工藤了

ちょうどよい「適疎」の町へ―― 北海道東川町、人口増の秘密

3/9(金) 9:58 配信

北海道道北部、旭川市の隣に、国道もなく、鉄道も通っていないのに、この四半世紀で人口が2割も増えた町がある。東川町だ。近年、おしゃれなカフェや雑貨店などが増え、若い世代が周辺から観光で訪れるようにもなっている。全国で少子高齢化が進み、人口が減っていく中、なぜ東川町の人口が増えてきたのか。取材で浮かび上がったのは、景観づくりやコミュニティ醸成に配慮した独自の住宅施策だった。(ライター・末澤寧史/Yahoo!ニュース 特集編集部)

飲食店が10年間で倍以上に急増

旭川空港から北東へ車で約10分走ると、東川町に入る。
カフェ、パン屋、フレンチレストラン……。町内を走ると、田園地帯の中にしゃれた外観の都会的な店舗が現れる。

「ヨシノリコーヒー」もそんな店の一つ。轡田芳範(くつわだ・よしのり)さん(47)が2015年に夫妻でオープンした自家焙煎のコーヒー店で、「スペシャルティコーヒー(生産国での栽培管理など一定の品質管理基準をクリアしたコーヒー豆)」を販売する。

自家焙煎コーヒー店「ヨシノリコーヒー」の看板(撮影:工藤了)

轡田さんは、もともと旭川市に住んで会社員をしていたが、コーヒー焙煎の趣味が高じ、自分で焙煎工場を持ちたいと考えていた。2014年、東川町で農家の古い納屋が売りに出されているのを見つけ、自宅兼店舗として購入し、リノベーションした。コーヒー店の経営は軌道に乗り、2016年には、長年勤めていた会社も辞めた。

轡田さんは、東川町を「自然環境のよさと都市の利便性が融合した町」だという。

「旭川は高校生のころから住んでいて、東川町には釣りやスノーボードでよく遊びに来ていました。そんな自然環境のよさもあって東川町を選びましたが、住んでみると、旭川の市街地や空港が近い。出張で東京に行くのも片道約2時間。旭川市内と変わらないくらい便利な町でした」

自家焙煎コーヒー店「ヨシノリコーヒー」を妻と経営する轡田芳範さん。「コーヒー好きなので、東川は水がよいのも転居の後押しになった」という(撮影:門脇雄太)

東川町内の飲食店数は現在約60店。2008年の約25店と比較すると、2倍以上に増加した。パン屋だけでも、天然酵母のパンや蒸しパン専門店など特色の異なる店が7店もある。2012年にはアウトドア用品大手「モンベル」も路面店を出店した。

年間約50万人が訪れる道の駅。2012年には隣りに「モンベル大雪ひがしかわ店」がオープンした(撮影:工藤了)

人口は24年間右肩上がり

人口はこの24年間で約2割増加した。統計開始以来人口が最も少なかったのは1993年3 月の6973人。それが2017年12月末時点で8328人へと1300人以上増えている。右肩上がりの増加である。

東川町の人口推移(図表:ラチカ)

東川町は道北に位置する。人口約34万人の旭川市に隣接し、道内最高峰の大雪山連峰旭岳(2291m)をあおぐ自然豊かな町だ。主要産業は米作農業で、旭川市周辺で名産とされる「旭川家具」の生産を支える木工業、旭岳や天人峡温泉など町内の自然環境を生かした観光業などがある。また、町は1985年に「写真の町」を掲げ、「写真甲子園」など写真に関する文化事業に力を入れてきた。

だが、写真が直接的な経済効果を生み出すわけではない。町内には鉄道も国道も通っていない。産業もそれほど振るっているわけでもない。それなのに人口は増え続けている。

(撮影:工藤了)

全戸が地下水で暮らす町

戸建て住宅が集まる通りの一角に、たい焼き屋兼カフェ「liko」がある。木造平屋のドアを開けると、暖炉の暖かな火が揺れていた。

「全戸が地下水で生活。そんな町があるんだと驚きました」

経営者の桐原紘太郎さん(36)は、初めて町を知ったときの印象をそう語る。鉄道や国道だけでなく、東川町には上水道もない。大雪山の伏流水を井戸水としてくみ上げ、そのミネラルウォーターで生活している。この水は当然、無料である。

たい焼き屋兼カフェ「liko」を経営する桐原紘太郎さん。店舗は築60年の空き家を自分たちで改修した。「最近は店舗のリノベーションも依頼されます」(撮影:工藤了)

桐原さんの本業はデザイナー。東京や福岡で長く企業広告のデザインに携わってきた。東川町を知ったのは、2015年の北海道旅行だったという。妻(34)がぜんそくになり、環境のよい土地を探していた。既に独立し、パソコンがあればどこでも働ける状況だった。

「生活のなかで、ふと旭岳が見えるのも外国みたいで、道外出身の自分たちには魅力です。住環境はよくて、妻のぜんそくもぴたりと治りました」

桐原さん一家。妻のまどかさん、長女のさくらちゃん(6)、次女のすみれちゃん(3)と(撮影:工藤了)

国勢調査によれば、1995年に約569万人だった北海道の人口は、20年後の2015年に約538万人となった。減少は約31万人。同じ期間、ほぼ一貫して人口が増えた東川町は特異な存在と言える。

しゃれた飲食店の増加に伴い、カルチャー誌や旅行誌などで町が紹介されることも増えた。そうした勢いを持続させようと、町は起業支援の助成金制度も設けている。起業にかかった費用を100万円まで助成する仕組みで、制度利用の起業は2003年度からの累計で92件。この3年間は毎年10件以上を数える。

東川町が注目されるようになったきっかけの一つは、30〜40代のUターン組だという。この世代が起業や事業継承で新たな店舗を展開するようになり、2012年前後から町の雰囲気が目に見えて変わった。自然素材にこだわったり、都会的なセンスを持ったりする店が増えたのである。

2012年に開店した飲食店「ON THE TABLE」。店長の浜辺佑さん(31)もUターン組。「この店が開店したころから、東川町が注目されるようになってきました」(撮影:工藤了)

Uターンする若者が町ににぎわいをつくる

町の中心部から車で5分ほど走ると、ファッションやアウトドア用品などのセレクトショップ「SALT」がある。オーナーの米山勝範さん(42)は「店は建築家に四季を体験してもらいながらつくりました」と言う。

「札幌に出て自然豊かな町の魅力を再発見した」と語る、セレクトショップ「SALT」のオーナー・米山勝範さん(撮影:工藤了)

東川町に生まれ育ち、高校卒業後の1993年、専門学校進学を機に札幌へ出た。札幌での仕事は、アウトドアグッズやファッションなどを扱うセレクトショップの店長。仕事柄、米山さんは自然にこだわるメーカーや職人らと関わり、同時に「作り手のこだわり、その商品の本当の価値が都会では伝わりにくい」と感じていた。

売り手としても、自然が近くにある場所で――。そんな思いを強め、2009年に米山さんは故郷の東川町に戻った。

「SALT」の入り口(撮影:工藤了)

「SALT」を開店させたころ、町の中心には道の駅や写真館、鉄工所くらいしかなく、「経営は大丈夫だろうか」との不安もあったという。

「でも、仕入れ先などが後押ししてくれ、札幌をはじめ遠方からもお客さんに足を運んでいただけるようになりました。ちょうど同じころ、幼なじみや友人が東川町で居酒屋を継いだり、カフェを開いたりすることも重なっていました」

「SALT」の店内。札幌や旭川では手に入らないブランドの商品も多い(撮影:工藤了)

外国人の人口が約4%

東川町には全国初の公立日本語学校もある。2015年に開校した。2017年12月末時点で、町内に住民登録する外国人は326人で、ほとんどがこの学校に通うアジア諸国の留学生たちだ。そのおかげで、外国人は人口の約4%を占める。

日本語学校の授業。2009年の研修事業開始以来、延べ2000人以上の研修生を受け入れている(撮影:工藤了)

2017年から1年コースに通う台湾出身の簡才翔(カン・サイショウ)さん(46)は2014年にインターネットで町の短期語学・文化研修の募集を見つけ、研修に参加し、ここが気に入ったという。来町は今回で3回目になる。

「水もお米もおいしいし、台湾出身の私にとっては雪があるのも魅力です」

東川に住みたい一心で、パソコン販売の仕事を辞めてきた。今は「東川町内での起業を目指していいます。民宿と台湾のデザートを扱う店を開きたい」と思い描いている。

日本語を学ぶ研修生たち。後列左が台湾出身の簡才翔(カン・サイショウ)さん(撮影:工藤了)

東川町は「写真の町」として、写真文化を通じたイベントや国際交流などに力を入れてきた(撮影:工藤了)

行政主導の計画的な宅地造成

東川町の人口増は、子育て世代の転入も大きな要因だ。

外国人を除く転入者は年間約400人で、そのうち旭川からの転入者は約150人と最も多い。ここ5年は、30〜40人程度ながら30〜40代を中心に関東圏からの移住も増加傾向にある。町交流促進課の平田章洋課長は「東川に思い入れを持って移住してくる人が多いですね。景観がいい、全戸地下水で生活できる、子育て環境が整っている……。住環境が魅力のようです」と話す。

東川町役場交流促進課の平田章洋課長は、「東川はいま昼間人口のほうが多く、旭川のベッドタウンではない」と語る(撮影:編集部)

東川町では、1990年代から町が宅地を造成し、旭川のベッドタウンとして人口は増加傾向にあった。2000年代に入って、町土地開発公社が事業主体になると、特色のある宅地造成が計画的に進められるようになった。

「グリーンヴィレッジ」もそうして造られた分譲地だ。現地に行くと、植栽に囲まれ、広々とした住宅が整然と並んでいた。現在までに3期87区画が完売し、300人前後が住む人気エリアだ。販売価格は決して安価ではない。町の担当職員によると、土地を含む戸建ての価格は3500万円前後で、周辺との比較では、およそ1.5倍になる。

それでも人気は衰えない。カギは景観づくりにあった。

分譲区画「グリーンヴィレッジ」。広々とした公園や緑道もある(写真提供:東川町)

“東川風”の景観づくりで分譲区画をブランド化

移住の相談を受ける町定住促進課の高木雅人課長は「グリーンヴィレッジには、景観条例やまちづくりの考え方に共感した方が移住してきます」と言う。

東川町は2002年に景観条例を制定し、「東川風住宅設計指針」というデザインの指針も示した。それらに基づくと、例えば、屋根は大雪山の山並みと合うよう三角に、色は濃緑やこげ茶色などにする必要がある。北海道の住宅に欠かせない屋外オイルタンクやエアコンの室外機も外からは見えないように工夫するように、などの規定もある。

東川町役場定住促進課の高木雅人課長。「グリーンヴィレッジの説明には1時間くらいかけることもあった」という(撮影:末澤寧史)

これに加え、グリーンヴィレッジでは「建築緑化協定」を結ぶ必要もある。敷地を購入した場合は3年以内に建物を建築し、敷地面積の20%以上は緑地化しなくてはいけない、という内容だ。ほかに町内会加入の遵守なども条件となっている。つまり、コミュニティづくりへの参加意思を事前に問われているわけだ。

三角屋根が特徴的な「グリーンヴィレッジ」の家並み(写真提供:東川町)

これらの「制限」は、ほかの自由な地区とは異なる。一方で、“東川風”に適合した住宅やカーポートなどの設備には町が補助金を出す。

思い切った景観づくりの施策は「グリーンヴィレッジ」地区をブランド化し、付加価値を高めた。実際、ここの購入層には収入が高い層が多い、と高木課長は言う。例えば、教員や道職員などの公務員、あるいは医師、看護師などの専門職。そうした層には「良質なものを好み、自然豊かな環境を求める子育て世帯」が多く、有機無農薬や自然素材などにこだわる飲食店や雑貨屋などの増加にもつながっているという。

大雪山の伏流水の水源付近(撮影:工藤了)

合併の危機をバネに

東川町には、実は“存亡の危機”があった。「平成の大合併」で揺れだした2003年、東川町も近隣自治体と合併するかどうかで大きな議論が起き、その是非を問う町長選も行われた。

町職員だった松岡市郎・現町長(66)は当時、合併推進の現職候補に対抗し、合併反対を掲げて立候補し、当選した。そのころ、「人口1万人未満だと合併しなくてはならず、より大きな合併自治体に権限を奪われる」という話があり、危機感を募らせたのだという。

松岡市郎・東川町長(撮影:工藤了)

「人口が減るとサービスが減るという悪循環に陥ってしまう。人口を増やすためにどうするか。知恵を出し、町一丸となって取り組んできました」

自立の道を選んだ町は、人口8000人を目標に定め、前例にとらわれない“東川風”施策を次々と実行した。こだわり抜いた景観保全や住宅施策のほかにも、例えば、町内で生まれた子ども全員に木製の椅子を贈る「君の椅子」事業、ふるさと納税をしてくれた人に宿泊施設の優待利用などの特典を贈って来町を促す「『写真の町』ひがしかわ株主制度」……。

これらの取り組みが定住人口につながる関係人口を生み出し、東川町のファンづくりも軌道に乗せた。それでも松岡町長は「単純に人口を増やすことだけを意図してません」と言う。

松岡町長は、「人口増の要因は複合的で、さまざまな取り組みの積み重ね。都市と自然に近い立地のよさも大きい」と語る(撮影:工藤了)

「東川町は、“過疎”ではなく、人口8000〜1万人のあいだで、ちょうどよい“疎(そ)”のある “適疎”の町をめざしています。東川らしい暮らしというのは、“疎”があること、つまり間(ま)があることだと思います。都市とは違うゆとりのある空間と時間、そして顔の見える仲間との関係性があることが、これからの暮らしの豊かさになるのではないでしょうか」

いかに生き延びるか。結果としての“東川風”

前出「SALT」経営の米山さんの幼なじみで、「居酒屋りしり」を営む中竹英仁さん(42)は、同世代の仲間と自分たちの将来や町の未来をよく語り合う。

地域の老舗「居酒屋りしり」を母親らと切り盛りする中竹英仁さん(撮影:工藤了)

「東川町はいま注目されていますが、地に足をつけて、ここで暮らすことは楽ではありません。みな、いかに生きのびていくかを考えた結果として、個性的な店が増え、ユニークな町になってきたのだと思います」

中竹さんも東川町出身で一時期札幌に出ていたUターン組だ。

「店も本物の素材やサービスにこだわれば、積極的な宣伝がなくてもお客さまはついてきてくれます。同じように、町もいいものが少しずつ集まることで、よくなっていってほしいですね」

(撮影:工藤了)


末澤寧史(すえざわ・やすふみ)
ライター・編集者。1981年北海道札幌市生まれ。慶應義塾大学法学部卒。共著に『東日本大震災 伝えなければならない100の物語⑤放射能との格闘』(学研教育出版)、『希望』(旬報社)ほか。『東川スタイル』(産学社)の編集を手がける。

[写真]
撮影:工藤了
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝

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