穐吉洋子

漫画や小説の映画化から決別も ――「セカチュー」行定勲監督、50歳の“宣言”

5/16(水) 9:43 配信

原作はあっていい。だが、漫画や小説が有名だから観客を動員できると考えて、実写化するのはだめだ――。既存の名作を次々と映画化してきた監督が、そう言い切った。行定勲(ゆきさだ・いさお)さん(49)。この8月に50歳になるのを機に「自分と向き合って少しずつ、オリジナルの映画を手掛けたい」と言う。『世界の中心で、愛をさけぶ』『ナラタージュ』といったヒット作、ベルリン国際映画祭での受賞が記憶に新しい『リバーズ・エッジ』。優れた原作を実写化してきた人気監督の、その真意とは――。(ライター・飯田千歳/撮影・穐吉洋子/Yahoo!ニュース 特集編集部)

「50歳になったらオリジナル」

熊本地震から2年が過ぎたこの4月、行定さんは「くまもと復興映画祭」の会場にいた。故郷・熊本県で開かれる映画祭でディレクターを務めるのは、彼のライフワークだ。

会場では、若手監督の作品を上映し、彼ら5人と日本映画界のこれからを語る場もあった。司会役は行定さん。人気漫画などの映画化が続く邦画の現状に、彼はこう切り込んだ。

くまもと復興映画祭で話す行定勲さん(中央)=4月 8日、熊本市(撮影:飯田千歳)

「映画は面白いかどうかが全て。そして(原作のない)オリジナルが求められているんです。僕がデビューする前の1980~90年代はオリジナル映画を製作する時代。監督が10人いれば10人の色がある多様性があった」

そして続けた。

「僕は今年50歳になる。50歳になったら、少しずつでもオリジナル作品を手掛けたい」

これまで30本以上の作品で監督を務めた。大ヒットし、国際的な評価を受けた作品の多くには原作がある。それなのに、なぜ今、「オリジナル」に傾くのか。

東京・赤坂の事務所で(撮影:穐吉洋子)

くまもと復興映画祭から10日後、東京・赤坂の事務所に行定さんを訪ねた。

「仕事をもらえるのはありがたいけど、果たして、それだけでいいのか、と。歴史に名を残す映画監督たち……小津安二郎や成瀬巳喜男は50歳から60歳にかけて、後世に残り、スタイルが確立した映画を作っている。先達の監督たちへの憧れと尊敬が『熟した年代はそこだ』と証明してくれているんです。その時期に自分をもう一回見つめ直すため、あえて宣言しているんですよ」

原作の映画化とは、原作者が発想したものに自分の記憶などを載せて、何とか自分らしく描くことであり、テーマや脚本を監督自身がゼロから作り出すオリジナルとは大きく違う、と。そして、映画監督なら自分とは何かを問い、テーマを探し、映画に昇華することをやらなければいけない、とも言う。

映画は記憶から生まれる

行定さんの持論は「芸術のほとんどは、記憶から生み出されている」である。

「ある出来事があって、その時に感じた何か。記憶の中で触れたものからでしか、新しい作品は生まれないんだろうな、と。新しく、急に思い立ったというものはほとんどないですよ」

手振り身振りを交え、語りは熱を帯びた。(撮影:穐吉洋子)

だからこそ、原作を映画化してきたこれまでの監督人生でも、過去の自分と向き合い、個人的な共感など作品のどこかで行う自己投影が重要だったという。

出世作となった青春映画『GO』(2001年)もそうだ。直木賞を受賞した金城一紀さんの同名小説が原作で、主人公は在日コリアンの高校生。その映画には、行定さんが小学生のころ友だちだった在日韓国人少年との思い出がベースにある。

「通名で過ごしてきた彼がある日、在日と分かった。それまではクラスでヒーロー的な扱いだったのに急に疎外されてしまう。そういう状況に僕は混乱して、手を差し伸べることもできないうちに、彼は事故で亡くなってしまって……。『GO』で主人公の友人が亡くなる場面では、何とかしたいのにどうにもできない心情が、過去の自分と重なっている」

『リバーズ・エッジ』の大冒険

体験にもとづく私小説的な映画作り。そこに進もうとしていたころ、岡崎京子さんの人気漫画『リバーズ・エッジ』の監督の話が舞い込む。2年ほど前のことだ。

昨年10月公開の『ナラタージュ』、公開中の『リバーズ・エッジ』のポスター(撮影:穐吉洋子)

既に絵で表現されたものを映画にするのはハードルが高い。原作に共鳴している読者の思いを打ち砕きたくない。だから漫画の実写化はしない――。そう繰り返していた。その一方、行定さんはかねて彼女の作品を気に入り、舞い込んだ話とは別に映画化を考えたこともあったという。

「『リバーズ・エッジ』は1994年の出版から幾度となく読んでいます。10年くらい前なら喜んでやったけれど、オリジナルに向かおうと考えた矢先で……」

だから戸惑った。『リバーズ・エッジ』はそれぞれの事情を抱えた高校生たちの孤独感や欲望を描いた物語。漫画の実写化に初めて挑戦することを決めはしたが、自分の青春を振り返り、その記憶を当てはめるのは違う気がした。

「今回の大きな冒険は、自分と全く重ならない人間を描くことでした。演出家として僕はそこにいるだけ。自分の主観的な感情は一切ありません」

『リバーズ・エッジ』の台本(撮影:穐吉洋子)

1990年代はバブル経済が崩壊し、阪神・淡路大震災やオウム真理教による地下鉄サリン事件、14歳の少年による連続児童殺傷事件などが起きた。『リバーズ・エッジ』では、そうした不安と不確実な時代を予見するかのように、岐路に立たされている少年少女の憂いが描かれる。

「四半世紀を経て読み続けられ、多くの人がこの作品に熱狂する。それは何でだろう、と。今も90年代も変わらないのは、その時代を生きる少年少女のひりひりした感覚、肌触りに宿るのではないか、と。そう思って映画には登場人物へのインタビューを加えました」

二階堂ふみさんや吉沢亮さんら俳優たちは、登場人物のまま、台本にはない質問に答える。行定さんが考えた問いに、である。

「その答えをずっと聞いていくと、俳優たちが自分の記憶の引き出しの中からいろんなことを話しだす。今を生きる俳優自身の思いも重なって何かが生まれたんです」

ベルリン国際映画祭パノラマ部門国際批評家連盟賞の賞状。『リバーズ・エッジ』で受賞した(撮影:穐吉洋子)

記憶を呼び戻す映画の力

日本各地で開催される映画祭には、その土地出身の監督やスタッフが運営に携わることが少なくない。行定さんは2014年、「くまもと復興映画祭」の前身、「菊池映画祭」(熊本県菊池市)のスーパーバイザーに就任した。

日本映画製作者連盟によると、この年の邦画の公開作品は615本。その10年前から倍増し、2000年以降で最も多かった。入場者数は大幅に増えないのに作品は増える――。そうした上映に厳しい時代、映画離れを食い止めるのが、あちこちの映画祭の使命でもある。

多くのゲストが来場し、盛り上がったくまもと復興映画祭=4月8日、熊本市(撮影:飯田千歳)

日本各地で開催される映画祭との違いを出すため、「菊池映画祭」は、俳優の特集上映を企画した。行定さんの監督でオリジナル作品の製作・上映にも乗り出す。2016年3月の映画祭では、熊本県出身の俳優が出演し、熊本県内で撮影したオリジナルの1作目『うつくしいひと』を初披露した。ところが、1カ月後に襲った熊本地震によって、その作品に収録された熊本城や阿蘇の風景は一変してしまった。

「何気なく撮っていた背景が一瞬にして失われた。そして、その風景が映画に保管され、救出されていたのはすごいことだと思いました。地震直後の給水活動で、映画を観た70代くらいの女性から『映画を見れば、自分の知っている熊本城が思い出せます』と言われ、見る人の記憶を呼び戻す映画の力を知りました」

風化に抗う、震災の経験を未来へ

菊池映画祭は昨年、「くまもと復興映画祭」と名前を変え、シリーズになったオリジナル2作目の『うつくしいひと サバ?』を上映した。震度7を2回記録し、住宅約1万1千棟のうち約6割が全半壊だった益城町でも撮影されている。震災後の傷付いた街並みや風景、復興の途上に立つ人の心情をありのままに写した。

復興のシンボル熊本城。天守閣の復旧工事が進む=4月9日、熊本市(撮影:飯田千歳)

今年は、震災当日を描いた3作目を発表した。2016年の4月16日未明、行定さんはラジオ収録で訪れた熊本市のホテルで被災。南阿蘇村の実家も大きな被害を受けた。

「熊本人は格好良くありたい人たちだから、本当の苦労は言わない。一枚岩で復興に向かったことも、時間が経てば、風化して、忘れてしまう。それだけ穏やかな日常が戻ったということかもしれませんが、僕は抵抗するがために映画を作っている。震災の当日を描くことは必然です」

熊本地震の直後、行定さんは「映画に残されている風景を取り戻したい」と繰り返していた。最近は地震の爪痕を残し、未来に伝えることも重要だと考えている。

(撮影:穐吉洋子)

「熊本城の崩れた石垣の一部をそのまま保存すれば、歴史を知る手掛かりになる。夏目漱石が旧制第五高等学校(現在の熊本大学)の英語教師として赴任する7年前の明治22年、熊本で大きな地震がありました。でも、(漱石自身は)小説で全く触れていない。もし、触れていれば、過去に地震があったことを、みんな知っていたかもしれない」

映画も含めた文化が伝えなければ、大地震でさえも、なかったことになってしまうのではないか。そんな危機感も今の行定さんにはある。

面白いのはありふれた話

もっとも、行定さんは「大きな使命を持って映画を作る発想は僕にはない」とも言う。社会性や批評性が見えやすい映画より、どの時代の人が見ても共感できる感情、個人的なエピソードを描くほうが、「自分の映画らしい」と。

だから、今後の映画作りの理想も、私小説のようなオリジナル映画だ。

(撮影:穐吉洋子)

「誰でも経験しているような、どうでもいい、どうしようもない、日常で見逃してしまう部分を映画にして、『こんなに面白いのか』と思わせたいんですよ。何気ない会話から登場人物の人柄や人生が浮かび上がるように。決して格好良いヒーローばかりじゃないし、映画の中で誰も死ななくたって面白いはずなんです」

初めて監督した『OPEN HOUSE』の上映から20年。監督にとどまらない活動も増える一方だ。しかし、だからこそ、次の10年は本気で自分の映画作りに向き合う期間でもある。

「要は、自分が何者でもないことを知る、ということかもしれない。中途半端に何者かであったりすると、欲が出るでしょ? 一つ、二つ作品が評価されると、世の中にさらなる評価を期待して。で、期待したほどのものが返ってこないと、傷付いて。みんなにそっぽを向かれても、映画を作り続ける強さ。そうすれば何者かにはなるような気がしています」

(撮影:穐吉洋子)


行定勲(ゆきさだ・いさお)
1968年、熊本市生まれ。日本アカデミー賞最優秀監督賞を獲得した『GO』(2001年)は数々の映画賞を受賞。『世界の中心で、愛をさけぶ』(04年)は社会現象を起こすヒットになる。『パレード』(10年)でベルリン国際映画祭パノラマ部門国際批評家連盟賞。今年公開された『リバーズ・エッジ』で同賞を再び受賞。舞台演出も手掛け、16年に『ブエノスアイレス午前零時』『タンゴ・冬の終わりに』で千田是也賞。昨年公開された映画『ナラタージュ』はBlu-rayとDVDになって5月9日に、同じく『うつくしいひと/うつくしいひと サバ?』は6月2日発売される。

[取材]飯田千歳
1982年生まれ。ライター、インタビュアー。
[写真]
撮影:穐吉洋子、飯田千歳

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