「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」「主権者である国民が主体的に利用し得るもの」――。公文書について、2009年に制定された公文書管理法はこう記している。だが、森友学園に関する「財務省公文書改ざん問題」をはじめ、公文書の扱いをめぐる問題が相次ぐ。なぜ、日本では公文書が粗雑に扱われてきたのか、不正や改ざんを防ぐ対策はないのか。3人の識者に尋ねた。(ジャーナリスト・岩崎大輔/Yahoo!ニュース 特集編集部)
不都合な公文書は「個人文書」にされてきた
情報公開クリアリングハウス・三木由希子理事長
日本の行政機関では本来は公文書とされるべき文書が公文書として扱われていないのが実態です。
1999年制定の情報公開法は、政府が説明責任を果たすために必要な範囲として、行政文書の定義を定めました。ですが、組織の仕事で作った行政文書なのに、形式的に「個人管理の文書」にすり替え、情報公開の対象から外す手法が繰り返されてきました。
例えば、2004年11月から2005年2月まで計4回、法務省に対して司法試験委員会の文書を私たちが情報公開請求した時の話です。
当時は司法制度改革で法科大学院制度が始まったばかり。司法試験合格者数の検討が行われていたので、法曹制度への影響などを確認するため、委員会の議事内容を情報公開請求したのです。
司法試験委員会では、法務省の職員が持ち回りで議事録を作っていましたが、発言者名が記録されていなかった。そこで、議事はMD(ミニディスク)で録音していたので、私たちはMDを請求の対象にしました。
ところが、法務省の回答は「職員一人がMDの録音を管理、使用している」と「個人文書」の扱いにし、「公文書」は不存在というものでした。つまり、「個人文書」として録音はあるのに請求対象の範囲外とされてしまったのです。
これはおかしな話です。
非公開の審議会である司法試験委員会の議事録を、「個人的」に録音できるはずがありません。その職員に何かあった際、組織としてMDを管理して別の職員に引き継がないと議事録を作れないからです。
そこで2005年2月、不存在決定の取消し、行政文書の公開の義務付けを求め、東京地裁に提訴しました。
同訴訟の結果、録音されたMDは行政文書とは認められましたが、発言者の名前がわかるので「自由・活発な議論を損なう」として非開示となりました。また、東京高等裁判所での控訴でも公開義務付けは却下、その他の請求も棄却されました。
組織共有しているにもかかわらず、「個人文書」と言い張る手法は「加計学園の獣医学部新設問題」でも起きていました。
昨年5月、この問題が追及される中で、「総理のご意向」という文言が入った文部科学省の記録文書が明るみに出ました。省内の伝達事項であり、れっきとした公的な記録文書です。
ところが、菅義偉官房長官はその文書を「怪文書」と決めつけ、文科省側も当初は存在しないとしていました。文科省は酷似した文書が共有フォルダにあることを認めましたが、当初ないと言っていたのは、別の共有フォルダしか探さなかったからという言い訳をしました。文書を実際に扱っている官僚が法の抜け道を悪用していると言わざるを得ません。
公文書管理法に改ざんに対する罰則はありません。「罰則を設けよ」という声もありますが、改ざんがなくなるわけではないでしょう。むしろ罰則を恐れるあまり、行政文書として作成する文書の内容は薄くして、詳細は個人文書化したり、隠蔽(いんぺい)したりしてしまう可能性もあります。
情報公開法は1999年に制定されました。しかし、請求はできたとしても、行政が情報を出さないのでは何も分かりません。行政機関内でどのように管理、保管され、どのように利用されているのか。当該文書があるかないかも含め、行政機関の判断に左右されます。行政機関にとって差し障りのない公文書は公開されても、不都合な文書は恣意的に対応されかねないのです。
一方、諸外国はどうか。米国の情報自由法は1966年に制定されました。米国の国立公文書記録管理局の規模は大きく、各省庁に文書管理の専門官もいます。
米国の最大の強みは「記録を残す組織構造」ができていることです。
米国では政権が交代するたびに公的機関の幹部職員が入れ替わります。日本と比べて頻繁に政権交代が起こるので、過去の決定に関して「誰の責任で、何を、どのようなプロセスで決めたのか」という行政の意思決定のプロセスを記録として残す。その意識が、行政組織や職員にあることが、公開されている記録を見ると分かります。残った記録は「政府の組織や機能、政策、決定、手続、運営など」の範囲であれば管理されます。
今後、健全性、信頼性を高めていくにはどうすればよいか。外部から十分な検証が難しいのであれば、政府・行政機関が信頼されるための努力を具体的にすることが最低条件です。
「不都合なものも含めすべてを出せ」と指示することが政治のトップのあるべき姿でしょう。一部の官僚や財務省理財局を盾にしたまま、政治のトップが保身を図ろうとするなら、失う信頼は計り知れません。
公文書の無責任な扱いは戦前から
長野県短期大学・瀬畑源准教授
財務省の決裁文書の改ざんは前代未聞の出来事ですが、行政の文書管理のずさんさに驚くことは過去、何度もありました。
たとえば2014年7月1日、安倍晋三内閣は集団的自衛権の行使容認を閣議決定しました。1972年の政府見解以来、「集団的自衛権行使は憲法上許されない」とされてきた解釈が大きく変わる出来事でしたが、この大きな解釈の変更があったにもかかわらず、その検討過程は内閣法制局で公文書として残されていませんでした。
また、昨年大きな話題となりましたが、東京都の豊洲市場の地下空間や盛り土を巡る一連の問題でも、東京都の公文書の管理体制が極めて杜撰であることも明らかになりました。
なぜ日本ではこれほどまでに行政文書が大切にされないのか。その原点は戦前にあります。
私は日本近現代史・天皇制を研究しており、戦前の公文書をよく調べる機会も持ってきました。
明治時代から始まる大日本帝国は天皇主権ですから、官僚制度でも天皇を頂点とし、官僚たちは各大臣の下で「天皇の官吏」として仕えていました。現在のような国民に対するアカウンタビリティー(説明責任)を負ってもいません。ですから、公文書も自分たちが必要だと思うものは保存し、必要のないものは捨てる、という考えでした。従って、多くの行政機関では、最終的な決裁文書は残りますが、途中経過の文書は不要として破棄されていました。
そんな戦前の公文書では、政策決定までの過程は残されませんが、決裁に至るまでの文書の修正箇所が残っていることがあります。これを見ることで、「議論の跡」がうかがええます。当時は手書きですから、清書されたものの上にどんどん書き足し、補足、修正しています。
昭和天皇がポツダム宣言の受諾を告げた「終戦の詔書」にも挿入の記号を入れて書き足しており、敗戦時の混乱が見てとれます。
戦後、民主化されて、官僚は「全体の奉仕者」となりましたが、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は占領を円滑に進めるため、官僚制度全体にまで手を入れることはしませんでした。その結果、公文書に関しても戦前の負の遺産がそのままになってしまった。文書作成は縦割り行政のもと、省庁ごとに異なる慣習があり、その保存範囲や保存期間も各省庁任せ。そんな悪弊が残ったうえ、説明責任の認識も根づきませんでした。
1972年に実現した沖縄返還の交渉では、当時の佐藤栄作総理とニクソン大統領の間で、有事の際の核持ち込みに関する「密約文書」がありました。アメリカではまだ文書は公開されていませんが、密約の存在を認めています。
2009年、佐藤元総理の遺族が遺品整理をしていたところ、自宅書斎からその文書が見つかりました。ワシントンで行われた日米首脳会談で極秘に交わされた「合意議事録」。本来なら外交史料館に残すほどの歴史的価値のある公文書ですが、そんな重要な文書が元総理の「自宅」から発見されたのです。
佐藤の遺族は、文書を発見した後、外務省関係者に外交史料館での保管を申し出ましたが、佐藤元総理の署名入り文書は公文書ではなく「私文書である」として受け取りを拒否しました。しかし、外交資料は双方の国の文書が公開されて見比べることで交渉の機微がうかがえるので、双方ともに揃っていることが真相の解明につながるのです。
2001年に情報公開法が施行された時に、公文書の統一的な定義が作られましたが、文書管理の方法は変わりませんでした。その後、消えた年金問題など、公文書管理をめぐる問題が噴出する中で、公文書を統一的に管理する公文書管理法が制定され、2011年から施行されました。
しかし、それでもなお、官僚たちの考え方は大きくは変化していないのではないか。
戦前も戦後も、日本政府の公文書管理はずさんであり、「事実を記録することで後世に資する」ことが重視されていない。
公文書の破棄、隠蔽(いんぺい)、果ては改ざんまで頻繁に起きているのは、なぜなのか。可能性としては、他国のように政権交代が少なく、異なる政権によって過去の政権検証がなされないからでしょう。そのために官僚と政治家のなれあいがあるのかもしれません。
太平洋戦争が終結する少し前から、戦犯が誰かを明らかにさせないため、大量の公文書が隠蔽されたり焼却されたりしました。
しかし、破棄することで、その事実を「無かったこと」にできるわけではない。行政文書は官僚が作るものですが、作った彼らだけのものでない。意思決定の過程を明らかにし、説明責任を果たす。公共の意識をもっと持つべきです。
ブロックチェーンで公文書改ざんを防げ
早稲田大学・野口悠紀雄 ビジネス・ファイナンス研究センター顧問
財務省の前身である大蔵省に私が勤めていた頃と比べると、政治家と役人との力関係の変化が起きているように思う。
私が大蔵省にいた時代では、政治家が大蔵省に陳情に来ていた。入省してすぐの若手のわれわれが、父親ほどの年の離れた政治家に向かって「局長は会議中です」と対応していた。官僚が政治家の顔色をうかがうことはなかった。
それが、いつのまにか立場が逆転し、役人が政治家のもとへ赴いて説明するようになった。1980年代のバブル経済の中、役人のモラルが著しく低下し、1998年の大蔵省接待汚職では112人もの官僚が処分を受けた。そんな流れも影響しているかもしれない。
今回の公文書改ざんは、政治家と役人の距離を誤ったことによる。
かつての大蔵省、「人事は政治に介入させず」
現在と比べると、当時の大蔵省は中立性を保っていて「人事に政治は介入させない」という不文律が省内にしっかりとあった。政治と距離を保ち、特定の政治家に利益を図るようなことはしなかったように思う。
一度だけ、その均衡が崩れたのが、元首相・田中角栄氏の時代だった。
1970年代、角栄氏と自民党総裁の座を争ったのが、角栄氏のあとで首相になった大蔵省出身の福田赳夫氏。1970年代初頭、2人は「角福戦争」と呼ばれる権力闘争を行った。その過程で、大蔵省の内部も割れていた。
通常、大蔵省で事務次官になるのは主計局長を経た人。角栄氏はその慣習を強引に変え、高木文雄・主税局長を事務次官に就けた。
しかし、こうした流れを懸念した後任の竹内道雄次官や長岡實次官は、その後奮闘し、特定の政治家へ配慮することや利益を図る流れを断った。中立性を保つために「政治に関与しない」と距離を置いた。
しかし、今や政府が官僚人事にあからさまに手を突っ込む時代。パラダイムの転換が起きている。公正中立が担保できないことをただ、嘆いていても始まらない。
重要なのは公文書の改ざんをできないようなシステムを確立することだ。
そのためには、新しい技術情報である「ブロックチェーン」を使う必要がある。
ブロックチェーンを簡単に言えば、複数のコンピューターがネットワーク上で記録を管理する技術。「プルーフオブワーク」という作業を課すことによって、改ざんを防ぐ。
プルーフオブワークとは、ビットコインのネットワークで知られると思うが、すぐには解くことのできない計算作業をコンピューターに課すことだ。
ブロックチェーンは、文書電子化ができていればすぐにでも、取り入れられる。しかも、安価に利用することができる。バルト三国のひとつであるエストニアはブロックチェーンを導入した電子政府を構築している。
今回の事件をきっかけに、政府は文書の電子化を加速化しようとしている。文書電子化は効率化のためにも不可欠だし、ブロックチェーン導入のためにも必要だ。
しかし、電子文書は簡単に書き換えることができるので、ブロックチェーンを導入せずに電子化をはかれば、文書の改ざんはいまより遥かに容易にできてしまう。
政府は公文書を管理・運営していく上でブロックチェーンを取り入れるべきだ。そうすれば公文書の改ざんはなくなる。
岩崎大輔(いわさき・だいすけ)
1973年、静岡県生まれ。ジャーナリスト、講談社「FRIDAY」記者。主な著書に『ダークサイド・オブ・小泉純一郎 「異形の宰相」の蹉跌』(洋泉社)、『激闘 リングの覇者を目指して』(ソフトバンククリエイティブ)、『団塊ジュニアのカリスマに「ジャンプ」で好きな漫画を聞きに行ってみた』(講談社)など。
[写真]
撮影:八尋伸
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝