田川基成

「勝ち癖をつけながら負けず嫌いに」――F1レーサーを目指す11歳の娘への教え

2017/12/1(金) 9:20 配信

今年4月、女子小学生レーサーがF4デビュー戦で優勝し、話題をさらった。野田樹潤(じゅじゅ)さん、11歳。レースでは“Juju”を名乗る。日本最年少のプロレーシングドライバーだ。彼女はどのようにしてその才能を伸ばしてきたのか。元F1レーサーの父とともに歩む先には「日本人女性初のF1レーサー」という夢がある。(ライター・西所正道/Yahoo!ニュース 特集編集部)

11月、岡山国際サーキットでの練習走行で、コースに走り出した樹潤さんを厳しい目で見送る父・英樹さん。ただならぬ緊張感に周囲の空気が張りつめる(撮影:田川基成)

3歳の誕生日プレゼントはエンジン付きカート

太いレーシングタイヤとコックピットが剥き出しのフォーミュラカー。最高時速240キロで走る。走行中は最大で体重の4倍近いG(重力)がかかる。心拍数は160~180まで上がる。しかも重いハンドル。パワーステアリングなどもちろんない。大人の男性でも過酷なマシンを乗りこなすのは小学6年生の少女だ。

今年4月、フォーミュラU17開幕戦でF4レースに初出場し、高校生を抑えていきなり優勝した。しかも会場の岡山国際サーキットのF4コース記録を叩き出した。メディアのインタビューに「夢はF1レーサー」と答える笑顔はまだあどけない。その夢をかなえれば日本人女性では初めてとなる。

日本人女性初のF1ドライバーを目指す野田樹潤さん。F1には性別の制限や区分けはない。70年近い歴史の中で女性ドライバーは5人いるが、近年は誕生していない(撮影:田川基成)

樹潤さんをカーレースの世界にいざなったのは父・英樹さん(48)である。英樹さんはF1にも出場したカーレーサーだ。フォーミュラニッポンやル・マン24時間耐久レースなどにも参戦、2010年まで現役で走り続けた。サーキットを疾走する姿は幼い樹潤さんの目に焼き付いた。父の真似をしたいと思ったのか、樹潤さんは電動のトイカーに乗るのが大好きになる。それを見た英樹さんは、3歳の誕生日プレゼントにエンジン付きカートを贈った。

「最初はおっかなびっくり走っていました。でも練習を重ねるうちに速く走れるようになって、じゃあレースに出てみようかと」

練習走行の合間にピットで調整を受ける。タイヤは専用のジェットヒーターで温め、走行直前にメカニックが車に取り付ける(撮影:田川基成)

出場したのはキッズカートの大会。樹潤さんは出場するたびに順位を上げ、ビギナークラスで優勝する。当時4歳。同じ頃に現役を引退した父からバトンを引き継ぐようにサーキットに登場したのだ。以降、英樹さんは娘にレーサーとしての経験を注いだ。

子どもの本気に真剣に向き合う

英樹さんと母の雅恵さん(43)は、樹潤さんにレース以外にもさまざまなことを経験させた。ヒップホップ系のダンスや体操、水泳。バレエ教師である雅恵さんからバレエの手ほどきも受けた。しかしどれもレースほどの魅力を感じなかった。バレエに関しては「体が硬いから、そもそも向いていなかった」(雅恵さん)という。

樹潤さんが小さい頃に乗っていたカート(撮影:田川基成)

5歳のとき樹潤さんは「プロのカーレーサーになりたい」と言うようになる。カーレースは危険が伴うスポーツである。しかもまだ5歳。どれくらい真剣に考えているのかさえわからない。英樹さんにそう疑問をぶつけると、やや強い口調で語った。

「子どもが言っていることだからととらえたら、それは失礼ですよ。樹潤が真剣に『やる』と言っているわけだから、こちらも真剣に受け止めなければ」

実は英樹さん自身も、父からバックアップを受けてF1レーサーへの階段を上った。「何にも興味が湧かない」という無気力な英樹少年が唯一強い関心を示したのがカートレースだった。父はそんな息子の姿を見て中古のカートを購入した。英樹さんが13歳の時だ。その後、父は、英樹さんがフォーミュラカーのレースに出場できるよう、経営していた測量事務所の資金をつぎ込む。その影響か事務所の経営は思わしくなくなる。それでも親戚に頭を下げて資金をかき集めた。

樹潤さんが乗る車。車体のデザインはカラフルで可愛いが、中には爆音を鳴らすエンジンが搭載されている(撮影:田川基成)

上のクラスを“飛び級”で経験「体で感じて成長していく」

カーレースの世界はF1を頂点に、いくつものカテゴリーに分かれている。フォーミュラレースの最高クラスがF1で、F2、F3と続き、F4がファーストステップとなる。

フォーミュラレースへの入門編にあたるのがカートレースだ。F4デビュー以前の樹潤さんのレースキャリアを追うと、“飛び級”で上のカテゴリーに挑戦していることに気がつく。通常15歳で参戦する125ccのロータックスマックスクラスの練習を7歳で開始、18歳で参戦するミッション付きクラスの練習に8歳で着手。そして昨年、小学生としては世界で初めてフォーミュラカーを走らせた。英樹さんは次のように話す。

「子どもの頃は理屈より経験を通して成長していく。技術や体の使い方も自然に覚える。体自体もそれに対応したものになっていく。その貴重な時間にできるだけ多くの経験を積ませたかったのです」

樹潤さんがカーレースに魅了された理由を父の英樹さんは「競争する楽しさ、優勝したときの喜び、頑張れば結果につながることがモチベーションになったのではないか」と言う(撮影:田川基成)

冒頭に記したようにフォーミュラカーの運転は過酷だ。最大4Gもの体にかかる負荷に耐えて3〜4時間練習する。引退したとはいえ元レーサーの英樹さんでさえ、今1時間も乗るとヘトヘトになるほどの運転を、華奢で「長距離走は苦手」という樹潤さんになぜできてしまうのか。英樹さんは、データを取ったわけではないがと断りつつ、「小さい頃から少しずつ積み重ねた練習の結果ではないか」と言う。

「僕自身の経験から、今何をやるのがベストかを考えてやっています。なかには『親のエゴで無謀なことをさせて、虐待だ』と批判する人もいます。でも本人がプロを目指す、やりたいと言っているから協力しているだけです」

岡山国際サーキットでの練習日。英樹さんが樹潤さんと会話しながら、ヘルメットを被せ、準備をする(撮影:田川基成)

“勝てないわけがない”と思ってレースに臨む

“勝ち癖”をつけるのも野田流だ。たとえば8歳で参戦した125ccロータックスマックスクラスでは年間4回出場し、全勝している。英樹さんによれば、勝てると確信できるまで練習してからレースに出場するからだという。

「“絶対に勝てる、勝てないわけがない”と思ってレースに臨んで、実際に勝つ。それを繰り返していると、自分にはすごい才能が備わっていると脳が勘違いするんです。でも負けると悔しいから、大泣きする。だからさらに練習する。その繰り返しが勝ち癖をつくるのです。逆に、そこそこの練習で負けを繰り返すと、先に言い訳を考えるようになって負け癖がつく。勝負師になるのなら、勝ち癖をつけながら負けず嫌いにした方がいい」

調整のためピットインする樹潤さんの車(撮影:田川基成)

勝負の世界。父とはいえ、話題がレースになると自ずと言葉も厳しくなる。だから雅恵さんは、レースの前に「終わったらデザートを食べに行こう」と声をかけるなど、リラックスさせる役割に徹している。

「バレエを長くやってきて思うのは“笑顔でいるといいことにつながる”ということ。笑えたらリラックスできている証拠。だから樹潤には、『つらいことがあっても笑っていたほうがいいことあるよ』と言っています」

英樹さんと、妻の雅恵さん。樹潤さんには中学3年生の姉と小学1年生の弟がいる。雅恵さんは「やりたいこと、目指すものがあればそれを家族が応援するのが野田家の方針」と言う(撮影:田川基成)

英樹さんが運営する「NODAレーシングアカデミー」=岡山県美作市(撮影:田川基成)

「心配」は親の弱音

野田さん一家はいま岡山県美作市に住んでいる。2013年に設立した「NODAレーシングアカデミー」の拠点を2年前に栃木県から岡山国際サーキット近くに移転した際、移住したのだ。樹潤さんも平均して週に2回は同サーキットで練習できる環境が整った。

昨年12月、樹潤さんは大きな試練に見舞われた。練習中にアクセルが戻らなくなるトラブルが起き、コース脇に突っ込んだのである。「すごいクラッシュ」という一報を聞いた雅恵さんは、自分で制御できないほど体が震えたという。

樹潤さんが小さい頃の写真を収めたアルバム(撮影:田川基成)

検査の結果、奇跡的に脊椎の捻挫だけで済んでいることがわかり、雅恵さんが病院にかけつけたときには「お腹すいた」と無邪気な表情を見せた。事故の翌日には退院することもできた。

ただ、それからの対応には慎重を要した。恐怖を克服できるかということだ。数日たって英樹さんは樹潤さんにこう言った。

「マシントラブルは、これから先もあると思う。もしそれが怖いと思うんだったらもうやる必要はない。それは自分で決めること。パパのためにレースをやっているわけではないからね。ここまでパパがやってくれているんだからやめられないなとか、そういうことをカケラでも思うんだったら、パパはそっちの方が悲しい。それならやめたいと言ってくれた方がうれしいよ。だからよく考えてみて」

コックピットに乗り込む樹潤さんとサポートする英樹さん(撮影:田川基成)

それに対し樹潤さんはこう答えたという。「そういうこと(事故)があるのは分かるし、やりたいからやる」

ほどなくサーキットに戻り、練習再開。最初の2~3回こそ、事故の場所に行くとスピードが落ちたが、それ以降はアクセルを踏み込めるようになった。

英樹さんの中には、親の目線とレーサーの目線の二つが交錯する。

「親目線で言えば心配ですよ。でも、本人が速く走れるよう頑張っているのに親が心配だと弱音を吐いていたら、本人に対して失礼だし、応援にもならない。このままいけばとんでもない選手になる可能性がある。だから、アクセルをそれ以上踏んで欲しくなくても『踏んでいけ』と言う。やると決めた以上は、覚悟しているわけですから」

「負けても負けてもあきらめない」

この親子の合言葉で、日本人初の女性F1レーサーを目指す。

走行の直後、「あのコーナー、スピード落としすぎじゃないか?」と聞く英樹さん(撮影:田川基成)


西所正道(にしどころ・まさみち)
1961年、奈良県生まれ。京都外国語大学卒業。雑誌記者を経て、ノンフィクションライターに。著書に『五輪の十字架』『「上海東亜同文書院」風雲録』『そのツラさは、病気です』『絵描き 中島潔 地獄絵1000日』がある。

[写真]
撮影:田川基成
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝

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