米国とメキシコとの国境線は全長3000キロに及ぶ。そこは砂漠だったり川だったり、あるいは人々が行き交う街だったり。トランプ大統領はこの国境沿いでの「壁」建設を公約にして当選し、建設に向けて準備を進めている。最終的には数兆円の費用がかかるという。「壁」は米国に何をもたらすのか、米国をどこに連れて行くのか。国境地帯で取材した。(立岩陽一郎/Yahoo!ニュース 特集編集部)
エル・パソの「金網」
国境の街、テキサス州のエル・パソ。空港を車で出ると、直ぐ脇にフェンスが見えた。日本の駐車場などでよく見かける、金網のフェンス。中心部に向かう道路に沿って、延々と続いている。それが国境だった。
エル・パソの街では、「メスティーソ」と呼ばれる褐色の肌の人々が目立つ。建物もスペインのコロニアル風が多く、スペイン語の看板もあちこちにある。
早朝の検問所 メキシコからの人波
朝6時。国境検問所に行くと、大きなゲートの向こうからメキシコ人が列になって米国側へ入国していた。少し離れた場所では、車の列もできている。エル・パソはスペイン語で「道」を意味する。その言葉通りの光景だった。
国境を越えるメキシコ人は明るい。撮影拒否どころか、「俺を写してくれ」と寄ってくる人もいる。
同行してくれた米国のジャーナリストは言う。
「彼らはみな許可書を持っている。こっち(米国側)で働いたり、学校へ行ったり。彼らは朝、普通に出勤し、そして夕方には帰っていく。何もおかしな話じゃない。それが国境の街を支えているんだ」
小中学生も集団で国境を越えてくる。メキシコ人なのに普通にエル・パソの公立学校に通い、教育を受けているという。この地域ではそもそも、昔から国境をまたいで人々は暮らしていた。特に子どもの教育についてはテキサス州の政策もあってメキシコの子どもたちを公立学校で引き受けてきた歴史がある。学校は無償。優秀な子どもは奨学金を得てエル・パソの大学にも行ける。
検問通過者は急減中 「大統領令の影響だ」
検問所で取材中、銃を持った米国の入国審査官に囲まれ、撮影を止めるよう言われた。連れて行かれた事務所には機関銃などが立てかけてある。「撮影していたと聞いたが、係官の顔はまずい」と所長。プレビュー画像をのぞき込み、「問題ない」となった後、カメラは戻された。
彼は所長になって7年になるという。50代後半だろうか。制服の胸には「ガルシア」の名前。「取材には応じない」と言いつつ、最近の様子を話してくれた。
「数万人が毎日ここを行き交うが、この数週間は急激に減っている。普段の朝はこの3倍だよ」。トランプ大統領はイスラム教国からの入国を制限する大統領令に署名し、メキシコからの「違法入国の取り締まり」も明言している。所長は「おそらく、そういうことが影響していると思う」と話した。
米国側で学校や仕事を終えたメキシコ人は、夕方や夜になると、国境を越えて家路につく。それが国境の街の現実だ。もちろん、それだけではない。無許可の入国者も当然いる。
不法入国女性「メキシコに仕送りを」
日本語では「違法入国者」「不法入国者」と言われるが、米国では、普通は「undocumented immigrant」(書類に記載されていない入国者)という言い方をする。スサナ・アンヘレスさん(37)も「記載されていない」1人だ。
彼女は国境検問所を通ったわけではなく、国境の川「リオ・グランデ」を渡って無許可で入国した。9年前のことだ。それ以来、書類に記載のないメキシコ人を保護する民間の施設で過ごし、働きに出る。日曜日も仕事があれば出る。
「野菜の収穫作業が仕事です。レタス、トマト、玉ねぎ、チリ、アーモンド......。夜中の1時にここを出て午前2時に農場行きのトラックに乗り、農場で午後4時まで働きます。作業? きついですよ。夜は気温も下がるので、かなり重ね着しての作業。ぜんそくがきつくて。でも、1日に38ドルもらえる。それを国境の向こうに住んでいる母親と7歳の娘に送っている」
アンヘレスさんへの取材は、施設の一角で行った。そのマットを敷いた場所が彼女のプライベートスペースだ。女性なのに、ずっとカーテンの仕切りもないという。ぜんそくだという彼女。取材中も時折、激しく咳き込んだ。
「重労働を担う不法入国者が米国を支えている」
施設の代表はカルロス・マレンテスさんという66歳の男性だった。「仮に彼女のような労働者がいなくなったら、たぶん、米国の農業は成り立たない」と彼は言う。
「そんなことは、みんな知っている。誰が、あれだけの重労働をして1日38ドルで納得する? 彼女たちには労働組合もない。誰も守ってくれない。そういう存在によってのみ、この国の農業が成り立っているんだ。(その現実を)トランプ大統領は知らないし、彼を支持する白人たちも知らないと思う」
施設の屋上に行くと、目の前には網目の壁が広がっていた。空港からの道路沿いにあった、あのフェンス。国境だ。それを見ながら、マレンテスさんはこんなことを話した。
「あのフェンスは何も隔ててないんだ。この街とフェンスの向こうとで一つのコミュニティーになっている。フェンスの向こうに住む子どもたちはこっち側の米国の学校に通い、大学まで行くことができる。奨学金ももらえる。それが国境の街なんだ。なのに、フェンスを鋼鉄の柵に変えて街を分断する、と大統領は言う。何のために? それに答えられる人はこの街にいないよ」
「9・11の壁」は建設途上
マレンテスさんの案内で街から離れた国境地帯へ向かった。テキサス州とニューメキシコ州の州境で、南側はメキシコだ。そこに建設途上の構造物があった。荒地の中に1本の線を描くように走る細い壁。それが国境を走っていた。高さは4メートルほどだという。鉄柱を組み合わせた造りで、人は通れないが、向こう側、つまりメキシコは見える。手を伸ばせばメキシコだ。
マレンテスさんによると、この柱はブッシュ政権時代にできた国境管理法によるものだという。ニューヨークの高層ビルに旅客機が突っ込むなどした2001年9月11日の「米中枢同時多発テロ」を受けての対応だったという。
「トランプ大統領がやろうとしていることの意味は分からないが、9・11の時に決まった壁でさえ完成していないような作業をどうやって完遂するのか」とマレンテスさんは言う。
ここで取材中、国境警備の警察官が近づいてきた。警察官は車に乗ったまま、
「撮影してないだろうな?」と笑いながら言う。緊張した雰囲気は全くない。警察官は「気を付けてくれよ。時々、メキシコ人が石を投げてくるからな」と言い残し、車で走り去った。
投石......。トランプ政権が声高に言う「緊迫するメキシコ国境」とは、向こうから石が飛んでくる程度のことなのか。同行していた米国のジャーナリストは「結局、こけおどしなんだ」と言い切る。「壁の建設というのは、メキシコ側を危険なものとして見せるためだけの話だ。そして街は分断される。意味がない」
トランプ政権は、この鉄の柵の高さを2倍にし、暗視センサーなどの最先端の設備を設置する方針を打ち出している。
米国はメキシコの影響を受けている 音楽も
エル・パソの劇場である夜、地元交響楽団のコンサートがあった。演奏曲は、20世紀の米国を代表する音楽家アーロン・コープランドの作品。コープランドはクラシックの中に「アメリカ音楽」を確立したとされる。彼の音楽はメキシコの音楽に大きな影響を受けたことでも知られている。
この時期にコープランドを演奏すること自体が、トランプ大統領の「壁」に反対するメッセージであることは明白だった。客席は多くの白人のカップルで埋まっている。演奏の合間に、主催した音楽評論家のジョセフ・ハロウェイさんは語った。
「トランプ大統領は『移民が米国に諸悪をもたらしている』と考えています。それは大きな間違い。この国境の街に来れば分かることです。エル・パソの犯罪発生率は全米で最も低いと言われています。私の住むニューヨークとは比べものになりません」
ハロウェイさんはさらに言った。
「米国は実は、メキシコから多くのものをもらっています。米国で最も尊敬されている音楽家が、その音楽のエッセンスをメキシコから得たということは、その一つでしかありません。そんなことをもう一度考え直す時がきていると思います」
「必要なものは壁ではなく橋」
会場に来ていた白人の夫妻は1977年からエル・パソに住んでいるという。夫人は言った。「必要なのは壁じゃない。橋よ。壁じゃなくて橋を造りなさい。これは私の言葉じゃないけど、みんなそう思っているわ。それがエル・パソなの」
夫は少しニュアンスが違った。それでも「壁」に賛成はしていない。
「昔はメキシコ側によく行ったが、今は治安が悪くなって行けなくなった。そういう事実はある。そうしたことから『壁』の議論は起きているんだろうが、でも、メキシコから来た人たちは(用が済めば)みんなメキシコに帰っていたんだ。それなのにフェンスができた。『壁』になったら、もう行き来は自由にできない。そうなれば、誰もメキシコに帰らず、『壁』は新たな問題を生むんじゃないか?」
多様な人が交わる エル・パソも米国全土も
米国の多くの都市がそうであるように、エル・パソにも多様な人種が住む。商店の経営者はほとんどが韓国人で、客はメキシコ人。中南米出身と思われる人が多いものの、もちろん白人も黒人もいる。
レストランで働くメキシコ系の女性は、壁について「冗談じゃないわ」と言った。
「壁ができたらこの街は生きていけないわよ。軍と農業と、メキシコから日中働きに来る人々で持っているのよ、この街は。メキシコから殺人犯やレイプ魔が入ってくる? 失礼な話よね。実際に毎日メキシコから人は来るけど、真面目に働いて帰っていくわよ」
壁は交流ではなく「分断」の象徴に
白人に尋ねても、「壁が必要」と言う人はいない。話を聞けたのは限られた人数ではあったが、「メキシコから来る人は危険」と言う人もいなかった。皆無だった。そのうちの1人、エリン・コーヘンさんは28歳。地元のテキサス大学エル・パソ校の大学院で文学を学んでいる。エル・パソ生まれの地元っ子だ。
「壁は全く、意味がないと思うわ。トランプ大統領も支持者も、国境のことを知らないと思う。私たちはここで、メキシコ人やメキシコ系の米国人と普通に生活しているのよ」
コーヘンさんにさらに尋ねてみた。「9・11の壁」以上に頑丈な壁の建設が始まり、実際に完成したら国境の街はどうなるだろうか。米国はどうなるだろうか。
「ここは交流の街なのに、もし壁ができたら分断の象徴になる。そして(許可なく入国する)人の流れは地下に潜るでしょう。そうしたら、この安全な街は逆に安全じゃなくなる。それを望んでいる人がここにいるとは思えません」
立岩陽一郎(たていわ・よういちろう)
調査報道を専門とする認定NPO「iAsia」編集長。1991年一橋大学卒業。放送大学大学院卒業。NHKでテヘラン特派員、社会部記者、国際放送局デスクとして主に調査報道に従事。2016年、「パナマ文書」取材に中心的に関わった後にNHKを退職。現在はアメリカン大学客員研究員としてワシントンDC在住。「Yahoo!ニュース エキスパート」オーサー。
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撮影:立岩陽一郎、ロイター/アフロ
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撮影:立岩陽一郎、編集:iAsia