元兵士の自殺者は一日平均で20人、自殺率は一般市民より21%高い……。米退役軍人省は2016年、元兵士に関するそんな驚くべき数字を公表した。“死”に至らずとも、近年ではアフガニスタン戦争やイラク戦争など「テロとの戦い」で心に深刻な傷を負った元兵士も少なくない。彼らの心からは、今も戦争が消えないという。2001年9月11日の米国同時多発テロ、いわゆる「9.11」から16年。テロとの戦いに参加し、精神を破壊された元兵士たちの「心の戦争」を追った。(大矢英代/Yahoo!ニュース 特集編集部)
「毎晩、毎晩、僕が誰かを殺してるんだ」
「誰かが殺されるのを止められない。僕の体が動かない。ライフルを持っているのに、発射できない。引き金を引こうとしても動かないんだ。そしてもう一つ。僕が誰かを殺している。素手で殺す。時々は、僕が知っている人を、だ」
首都ワシントンの郊外。閑静な住宅街で暮らす元海兵隊員マット・ホーさん(44)は、そんな夢を今もよく見るという。
「なぜそんな夢を見るのか、って? 殺人が僕の実体験とつながっているからだよ。殺害の一端を担ったのは事実なんだ。僕たちは何百人も殺した。何百人も何百人も何百人も。考えると本当におかしくなりそうだ」
ホーさんはイラクに2回、アフガニスタンに1回、計3回派遣された。最後のアフガンから帰国して8年。「ポスト911」の戦争を経験した一人であり、今も心から戦争を追い出せない。夢にうなされ、夜中に大声をあげて飛び起きる。睡眠不足が続き、まともな日常生活も送れず、治療薬を手放せない。
なぜこんなことが起きているのだろうか。ここで動画を見てもらいたい。約1分の映像にはホーさんの思いが詰まっている。
海兵隊員として初任地は日本
ホーさんは20代後半の3年間、日本にいたことがある。1998年に海兵隊士官学校へ入り、13週間の初年兵訓練を終えて尉官に。その後の初の海外任地だった。
「(士官学校では)上官への返事が『イエッサー(Yes, sir)』じゃないんだ。『食堂に行け』と命令されると、僕らは『Kill!(殺せ!)』と叫ぶ。『食べろ』と命令された時も『Kill!』、食事が終わって『片付けろ』にも『Kill!』。人を殺す訓練を徹底的に受けるんだ」
日本では、沖縄県名護市辺野古の海兵隊基地、キャンプ・シュワブに所属した。現在、日本政府が新基地建設を進めている場所である。
「あの頃は毎日忙しく仕事して、毎日忙しく遊んでいた。それでうまくいっていた。ただ命令に従っていたんだ。物事を深く考えなかった。まだ何も失っていなかったし、まだ何も見ていなかったんだよ」
そして「9.11」が起きた。
旅客機2機がニューヨークの世界貿易センタービルに突っ込み、超高層ビル2棟が崩壊した。国防総省(ペンタゴン)にも旅客機が突っ込んだ。
あの歴史的事件について、当時のブッシュ政権は国際テロ組織「アルカイダ」によるテロと断定。テロ組織の温床になっているとして、イスラム組織「タリバン」が政権を握るアフガニスタンに侵攻した。2003年には「大量破壊兵器を保持している」としてイラクとも戦争を始めた。
ホーさんは振り返る。
「悪のタリバンを倒して、民主的な政治を築く。(イスラムの)女の子たちが教育を受けられる……すばらしい、単純な筋書きだった。多くの米国市民は、911にイラク人が関わっている、と信じていたしね。当時の米国はとにかく、興奮していた。恐怖とリベンジと興奮だよ」
「このままじゃ、戦場に行けない」と焦る
イラク戦争が始まった2003年3月、ホーさんはペンタゴンで内勤だった。戦死した兵士たちの遺族に「お悔やみ」の手紙を書く仕事だったという。そのオフィスのテレビが戦場を映している。彼はその時、焦った、と言う。フセイン像が倒れる様子も見た。
「(その場にいなかったことが)悔しくて、失望して、イライラして。このままじゃ戦場に行けない、って。焦って。他の同僚たちも同じさ。だからすぐ、戦闘部隊の交代要員に応募したんだ」
希望が通り、彼は2004年と2006年の2回、イラクへ行く。「本当の戦争」を知ったのは、2回目のイラク行きだった。
「道路や建物などに仕掛けられたIED(手作り小型爆弾)や爆発物、それらの処理が僕の任務だった。何しろ、IEDに引っ掛かったら一瞬だ。大爆発。閃光、爆音、粉塵。周囲の全員に衝撃が走って、しばらくすると、やっと、誰が殺されたのかが分かるんだよ。戦友が死んでいるんだ、血を流して。ヘマをすれば仲間が死ぬ、自分も殺される」
でも、もっと恐ろしいのは、とホーさんは続けた。
「自分のせいで誰かが死ぬことなんだ」
「何百人も何百人も何百人も殺した」
イラクで米軍は各所にチェックポイントを設けた。街との出入り口にあり、車は一定の低速で走らなければならない。敵の移動や武器輸送、不正な資金移動などを阻止するためだ。疑わしい車両は捜索対象になる。
ホーさんが示したパソコンの画面。道路の向こうにモスクが見える。このチェックポイントで任務に就いたという。
チェックポイントでの任務とは、どんな内容だったのか。それを尋ねると、突然、彼の言葉が途切れ始めた。うつむき、目を閉じる。次の言葉がなかなか出てこない。
「実際は……それは、つまり……僕らは……」
また途切れた。
「僕らは……(そこで)何百人も何百人も殺したんだ。何百人も、何百人も、何百人も殺した。考えただけでおかしくなりそうだ……。家族と一緒に自宅に帰ろうとしていた人、友だちのところに行こうとしていた人が(米兵によって)命を奪われたんだ。なぜ、あんなことが起きたのか? ただただ単純な理由だった。なぜなら……止まるべき地点で止まらなかったり、ゆっくり走っていなかったり、と。(彼らが攻撃してくるんじゃないかと)米兵自身が怖くなったんだ。あるいは、単なる誤解だった。海兵隊員はアラビア語が分からない。イラク人は英語が分からない……そして戦争だ。僕らがイラクに攻め込んでいた」
今も誰かが僕を殺そうとしている
「9.11」から6回目の9月、ホーさんは2度目のイラク派兵から帰国した。変調はここから始まったという。海を見た時、突然、イラクで溺れ死んだ友人の映像がフラッシュバックして現れたという。「彼を助けられなかった。ひどい罪悪感があるんだ。それが蘇ったんだ」
それから心の中の戦争が始まった。自分の中には悪魔がいる、と彼は言う。ふさがっていたはずの傷口が一気に開いたのかもしれない。
殺されたイラク人、殺されるかもしれない、仲間が死ぬかもしれないという恐怖。次から次に「死」が出てくる。「あれから元に戻れない。人生が変わったんだ。酒、自殺願望。状況は良くならず、もう『戦争と縁を切るしかない』と」
軍隊を辞めても、心の中での戦いは終わらなかった。常に周囲を警戒し、人と目を合わすことができない。室内では「入り口から武装した人が入ってくるのではないか」という恐怖を感じ、脱出用の出口をいつも探す。
アルコール中毒になり、自殺を図ったこともある。その後、専門的なセラピーを受け、投薬治療が始まった。今も中枢神経への注射を定期的に続けている。
元兵士たちの団体、シカゴに集う
ホーさんのような苦しみは、実は多くの元兵士たちに共通している。
この8月中旬、元兵士たちでつくる「ベテランズ・フォー・ピース(VFP)」(平和のための元軍人の会)の年次総会を取材するためシカゴに足を運んだ。団体は1985年にでき、既に30年以上の歴史を持つ。今年は国内外の120支部からメンバーが集まり、過去の経験に苦しむ男性もやってきた。
会場に入ると、地元のシカゴ出身で、「9.11」をきっかけに入隊したという元陸軍兵、ローリー・ファニングさん(40)が「僕は次の911を止めたくて入隊したのに、実際には戦場で一般人を犠牲にしてしまった。その結果、次のテロリストを生み出したんだ」と訴えていた。
元米海軍士官のファビアン・ビオチレッテさん(36)は「全ての元兵士たちはPTSDを抱えている。簡単には治らない」と語った。2003年から第7艦隊の横須賀海軍基地に所属し、2004年にイラク戦争に参戦。この戦争に正義はない、ビジネスのための戦争だと感じ、自ら除隊したという。
PTSDとは「心的外傷後ストレス障害」のことで、強烈なショックや強い精神的ストレスを経験すると、後遺症が残り、時間がたっても恐怖を感じるなどの症状が出る。
「僕も未だに軍艦の夢を見る。再入隊させられる夢も見ます。時に強烈なものもある。自分だけじゃない。みんな、幻覚や妄想に苦しんでいるんだ。いつも周りを警戒してきょろきょろしたり、危険なものはないかを確かめたり。リラックスなんか、できません。いつも緊張状態にある。あの戦争を経験した元兵士たちは、背後が怖い。だから椅子に座るときには、壁に背中をくっつける。そうしないと安心できないんです」
ベテランズ・フォー・ピース(VFP)のPTSD専門チーム、サム・コールマン主任によると、これら戦争のトラウマ体験に基づくPTSDに加えて、元兵士たちは「モラル・インジャリー(良心の傷)」に苦しんでいるという。
「間違いを犯したという罪悪感。人間は、互いに信頼し合い、互いに守り合う社会的な動物です。共感、同情、協力という能力があります。戦場にはそれがないから本能で苦しむ。また、『この家に敵がいる、襲撃しろ』と命令されたのに、実際には一般家庭だったとか、そういう状態が続くと、絶望感が生まれます」
社会の無関心も元兵士を追い込んでいく。ビオチレッテさんはこうも言った。
「軍隊を辞めて、リアル・ワールドに帰ってきたら、もう誰も戦争になど関心を持っていませんでした。多くの税金は軍事に使われるのに、誰も気にしていない。だから、多くの元兵士が胸に秘めているのは、怒り。怒りだと思います」
「正義」はどこにあったのか
米当局によると、「9.11」の実行犯の大半はサウジアラビア出身者で、アフガンとは無関係だった。イラク戦争の開戦理由だった「大量破壊兵器」は見つからなかった。後になって知ったそれらの事実に、ホーさんは苦しんできた。いったい、何のためにイラクの市民、米軍の仲間は殺されたのか。何のための戦争だったのか。
2016年2月、彼はトラウマ性の脳障害と診断された。
「正義の戦争は全て嘘だった。僕は豊かな道徳心があると思っていたし、自分でいい人間だとも思っていた。けれど、僕は間違ったことをしたんだ。道徳的な人間になろうとしても、いい人間になろうとしても、もうなれないんだ」
ホーさんは言う。
「死んでから何日も放置されている子どもも見たよ。海兵隊員が撃たれるのも見た。うめき声、白目……。ある時、イラクの街中を歩いていると、女性が僕を見ているんだ。その目に映っていたのは……憎しみだ。あんな憎しみの顔、僕は見たことがなかった。心から僕を憎んでいた。たぶん、僕らが彼女の子どもを殺したんだと思う。それが戦争なんだ。でも、それを支え続けることは間違っている」
米退役軍人省が昨年8月に発表した元兵士たちの自殺に関する調査結果によると、2014年には一日平均で20人が自殺した。そのうち65%が50歳以上で、自殺者の大半はベトナム戦争に従軍していた。若い時には何とか心の傷を抑え込んでいたとしても、高齢化によって友だちを亡くしたり、仕事を失ったりすると、精神的にも肉体的にも耐えきれなくなるという。
最後に別の動画(約7分)を見てもらいたい。ホーさんの肉声が、表情やしぐさと共に詳しく映っている。今も続く心の戦争とは、いったい何だろうか。
大矢英代(おおや・はなよ)
琉球朝日放送記者を経てフリージャーナリスト。ドキュメンタリー作品を制作中。
[写真]
撮影:大矢英代、提供:マット・ホー氏、イメージ:アフロ
[動画制作]
大矢英代