしているのか。研究がどういったデータを根拠にしているのか。これらを判断、評価できる人が記事にするべきです。
特に海外の研究成果を報じる場合は、翻訳の質も問われます。医療における専門用語や独特の言い回しを知らずに日本語に訳すと、元の内容と全く違う印象を読者に与えてしまうこともあります。
――最後に、Yahoo!ニュースに何を期待しますか?
Yahoo!ニュース トピックスの影響力は大きいものがあります。ですから、記事を選ぶ編集者の方はリテラシーを高める努力を常にしてもらいたいですね。その一方で、課題を抱える当事者の権利を擁護・代弁するアドボカシー活動にも期待します。例えば、がん患者の置かれている社会的困難、心情と向き合い、Yahoo!ニュースのプラットフォームに活かすことがあってもよいのではないでしょうか。
(※1)
科学的根拠に基づいた観点で、現在利用できる最良の治療であることが示され、ある状態の一般的な患者に行われることが推奨される治療のこと(国立研究開発法人国立がん研究センター)
(※2)
医薬品等適正広告基準の解説及び留意事項等について(厚生労働省/平成29年9月29日)
医薬品等適正広告基準の改正について(厚労省/平成29年9月29日)
(※3)
コロナ「身近なもので死滅・予防」 誤情報を生み、信じる心理とは?(withnews/2021年9月30日)
市川衛(いちかわ・まもる)/医療の「翻訳家」、READYFOR株式会社室長、一般社団法人メディカルジャーナリズム勉強会代表、広島大学医学部客員准教授。2000年東京大学医学部卒業後、NHK入局。医療、福祉、健康分野をメインに取材を行い、「睡眠負債が危ない」「医療ビッグデータ」(ともにNHKスぺシャル)などを手がける。16年スタンフォード大学客員研究員。19年Yahoo!ニュース個人オーサーアワード特別賞。21年よりREADYFOR室長として新型コロナ対策などに関わる。著書に『教養としての健康情報』(講談社)など。
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