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塩田亮吾

「私の故郷は、自由のあるシリアです」――ISと戦った市民ジャーナリストの願い

2018/04/14(土) 09:20 配信

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「イスラム国」(IS)の暴力が吹き荒れたシリア北部の都市ラッカで、スマホを「武器」に戦った若者たちがいる。市民ジャーナリスト集団RBSSだ。暗殺の恐怖に震えながらそれでも戦うことをやめない若者たち。その姿を追ったドキュメンタリー映画「ラッカは静かに虐殺されている」が公開される。登場人物の1人、ハッサンさんにインタビューすることができた。(フォトジャーナリスト・安田菜津紀/Yahoo!ニュース 特集編集部)

映画「ラッカは静かに虐殺されている」から、ISに支配されたラッカの町。2018年4月14日(土)よりアップリンク渋谷、ポレポレ東中野ほか全国順次公開(©2017 A&E Television Networks, LLC | Our Time Projects, LLC)

帰れない故郷

「今のラッカはどんなふうに、誰がコントロールしていますか。そしてそれは、そこに住んでいる人たちが望んでいるかたちなのでしょうか」

画面に向かってそう問いかけると、隣でアラビア語の通訳をしていたシリア人ジャーナリスト、ナジーブ・エルカシュさんが声を詰まらせた。こみ上げるものを懸命にこらえている。

PCの画面の向こうには、シリア人の市民ジャーナリスト集団RBSS(“Raqqa is Being Slaughtered Silently”)のメンバー、ハッサンさん(29)がいる。ハッサンさんは、ナジーブさんを、何も言わず見つめている。

市民ジャーナリスト集団RBSSのメンバー、ハッサンさん。今や外からジャーナリストが入れない場所で起きていることを、彼らのような市民がスマホを拡声器がわりに世界へと発することができる時代となった

RBSSは、シリア北部の都市ラッカで、20代の青年たちを中心に2014年に結成された。

ラッカは、過激派組織「イスラム国」(IS)が占領し、「首都」と称した町だ。ISは抵抗する者を次々に処刑し、拷問した。青年たちはこの状況を世界に訴えようと、スマホで隠し撮りをし、記事を書き、インターネットで発信した。例えば、2014年12月30日の記事では、ISに拷問された25歳の男性の証言がこう報告されている。

「ISは私を喫煙した罪で逮捕し、本部に連れて行き、拷問部屋に入れられました。部屋は血でいっぱいでした。40回殴られ、独房へ入れられました…私が本部にいた3日間、ISの拷問を受ける女性や男性の悲鳴が聞こえました。町の人たちのそのような叫び声を聞くことは、私の尊厳を破壊する、別の種類の拷問です」

海外メディアはRBSSの情報を元にラッカの惨状を報道した。RBSSのメンバーはみな、プロのジャーナリストではない。ハッサンさんも、もともとはダマスカス大学のロースクールに通う学生だった。ISはRBSSを敵視し、メンバーの何人かが殺害された。身の危険を感じたハッサンさんら中心メンバーはトルコやドイツに亡命する。

がれきの中でわずかな物を売る少女。2018年1月11日、ラッカで(写真:AFP/アフロ)

映画「ラッカは静かに虐殺されている」は、彼らの姿を追ったドキュメンタリーだ。監督はアメリカ人のマシュー・ハイネマン。映画には、ISが市民を殺害する生々しい場面も登場する。ハッサンさんによれば、現在シリア国内でRBSSのリポーターとして活動しているのは18人。国外組がインターネットへの配信および国際社会へのスポークスマンとして活動する。

ハッサンさんは活動を始めた当初、近しい人たちに「君たちの行動は自殺行為だ」と止められたと言う。

「シリア国内からは『君たちは何も分かってないただの青年だ。大した影響力もない』という反応が多かった。しかし、国外からは圧倒的に応援のメッセージが多かった。日本からのメッセージもありました。たくさんの支援をいただきました」

4月6日、早稲田大学で上映会と講義が行われた。奥のスクリーンに学生の質問に答えるハッサンさんが映っている(撮影:塩田亮吾)

危険と分かっていて、なぜ活動を始めたのか。ハッサンさんはRBSSの目的を「自分たちのコミュニティーをサポートすること」だと言う。

「RBSSの若者たちはもともと民主化の活動家で、政権に対して抗議の活動をしていました。私たちの目的はシリアの民主化です。それは変わりません。私たちはそのために活動を始めました。ダーイシュ(アラビア語圏でのISの呼称)の時代の前に。自由と民主主義。それが私たちの目標です。ダーイシュが入った時は、ただアクターが代わっただけ。ダーイシュは独特なやり方で破壊活動を行ったということはありますが、ラッカは私たちの家族や親戚がいるところです。私たちの地元のための活動が続いただけです」

アラビア語の通訳を務めた日本在住のシリア人ジャーナリスト、ナジーブ・エルカシュさん。奥のスクリーンはハッサンさん(撮影:塩田亮吾)

今はまだ希望が見えない

内戦が始まる前、ラッカには20万人ほどが住んでいた。ハッサンさんは「ラッカは比較的自由のある場所でした。部族社会ではありますが宗教のあり方は穏健で、スカーフをかぶらない女性もけっこういました」と言う。住民の気質は「単純」。仕事は役所か農業しかなく、農業を嫌う若者たちは町を出て行った。つまり日本の地方と同じような悩みを抱えた「ごく普通の」田舎町だった。

「(ラッカから車で1時間ほどのところに)タバカという町があって、そこは特別な場所でした。ユーフラテス・ダムの建設のためにつくられた町で、シリア全土から人々がやってきました。全ての宗教、宗派、人種の人たちがいた。シリアの縮図のようでした」

ラッカもタバカも、内戦で破壊されてしまった。

(図版:EJIMA DESIGN)

シリアで内戦が始まってから7年が経過した。犠牲者は統計を発表する団体によって異なり、30万人とも、40万人とも言われる。国連難民高等弁務官事務所によると、難民は今年4月13日時点で563万人を超えている。シリアのアサド政権軍は「テロ組織への攻撃をやめることはできない」として攻撃を続け、国連による停戦合意は何度も破られている。

ラッカでは、2017年10月にようやく、米軍の支援を受けたシリア民主軍がISの勢力を一掃した。しかし一件落着と言えるほど、ことは簡単ではない。

ハッサンさんは現在のラッカの支配勢力について「(クルド人中心の)彼らは民主主義を標榜していますが、民主主義なんてこれっぽっちもない状態です。(ISに代わって)新しい勢力がラッカに入ってきましたが、彼ら(クルド人勢力)も自分たちの“国”をつくりたいんです」と言う。

内戦前のシリアには当たり前の日常が存在した。RBSSのメンバーが発信に込める怒りや悲しみは、故郷やそこで共に暮らした人々への愛情の深さの裏返しなのだと改めて感じた(撮影:塩田亮吾)

アサド政権、IS、クルド勢力…とラッカの支配者は移り変わった。早稲田大学政治経済学術院教授でジャーナリストの野中章弘さんは「“誰が正しいか”は必ずしも問題の本質ではない」と言う。

「ラッカの市民が自己決定権を奪われていること。自分たちの運命を自分たちで決めることができない。ここに最大の問題があると思います。我々が考えなければいけないのは、誰の立場からラッカの問題を考えるかということです」

ハッサンさんらは現在、ラッカで教育のプロジェクトを立ち上げようとしているという。

「一番の問題は、ほとんどの子どもたちが(ISに支配されていた)4年間、全く教育を受けていないことです。ダーイシュの教育は教育とは呼べません。彼らは算数の授業ですら『ピストル一つ足すピストル一つはピストル二つ』と教えるんです」

破壊された自宅を見て涙を流す女性。2017年10月20日、ラッカで(写真:AFP/アフロ)

「次に大きい問題はインフラの破壊です。現在のラッカには水道も電気も通っていません。そして、地雷の問題が非常に大きい。あちこちに埋められていて、地雷の犠牲者は100人を超えました。しかし撤去活動は始まっていません。そして、がれきの下に放置されたままの遺体です。先日もがれきの下から30ほどの遺体が取り出されましたが、腐敗が激しい。強烈なにおいがして、虫がわいている。公衆衛生上とてもよくない状態です」

インタビューの最後に、ハッサンさんにこう聞いた。――あなたにとって、故郷とはなんでしょうか。

「私の故郷はシリアです。自由のあるシリア、人々の尊厳が守られるシリアです。今は多くの国が介入していて状況が複雑なので、すぐに解決するとは私は思いません。今の段階では残念ながら希望が見えません。みなさんにお願いしたいのは、片方の情報だけを聞かないでくださいということです。シリア人は自分たちの権利を得るためにがんばっています。そういう姿を応援してください」

ユーフラテス川で泳ぐ少年たち。2018年4月5日、ラッカで(写真:ロイター/アフロ)


安田菜津紀(やすだ・なつき)
1987年神奈川県生まれ。フォトジャーナリスト。上智大学卒。2012年、「HIVと共に生まれる -ウガンダのエイズ孤児たち-」で第8回名取洋之助写真賞受賞。写真絵本に『それでも、海へ 陸前高田に生きる』、著書に『君とまた、あの場所へ シリア難民の明日』など。写真展「The Voice of Life 死と、生と」が開催中。

[写真]
撮影:塩田亮吾
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝
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