痩せたい、痩せたい、痩せたい―。ダイエットにこだわるあまり、拒食症や過食症になったり、それを繰り返したりするケースを「摂食障害」と言う。精神疾患の一つとされ、厚生労働省の研究班によると、その数は全国で約2万6千人。克服に何年もかかることは珍しくないうえ、心と体へのダメージは深刻で、死亡率は精神疾患の中で高いとされている。摂食障害とは、いったいどんな状態なのだろうか。克服への手立てはあるのだろうか。摂食障害という心の病と向き合う人たちを訪ね、「これまでと今、これから」を聞いた。(Yahoo!ニュース 特集編集部)
ゲーム感覚で減量 一時20キロ台に
名城美紀さん(仮名、24)はイラスト制作などを手掛ける会社で働いている。オフィスは東京・銀座。さっそうとした仕事ぶりを見ていると、長年、摂食障害に苦しみ、一時は体重が20キロ台になったとは思えない。
摂食障害のきっかけは、中学2年生の時に「ゲーム感覚で始めたダイエット」だったという。部活はソフトテニス部。「そんなにダイエットにこだわっていたわけじゃなかったんだけど」と言いつつ、名城さんが振り返る。
「(練習が)すごいハードで、食べても食べても痩せていく。痩せたいわけじゃないけど、体重が落ちて、その事実が楽しくなって。動いて痩せて、『ちょっと痩せたね』と言われておもしろくなって」
給食のおかわりをやめたら体重はどれくらい落ちるのか。食事を1回抜いたら体重は何キロ落ちるのか。ゲーム感覚でダイエットにのめり込んだ。
「0.1キロ」の増減に一喜一憂
名城さんは高校生になっても激しいダイエットを続けた。痩せている人がきれい、と思ったことはない。興味もなかった。それでもダイエットを続けるうちに「痩せた方がかわいい」と価値観が変わり、0.1キロ台の増減に一喜一憂するようになったという。
「減っていくのが楽しかったです。『0.何グラム』でも増えると落ち込んで、さらに食事を制限し、最終的に500ミリリットルのミルクティーが1日で唯一の食事になりました」
名城さんは身長160センチ。気が付くと、高校生の一時期、体重は30キロを切ったと明かす。「30キロ台になった時は喜びましたけど、30キロ前半から怖くなりました。歩いていて転ぶとか、座っていられないとか、集中力が足りないとか。あと、生理が止まった。それが一番大きいかな」
摂食障害に悩まされる日々とは、どんな状態なのか。「摂食障害は精神疾患の一つ」というナレーションで始まる約7分の動画を見てほしい。名城さんだけでなく、摂食障害と向き合っている人たちが登場する。
拒食が一転、過食に
名城さんの拒食は大学生になって一変した。一人暮らしを続ける中で、今度は「過食」に転じたのだ。
「食べ始めると、普通の人よりたくさん吸収しちゃうので、普通の量なのにどんどん太って。痩せていないと自信を持てないのに、全く食べない生活に戻れなくなった。じゃあ、食べて吐き出せばいいと思って」
過食症の始まりである。
過食症になった名城さんは「食べたい」「太りたくない」の間で揺れながら、食べては吐き出すことを繰り返した。「食べたい」という衝動を抑え切れず、お金と時間と体力を「食べては吐く」ことに費やしていく。とにかく「普通の一食では満足できなかった」と言う。
いったい、どんな状態だったのだろう。
「菓子パン、スナック菓子、お米、カップラーメンなどを1回で6千円分買います。スーパーでカゴ2個分。それを1回で食べます。1回で3時間。食べ続けて、それでも満足できない。食べ終わっても、まだ足りない。しょっぱい物の次に甘い物とか。それでコンビニに行って2千円くらい(買う)。カゴが満杯になるまで買って。で、違うコンビニで次は3千円分とか。食べ疲れた時と食べ飽きた時が止め時ですね。休みの日だと、1日中食べていました」
そうした繰り返しの中で、名城さんは自分が嫌いになって自殺願望まで芽生えたという。睡眠薬を大量に飲んだり、太ももにコンパスの針を刺したりもした。リストカットを試みたこともある。精神科に足を運ぶと、「重度のうつ」と診断された。
「自分に自信がなくて、せめて痩せていないと誰からも評価されない。先の見えないトンネル」。それが大学時代の日々だった。
摂食障害は「心の病」
米国精神医学会によると、摂食障害は心理的問題に起因する食行動の異常とされ、「神経性やせ症(拒食症)」「神経性過食症(過食症)」「過食性障害」に大別されている。これが国際的な指標となり、日本でも用いられている。
拒食症と過食症の裏には強い痩せ願望があり、過度な食事制限を行うことが多い。そして、短時間に大量の食事を摂取する「むちゃ食い」の後、吐いたり下剤を使ったりして食べた物を体外に出す。
摂食障害では、命を失う人も少なくない。厚生労働省研究班が2002年に公表した調査結果によると、摂食障害になった人の死亡率は7%。摂食障害が多いとされる20代全体の死亡率0.04 %と比べても相当に高い。一般社団法人・日本摂食障害協会(東京)によると、他の精神疾患と比べても死亡率は高い。衰弱死や心臓の機能低下、栄養失調による合併症などを招きやすいからだ。うつ症状で自殺に至るケースもあるという。
「私、摂食障害です」と明かす
名城さんは昨年9月から今の職場で働いている。担当は広報で、取引先との会食も多い。就職の当初は「朝食は食べない。昼はサラダとスープ。夜はスープだけ」という生活。外での食事は辛く、適当な理由を付けては会食を断り続けていた。変化は今年に入ってからだ。「自分の見た目以外のもので、評価されるようになった」ことが大きいという。
当たり前の話だが、職場では仕事で評価される。外見とは別の評価軸がある。そして、名城さんは「自分は摂食障害です」と職場で明かした。食事の場は苦手ですが、カフェでお茶しながら話すことはできます、と。
「コミュニケーションを取る一番簡単な方法は食事だ、とみなさんは思っているでしょう? 私は、それだけじゃない、と思っている。食事がメーンじゃなく、目的はコミュニケーション。だから、食事のせいでその機会をなくすのは、もったいないな、と」
カミングアウトには別の理由もあった。
「(摂食障害を黙っていたのは)自分のことを心配してほしいとか、心配されたいとか、かわいそうと思ってほしいとか。悲劇のヒロインじゃないけど、そう思われたいから言わなかった…今と違うのはそこですね」
金子浩子さんのケース
拒食と過食を繰り返す、典型的な摂食障害。それと向き合っている人をさらに紹介しよう。東京都内に住む金子浩子さん(27)。21歳の時にダイエットを始め、拒食症になったのがきっかけだという。自宅に足を運ぶと、食べ物は何カ所かに分け、まとまって置かれていた。
玄関にはジャムや果物を漬けたものなどの瓶詰め。ベッドの下にはドライフルーツの袋。ベッドの向こう側には小分けにされたパンが4袋。キッチンの横にはお菓子を大量に入れた紙袋。それぞれ置き場所にもこだわっているという。リビングから離れた場所に置くのは、取りに行きにくくするため。大量の食品を冷凍庫に入れてあるのは、電子レンジで温める時間をわざと作り、食べ過ぎを防ぐためだという。
身長155センチの金子さんは、一時体重を34キロまで落としていた。最初は、痩せることが気持ちよかったという。40キロを切った頃に「まずい」と思ったものの、このときは「太ること」への恐怖心が生まれていた。
過食に転じたのは、アルバイト先で無力感を抱いた、という些細な出来事だった。選挙のウグイス嬢。「痩せている自分はきれいで完璧」と思っていたのに、体力が続かず失敗してしまう。「結局、自分はダメなんだ、と。痩せにこだわっていたのに、もういいや、って」。悔しくて、泣きながら大量に食べた日を金子さんは忘れずにいる。
そこから半年間で30キロも増えた。急激な体重の増加に大学の友人らが驚いたことにショックを受け、毎回、吐くようになっていく。最もひどかった頃は、一度に菓子パン10個、弁当を2、3個、唐揚げや惣菜を5、6個。これらを夜中の1時ごろから食べ始め、朝5時ごろに吐き終わった。疲れ果て、トイレで寝てしまうこともあった。
金子さんは「自分自身を全否定していました」と振り返る。
体重が減るほど「もっと痩せたい」
日本摂食障害協会の副理事長で、30年以上摂食障害の患者を診ている山岡昌之医師は、摂食障害の人のダイエットは一般の人のそれと大きな違いがある、と説明する。
「摂食障害の人は痩せていっても一向に満足しません。反対に、体重が減る度に、もっと痩せたい、という気持ちが強くなるんです。健康な人は『ここまで痩せたからもういい』となるけれど、摂食障害の人は、もっと減らしたい、もっともっと、となる。きりがない。患者さんがよく言うんだけど、最後には『DNAまで痩せたい』と。痩せ願望は満たされず、逆にどんどんその希求が強くなるんですね」
山岡医師によると、摂食障害はメンタルの病気であり、自己肯定感の低い人がなりやすい。「全員そうです。(程度の差はあれ)自信のない人が多い。ですから、自己肯定感を高めることが治療の大きな要素です」。そして、患者だけの治療では回復は難しい、と語る。
「親子や周りとの関係の中で少しずつ自己肯定感は修復・形成されますから、家族などの支援がないと基本的には治りません。患者さんによく言うのは『ある日、突然良くなったというのは嘘です』と。山あり、谷あり、関所ありです。行ったり来たりしながら、たどり着く。だから何年もかかります。通常10年です。最初から10年を考える治療は、普通の病気ではそうありません」
「こんな自分でも誰かのためになる」
金子さんにも、転機は来た。大学院に進学した1年余り後。友人に誘われ、子ども向けの食育ボランティアを手掛けた際、子どもたちに「先生、先生」と慕われ、こんな自分でも誰かのためになるんだ、と気持ちが楽になったからだ。
食育の勉強を続け、自分自身が「食」と向き合うようなったことも、克服への力になった。自炊も始め、食生活は安定。2年前からは摂食障害の当事者らが集うイベントで、講師を務めてもいる。「もともと自分に自信がないことが大きかったので、イベントで『誰かを幸せにできたんだ』と思ったら、生きている価値あるんじゃないか、というところに繋がりました」
ストレスを感じると、今でも過食してしまうことはある。それでも、以前のような罪悪感はない。早く完治させたいという焦りも消えた。「完璧に治そう」よりも「たまに過食してもいい。自分は自分らしく」と思えるようになったという。
金子さんが参加するイベントは数カ月ごとに開かれている。この4月下旬、東京都内でその会場に行くと、男性の姿も。
摂食障害は女性だけのものではない。「デブと言われ、いじめられるかもしれない」などとの思いから摂食障害になった男性も加わり、悩みや立ち直り経験を互いに伝え合っていた。
克服への道 吉野なおさんの場合
摂食障害を克服するにはどうしたらいいか。26歳までの9年間、苦しんでいた吉野なおさん(31)のケースを最後に紹介しよう。拒食症で47キロまで体重が減り、そのリバウンドで一時、80キロに。その当時を吉野さんは「外に出るのも嫌、人に見られるのも嫌。バイトも辞めて…。『自分は醜い人間』という感覚がずっとありました」と振り返る。
多くの人と同様、吉野さんも些細な出来事が転機になった。何千人もの芸能人や俳優の写真を扱うアルバイトを始め意識が変わったという。26歳の時だった。
「当たり前なんですけど、人ってみんな、顔と体重が違うな、と。それまでは『痩せてないことは悪いこと』と思っていました。でも、役者さんじゃなくても、ぽっちゃりで生活している人はいる。たくさんの写真を見ているうち、自分のこだわりがバカバカしくなって。ぽっちゃりしていてもいいじゃないか、と。それから少しずつ意識が変わりました」
ばかばかしいこだわり 自分は自分
吉野さんはそれから自分の気持ちに従うことにしたという。「今の自分を受け入れよう」と決め、我慢をやめ、食べたいものを食べた。やがて、量を食べなくても大丈夫になり、過食の回数は減った。「むちゃ食い」はなくなり、気持ちも落ち着いていく。痩せたら着ようと思って取っておいた服も一気に捨てた。
ぽっちゃりした女性向けファッション雑誌のモデルとして活動するようになった吉野さんは、摂食障害で今も苦しんでいる人たちに伝えたいことがあるという。
「悩んでいる人はたぶん、『こんな自分はダメ、もっと頑張らなきゃ』と思って、常に不安だと思う。私も自分の20代前半はもったいなかったと思う。恋愛や楽しみもたくさんあったはずだけど、心から楽しむことが少なかった。でも、自分を責めているのは自分自身だ、ということに気づいてほしいです。いろんな人が世の中にいていい。いろんな体型、顔、人種もいるけど、こうじゃなきゃいけない、とかはありません」
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[制作協力]
オルタスジャパン
[写真]
撮影:岡本裕志、オルタスジャパン
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝