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気づかいと責任感と優しさと――58歳・皇太子殿下のお人柄

2/22(木) 8:31 配信

2019(平成31)年4月30日、天皇陛下は退位され、翌5月1日に皇太子殿下が即位する。約200年ぶりの生前譲位まで1年余りとなった。今年2月23日で皇太子徳仁親王殿下は58歳になる。メディアから伝わる1年後の天皇は常ににこやかで穏やかだが、近くで接してきた人はどのように感じているのか。皇太子殿下と幼少時代から親交を深めてきた友人、学問や趣味を通して交流を重ねてきた人たちだけが知る殿下の人となりに迫った。(ノンフィクションライター・熊谷祐司/Yahoo!ニュース 特集編集部)

約束時間を過ぎても友だちを待つ

1966(昭和41)年4月、学習院初等科(小学校)に入学したときのことを、能楽シテ方の最大流派の家元である26世観世宗家・観世清和(かんぜ・きよかず)さん(58)はよく覚えている。

1964年(昭和39年)4月、浩宮さまは東京・目白の学習院幼稚園に入園した(写真:毎日新聞社/アフロ)

「担任の先生が『みなさんご存じだと思いますが、浩宮さまです。きょうから宮さまとお呼びしましょうね』と皇太子殿下を紹介したのです。特別なことはその呼び方くらいでした」

観世さんは皇太子殿下と初等科から高等科までの12年間、同じ学び舎で過ごした間柄だ。

「宮さまからは『観世くん』と呼ばれ、ほかの同級生と接し方に違いはありませんでした。言葉は悪いですが、タメ口で話す仲です。下校のときは昇降口から校門まで歩きながら、今日あったことや明日提出する宿題のことなどを話し、侍従さんが待っている校門の所で別れていました」

皇太子殿下とご学友の26世観世宗家・観世清和さん。観世さんは「皇太子殿下には昨年4月GINZA SIXに開場した観世能楽堂にも足を運んでいただきたい」と話す(撮影:岡本裕志)

観世さんが皇太子殿下の責任感の強さを意識したのは、初等科高学年での校外学習の日だという。

その日、数人のグループで電車に乗って社会見学に出かけることになっていたが、約束の時間を過ぎてもメンバーの1人が現れなかった。

「私は『宮さま、遅くなるからもう行きましょう』と言ったのです。そうしたら、宮さまは『あと10分待ってみようよ。○○くんが来たとき、誰もいなかったら困るでしょ』とおっしゃった。責任感が強く、他人の気持ちを察する神経のこまやかさも感じました」

皇太子殿下と観世さんの交流は、観阿弥・世阿弥の時代から約600年に及ぶ天皇家と観世宗家の歴史の上にあるという(撮影:岡本裕志)

公式行事で列から外れても行う気遣い

学習院の幼稚園から中等科まで皇太子殿下と同学年で、元ホテルオークラ東京総支配人室室長の立花眞(たちばな・しん)さん(57)は、皇太子殿下から「しんちゃん」と呼ばれていたと振り返る。

「背の順が宮さまのすぐ後ろで、誕生日も1日違い」ということもあって、学校では皇太子殿下の近くにいることが多かった。立花さんが保有するセピア色の白黒写真にも、遠足で皇太子殿下のすぐ後ろを歩く立花さんの姿がある。

そんな立花さんの皇太子殿下の幼少時の印象は、「優しくて思いやりがある方」だという。
「校庭で転んでケガをした級友がいると、すぐに駆け寄って『大丈夫?』と自分のことのように心配されていました」

1969年2月23日、浩宮さま9歳の誕生日(写真:毎日新聞社/アフロ)

1995年2月、国賓として招かれたアイルランドのメアリー・ロビンソン大統領が、立花さんが勤めるホテルオークラで「リターン・バンケット」を開いた。リターン・バンケットとは相手のもてなしにお返しする宴のことで、この日は天皇陛下のご一家全員が参席していた。

立花さんはホテルのスタッフとして会場までの通路でお迎えしていた。お迎えといっても、皇族方が通り過ぎる間は頭を下げているので足元しか見えない。

「皇族方がお帰りになるときでした。どなたか列から外れて近寄ってくるので、周りがそわそわしているのを感じました。私の前でその靴が止まり、『立花さん、お母さんのことお悔やみ申し上げます』と言われました。宮さまでした。その言葉が心に染み入りました」

皇太子殿下とご学友の立花眞さん。勤務していたホテルオークラで開かれる学習院の幼稚園や初等科の同窓会では幹事を務めることも多かった(撮影:岡本裕志)

立花さんは、その前年に母を亡くしていた。皇族の公式行事で列から外れた振る舞いは極めて異例だった。

「子どもの頃と変わらぬ皇太子殿下の優しさに触れられたのは本当にうれしく、忘れられません」

“家庭”で育った皇太子殿下

称号「浩宮」こと皇太子徳仁親王は1960年2月23日、皇居内にある宮内庁病院で生まれた。従来は皇族や華族から迎えていた皇太子妃の慣例を破り、初めて一般家庭から皇室に入った美智子皇太子妃(現皇后)の第一子だった。従来、皇室での子育ては乳母(めのと)、傅育官(ふいくかん)が行ってきたが、美智子皇太子妃は自身の子育てにこだわり、浩宮さまは「家庭」で育てられた。ベビーカーや手押し車など新しいものを積極的に利用した幼少時の子育て風景はメディアで広く報じられ、新しい皇室のイメージが生まれた。徳仁親王は幼稚園から大学院まで学習院に通い、英オックスフォード大にも留学。1989年、昭和天皇の崩御後、皇太子となった。

若いころは皇太子殿下をサプライズで庶民的な飲み屋に案内することもあったという(撮影:岡本裕志)

のびのびしていた英国留学

「皇太子さまにとって、英国留学の3年間が一番のびのびできたのではないでしょうか。当初、2年だった予定を3年に延長したくらいですから」

中国や韓国のニュースを日本国内に配信する通信社「レコードチャイナ」相談役・八牧浩行(やまき・ひろゆき)さん(70)は語る。八牧さんはかつて時事通信社で英ロンドン特派員などを務め、皇太子殿下が英オックスフォード大学マートン・カレッジに留学していた1983〜1985年に現地でたびたび殿下に接した。研究のためのテムズ川視察やスコットランドのエディンバラへの観光、リヒテンシュタインの皇太子から誘われたスキー旅行にも同行した。

(図版:ラチカ)

「日本ではどこへ行くにも警察や宮内庁の関係者に囲まれていますが、留学時代は街なかを歩くときも侍従と大使館の若い職員、スコットランドヤード(ロンドン警視庁)の警官の3人だけ。大衆的なパブにも入って気軽に楽しんでおられました」

八牧さんは殿下の人となりを「ナイスガイ」と表現する。

留学した最初の年の1983年8月、エディンバラ郊外の標高251メートルのアーサーズ・シート(アーサーの玉座)に登ったときのこと。

通信社「レコードチャイナ」相談役・八牧浩行さん。オックスフォード大学留学時、皇太子殿下は20代前半、八牧さんは30代半ばで、世代的な近さがあって話しやすかったようだ(撮影:岡本裕志)

「皇太子さまは健脚。私が遅れると、殿下は途中で待っていてくれました。重いカメラ機材を担いでいる私に『大丈夫ですか?』と気遣ってもくれました」

「ナイーブな方」と思うシーンにもたびたび出くわした。

「当時、日本は団体での海外旅行が急増している時期で、ロンドンの街なかでツアー客に囲まれることも。殿下は『(囲まれるのは)ちょっと苦手なんだ』とおっしゃっていました」

皇太子殿下が大胆な行動に出て驚いたこともある。パートナーの同伴が必要なパーティーに招かれたときのこと。

(撮影:岡本裕志)

「殿下はノルウェーからの留学生に一緒に行っていただけないかと手紙を出したのです。承諾してもらったときは、とてもうれしそうでした。その女性は、殿下にも自分の意見をはっきり言う方で、そういう振る舞いを好ましく思っていたようです」

ねぎらいを忘れなかった登山

皇太子殿下の趣味はビオラの演奏、テニス、ランニングなどあるが、なかでも登山は最も好きな趣味として知られている。富士山(3776メートル)や南アルプスの白峰三山(しらねさんざん・3193メートル)などの3000メートル級を含めて、これまで170を超える山を登ってきた。

元警視庁山岳救助隊の金邦夫(こん・くにお)さん(70)は1992年から2012年にかけて計8回、東京・奥多摩登山に同行した。殿下が奥多摩を登るときは、宮内庁の職員や警察などが加わり、一行の総勢は40人ほど。金さんはいつも皇太子殿下のそばにいられるわけではない。

1994年6月16日奥多摩にて、雅子皇太子妃殿下と(写真:読売新聞/アフロ)

「山登りでも疲れたお顔を見せず、常ににこやか。体力とテクニックはかなりのものです。写真も文章もお上手で、『山と溪谷』や『岳人』などの山の雑誌にエッセイを寄せていますし、日本山岳会の会報誌にもずいぶん書いています」

2004年の鷹ノ巣山(東京・奥多摩)登山のとき、殿下から「お薦めの登山ルートはありますか」と問われ、金さんは長沢背稜のコースを答えた。3年後にその登山は実現し、金さんは警衛の1人として殿下のそばをずっと歩いた。宿泊所の雲取山荘では、夕食時に侍従から「皇太子殿下の隣の席で」と伝言が届いた。翌日、長沢背稜の長いコースを縦走して行くと、殿下は休憩のたびに「静かないい山ですね」「素晴らしいルートですね」と紹介者の金さんを気遣っていたという。

皇太子殿下は、金さんが推薦した登山ルートを歩きながら「いい山ですね」と言ってくれたと振り返る(撮影:岡本裕志)

2012年の御岳山(みたけさん)~日の出山(ひのでやま)縦走は、翌年3月に退職を控えた金さんにとって皇太子殿下との最後の山登りだった。その日は皇太子殿下とは離れて歩いていたが、東雲山荘(しののめさんそう)での昼食時に自身の退職について挨拶すると、殿下は一緒に登る最後の1日であることを知っていた。

「お昼を食べながら、殿下に来年3月に退職しますと申し上げましたら、『長い間、ご苦労様でした』とねぎらいのお言葉をいただき、うれしかったですね」

皇太子殿下には、金さんの生まれ故郷、山形県の名峰、飯豊・朝日連峰にも登山していただきたいと望んでいる(撮影:岡本裕志)

ヒット曲や漫画の話もまじえる講義

皇太子殿下のもう一つの顔が水の専門家だ。学習院大学の卒業論文、同大学院の修士論文は、どちらも「中世瀬戸内海水運」がテーマだった。オックスフォード大学の留学時もテムズ川の水運史について研究している。

「大学では史学として水運を研究されたようですが、皇太子さまの水に関する造詣の深さはその範囲にとどまりません。人間の生活や文明は水とのかかわりが深く、水の利用から衛生、災害など広い分野をカバーしなければ、水の研究はできないものです」

尾田さんは、皇太子殿下が水について講演する前などによく東宮御所へ招かれた(撮影:岡本裕志)

元建設省(現・国土交通省)河川局長で、現在は建設会社の尾田組で会長を務める尾田栄章(おだ・ひであき)さん(76)はそう語る。

皇太子殿下は2003年に日本で開催された第3回「世界水フォーラム」で名誉総裁を務めた。その後3年ごとに開かれる同フォーラムでもビデオを含めて基調講演をしてきたが、尾田さんは日本開催の頃から水についてご進講(皇族の方へ学問の講義をすること)し、東宮御所もたびたび訪れた。

「皇太子殿下の幅広い知識に驚かされます。私は行政の立場から河川を中心に水と関わりましたが、別のアプローチで水を研究する方たちからも意見を聞かれています。海外の水関係者にも“水問題の世界的なエキスパート”として知られています」

第3回世界水フォーラム2003年3月16日(写真:読売新聞/アフロ)

2013年から2年ごとにニューヨークの国連本部で開かれている「水と災害に関する特別会合」で、殿下が基調講演を行ったのも、そんな国際的な評価があるためだ。

「皇太子殿下のご講演は、各国の研究者や行政官、NGO関係者など幅広い専門家であふれます。ほかの講演は、水不足や水害など限られたテーマですが、殿下のお話は歴史を踏まえて内容が深く、示唆に富んで魅力的だという声を聞きました」

名誉総裁を務めた第3回世界水フォーラムでは滋賀、京都、大阪を流れる淀川について講演し、第4回での基調講演では糞尿を運ぶおわい(汚穢)船の絵を映しだして会場を驚かせた。

「それが河川によって運ばれ、農業に生かされていたという循環を説明されました。世界の王室で糞尿に関わる話をされる方は、なかなかいないでしょう。学習院女子大での講義などでは、若い人向けにヒット曲の『トイレの神様』やローマの風呂が出てくる漫画の『テルマエ・ロマエ』などを引用されたそうです。聴く人を飽きさせないように伝えるサービス精神と、水問題の多様さを伝えたいという熱意の表れでしょう」

2015年1月21日、学習院女子大学で、国際交流をテーマに講義される皇太子殿下(写真:読売新聞/アフロ)

皇太子殿下は2010年2月19日の記者会見で、50歳に際してこう述べた。

「『忠恕』(ちゅうじょ)と『天命を知る』という教えに基づいて、他人への思いやりの心を持ちながら、世の中のため、あるいは人のために私としてできることをやっていきたいと改めて思っております」

その上で「忠恕とは、自分自身の誠実さとそこから来る他人への思いやりのこと」と説明している。

複数の関係者は、幼少からの人となりに通じる言葉だと見ている。

2018年 皇居で新年一般参賀(写真:ロイター/アフロ)

59歳にして即位という未来の天皇

天皇即位後は、国際親善などの活動に学術的な研究成果や趣味の世界が生きることも期待できる。一方で、公務が大幅に増え、従来のような交友や趣味も思うようにはできなくなるだろう。

天皇陛下の学習院初等科の同級生で、幼い頃の皇太子殿下に将棋を手ほどきした眞田尚裕(さなだ・なおひろ)さん(84)は、天皇陛下の即位後の流れを踏まえて、こう語る。

「(天皇)陛下も皇太子時代には、われわれ同級生が連絡をとることは今ほど難しくありませんでした。天皇に即位されると、どこへ出かけるにも警護の人数が皇太子時代とは違います。皇太子さまもいろいろ制限が増えるのはやむを得ないでしょう。周囲をとても気遣われる方とうかがっていますから、なおさらだと思います」

天皇陛下と学習院初等科の頃によく将棋を指したことで、眞田さんは幼い殿下に将棋を手ほどきする役を務めた。現在は「将棋を世界に広める会」の理事長も務めている(撮影:熊谷祐司)

天皇陛下が即位されたのが55歳、皇太子殿下が即位されるのは59歳だ。同級生が定年退職を意識する年齢で即位となる。

2017年6月のデンマーク訪問中、地元の一般男性からセルフィー(自撮り)を頼まれ、笑顔でツーショット写真に納まり、見ず知らずの人にもフレンドリーに接する姿が話題になった。公式の場とは違う表情は、驚きとともに好感をもって受け止められた。

いまから1年後の2019(平成31)年5月、殿下はどのような表情で即位されるのだろうか。

2018(平成30)年1月、一般参賀にて(写真:Natsuki Sakai/アフロ)


熊谷祐司(くまがい・ゆうじ)
1966年東京生まれ。ビジネス誌の編集者を経てノンフィクションライターとなる。総合誌やWEBメディアで社会、経済、教育など幅広い分野の取材・執筆を担当。

[写真]
監修:後藤勝
撮影:岡本裕志

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