田川基成

卓球で生きていかなくてもいい―― 張本智和・両親の子育て力

8/21(月) 9:56 配信

6月、世界卓球選手権男子シングルスで、13歳(当時)の張本智和選手がベスト8に入り、世界を驚かせた。若くして頭角を現すジュニア世代の選手たちはどのように育ってきたのか。ともに元プロ選手という両親に話を聞いた。
(フリーライター・島沢優子/Yahoo!ニュース 特集編集部)

張本智和選手の母・凌(りん)さん(左)と、父・宇(ゆう)さん(撮影:田川基成)

「トモは卓球で生きていかなくてもいい」

6月にドイツ・デュッセルドルフで行われた2017世界卓球選手権。男子シングルスで、張本智和(14=JOCエリートアカデミー)が大会史上最年少でベスト8に入り日本を沸かせた。卓球王国・中国代表の監督をして「神童」と言わしめ、地元ドイツ紙からは「百年に一人の天才」と評される報道がなされた。

小学1年生から年齢別の全日本選手権で7年連続9回の優勝。中学1年の昨年は、18歳以下で争う世界ジュニア選手権を大会史上最年少(13歳163日)で制した。

6月4日、世界卓球男子シングルス準々決勝で、世界ランキング第3位の中国の許昕(シュー・シン)選手と対戦した(写真:なかしまだいすけ/アフロ)

怪童を育てたのは、かつて世界選手権中国代表だった母・凌(りん=44)と、中国の国体男子ダブルスで3位になったことのある父・宇(ゆう=47)。

両親ともに元プロ選手という卓球一家なら、どんなスパルタ? 英才教育? と想像してしまう。

そう話すと、宇は右手と首を横に振って笑い飛ばした。

「妻なんて、いまだにトモ(智和)は卓球で生きていかなくてもいいと思ってますよ」

それはいったいどういうことなのか。

仙台市内にある張本卓球場(撮影:田川基成)

凌と宇はともに中国・四川省の出身である。それぞれ1990年代に現役を引退した後、指導者の道へ進んだ。凌はマレーシア女子代表の監督を務め、宇は中国で10代の選手を中心に指導した。

その後、宇は大阪などいくつかの土地で子どもたちに卓球を教えたのち、仙台ジュニアクラブのコーチとして招かれ、1998年に宮城県仙台市にやってきた。その地で凌と結婚し、2003年に智和が誕生。現在は市内で「張本卓球場」を経営している。

「ヒトデ」が説明できず大泣き

息子の活躍に、母はいたって冷静だ。

「卓球だけできればいいわけじゃない。勉強もしっかりやらなくてはダメだと、智和にはずっと言い続けてきました。アスリートはいつケガをするかわからないし、トップまでいくのも大変ですから」(凌)

六つの卓球台を備える張本卓球場。仙台ジュニアクラブの選手たちが練習するほか、一般の人でも会員制で利用することができる(撮影:田川基成)

小学1年から学習塾へ。ほぼ同時期に英語教室にも入れた。どちらも両親が教える卓球クラブの仲間が通っていた影響で、自分から「通いたい」と言い出した。

「自分たちでは学校の勉強を教えられないというのもひとつの理由です。算数は教えられても、ほかの教科は難しかったから」(宇)

家では中国語で話したが、子どもの吸収力は凄まじく、智和も五つ下の妹美和もどんどん日本語を覚えた。学校から親宛てに配られたプリントは、子どもたちが中国語に翻訳して教えてくれた。

妹の美和さんも将来が有望視される選手だ(撮影:田川基成)

異国で生きる切なさも味わった。ある日、張本が理科の教科書を持ってやってきた。

「ヒトデって何?」

宇は丁寧に教えた。ただし、中国語で。

翌日、学校でヒトデに関する発表があったが、中国語で理解した張本はそれを日本語でうまく説明できなかった。家に帰ってから、大泣きされた。

「そんなこともあったね」と父は笑って振り返るが、親としては辛かっただろう。

子どもたちの成長する姿を収めた張本家のアルバム(撮影:田川基成)

「みんなに世話を焼かれて大きくなった」

「張本智和後援会」副会長の橋本久仁子さんは、張本が生まれる以前から一家をよく知るひとりだ。すでに成人した息子たちがまだ小さかった頃、仙台ジュニアクラブに通わせ、張本夫婦に指導してもらった。

「凌さんは主に未就学の小さい子を教えていましたが、本当に上手でした。小さい子はラケットに当たったり、当たらなかったりするのですが、最後に必ず当てさせていいイメージで練習を終わらせる。『ハイ、上手ね』って言って。宇さんも同じ。子どもが卓球を好きになる教え方をしてくれた」(橋本)

子どもたちを指導する凌さん。鏡ごしに宇さんの姿も見える(撮影:田川基成)

2003年に張本が生まれてからは、子どもの送迎や練習の見学に来た親たちが交代で子守をしたという。図書館に勤めるある母親は定期的に新しい本を借りては持ってきてくれた。

「(智和くんは)『これ読んで!』って、次々絵本を持ってきましたね。そうやって、いろんなおばさん、おじさんに世話を焼かれて大きくなった」(橋本)

一方で、父と母は、張本や妹の美和が熱を出しても、何事もなかったかのように卓球場に現れた。自分たちの都合で練習を休むことはなかった。心配した橋本らが「ついててあげて」と言っても、「今は通ってきてくれる子どもたちのほうが大事だから」と笑顔で答えたという。

張本智和後援会副会長の橋本久仁子さん。「夫婦ともに、(卓球場に通ってくる)この子たちを育てるんだという責任感が強かった」と話す(撮影:田川基成)

知らない土地で子育てをする若い夫婦を、卓球教室に通う親たちは国籍の壁を越えて応援した。

「いつか選手ではなくなるのですから」

張本は、2014年に10歳で、父や妹とともに日本に帰化した。日本代表として五輪など世界舞台で戦うためだ。それまでは中国名の張(ザン)を名乗った。

小学生時代は、テストの点数はほぼ100点。凌と宇は、海外遠征も夏休みなどに絞り、学校を休ませなかった。

文武両道を貫かせる母の姿勢は、連日の快進撃で日本に張本フィーバーを巻き起こした世界選手権期間中でも変わらなかった。ドイツから「勝ったよ」と張本が電話で報告すると、凌はこう返した。

「良かったね。ところで、今日は勉強しましたか?」

帯同していた宇は「ドイツに来てまで? って呆れた」と思い出し笑いする。

宇さんは「私は勉強には甘い。妻は卓球に甘い。ちょうどバランスが取れている(笑)」と話す(撮影:田川基成)

凌は言う。「いつか選手ではなくなるのですから」

母がこのような子育てを選択したのは、自分の経験からだ。

凌は、一人っ子政策が始まる前の1973年に生まれた。卓球で大勢の子どもの中から選ばれ、厳しい指導を受けた。その間に、トップアスリートへの道からどんどんこぼれていく仲間を見てきた。

中国での選手時代を多く語らない凌に代わって、宇は言う。

「妻のほうが僕よりもエリートなんです。五輪出場はかなわなかったが世界選手権に出ている。それなのに勉強もできたと聞く。彼女はきっと大学に行きたかったと思う。だから、トモに卓球だけじゃないよと言うんです」

仙台ジュニアクラブの仲間たちと。小学校では仲間から「ザンくん」と呼ばれる人気者だった(撮影:田川基成)

母が決断した「子離れ」

凌も宇も、わが子の卓球に熱中するあまりプレッシャーをかけてしまう親の姿や、スパルタ指導でつぶれる子どもたちを、中国でも日本でもたくさん見てきた。

「私は小学生から卓球の学校に通ったけれど、何十分も歩いて自分で通っていた。でも、日本はそんなに遠くなくても車で親が送り迎えする。自分の子がかわいいのはわかりますが、過度に世話を焼かれる子どもにはそれが重圧になる」(宇)

凌は張本の卓球の戦果にほとんど一喜一憂しない。卓球を教えたのは小学校低学年くらいまで。そのあとは夫に託し、自分は早々と手を離した。

(撮影:田川基成)

中学からは、日本オリンピック委員会が、五輪をはじめとする国際大会で活躍できる選手を育成するために行っている「JOCエリートアカデミー」に預け、海外遠征も夫やエリートアカデミーのコーチたちに任せている。

「二人して卓球のことをガンガン言ってしまったら、トモは卓球を嫌いになったかもしれない」(宇)

ナショナルチーム男子監督の倉嶋洋介は、張本家の「子育て力」をこう分析した。

「智和の武器は学ぶ姿勢と頭の良さだと思う。両親のおかげで学習習慣ができているため、卓球でも未知のことを学ぼうとする意欲が高い」

倉嶋洋介・卓球日本男子監督(左)と張本。世界卓球選手権2017にて(写真:なかしまだいすけ/アフロ)

加えて、工夫する力も高いという。

「バック側を攻めろと言うと、100パーセント、バックを攻めることしかやらない子が少なくない。ところが、智和は例えばフォア側に1本入れて相手が油断したところでバックを攻めるなど、創意工夫する。こういう(自分で考える)力は僕らコーチが引き上げるのはなかなか難しい」

ギリギリの勝負を分けるのは人間性

国際卓球連盟(ITTF)副会長で日本卓球協会副会長の前原正浩は、「(張本が)中国語、日本語のバイリンガルであるうえに、親が英語を習わせたことも大きなプラスだ」と話す。

世界を転戦するアスリートは、異国の会場で物怖じすることなく「トイレどこですか?」などと平気で尋ね、自分でサッサと動けることが重要だという。小さなことに見えるが、そんなことも世界で戦う力になる。

日本卓球協会副会長の前原正浩さん(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

「五輪でメダルを取りに行くには卓球だけやっていても強くなれない。いろんな経験をして、人間の器とか厚みをつけることが重要。試合の最後、ギリギリの場面で勝負を分けるのは人間の力なんです」

賞状やトロフィーをもらった翌日、学校に行く前に必ず父はこう戒めたという。

「小学校ではチャンピオンではない」

3年後、張本は高校2年生で東京五輪を迎える。日本中が熱狂するなか、母はいつも通り息子に言うだろう。

「今日は勉強しましたか?」

(文中一部敬称略)

(撮影:田川基成)


島沢優子(しまざわ・ゆうこ)
フリーライター。筑波大学体育専門学群4年時に女子バスケットボール全日本大学選手権優勝。英国留学を経て、日刊スポーツ新聞社東京本社でスポーツ記者として、サッカー、ラグビー、水泳、バレー、バスケットボール等を取材。1998年よりフリー。著書に『左手一本のシュート 夢あればこそ!  脳出血、右半身麻痺からの復活』、『桜宮高校バスケット部体罰事件の真実 そして少年は死ぬことに決めた』など。最新刊『部活があぶない』。

[写真]
撮影:田川基成
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝

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