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臓器提供者になったわが子 ――「家族に遺された光です」

8/23(水) 10:15 配信

この世には臓器移植によってしか完治できない病気がたくさんあり、多くの人が臓器の提供を待っている。もちろん、子どもも。しかし、子どもの臓器移植では、移植を受けることも、臓器の提供者(ドナー)になるにも、多くのハードルや親の葛藤がある。「脳死」状態になったわが子を前に臓器提供を決意した2組の夫妻。その物語を追いながら、臓器移植のいまを考えた。(Yahoo!ニュース 特集編集部)

「心臓移植以外に治療法はありません」

大阪府大東市に暮らす森本隆さん(55)、陽子さん(50)夫妻の一人息子、康輝君は7歳の時、「拡張型心筋症」と診断された。心臓の筋肉の収縮能力が低下し、血液を送り出すことができなくなる病気だ。完治は難しく、心臓移植以外に根本的な治療法はないとされる。

一人息子が臓器提供者になった森本隆さん・陽子さん夫妻(撮影:オルタスジャパン)

診断から3年後の2004年2月、康輝君は心臓の移植手術を受けるため、家族とともにドイツに行く。日本の臓器移植法は当時、15歳未満の子どもを臓器の提供者として認めておらず、日本にいたままでは適合する心臓の提供を得られない状況だった。

ドイツに渡った康輝君は、どうなったのだろうか。「その後」の物語をまずは動画(約6分)で見てほしい。

移植のためドイツへ

ドイツへ渡った康輝君は現地で容態を悪化させ、10日もしないうちに「脳死」の判定を受けた。移植手術に至る前のことだ。医師は「あと2〜3カ月早ければ助かる見込みがあった」と告げたという。そして、移植を受けるはずの康輝君は逆に、ドイツでドナーとなったのである。

あれから13年。異国で一人息子を失った父は振り返る。

息子のことは毎日思い出す。居間には今も骨壺がある(撮影:オルタスジャパン)

「むしろ(息子の臓器を)提供しなかったら後悔しているんじゃないか、と。(生前に)息子とそういう話ができていたから、すぐに提供できた。そういう会話って、大切だなあと感じますね」

――提供を受けたドイツの方に会いたいと思いませんか?

「それは思わないですね。私も(提供を)待っていた。そういう方の気持ちが分かるものですから、(息子の臓器を)もらってくださった方には、人として、精神的にも肉体的にも特にハンディなく、すくすく大きくなってほしい、と。そう願っています」

森本さんは康輝君との思い出を、日本臓器移植ネットワークの小冊子に載せた(撮影:オルタスジャパン)

臓器移植法は改正されたが…

康輝君の他界から6年後の2010年、日本では改正臓器移植法が施行され、15歳未満でも家族の承諾があれば、脳死での臓器提供が可能となった。それでも、実際の移植が急速に浸透しているわけではない。

日本臓器移植ネットワーク(JOT)によると、脳死下のドナー総数は2016年、64人(移植できる臓器の全てが対象)。うち18歳未満は3人に過ぎなかった。また、JOTに登録し心臓移植を待つ15歳未満は今年6月末時点で39人を数える。ドナーの数が圧倒的に不足する状況は、康輝君のドイツ渡航時と変わっていない。

ドイツへ渡る前の康輝君。2004年2月(写真:森本さん夫妻提供)

移植の盛んな欧米

康輝君をドイツで受け入れたのは、南和友医師(71)だった。当時は、同国北部ノルトライン・ウエストファーレン州のバードユーンハウゼン心臓病センターで副所長。現在は、群馬県渋川市の北関東循環器病院で院長を務める。

ドイツでは移植手術が盛んで、南医師もこれまでに1500例を超す移植に関わったという。日本移植学会によると、100万人当たりの臓器提供者は、2012年時点でドイツで12.8人だった。これに対し、同年の日本はわずか0.9人。一方、移植の盛んな米国では、26人に上った。

北関東循環器病院 南和友院長(撮影:オルタスジャパン)

日本では臓器移植がなかなか浸透しない。その背景には、脳死判定医の不足、病院の負担、医療機関の連携不足などがあると南医師は指摘する。そして、こうも言った。

「死がどのように定義されるかなんですね。心電図が『タッ、タッ、タッ、ピー』って。日本ではそれ(心停止)を死だと思っているんです。だけど、人の死には脳死というものがあって、世界中ではそれを人の死だと認識しているわけですよ。(日本でも)一般の方々に、脳死があるんだよ、と認識してもらうことが必要だと思います」

ドナーカード。臓器提供の意思表示はこのカードや運転免許証、Web登録などで行う

日本での「脳死」は、臓器提供を前提とした場合に限り、臓器移植法によって法的に判定される。このため、脳死は特殊なものとみなされ、遺族には一般的な死として受け入れてもらえない、と南医師は感じている。生前にドナーカードなどで臓器提供の意思を表示していた場合でも、当人が亡くなると、家族の反対でそれが実現しなかった実例も何度も見てきたという。

臓器摘出承諾書(撮影:オルタスジャパン)

海外での移植には多くの問題も

移植が盛んになると、別の問題も出てくる。その一つが「臓器売買」の恐れだ。国際移植学会も2008年、渡航移植が臓器売買につながることを危惧し、「自国民の臓器移植は自国で行うように」というイスタンブール宣言を発表した。

これを受けて、海外の移植希望者を受け入れてきたドイツなどヨーロッパ諸国は、ほとんど受け入れを停止した。米国とカナダは受け入れを続けているが、その費用は高騰している。森本康輝君の場合、ドイツへの渡航移植は約4000万円とされた。現在、米国で移植手術を受けるには2億〜3億円が必要という。

康輝君の部屋は今も当時のままだ (撮影:オルタスジャパン)

費用と移植機会には複雑な関係もある。南医師は指摘する。

「米国でも臓器が余っていれば話は別ですが、100人いる待機者のうち30人しか移植を受けられないわけです。そして、本当なら2年とか3年とか待たなくちゃいけないのに、(海外からの渡航者は巨額の)お金を出しているから、待機の順番を飛び越すわけ。すると、その間に米国人の待機者が死んでしまう」

白木さん夫妻の場合

病気はいつ何時、襲ってくるか分からない。移植を必要とする難しい病気がたくさんあり、多くの人がドナーを必要としている。そういったことを、多くの人はおそらく、頭では理解できる。しかし、わが子が臓器の提供者になることについては、なかなか想像が及ばないのではないか。

15歳未満の子どもの臓器の提供に踏み切った夫妻を、もう1組紹介しよう。岐阜市で柔術道場を手掛ける白木大輔さん(36)と妻の希佳(きか)さん(40)。娘の優希ちゃんは長女だった。

4歳の白木優希ちゃん=左。3歳下の妹・希幸ちゃんとの一枚(写真:白木さん夫妻提供)

優希ちゃんは2010年5月に生まれた。異変は4歳の秋。最初は風邪だと思ったのに、嘔吐がやまず、尿が出なくなり、顔がむくんできた。市民病院で受診すると、そのまま救急車で岐阜県総合医療センターに緊急搬送された。診断は「特発性拡張型心筋症」。一刻を争う病状だった。

夫妻は、「夢の中の出来事のようで、医師の説明が頭に入りませんでした」と振り返る。希佳さんの記憶にあるのは「最終的には心臓移植でしか助からない病気です」という一言だった。

優希ちゃんの母希佳さん=上。父の大輔さん(撮影:いずれもオルタスジャパン)

娘の病状は安定せず、今度は救急ヘリで大阪大学医学部附属病院に搬送された。そこで内科的治療を諦め、補助人工心臓を装着して心臓移植を待つという方針に切り替わる。「このタイミングで人工心臓をつけないと(命の危険がある)っていうことを先生から話があって」(希佳さん)

日本では当時、小児用の補助人工心臓が認可されておらず、代わりに成人用の補助人工心臓を装着するよりなかった。血栓を生じやすく、脳梗塞を引き起こす危険が高いとされていた。また、国内で心臓移植を受けるには、平均で1000日以上も待たなければならない状況だった。

自宅の壁には優希ちゃんの思い出(撮影:オルタスジャパン)

大輔さんが振り返る。

「補助人工心臓って、ちょっとでも不具合があると、また胸を切るんですよ。それを耐えられますか。血栓が脳に飛ぶ危険があるとか、(国内での)移植には3年待つとか。親としては絶対、海外での移植を考えますよね」

「海外で移植を」の思いが潰えた先に

白木夫妻は海外での移植手術を希望し、主治医は米国テキサス州の病院に受け入れを要請した。夫妻は渡航費用を工面するため、支援者の協力を得て「救う会」発足の準備を始める。ホームページを立ち上げ、チラシも出来上がった。

柔術仲間たちからも励ましのぬいぐるみが贈られた(撮影:オルタスジャパン)

受け入れ先のテキサスの病院は、デポジットをいくら請求してくるだろうか―。そんな心配をしていた時、娘の容態が急変した。原因は心臓ではなく脳。恐れていたとおり、人工心臓によってできた血栓が脳へと飛び、血管を塞いでいた。夫妻によると、主治医が見せてくれたモニターには、出血で4分の3が真っ黒になった脳が映し出されていた。

その夜、集中治療室に家族全員が集まり、娘の優希ちゃんと一緒に過ごした。大好きだった「アナと雪の女王」を歌ったり、「頑張れ!」「帰ってこい!」、そんな声を掛けたり。その都度、優希ちゃんの脈拍は速くなり、体温は上がったという。

温かかった優希ちゃんの手(写真:白木さん夫妻提供)

「ほかの臓器は元気ですか」

大阪大学医学部附属病院の集中治療室で過ごした翌朝。

もう脳があまり機能していないと話す主治医に対し、大輔さんは「それって脳死の状態なんですか」と尋ねた。主治医が「まあ、そうです」と答えると、少し間を置いて大輔さんは再び尋ねた。「ほかの臓器は元気なんですか」。臓器を提供してもよいとの、事実上の表明だった。

あの朝のことを希佳さんはよく覚えている。「(主人が)そう聞く前に私と目が合って、そう聞くんだろうな、って(分かった)。それなら私も同じ考えだと」

大輔さんはこう言う。「僕らも臓器を待つ側だったから、先生に娘の臓器を使ってもらえませんか、って。一瞬、しーんとなって、妻に怒られるんじゃないかと思ったんだけど、やっぱり同じことを考えていました」

臓器提供が承諾されると判定医による法的脳死判定が行われる。優希ちゃんのように6歳未満の場合、24時間の間隔をあけて2度。この時間が、白木さん夫妻にとって娘と過ごす最後の、かけがえのない時間となった。チューブにつながれていたときにはできなかった抱っこ。家族全員で手形。もちろん写真もたくさん撮った。

「なんか、あったかい時間なんですよ。子どもと別れる時間を、ゆっくり、タイムリミットがある中で過ごすことができたから心の準備ができたというか。そういう時間でした」(大輔さん)

優希ちゃんとの別れ。抱っこできた=上(写真:白木さん夫妻提供)。家族で手形も取った=下(撮影:オルタスジャパン)

2015年1月13日、優希ちゃんの「脳死」は確定した。小さな体からは肺、肝臓、腎臓が摘出され、関西などに住む4人に移植された。白木夫妻はいま、何を思っているだろうか。

希佳さんは言う。

「提供していなかったら、その方が後悔があったかもしれないです。(移植のため外国に)渡航して亡くなった方のお母さんとお話しする機会があったんですけど、『本当は臓器を提供したかったけど、できなかった』って後悔されているんです。同じ立場になると分かることなんです」

大輔さんは―。

「提供を受けた人だけじゃなく、(提供した側の)家族も救われている。すごい良かったなあ、って。やっぱり、自分の子どもを愛してるんだったら、なんか、ずっと生きるじゃないですか」

白木さんは道場で子どもたちに教えている。厳しい中にも笑い声が絶えない=上。道場の一角には、大会で優勝した大輔さんに抱かれた優希ちゃんの写真がある=下(撮影:いずれもオルタスジャパン)

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撮影:オルタスジャパン
提供:森本隆さん・陽子さん夫妻、白木大輔さん・希佳さん夫妻

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