「こんばんは、方丈豊です。大変お暑うございます」―。毎月最後の月曜日、夜7時半。富山刑務所では、軽快なディスクジョッキー(DJ)の声でラジオ番組が始まる。DJは番組で「後ろ指をさされるような大人になるなと言われましたが、程遠い人間になってしまった」といった受刑者のメッセージを読み上げ、リクエスト曲をかける。刑務所内だけで放送される「刑務所ラジオ」。番組を作るボランティアたちを富山県と和歌山県の刑務所に訪ねた。(Yahoo!ニュース 特集編集部)
38年続く「塀の中」のラジオ
富山刑務所は、富山駅から南へ車で20分ほどの場所にある。高い塀の向こう側で「730ナイトアワー」が流れるのは、毎月最終月曜日の夜7時30分から9時まで。初回の放送は1979年12月20日で、今年38年目になるという。
第427回だったこの7月31日の放送でも、「方丈豊」さんの語りは軽妙だった。本名は川越恒豊さん、76歳。富山市内にある清源禅寺の住職だ。かつて地元の民放ラジオ局でDJをやっていたことがある。38年前にボランティアで刑務所ラジオのDJを引き受け、これまで一度も休んだことがない。
女性2人を交えての「730ナイトアワー」はこの日も快調に続いた。どんな番組なのだろうか。番組を通じて受刑者のどんな思いが流れているのだろうか。まず、動画(約8分)を見てもらいたい。
200文字のメッセージ
「730ナイトアワー」は毎回、受刑者のメッセージを募っている。その回ごとにテーマを決め、受刑者たちは200字詰めのカードに自らの思いをつづり、曲をリクエストする。この7月は「大好物」がテーマだった。
ある受刑者は「730ナイトアワー」こそが自分の大好物ですと記し、こんなことを誓っていた。
「宣誓、私は今月の730を最後に足掛け27年にわたる730からの卒業を誓います。先生方、本当に長い間ありがとうございました。この730のおかげでつらい時や苦しい時もモチベーションを下げず心の支えとして受刑生活を送れたことに大変感謝しております。他の受刑者のエピソードに心癒やされ、最後に発表される来月のテーマに向け、頭をしぼるのを繰り返して過ぎていった受刑生活は私にとって、生涯忘れられない宝物となりました」
このメッセージが読まれた後、DJの「方丈豊」さんは冗談を交え、語り掛けた。
「まあ27年間、ご苦労さまです。本当に復帰されましたらね、730のことは忘れてください。そして、新しい物を耳に入れて、心に良いことを刻んで過ごしてもらいたいと思います。万一、この次(富山刑務所に)入られたら私はもうおりません」
番組では、亡くなった母との思い出をつづった受刑者の声も紹介された。
「ふるさとの山梨の郷土料理、カボチャほうとうが私の大好物です。特に母の作ってくれたほうとうが一番の好物です。今は、地元を離れ、母も他界しているのですが、その母の味を姉が受け継いでいるので帰省すると姉の作った母のほうとうを食するのが楽しみの一つです。心身ともに強くなれるよう残刑を務め、出所後は一番に母の墓参りに行き、姉の作ってくれる懐かしのカボチャほうとうを食べるのを楽しみの一つにしています」
番組「730」の役割とは
自身も年を取り、そろそろこの役割も終わりかなと思っても、川越さんはDJを辞めることができずにいる。「彼らは待っている」からだ。毎月、メッセージとリクエストが何十も届く。
「個別に出すと番組でなかなか取り上げてもらえないからって(刑務所内の)工場単位で来るんですよ。彼ら(受刑者)は拘禁されているけど、テレビも見られる、雑誌も読める。しかし、生の声はない。外からの生の声、フレッシュさを聴きたいんですよ」
200字のメッセージに返すコメントにも、川越さんならではの考えがある。
「極端に言うと、ニタッと笑うようなこと。彼らは自由さを奪われているから(返ってくるコメントの)その自由さの中から『早く復帰したい』という意欲が出る。取り上げてもらった喜び、(自分に)同調してもらった、共感してもらった(喜び)。そういうのが、一瞬でもいいから心の癒やしになるのかな、と。(コメントで)言葉の緩みも出しながらそれを重ねていくと、『俺もちゃんと自信持って出られるんだ』っていう、小さな芽を育てていく。それがこの730だと思っているんです」
38年間のDJ。その中には忘れ難いメッセージがいくつもあった。とりわけ、「母」をテーマにしたこの5月の番組のカードが印象に残っているという。
川越さんが忘れ難いというメッセージ。それは「母の誕生日に肩たたき券など渡したことなど色々なことが駆け巡ります」と始まり、こう続いていた。
「このリクエスト用紙一枚にはとても書ききれません。そんな母も今では76歳、お母さんは自分の趣味とかあったのかな? 自分の時間はあったのかな? やりたいこと、将来の夢とかあったのかな? この先も一日も長く私の心のアルバムに思い出を残して下さい。8月に私が出所したら何か美味しい物でも食べに行こうね、寿司かステーキかそれとも丸亀うどんでいいかな?」
川越さんは言う。
「じーんときますよ。200文字で書くのは難しいんですよ。でも、彼らは本を読んだり、話をしたりして、自分を磨いている。実にまとまっている。こちらがしゃべりたくなるほど中身の濃いメッセージを書いてくる。私の願うところは、『ここまで書けたんだから再犯が二度とないように』と。この1枚1枚を最後にしてもらいたい。施設に入るのを最後にしてもらいたい。(メッセージカードは)その約束手形。そんな感じがしています」
刑務所ラジオが後押ししてくれた
2016年3月まで富山刑務所に服役していた51歳の佐々木浩二さん(仮名)は、「730ナイトアワー」を今も忘れずにいる。16歳で暴力団に入り、18歳から覚醒剤を使用していたという。
佐々木さんのそうした日々は変わった。出所後に暴力団をやめ、富山市内にある薬物の更生施設でスタッフとして働く。2歳の時に生き別れた子どもがおり、確実に更生の道を歩んでいる。
「(メッセージカードに)書いたんですよ。『薬物更生施設に行こうと思ってますけど、どう思います?』って。僕はヤクザしかしてきてないけど、そういった世界でうまくやっていけますか、みたいな」
“方丈豊さん”はそれを読み上げ、「子どもが待っているんだったら真面目に。それも父親の役目じゃない?」と語りかけた。
「そうかな、と思って。後ろを押してくれたところはありますよね。(ラジオを)聴いたおかげで、ここにつながって僕は更生しかけている。だから感謝ですね。今、ありがとうございますと言いたい」
佐々木さんは2年10カ月の服役期間中、いきものがかりの「ありがとう」などの曲を20回ほどリクエストした。子どもへ、生まれてきてくれてありがとう、という思いを込めたという。
「ここ(刑務所の外)で聴いたって、(刑務所の)中で聴いたって思い出すことは同じかもしれないけど、(刑務所では子どもに)会いたいと思っても会えない。(曲が)かかってくると、あいつ何やってるかな、とか思い出して懐かしさが倍増するんですね」
覚醒剤を今後も断つという自信がついたら子どもに会いに行く。それが今の目標だ。
和歌山では女性受刑者のために
Yahoo!ニュース 特集編集部が調べたところ、刑務所内での独自ラジオは、富山のほか、府中(東京都)、和歌山、福岡、札幌などで実施されている。このうち、女子施設の和歌山刑務所では、「カナリアの声」という番組名で毎月2回の放送がある。今年で11年目だという。
「カナリアの声」のDJは向井千恵子さん(67)で、普段は結婚式やイベントなどで司会を手掛けている。以前に地元FM局でラジオ番組を任されていたことがあり、受刑者たちのために何かできないかと考え、刑務所ラジオが実現したという。番組は午後5時前から30分間。受刑者たちは夕食を取りながら耳を傾ける。
取材に訪れた8月。福山雅治の「家族になろうよ」をリクエストした受刑者のメッセージには、こんな文章がつづられていた。
「私は、夫も子どももいる身で、受刑生活になりました。この曲の歌詞を聴いていると、家族の大切さとありがたさが身に染みてきます。自分に大事な家族がいて、自分が一人でないことに気付かされる曲です。私は親や夫、子ども、夫の両親など、みんながいたから生きているんだと思います。親に、家族に感謝することの大切さ、今回の受刑生活でいろいろ学びました。その学んだことを社会で生かせるように、家族と一緒にこれからの人生を頑張ろうと思います」
ラジオを聴いて一歩一歩前向きに
DJの向井さんは「女性同士だから、子どものことを書くのは気持ちが分かります。涙声でリクエスト曲を紹介したこともあります。何度も声が詰まりました」と話す。とりわけ忘れられない受刑者がいる。彼女は最初、大塚愛の「さくらんぼ」をリクエストした。
「子どもさんが亡くなられたらしく、思い出すとつらいけど、勇気を出してリクエストします、と。その後、その受刑者からは何度もリクエストが届き、一歩一歩前向きになっていることが実感できたんです」
取材の日、番組の最後にこの女性のメッセージが再び紹介された。
「今までは、亡き娘との思い出の曲ばかりをリクエストしていましたが、出所を控えた今、私は長い日々を支えてくれたみんなに、私はもう大丈夫というメッセージと共にこの曲を届けたいと思います。一緒に泣き笑い、私をここまで前向きにさせてくれたみんなありがとう。最後は笑って(刑務所に)さよならができるか不安ですが、みんなが一日も早く社会復帰できることを祈っています」
この時のリクエスト曲は井上陽水と奥田民生の「ありがとう」だった。
DJを続ける向井さんは何を思っているのだろうか。
「最初は心を開かなかった方が勇気を出して、心を開いて、1年ごとに前向きになって、しっかりと元気になるのを見られる。それがうれしいです。11年続けてきましたが、辞めたいと思ったことはありません。いつになったら辞めようか、と考えたこともありません」
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[制作協力]
オルタスジャパン
[写真]
撮影:得能英司、オルタスジャパン