アイヌ民族。17世紀ごろより東北地方の一部から北海道、旧樺太(サハリン)などに定住し、自然とともに生きてきたとされる。しかし、アイヌ文化の伝承などを目的とした法律が制定されたのは、わずか20年前のことだ。それ以前は独自の文化が否定された時代もあり、いまに至るまで差別の対象となっている。和人(大和民族)との同化も進み、アイヌの伝統は途絶えつつあるという。そんな中、「文化のひとかけらがなくなってしまう」と危機感を抱き、自らの文化を学び、継承しようとする若者たちがいる。あなたはアイヌを知っていますか?(Yahoo!ニュース 特集編集部)
「後継者がいないんですよ」
札幌から南東へ、車で2時間。競走馬の産地として知られる新ひだか町。この町の静内(しずない)地区で毎年9月、アイヌの英雄シャクシャインをまつる「シャクシャイン法要祭」が催される。今年は71回目だ。
祭りは静かに始まった。午前10時、屋内で炉の火を中心に鮭の切り身が串刺しになって焼かれ、その周りを民族衣装をまとった30人ほどの男女が囲んで座った。最初に祈りを捧げるのは、人と神々の通訳とされる火の神「アペカムイ」。屋外ではシャクシャインの像を前に複数の舞踊が披露された。
年に一度の一大行事。北海道全土からアイヌの人々が集う儀式だが、今年の会場をのぞいてみると中高年者の姿が目立った。
「僕が最年少ぐらいな感じなんですね。僕は50歳なんですけど。場合によっては70歳という方もおります。(若い世代が)10人くらいいてくれれば行事の進行も楽になるかなと」
運営を仕切る、「新ひだかアイヌ協会」の民族文化専門員の菅原勝吉さん(50)は若者の不在を嘆いた。
菅原さんは語る。
「協力してくれる30代40代は少ない状況で、後継者がいないということなんですよね」
そんな中、20歳前後の若者が3人、裏方として奔走していた。いずれもアイヌで、大学の課外活動でアイヌの言葉や舞踊などを学ぶ学生だという。彼らは自らの文化をどのように捉えているのだろうか。まずは、法要祭の様子と、若者らの姿を動画(約10分)で見てほしい。
同化政策で薄れるアイヌの民族意識
そもそもアイヌとは、どういう人たちか?
東北地方北部から北海道、旧樺太(サハリン)、千島列島にかけての地域で生活してきた先住民族で、かつては、狩猟、漁労、採集を行い、自然と共生してきた。しかし、その歴史を見ると、和人(大和民族)によって支配・差別されてきたことが分かる。
アイヌと和人との確執は数百年前からあった。その関係が決定的になったのは、1899年に制定された「北海道旧土人保護法」。明治政府は「保護」を名目に、アイヌの土地の没収、漁業・狩猟の禁止、アイヌ固有の習慣や風習の禁止、日本語の義務化、日本風氏名への改名などを強制した。こうした政策は和人との同化を進め、差別も生み出した。
1997年、アイヌ文化の振興などを目的としたアイヌ文化振興法(アイヌ新法)が制定された。
それでもアイヌとしてのアイデンティティーを持つ人は、減少しているという。北海道の2013年の調査によると、道内に住むアイヌの人々のうち把握できたのは1万6786人。アイヌの血を受け継いでいると思われても、本人がアイヌであることを伏せている場合は調査対象とならず、正確な実態は分かっていない。
アイヌとしての生きづらさ、いまも
動画にも登場した、札幌大学3年の芦沢一行さん(21)は、法要祭が行われた静内地区の出身。父親がシャクシャイン像の立つ公園の管理人だったこともあり、幼い頃からアイヌ文化に触れてきた。ところが、地元の同世代の友人らの中では、差別などを意識してアイヌであることを公にしている人は限られていたという。
「名字などから、『あれ、ウタリ(アイヌ)だぞ』という人がいたにはいたんですけど、素性を隠す感じですね。アイヌを隠している人が多いんですよね。学校で事実上(自分のことを)アイヌって言っているのは僕一人でしたね」
芦沢さんは、顔立ちなどからアイヌの人々が依然として差別されていると感じたという。
「(自分自身)小学校の頃はちょっとしたいじめにあったり…なかなかつらい。中学高校の頃にも『お前アイヌだろ』みたいなちょっと茶化す感じで言われたので」
転機となったのは札幌大学への進学だった。同大学では通常の授業後の課外活動としてアイヌ文化を学べる場があり、芦沢さんはここで、同世代のアイヌの学生と関わるようになった。
「高校までは(アイヌを)馬鹿にする人間しかいないのかなって感覚が(あったが)、大学に入って『こういう人たちが本当にいたんだ』と思えたんです。(最初は)半信半疑の状態でいたんですよ」
大学でアイヌ文化を「育て合い」
課外活動は「ウレシパクラブ」と呼ばれる。ウレシパとは育て合いの意味。学内の教室や部室で週に2回、夕方から夜にかけて行われ、アイヌの中高年者らを講師に招くなどして言語や歴史、歌唱、舞踊など、アイヌ文化を学んでいる。メンバーは17人。うち12人がアイヌだ。シャクシャイン法要祭の裏方として芦沢さんとともに活動した男子学生2人もウレシパクラブの後輩だ。
上河彩さん(20)はウレシパクラブのことを知り、札幌大に入学した。
「(高校時代に)自分にアイヌの血が流れていることを知って、学びたいなと思ったのがきっかけです。同級生のお母さんはアイヌ文化を伝承していて、そういうのに関われないのかなあというのはありました。アイヌ文化を学んでいるのが楽しいです。最初は踊りだけだったんですけど、歌も喉の使い方とかでき始めて、それも楽しいです」
伊藤琢巳さん(20)は2014年に札幌市議がツイッターで「アイヌ民族はもういない」と投稿したことをきっかけにウレシパクラブに入ったという。
「自分がアイヌだということは知っていたので、周りにアイヌの親戚とかいるんですよ。その発言を聞いて、その(親戚の)人たちがなかったことにされるのが正直腹が立って。どうしても反論したいんだけど、アイヌ文化に関して何も勉強していなかったんで、何もいえない自分が悔しくて…」
「風向き変わった」と専門家
ウレシパクラブは2010年度、同大教授の本田優子さん(60)によって立ち上げられた。本田教授はアイヌ文化が専門。アイヌの若者に自らの文化を勉強する場を提供したい、と考えたという。
「昔はアイヌだってなったらすごい差別されたわけですよ。民族差別が激しくて。それでみなさんアイヌであることから逃げる人が多かったんです」
内閣官房は昨年、アイヌの人々を対象とした調査結果を公表した。調査に応じた705人のうち72.1%が現在も差別や偏見が「あると思う」と回答、「自分が差別を受けている」と答えた人も36.6%いた。具体的な場面については「職場で不愉快な思いをさせられた」「結婚や交際で、相手の親族にアイヌであることを理由に反対された」などが多かった。
一方、最近ではアイヌの文化や自然観が描かれた漫画「ゴールデンカムイ」(野田サトル著・週刊ヤングジャンプ連載中)が人気を博している。
本田教授も、アイヌに対する風向きが変わってきた、と感じていると言う。
「アイヌ文化すてきねとか、アイヌかっこいいね、って言う方が増えてきました。それはとてもいいことなんですけど、子どもたちに対して『あなたアイヌなんだから、アイヌとして堂々と誇りをもって生きていけ』というわけです。でも、全くそのための材料が与えられていない。言葉も知らない、歴史も全く知らない。アイヌの若者たちはずっと悩むんですよ」
アイヌでない学生も関心
アイヌの出自がなくても独自の文化に魅了され、ウレシパクラブに入った学生もいる。原田啓介さん(21)はその一人だ。
原田さんはアイヌの歌と手拍子だけの踊りに「すごみを感じた」と言う。
「親の世代はアイヌに対して差別的な考えを持っている方が多いですよ。身近な親戚とかが『アイヌ文化学ぶのやめときな』とか言ってきたりしますね。僕はなんで学んじゃだめなんだろうって思っちゃいますね。(上の世代は)何も知らずに考え方が根付いているんだなって思います。僕ができることは教育。アイヌ民族は誇りを持って生きている、素晴らしい民族だと伝えたいですね」
文化継承、若者に期待
冒頭のシャクシャイン法要祭で登場した、「新ひだかアイヌ協会」の菅原さんは、裏方として活動した芦沢さんらにアイヌ文化の継承者としての役割を期待している。
「20代の人が祭りの中で手伝ってくれるというのは心強い。儀式全体を見渡せる環境におりますから、ウレシパを卒業して社会人になっても一緒にやってくれれば我々の後継者として、今後を背負っていけるのかな、あるいは背負ってほしいなという願望を持っております」
芦沢さんも、その期待に応えたいと思っている。
「アイヌの舞踊も文化の一つ。アイヌ語も文化の一つ。儀式作法なり、祈り言葉なりも文化の一つなので、残していかなきゃいけないですし、これが途絶えてしまったら文化のひとかけらがなくなってしまうことになる。それがそろってアイヌ文化なので。儀式も残していかなきゃいけない文化の一つとして僕は捉えています」
アイヌとして生きる
ウレシパクラブ以外にも伝統を残そうと模索するアイヌの若者がいる。萱野公裕さん(29)。高等専門学校卒業後、神奈川県で4年間機械設計会社に勤め、2013年に故郷の北海道平取町二風谷(びらとりちょう・にぶたに)に戻った。
「若手のアイヌの人たちが、どんどん二風谷を離れていく中で、誰かがそういう技術みたいなものを残していかないといけないかなと、戻ってきた感じですね。この北海道という土地で、僕たちの先祖がどうやって生きてきたんだということを、知る機会と考える機会になるかなあと思いまして」
これまでに、アイヌの伝統的家屋「チセ」の復元、修復、新築などに携わってきた。
萱野さんは語る。
「(チセは)自然の素材を自然のまま使うことが現代の建築とは違うと思うんですよね。山に生えている木って四角いわけはない。丸いんだから、うまく使える木を持ってきて余分な手を加えないで自然にあるものを使うということがアイヌの知恵なんじゃないですかね」
今後はゲストハウス経営で生計をたてつつ、アイヌの文化を学び、継承していきたいと話す。アイヌとして生きることの意味について聞くとこう答えた。
「自然とともに生きるということ。山を知るとか、川を知るとか。都会は便利だけど、不自然だと思う。物もたくさん消費するし。アイヌは物をすごく大事にしますし、全てが自然の恵みというか。僕はこの地元に帰ってきて、先祖が残したものを少しでも、また、次の世代に伝えていけるように、そういう活動に、関われたらいいなあと思っています」
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[制作協力]
オルタスジャパン
[写真]
撮影:小荒井隆、野口隆史、オルタスジャパン