Inside2018.08.13

いま空襲が起こったら、どう報道する?――73年前のあの戦争を伝え続けるために地方紙ができること【前編】

終戦から73年。毎年この時期になると、マスメディアではさまざまな戦争特集が組まれているものの、同時に戦争経験者は高齢化しています。証言者が減っていく中で、これから先どうやってあの戦争を後世に伝えていくか。報道関係者はその伝え方に苦心しています。

東京でこの夏、最高気温37.3度を記録した8月2日の午後、ヤフーが運営するコワーキングスペースLODGEで、トークイベント「未来に残す戦争の記憶 『戦争と地方紙』〜当時の記録をいまの視点で再編集した記者の証言〜」を開催しました。ゲストは、戦争当時の記録をいまの視点で再編集した地方紙3紙の記者と論説員たち。これから先、戦争をどう伝えていくべきかを探るディスカッションの一部をご紹介します。前半では3紙がどのように戦争を伝えてきたか、振り返ります。

取材・文/鬼頭 佳代(ノオト)

登壇者

福間慎一さん
西日本新聞の記者として、主に行政取材を担当。長崎の原爆被爆者、福岡大空襲の被災者の取材に携わる。1年間のヤフー出向を経て、現在は経済電子版を担当している。
玉城江梨子さん
琉球新報のデジタル編集に携わる。主に医療・福祉などの分野を担当。2017年からYahoo!ニュースと一緒に、沖縄戦や基地問題を伝える動画を制作している。
早川由紀美さん
東京新聞論説委員。2017年8月から首都圏デスク長を務める。社会部のコーナー「TOKYO発」の編集責任者として、東京をはじめとする首都圏の空襲を2018年より取り上げ始めた。
宮本聖二
Yahoo!ニュース 映像エグゼクティブ・プロデューサー。立教大学大学院 21世紀社会デザイン研究科教授。NHK在籍中から、震災や戦争経験者に焦点を当てたドキュメンタリーを制作している。

当時と現在、3紙はどう報じてきたのか

ヤフーでは戦後70年にあたる2015年から、戦争の記録を100年残すプロジェクト「未来に残す 戦争の記憶」をスタート。地方紙やケーブルテレビなどと協力し、戦争にまつわる資料や証言、国内の被害状況などをまとめたコンテンツを制作し、デジタル・アーカイブを行ってきました。今回のイベントも、その取り組みの一環です。

今回のゲスト3名が所属するそれぞれの新聞社では、過去の戦争報道を振り返り、現在ならばどう報道するかの視点で紙面の再編集を行いました。それぞれの新聞における取り組みをご紹介します。

「大衆を戦争へ駆り立てる空気を作っていた怖さを感じた」(西日本新聞)

西日本新聞は2015年、1945年6月19日夜から20日未明にかけて福岡市を襲った空襲のニュースを再編集しました。制作した紙面は新聞の中に折り込み、購読者に配布。現在、ネット上でも公開しています。

1945年6月21日の1面トップは「敵の無差別爆撃激化」という見出し。空襲では2000人以上の死者が出ましたが、紙面には空襲による死傷者の情報はありません。社説には戦意を高揚する内容が書かれ、ほかの面でも立ち上がる市民を描く記事が並んでいます。当時政府の統制下におかれていた新聞社が、空襲の被害について書けなかったことが伺えます。

「空襲による死者の唯一の情報は、実は西日本新聞の社員でした。訃報欄での掲載で、ニュース性を排しているのが伺えます。ただ一方で、1面に爆撃された地域の写真が大きく掲載されているのは珍しい。被害の状況を伝えたい新聞社の思いが出ているのではないでしょうか」(福間さん)

福間さんら6人の記者は、空襲の体験者への取材を行い、約1カ月かけて現代の紙面として再編集しました。1面に大きな見出し、当時は載せられなかった天気などを掲載。被害の実態やアメリカ軍の態勢をまとめ体験者の声や生活に直結する情報も大きく扱いました。

「もし自分たちが同じ立場だったら、正しい報道ができたかというと、そうではないのではないか。政府の厳しい規制はあったものの、やっぱり報道機関が先頭に立って報じて、大衆を戦争へ駆り立てる空気を作っていた怖さを感じました」(福間さん)

「戦時中のありふれた日常生活に、あえて着目」(東京新聞)

東京新聞は2018年3月10日、東京大空襲の被害を再編集した紙面を公開しました。偶然にもこの日は、1945年と2018年いずれも土曜で、読者からは、「のんびりくつろぐ日に、こんな目に遭った人がいたんだ」というコメントなどの反響があったそうです。

また、この前日と前々日には、空襲の被害に遭った人々の日常生活に焦点を当てた特集「空襲前夜」を制作しました。これは、映画やドラマにもなった『この世界の片隅に』で描かれた戦時中の日常風景から着想を得た企画だったそうです。

「どうしても戦争報道は、空襲当日の警報から逃げたり、父や妹が亡くなったりした話など、一番ひどい目に遭った人の一番ひどい瞬間を中心にしてしまいます。でも、それ以外の人たちも大切なものを失っていて、現代社会に暮らす私たちと同じような日常風景があったはずなんです。戦争が伝わりにくくなっている今だからこそ、共通の体験を紙面に出した方がいいのではないかということに気づきました」(早川さん)

東京新聞では現在も、定期的に空襲に関する企画を紙面で掲載しています。

「沖縄戦と同じ1年4カ月をかけて、戦争報道のあり方を考えた」(琉球新報)

琉球新報では「沖縄戦新聞」という企画で、2004年7月7日から1年4カ月にわたって、戦争を再編集した紙面を14号まで発行しました。1号では沖縄戦が起こる前に発生した「サイパンの陥落」、14号では「日本軍主義軍の降伏調印」を一面に取り上げています。

当時は入社したばかりだった玉城さんは、新聞にはこんな取り組みができたのか……と驚いたそうです。記事が出た日は読者からの反響が大きく、電話が鳴り止まなかったといいます。

「戦前の新聞は、事実を伝えず戦意を高揚し、一般の人たちを戦争に巻き込んでいきました。そして、沖縄は戦場になり、自然や文化的な遺産、命がじわじわと失われていった。沖縄戦の期間と同じ1年4カ月をかけて、今の自由な時代の戦争の報道のあり方を考えた経験は、改めて記者が何のために報道するのかを自問自答する貴重な機会になりました」

現在も月2回、沖縄戦の経験者が最後の一人になるまで続けようと、「未来につながる沖縄戦」として戦争の証言を記録しています。また2017年には号外として、「沖縄戦後新聞」を制作。戦後の沖縄がアメリカの占領下で何があったのかも再編集しています。これらの紙面は現在、琉球新報のオンラインストアで購入が可能です。

ヤフーの18階受付エリアでは、戦争の記憶と記録を伝えるプロジェクト「未来に残す 戦争の記憶」の1つとして、西日本新聞、東京新聞、琉球新報、神奈川新聞の戦時中の新聞紙面や当時の資料、体験者の証言をもとに現在の記者が再編集した紙面を展示しています。

イベント後半では、これまでの取り組みも踏まえ、これから先の地方紙と戦争報道のあり方について深めたディスカッションが行われました。

後編はこちら>いま空襲が起こったら、どう報道する?――73年前のあの戦争を伝え続けるために地方紙ができること【後編】

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