日本のお笑い界とは激烈な競争社会である。成功をつかめるのは、ごくひと握りでしかない。30代、40代。年齢を重ねるごとにリタイアする芸人たちは数知れない。でも、まだあきらめられない。まだやれる――ベトナムを再挑戦の舞台に選んだ芸人コンビがいる。30代半ば。決して楽な挑戦ではないが、ここにはやりがいがあるという。2人のいまを追った。(ノンフィクションライター・水谷竹秀/Yahoo!ニュース 特集編集部)
若手漫才の日本一を決める「M-1グランプリ2017」の最終決戦進出メンバーが、間もなく出そろう12月3日夜。青いスーツに身を包み、髪をアッシュに染めたお笑い芸人の井手一博(34)はスマホを見つめ、その動向についてツイッターで情報収集していた。ここは東京の会場から遠く離れたベトナム南部のホーチミン市。かつては自分も出場していた舞台に、もう未練は残っていない。
「M-1に出ることはもうないでしょうね。遠い存在になってしまいました。それに日本の芸人さんたちとは今、やっていることが違いますので」
吉本興業所属のお笑いコンビ「ダブルウィッシュ」の井手と中川新介(35)は、自分たちの出番を前にスタジオの楽屋で待機していた。ベトナムのテレビ番組制作会社の創立10周年記念イベントに、出演者として招かれていたのである。
これから若いベトナム人の観客約150人を前に、ベトナム語でコントを披露する。発音がうまく通じるかどうか。かつ、笑いを取れるのかどうか。ベトナム人MCから紹介されると、スポットライトに照らされた2人が勢いよくステージに現れた。拍手が沸き上がる。張り詰めていた糸が吹っ切れた。
負のオーラに包まれた芸人生活
2人がベトナムに渡ったのは2015年6月である。この派遣プロジェクトは「住みますアジア芸人」と呼ばれ、吉本興業や電通など7社が出資する「MCIPホールディングス」によって実施された。ベトナムのほか、インドネシアや台湾、タイ、フィリピン、マレーシアの6カ国・地域で11組、15人が活動中だ。現地の言葉を覚え、現地の住民に向けたコントを披露し、人気を呼ぶために日々、奮闘している。
ベトナムに来るまでの経緯について、中川はこう振り返る。
「M-1に何度も出場しましたが、すべて1回戦落ちです。芸人の仕事だけでは食えず、今のやり方じゃ、絶対に世に出られない、と。もともと10年やってダメだったら進退を考えようとは決めていました」
お笑いの世界に入った当時、同期は約250人いたが、それから10年経った現在、芸人として活動しているのは約50人まで絞られた。そのうちテレビでよく見る芸人は、同期の山﨑ケイがいる「相席スタート」「ピスタチオ」など片手で数えるほどだ。
爽やか系で真面目な中川と、おっとりした井手がコンビを結成したのは2008年のこと。2人とも熊本県の出身で、吉本が運営するお笑い養成学校「NSC東京」を卒業した中川が、東京でスタイリストをしていた井手に声をかけたことがきっかけだった。中川は中央大学卒という、高学歴芸人だ。2人とも居酒屋やカフェなどでアルバイトを続けながら、定期ライブやM-1などに出場するも、結果は振るわなかった。
井手が思い出したように語る。
「結成5年目の時に、ロンドンブーツ1号2号さんのドッキリ番組に出演させてもらったんですけど、思ったほど注目されませんでした。YouTubeへも動画を毎日アップするなど無我夢中で走っていましたが、日の目をみなかった。現状が変わらないことへのいら立ちから、やがて2人の間に負のオーラが流れ始めました」
「住みますアジア芸人」の話が浮上したのはそんな時だった。オーディションを通過し、ベトナム行きが決まる。井手は結婚まで考えていた彼女にそれを伝えると、あっさり別れを告げられた。
「お金があるか分からない芸人とは一緒になれないと言われました。付き合いを続けた6年間、芸人としては食えなかった。だからこれ以上、僕を信じてついて来いとは言えませんでした」
一方の中川は、妻と結婚式を挙げるために貯金をしていたが、ベトナム行きが決まったことで挙式どころではなくなった。そして、一緒に移住することに。
「妻はベトナムに行くなんてまったく想定していませんでした」
こうしてダブルウィッシュの2人は、南国で芸人として再出発を果たす。
大きく立ちはだかる言葉の壁
2人は現在、たまのテレビ出演や日系企業のイベントなどでコントを披露している。YouTubeに動画もアップするなど、いずれもベトナム人向けの活動だ。しかし、それだけで生活できる収入は得られていない。生活費はもっぱら、MCIPから支給される数万円の月収に頼らざるを得ず、家賃補助も受けている。
2人とも「ベトナム語がもっとできれば仕事が増えるのに」とはがゆさを感じ、語学の習得にも励んでいる。
ある日の午前9時。ホーチミン市中心部にあるビルの一室で、“家庭教師”の様子を見せてもらった。2人はベトナム語の長文が書かれたプリントを見ながら難しい表情を浮かべていた。内容は、ブラック・フライデーとホーチミン市の観光地に関する新聞記事2本で、読み終えた井手がこう漏らした。
「ちょっと難しい。知らない単語が多いです」
テーブルを挟んで座るベトナム人女性のファン・ゴア・アン先生(43)も「今日は難しかったかな」と苦笑いを浮かべた。
2人は最初の1年間、平日は毎日語学学校に通っていた。現在は、週2日、このような形でレッスンを受けている。ベトナム語は声調が6通りに分かれていることから発音が難しいとされる言語で、これが2人を悩ませていた。アン先生は「私が教えている生徒の中ではできるほうです。買い物や観光の道案内、家族のこと、生活のことについて話すのは問題ないと思います」と評価する。
だが、井手はこんな苦い体験を明かした。
「住み始めてちょうど2年が経った時、路上でバイク修理をしていたベトナム人に『日本人』という単語を何度発音しても通じなかったんです。あれはさすがにへこみました。2年も経ってこれかよって」
外国人が訪日して一から日本語を勉強し、劇場で客に笑いを取るのは並大抵のことではない。それを考えれば、『住みますアジア芸人』たちによる取り組みは、相当に難易度が高いと言えるだろう。2人はいま、コントの台本もベトナム語でノートに書き綴り、動画には日本語訳をつけている。冒頭のイベントを主催したテレビ制作会社のファム・トゥ・リェム社長(41)は、ダブルウィッシュの可能性についてこう話す。
「最初は日本人がベトナム語を話せるというだけで面白いと思ってもらえるけど、それだけでは観客を納得させられない。やはり高い語学力が必須。ベトナムの文化に対する理解も深めなければならない。それにはあと2〜3年はかかるでしょう」
文化だけでなく、笑いのツボも異なる。だから、はずすこともある。
井手が身ぶり手ぶりで語る。
「お客さんが100人以上いた立派なステージで、ウケを狙うために二重にヅラをかぶったのですが、『サーッ』と音が聞こえるぐらいにドン引きされたことがありました。笑っているのは僕たちだけ……」
妻子持ちの生活で心に迷いも
ベトナムの最低賃金は月額で1万3千〜2万円弱。2人の月収はこれを上回るとはいえ、生活は楽ではない。井手の場合、1日の食事を30円相当のカップラーメン1個(ベトナム製)だけで済ませる日もあるという。
「食べ終わったら、寂しいご飯が終わったと忘れるしかない。日本食を食べに行けない、飲みにも行きたいけど我慢しなきゃいけない、という時はめちゃくちゃストレス。でも僕らがもっと稼げばいいだけの話なんですよね」
と潔く自分の力不足を認める井手だが、飲み代を持ってくれる駐在員らとの外交活動には勤しんでいる。
一方の中川は、昨年末に娘が生まれ、「住みますアジア芸人」の中で唯一の妻子持ちとなった。家賃補助を受け、広さ48平方メートルのコンドミニアムに住んではいるが、井出とは異なり、中川の給与だけで3人が生活していかなければならない。
「昼間はよく『バインミー』と呼ばれる、100円程度のベトナムのサンドイッチを食べます。夜は妻が頑張って日本料理を作ってくれますが、具材は娘の方に多く入っています。正直、妻や僕の貯金を切り崩しながらの生活です」
日本でならまだしも、異国の地で芸人として不安定な生活を送る夫についてきた妻の心境はいかばかりか。長年続けた正社員を辞め、初の外国暮らしだった。そんな妻(32)は、1歳の娘をあやしながら語った。
「そもそも結婚する時点で、不安定になることは覚悟していました。私は特にやりたいことがなかったので、そういうのを持っている人は羨ましいし、それを支えるために動くことに喜びを感じます。だから私の中ではベトナムについて行く以外の選択肢はなかったです」
もちろん、“現実”にも直面した。
「1年以内に退職金は全部なくなりました。野菜や肉や卵は安い店で買い分けています。ただ、娘には食事をたくさんあげたいので、魚の身は娘、私たちはその身を出汁にしたスープを食べるなどの工夫をしています。お米も娘は日本米ですが、私たちはベトナムで収穫された日本米です」
外食に行く余裕はない。日本料理店に家族で行くのは数カ月に1回だ。駐在員の妻たちとのランチに娘を連れて参加することもあるが、参加費約2千円を毎回捻出できないため、たまにしか行けない。そこまでの交通手段はローカルのバスやウーバーを利用するが、より高額なタクシーでやって来る駐在員の妻との「格差」も感じる。
「行きたいお店はたくさんあります。私はベトナムで稼ぎを得る手段がないので、旦那の収入に頼るしかありません。私と娘だけ日本に帰国して働く選択肢も視野に入れています」
これに対し、夫の中川は忸怩たる思いを吐露する。
「結婚してから妻に苦労ばかりかけて、申し訳ない気持ちもあります。だからベトナムで芸人として早く稼げるようになりたい」
常に前向きで、「ネガティブなことを言っても意味がない」とまで言い切る中川だが、なかなか活路が見いだせない現状に、迷いも生じ始めている。
「今の状況があと1年続くのであれば、帰国も考えざるを得ません。ただ、本心は帰りたくない。日本人としては誰もやっていない唯一無二の存在だと感じているので、いつかは日の目を見ると信じています」
限界まで挑戦し続けたい
ステージでスポットライトに照らされた青いスーツ姿の2人。リズミカルなBGMに体の動きを合わせ、こう連呼する。
「コー カイ ジー ダウ!」(ベトナム語で「問題ない」の意)
2人のコントはベトナム版「あるあるネタ」で、日常生活で起きるトラブルを引き合いに出し、「問題ないさ!」と締めくくる内容だ。隣人のカラオケ音がうるさい、タクシーに水たまりの水を引っかけられた、バイクから降りる時に恋人がマフラーで足を火傷した……。このほか、日本人の発音がベトナム人に理解されない状況を皮肉った歌や、中川の女装によるミュージカルも披露された。
ベトナム人の観客約10人に感想を聞いたところ、ダブルウィッシュのベトナム語は「7~8割理解できる」との答えが大半を占めた。
映画関係の職場で働く男性(21)は「ベトナム語の発音が分からないところは予想して理解できた。ベトナムにいる外国人の見方、ベトナム人は当然だと思っていることが客観的に観られて面白かった」と話した。
大学4年生の女性(21)は「ベトナムの文化が取り入れられた内容で面白かった」と述べ、こう期待を寄せた。
「社会問題に関する風刺があれば、なお良い。ベトナム語を勉強して有名になった韓国人女性歌手もいるから、2人にも有名になれる可能性はあると思う」
もっとも、率直な意見も出た。
「演出は良いけど、言葉の問題で内容がよく分からないところもあった」
ベトナムで「住みますアジア芸人」を始めて2年半。2人の地道な活動は少しずつベトナム人に伝わりつつあるようだが、それでも「人気者」と呼ばれる地位はまだ確立していない。もどかしさ、募る焦り。かといって、今さら日本に帰っても、芸人一本でやってきた30代半ばの男にどんな道が残されているというのだろうか。
「本当にやりきったという限界まで挑戦し続けたい」
と意気込む井手。惑いながらも本心は続けたい中川。その気持ちを支えているのは、「ベトナムにおける唯一の日本人芸人」という希少性だ。もし、あのまま日本で芸人を続けていたら、その他大勢に埋もれてしまったかもしれない。だが、今は自分たち以外に代わりがいない。つまり「自分たちにしかできない」という存在意義から生まれる自己肯定感こそが、2人をベトナムにとどまらせているようだった。果たしてその思いは実を結ぶのか。
水谷竹秀(みずたに・たけひで)
ノンフィクションライター。1975年、三重県桑名市生まれ。上智大学外国語学部卒。新聞記者やカメラマンを経てフリーに。現在フィリピンを拠点に活動する。2011年『日本を捨てた男たち』(集英社)で開高健ノンフィクション賞を受賞。近著に『だから、居場所が欲しかった。』(集英社)