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塩田亮吾

「投げなかった」高校時代──プロになった “異端”の球児が問う高校野球の在り方

2018/07/01(日) 09:49 配信

オリジナル

近年、高校野球のシーズンになると、必ずと言っていいほどやり玉に挙げられる投球過多問題。その解決策の一つが、ある投手の野球人生の中にある。2013年春、選抜高校野球大会の出場校の中に「自ら投球制限をするエース」がいることが話題になった。それが大和広陵(奈良)の立田将太(現・日本ハム)だ。立田はなぜ「投げない」という選択をすることができたのか。(ライター・中村計/Yahoo!ニュース 特集編集部)

痛いと言える勇気

ラガーマンのように立派な体躯(たいく)をしている。高校のとき85キロだった体重は今、93キロまで増加。日本ハムの立田将太(22)は「プロのトレーニングのおかげ」だと言う。

「プロに入って、初めて100球くらい投げ込んだ。今、いっぱい投げられるのは、それまでの疲労の蓄積がないからだと思う。今は中継ぎなので、ほぼ毎日投げてます」

立田将太。2014年にドラフト6位で大和広陵高校から日本ハムに入団。ファームで76試合に登板し、7勝18敗(2018年6月19日現在)。1軍登板機会はまだない(撮影:塩田亮吾)

立田は、ある意味で、異色の高校球児だった。

「甲子園には行きたかったけど、みんなほどの熱はなかったと思う。僕は高校野球はプロになるための通過点だと思っていた」

将来、プロ野球選手になることを意識し始めた小学校高学年のとき、父親の裕和さん(50)から言われた言葉が、立田の野球に対する姿勢を決めた。

「痛いと言える勇気がなかったら、プロでも活躍できへんで」

裕和さんも高校時代、大和広陵(当時は広陵)でピッチャーをしていた。ところが、冬場に無理な投げ込みをしたせいで肩を痛め、以降、全力で投げられなくなってしまった。才能豊かな息子には絶対に同じ轍(てつ)を踏んでほしくなかったのだ。

高校野球がゴールでいいのか

立田は中学時代、地元・奈良県の硬式野球チームに所属していた。チームは圧倒的な力を持つ立田一人に頼りがちだった。その起用法を見かね、立田が中3のとき、裕和さんはチームの監督に苦言を呈したことがある。

「ほとんど休みがなく、大きな大会が三つ続いたんです。黙っていたら、全部投げさせられるので、どれか一つは休ませてほしいとお願いした。もめたと言えばそうですけど、無理なもんは無理ですからね」

高校時代、スカウトの間では「わがまま」と見る向きもあったが、本人は「見てくれる人は見てくれていた」と振り返る(撮影:塩田亮吾)

裕和さんは、そのことで地元の球界関係者の間で「うるさい親」というレッテルを貼られた。ただ、決定権は常に立田本人にあったという。

「父からは、こうしたほうがええんちゃうかというアドバイスを受けましたけど、最後は僕が決めました。僕は親に対して不満に思ったことは一度もなかったですね」

中学時代、チームを全国制覇に導いた立田は進学の際、複数の強豪私学から誘いがあった。ところが、最終的に選んだのは近所の公立高校だった。

「自分のやりやすい環境を重視しました。強豪校に行ったら、どうしても無理をさせられることもあるじゃないですか。甲子園で燃え尽きたいというのなら、それでもいい。そこははっきりさせたほうがいいと思う。プロになりたいのか、高校野球がゴールでいいのか。変わった形というか、こういうルートでもプロになれれば、後々、中学生の選択の幅も広がるじゃないですか。高校のときは、そこまで考えていましたね」

高校時代、登板回避をして「正直、仲間に悪いなと思ったこともありますが、そこは割り切っていた」と言う(撮影:塩田亮吾)

立田のスタイルを受け入れた監督

立田は高校時代、自分で投球ペースをコントロールした。

「最後の夏だけは連投するつもりでいましたけど、それ以外はする必要はないと思ってました。練習試合では2日間で9イニングスとか、球数も百何球までとか決めていました。練習も必要以上に投げなくてもいいと思っていたので、土日に練習試合があったら、1週間で2日くらいしかブルペンには入らなかった。それも60球とか80球とか、サーッと投げるくらい。監督も僕の意見を全部、聞いてくれたんで」

チームによっては毎週のように連投させられ、さらに毎日、100球を超える投げ込みをさせられるところもある。

立田のスタイルを全面的に受け入れた大和広陵の当時の監督、若井康至(57・現・畝傍〈うねび〉高校監督)さんも異端といえば異端だったのかもしれない。

「立田に限らず、選手のやろうとしていることを尊重したいと思っていたので、私はこうせい、という言い方はしなかった。そこまで監督っていうのは、すごい存在だと思ってないんで。私自身がそこまで言い切る自信がないだけかもしれませんが」

現在は畝傍(うねび)高校監督の若井康至さん。立田を初めて見たとき、「ひと目見て、プロへ行ける素材だと確信した。自分が妨げになってはいけないと思った」と話す(撮影:塩田亮吾)

そんなことはない。若井は地元の私学強豪の天理高校で甲子園も経験し、卒業後は日大でもプレーしている。アマチュア野球のエリートと言っていいだろう。

「僕らの時代は監督にやらされるばっかりだった。それが、いややな、という気持ちがあったから逆のやり方をしているのかも。それに甲子園に対しても、関西弁でいうと『なんぼのもんじゃ』という、どっか冷めたところがありました。それが僕のいちばんダメなところなんでしょうね。がっつかない。だから、そこまで深い意味があって立田のやり方を認めていたということでもない。あと、もう一つ言うと、公立だとうまい子は何もしないでもレギュラーになれる。でも立田は違った。実力が群を抜いてるだけじゃなく、誰よりも真面目に練習にも取り組んでいた。目線がプロなんですよ。だから、ほぼ全面的に聞き入れられたんだと思います」

野手出身の若井さんは「ピッチャーのことは、ほとんどピッチャーに任せてます」と語る(撮影:塩田亮吾)

甲子園を見据えた登板回避

その若井さんも一度だけ「なんでやろ……」と思ったことがある。

1年秋の奈良県大会の決勝でのことだ。秋の公式戦は選抜大会の重要な選考対象となる。ところが、立田は故障を理由に、登板回避を申し出てきた。決勝進出を決めていた大和広陵は、すでに近畿大会の出場権を得ていた。しかし、優勝すれば、近畿大会の組み合わせはより有利になる。その近畿大会で1勝すれば、甲子園はぐんと近づくのだ。若井さんが回想する。

「ずっと遠かった甲子園が近づいてきて、これは……と思ってるときに、なんで投げんの、と。それもあるけど、本人は行きたくないんかなと思いましたね」

結果的に大和広陵は2位校として近畿大会に出場し、初戦を突破。選抜大会の代表校に選ばれた。しかし、それがなかったら「今でもモヤッとしていたかも……」と振り返る。

2013年の選抜大会、初戦の尚志館(鹿児島)戦で力投する立田。136球で完投するも1-2で惜敗する(写真:時事)

一方、立田親子の言い分は少し異なる。裕和さんによれば、「甲子園に行きたいのなら回避したほうがええ」と息子に提案したのだという。

「準決勝で脇腹を痛めたんです。嫌な感じがした。それで甲子園に行きたいんやったら決勝は休め、と。決勝は投げようと思えば投げられるけど、痛みが悪化して近畿大会で投げられなかったら元も子もない。僕も何でもかんでも投げるなみたいなこと言うてたわけではない。そんな言うてたら、子どももついてきませんよ。監督さんも中学のときの経緯を聞いていたろうから、ちょっとオーバーに言ってるんやないかと思ったのかもしれません。でも県で優勝したら甲子園に行けるというのなら、あいつは投げてますよ」

球数制限だけでは解決しない

いったいどこまでが投げ過ぎで、どこまでが正常の範囲なのか。投球過多とは正反対の「投球過少」問題を指摘するのは、理学療法士で、中部大学生命健康科学部理学療法学科教授の宮下浩二さんだ。

「物理的に投球数が増せば、障害の確率は上がります。特に成長期はそうです。しかし、今、日本の野球界は『球数が多い=悪』という負のイメージだけがものすごく強い。そのイメージに縛られ過ぎて、結果的に故障している選手も多いと思う」

中部大学生命健康科学部理学療法学科教授の宮下浩二さん。中日ドラゴンズのメディカルスタッフを務めた経験も持つ(撮影:中村計)

宮下さんは大学野球部の副部長も務めている。

「大学でも、リーグ戦中、投げ込みの球数が試合で投げる球数に全然足りていない投手がいます。そういう選手が試合で投げるとどうなるか。バテてフォームが崩れますよね。その状態でめいっぱい投げるから故障につながる。そのパターンが本当に多いんです。プロ野球関係者に聞くと、ここ数年、大卒、社会人出身の選手でも、春のキャンプで全然ついてこられないそうです。とにかく投げる体力がないと」

2014年夏、時代の流れに逆行するとんでもない投手が出現した。全国高校軟式野球選手権大会の準決勝で、中京高校のエース・松井大河は4日間で延長50回、計709球を投げた。トータルでは1回戦からの4試合で計75回3分の2を投げ、球数は1047球にも及んだ。宮下さんはその様子を映像で確認したという。

「非常に楽に投げていましたね。軟式と硬式では体への負担が違うので単純に比較はできませんが、うまく体が使えていれば球数はそんなに影響しないのかもしれないと思った。問題なのはフォームを崩しているときの球数です。ただ、硬球で同じくらい投げたらほとんどの人は壊れるでしょうね」

2014年の全国高校軟式野球選手権大会決勝で力投する中京高校のエース・松井大河。計4試合で1047球も投げた(写真:日刊スポーツ/アフロ)

球数制限を設けることは簡単だが、宮下さんは「それだけで解決するものではない」と注意を促す。

「過剰な網をかけるってことで助けられる選手もいますけど、その一方で、体力やスキルを向上させるための投球練習が足りていない選手は故障してしまうこともある。アメリカのように徹底的に管理してもケガをする選手はいるわけですから。何球でいいですよ、というのは、そんなに簡単に言えない。投球数の問題は『対象』と『どのような場面か』などの条件を明確にしないと話が混乱すると思う。そもそもスポーツ医療というのはエビデンスだけでなく、経験則から成り立っている側面もある。また、レクリエーションスポーツなら痛ければ休めばいいのですが、チャンピオンシップスポーツになるとそうもいかないことがある。こっちの投げ方のほうが痛みが少ないけど、パフォーマンスはがくんと落ちるとする。じゃあ、それを強要できるかというと……難しいところですよね」

立田は1年夏の大会、実力はありながらもベンチ入りしなかった。その理由を若井さんは「誘惑に負けて投げさせてしまうかもしれないから」と語った(撮影:塩田亮吾)

エースに投げさせないでどう勝つか

エースと心中する、という言い方を今でもよく耳にする。しかし、裕和さんは、こう反論する。

「高校野球の監督さんがよく『エースを投げさせて負けたらしゃあない』って言うじゃないですか。でも、どの試合にもエースを投げさせるんだったら、監督なんて要りませんやんか。エースに投げさせないでどう勝つか。それが監督の仕事やと思うんですよ」

昨年の選抜大会の準々決勝で、それを実践した監督がいた。福岡大大濠高校の八木啓伸監督(40)だ。

エースの三浦銀二は、それまで延長15回の引き分け再試合を含め3試合で完投していた。そこで八木監督は準々決勝の報徳学園戦は「三浦なし」で戦う決断をしたのだ。

「休ませるなら、このタイミングしかないと思った。決勝まで進んだら、4連戦になってしまう。三浦なしで勝ったらチームも成長する。みんなでこの壁を越えようと思った」

試合は三浦以外の3人の投手でつないだものの、3-8で敗れた。だが八木監督は今でも「悔いはない」と言う。

「あの状態ではベストを尽くせた。三浦を投げさせてあの試合に勝ったとしても、疲労でどこかでつまずいていたと思う。あくまで優勝するための戦略でしたから」

2017年、選抜大会の準々決勝。福岡大大濠はエースを休ませ、控えの3投手でつなぐが、3-8で敗れる (写真:日刊スポーツ/アフロ)

チームの勝利と、エースの体を守ることは両立できる――。それこそが立田親子が目指した野球だった。

立田が甲子園に出場した2013年春、準優勝した愛媛・済美の安楽智大(現・楽天)が5試合で計772球を投げ、米メディアを巻き込んでの議論に発展した。立田が持論を語る。

「チームのためにやるのは悪くないと思うんですけど、あそこまでいくと逆にチームのためにならないんじゃないですかね。どんなにいいピッチャーでも、ヘロヘロだったら2番手のほうがいいと思う」

決勝までチームを導いた安楽も、最後は力尽きた。立田が続ける。

「結局、2番手が成長しないとトーナメントは勝ち抜けない。僕一人になると、ヘロヘロになるし、チームも勝てないし、プロにも行けない。最悪じゃないですか。チームのことを思うんだったら、他の投手にも経験を積ませたほうがいいと思うんです」

おそらくは、正しい。立田は実際、チームを甲子園に導いたし、高卒でプロ野球選手になるという夢もかなえた。しかし、世の中は、どんなに正しくても10人中、それを言う人が1人しかいなかったら、その意見は排除されてしまうことがほとんどだ。

立田や、裕和さんや、若井さんの存在が「異端」に映ることが、今の高校野球の在り様を象徴している。

最後の夏は準決勝、決勝と連投するつもりでいたが、奈良大会準決勝で智辯学園に6-11で敗れる。立田はこの試合で自己最多となる177球を費やした。「自分でつぶしてしまったので、最後まで投げるつもりでいました」(撮影:塩田亮吾)


中村計(なかむら・けい)
1973年、千葉県船橋市生まれ。同志社大学法学部卒。スポーツ新聞記者を経て独立。スポーツをはじめとするノンフィクションをメインに活躍する。『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇』(集英社)で講談社ノンフィクション賞、『甲子園が割れた日』(新潮社)でミズノスポーツライター賞最優秀賞をそれぞれ受賞。近著に児童書の『王先輩から清宮幸太郎まで 早実野球部物語』(講談社)がある。趣味は演芸鑑賞、京都旅行、ボートレース。

[写真]
撮影:塩田亮吾
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝


(最終更新7月1日(日)20時40分)