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宗石佳子

JIS~拘束力なき国家規格~ 「命の誘導標識」をめぐって

2017/03/22(水) 11:30 配信

オリジナル

鉛筆や消しゴム、乾電池など身近な工業製品の多くに「日本工業規格」は使われている。略称「JIS」。品質や性能、安全性の水準を維持するための国家規格で、規定の項目をクリアした製品は「安心」とされてきた。ところが、高知県黒潮町で「JISとは何か」を根本から問う出来事が起きているという。この町は、南海トラフ巨大地震が起きれば、高さ34メートルという国内最大級の津波が襲うと予想されている。問題となっているのは、万が一に備える「津波避難の誘導標識」の耐久性に関するJIS。町は独自の判断で試験項目の数を減らし、発注したのだという。「国家規格」をうたいながら、実はJISには法的拘束力がない。しかし、JISの試験項目を発注者が独自に減らすことができるとしたら、「安心」の保証はどこにあるのだろうか。その対象が「命の誘導標識」だとしたら————(Yahoo!ニュース編集部)

「JIS」の役割とは? まずは動画をみてほしい。

34メートルの津波が予測される黒潮町

高知県黒潮町の町並み。写真の奥側が土佐湾で、南海トラフ地震では大きな津波が来ると予測されている(撮影:宗石佳子)

高知龍馬空港から車で約2時間。高知県南西部に位置する黒潮町は、「国内最大級の津波が襲う」という予測を前に、津波避難タワーの建設や町を挙げての防災訓練などに取り組んでいる。2016年秋には「世界津波サミット」も開かれ、「防災の町」として知名度も高い。

そうした防災事業の一環として、黒潮町は「津波避難の誘導標識」を町内に850カ所設置する。総事業費は2億9千万円で、7割が国の補助金になるという。JISの問題は、それら標識の入札を巡って起きた。

黒潮町内には既に多くの避難誘導の標識がある(撮影:宗石佳子)

「16項目全て」から「10項目で良い」へ

黒潮町などの説明によると、標識の設置業者を決める入札広告は16年8月4日に出された。入札書類の「特記仕様書」には、標識の耐久性について「JISで定められた16全ての試験項目に適合すること」と明記していた。

黒潮町が作成した「特記仕様書」(撮影:宗石佳子)

その約1週間後、ある標識メーカーから「全ての試験項目は厳しすぎる」との指摘が町側にあったという。町は再度検討し、最終的には8月12日に仕様書の内容を変更。必要な試験項目のうち6項目を削除し、10項目で良いとした。

なぜ、試験項目を減らしたのだろうか。黒潮町の大西勝也町長はこう話す。

入札の経緯について語る大西勝也黒潮町長(撮影:宗石佳子)

「指摘があって変えたわけではなく、指摘があれば自分たちは確認をする必要があります。これはどのケースも同じ。そこで標識の専門家に確認したところ、設置条件を勘案して項目を設けたらよろしい、という回答をもらいました。最終的に(6項目については)削除するべきだ、と町は考えた。当初の基準だと、試験項目が過剰だった」

入札公告を出したものの、よく調べたら、「16全ての試験項目に適合」というJISに沿った条件は厳しすぎた、という説明である。

黒潮町で建設中の津波避難タワー。防災事業があちこちで進んでいる(撮影:宗石佳子)

全項目「必要ない。根拠もない」と黒潮町

どうして最初は「16全ての試験項目に適合」を条件としたのだろう。黒潮町の担当職員は言う。

「当初は(耐久性に関するJISの16の)全ての試験項目を条件に付けると、より良いものになると捉え、発注しました(公告を出した)。ただ、外部から『全ての試験項目はやり過ぎじゃないか』というような指摘を受け、再度、町で確認したところ全ての試験項目は必要ないと分かり、変更させていただいた」

漁期に出港する漁船を見送る人々。黒潮町は海とともに生きてきた(撮影:宗石佳子)

削除された6項目は「耐衝撃性」「耐摩耗性」「凍結融解性」など。これらを削除すると、標識の品質がJIS基準に到達せず、耐久性が下がるのではないか、という疑問が生じる。それについて、担当職員は「基準を下げたという表現はおかしい」と話す。「われわれは今回の目的に合った形のものに見直しただけ。当初の入札で示した基準はそんなに根拠ないんですよね」

黒潮町に意見を申し入れた標識メーカーは結果的に同町の標識製作を担っている。同社は、同町役場に担当者らが出向いたことは認めつつも、Yahoo!ニュース編集部のさらなる取材依頼には応じなかった。

「国家規格」なのに法的拘束力なし

JIS(Japanese Industrial Standards)は工業標準化法に基づく国家規格だ。経済産業省によると、現在「自動車」「化学」「日用品」など19部門があり計約1万件の規格が制定されている。また、年間で約500件が新たに制定されたり、改訂されたりしている。

JISには19部門があり、約1万件が制定済み(撮影:オルタスジャパン)

規格は、業界団体などの申請によって検討が始まることが多いという。一般的には、メーカーや大学教授、国の担当者などによる原案作成委員会が発足し、3年間ほどかけて主に技術面の検討が行われ、最終的には担当大臣が制定する。見直しは10年に1度で、JISの85パーセントは経産省の管轄だという。

ところが、そうしたJISには法的拘束力がない。使う・使わないは、あくまで使用者の自由であり、言い換えれば、“全てを守らなくていい国家規格”だ。黒潮町の問題も、その狭間で起きた。

誘導標識のJIS 東日本大震災を教訓に

黒潮町には「津波」「避難」を示す標識がたくさんある(撮影:宗石佳子)

2011年の東日本大震災では、津波で多くの犠牲者が出た。それを教訓に各自治体は防災計画の策定や見直しに乗りだした。もっとも、国内では当時、津波避難誘導標識の性能などに関する統一基準がなく、経産省の下で規格を作ることとなった。そして2014年、「JIS Z 9097」という規格が制定された。

「JIS Z 9097」は、標識で示すデザイン図や記号のほか、文字の書体・大きさなども統一している。夜間の津波襲来も想定し、暗い中でも標識を認識できるよう明るさの値も決められている。

津波避難誘導標識システムのJISは「Z 9097」 (撮影:宗石佳子)

経産省「JISの使い方は自治体の自由」

避難のための誘導標識は、津波から命を守るためにある。風雨で破損したり、夜間に光らなかったりすれば、万が一の時、役に立たないかもしれない。頻繁に点検や修繕を行うにしても、税金で整備する以上、高性能で長持ちする製品が良い──。黒潮町の住民からはそんな声が聞こえてくる。

16全ての試験項目に適合してなくても、JISの運用上、問題はないのだろうか? JISの整備と普及を担う経産省を訪ねた。

経済産業省の藤代尚武課長(撮影:オルタスジャパン)

産業技術環境局国際標準課の藤代尚武課長は、6項目を削除した黒潮町の対応について「問題ありません」と説明する。「16項目の試験全てをクリアした標識が望ましい」と指摘しつつ、最終的な判断は、発注者の自治体がケースバイケースで決めたらいい、という。

試験項目を削ると、品質が低下し、安全面での問題も出るのではないか?

誰もが感じそうな、そんな問いを発すると、藤代課長は「われわれ(国)が安全を担保するのではありません。私たちはJISを作りますが、それを用いて最終的に安全性を担保するのは自治体さんです」と答えた。

JIS作成者「命を守る標識なのに…」

性能や品質、安全性を確保する目的なのに、「自治体次第」「ケースバイケース」と政府に言われてしまうJIS。では、基準を作った側の専門家らは、黒潮町の出来事をどう見ているだろうか。

蓄光式の標識。暗闇でも光る(撮影:オルタスジャパン)

誘導標識用のJISについて、原案作成委員会委員だったNPO法人「建設教育研究推進機構」の大野春雄理事長(攻玉社工科短大名誉教授)は、16の試験項目のうち6項目を削除すると、標識が夜間に光らなくなる可能性があるという。

この誘導標識は「蓄光式」と言い、昼間に太陽の光を素材の中に蓄え、夜に発光する仕組みだ。

大野氏は数多くの蓄光式標識を見てきた経験から、「耐久性が弱い場合、表面が剥がれたり、ヒビが入ったりし、そこから蓄光材の劣化が始まり、夜間に光らなくなることがあります」と指摘する。蓄光材料が1〜2年でだめになって光らなくなったり、表面が雨風ですぐ痛んだりといった標識をいくつも目の当たりにしてきたという。

風雨の影響などで痛んだ標識。黒潮町内で(撮影:宗石佳子)

大野氏は続ける。

「だからJISを作ったわけだし、『この基準をクリアすれば品質は確保できてますよ』という流れを作っていかないといけない。人の命を守るものなんだから。安易な形で『この項目は要らない』とやるのは、良くないです」

「基準を勝手に和らげないで」

JISには、あくまで16項目の適合が「望ましい」としか書いていない。それについても、大野氏は「全部クリアすればいいじゃない? クリアできない材料があるとしたらJIS規格品じゃない。そういうふうに私は判断しています」と言う。

法的拘束力がないJIS。本文の中には「望ましい」という表現が多い。(撮影:オルタスジャパン)

今回の黒潮町のように誘導標識を一度に850カ所も設置する事業は、過去に前例がないため、他の自治体への影響も大きいという。

「黒潮町は津波防災に関する先進地で、みんなが着目しています。(完成したら)見学者もいっぱい来る。ところが、そこにJISの規格品は無いわけですよ。JISというハードルが置いてけぼりなる。(黒潮町のケースが先例になると)自治体が勝手に(項目を減らしていいと)判断した標識がどんどん全国に設置されてしまいます。黒潮町はモデル地区なんだから『勝手に基準を和らげるなよ』って、そう強く言いたいですね」

「勝手に基準を和らげないで」と語る大野春雄氏(撮影:オルタスジャパン)

「今の技術水準」VS「今後の技術改良」

「16項目全部のクリアが必要」と「16項目は必須ではない」。同じJIS規格についてのこの矛盾した解釈は、原案作成の途中でも飛び出していたという。

原案作成委員会の委員長は、加藤久明氏(日本デザイン学会名誉会員)。これまで多くのJIS原案作成委員を務め、誘導標識をめぐる議論の経過もよく記憶している。

加藤氏によると、メンバーの中には、その時点での技術水準にとどまるJISを作り、利益を確実に享受したがっている人たちがいた、と感じたという。一方、厳しい基準であっても技術を改良し、5〜10年のうちにJISの全項目をクリアできる製品を作っていこう、という意見もあった。

経産省内にあるJISマークの看板。多くのJISが経産省によって制定されている。(撮影:オルタスジャパン)

「僕は真ん中で耳を澄ませて聴いていただけだけど、『妥協しちゃいかん』と判断し、今のJISを作りました」

16の試験項目は決して厳しくない、と加藤氏は今も感じているという。

「進化を前提としてJISを」

JISとはいったい何か。加藤氏は、技術や素材の進歩と表裏一体だ、と語る。

「それぞれの素材で進化があるわけです。例えば、金属メーカーは日々進化しているから、昔のアルミと今のアルミは違うわけですよ。僕は産業界に長くいて、あらゆる素材や加工物、板金プレス加工の進化を見てきた。必ず何かの進化が次にある。だから、この標識の分野でさえ日々進化するだろう、と」

JISマーク。品質や性能の「お墨付き」とされてきたが…(撮影:オルタスジャパン)

「どのJISであれ、進化を前提として規格を作っておかないと、(すぐに)規格そのものが古くなっちゃう。JISはある程度将来を見通して作らないといけない。僕はそう考えています」

[制作協力]
オルタスジャパン
[写真]
撮影:宗石佳子、オルタスジャパン
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝

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