幸田大地

「汗と涙は流してもらう」―――海自幹部候補生学校の過酷な日々

2/16(木) 13:51 配信

瀬戸内の島の一角に、海上自衛隊の幹部候補生を鍛える「学校」がある。広島県江田島市江田島町国有無番地。ドラマ「坂の上の雲」のロケ地としても有名な赤レンガの建物は、歴史をたどれば、1888年に東京・築地からこの地に移転してきた海軍兵学校に行き着く。終戦後は進駐軍により接収。その後1956年に返還され、若者たちの声が響くようになった。海上自衛隊幹部候補生学校は、防衛大学校や一般大学の卒業者らのうち試験に合格した者が、最大1年間、給与を受けながら初級幹部自衛官としての教育訓練を行う機関である。将来の幹部候補生たちはどんな訓練の日々を送っているのか。
(ノンフィクションライター・中原一歩/Yahoo!ニュース編集部)

1893(明治26)年に建設され今は学校庁舎として使われている建物。通称・赤レンガ(撮影:幸田大地)

未明の空に鳴り響くラッパ

午前6時半。耳を塞ぎたくなるようなラッパの音が穏やかな内湾に響き渡る。その途端、静まり返っていた校舎がにわかに騒がしくなり、紺色の作業服に身を包んだ青年たちが校庭に駆け出してきた。真冬の朝の空気は身を切るほど冷たい。

整列した者は上半身裸になり、起き抜けの体に活を入れるように乾布摩擦をし、「右向け右」「左むけ左」と気勢を上げはじめた。

この日課は「総員起こし」と呼ばれ、ここ海上自衛隊幹部候補生学校が海軍兵学校と呼ばれていた時代から伝わる朝の儀式だ。

寝間着から作業着に数秒で着替え、靴を履き、全速力で階段を駆け下る(撮影:幸田大地)

学生棟から校庭まで直線距離でおよそ400メートル。驚くのはラッパの音が鳴ってから、校庭に整列するまで1分30秒という早さだ。中には40秒という猛者もいる。

「海軍士官、および幹部海上自衛官を育ててきた学校ですから、すべての行動が船艦などの船上で行われることを想定しています。総員起こしは、夜間の敵艦の奇襲に備え、いち早く自分の持ち場につく訓練のひとつです」(幹部候補生学校・総務担当)

もっとも早い者で起床から40秒で位置につく(撮影:幸田大地)

幹部エリートを育てる「訓育」

海上自衛官の階級は、「2士」から「将」まで16階級に分かれ、幹部候補生は入隊と同時に3等海尉となる。同じ自衛官でも、中・高校卒業後に一般公募で入隊する者と比べて年収も階級も上位だ。卒業後は、同校教官や部隊長などを歴任し、早ければ10数年で護衛艦や潜水艦の艦長を任される者が出てくる。

第67期幹部候補生は207名。うち女性21名。この学校で学ぶ本当の「過酷さ」は徹底した集団行動を強いられることだ。個人の自由をぎりぎりまで制限し、全ての行動は教官(上官)や分隊長の命令(号令)に従わなければならない。体操の際にも週番で選ばれた「体操号令官」という係が先頭に立って声を張り上げる。

訓練はすべて海上を想定。ラジオ体操に相当する海上自衛隊体操も、濡れたデッキや船の横揺れを想定し、転倒しないように「跳ねる」動作は簡略化されている(撮影:幸田大地)

自衛隊記念日行事における観閲行進の練習風景(撮影:幸田大地)

「本日の体操号令官、第〇分隊〇候補生〇〇 海上自衛隊第一体操、膝を曲げ伸ばせ、はじめ!」

間髪入れずに教官から激が飛ぶ。

「〇〇(候補生の名前)、声が小さいじゃないか。声を出せ、声を!!」

体操号令官に抜擢されると、数週間前から緊張し、眠れない日もあるという。

「自分が名指しされ、声が小さいと何度も指摘される。大勢の目の前で、上半身裸で、もう声が出ないところまで追い詰められる経験なんて、これまでの人生でないじゃないですか。もう涙が頬を伝っても、なんとも思わなくなりました」(一般大学卒の幹部候補生 男子)

インタビューに答えてくれた3人。左から、一般大学卒の男子、防衛大学校卒の男子、防衛大学校卒の女子。写真撮影は許可されたが実名の掲載は許されなかった(撮影:幸田大地)

海軍創設当初から英国海軍の影響を受けた海上自衛隊は、様式と美意識を重んじる。分隊整列の際、制服に汚れやシワが見つかると間髪入れずに注意される。

「〇〇、靴が汚れているじゃないか。一歩、前へ出ろ!!」  

ひとたび、名前を呼ばれれば候補生は直立不動。教官の「休め」の号令がかかるまで全員待機。連帯責任でグラウンドを1周させられるなどのペナルティが科せられる場合もある。こうした身だしなみや生活態度に関する教育は「訓育」と呼ばれ、何度も繰り返される。炎天下でも、霜が降りるほどの極寒日でも、上官の命令は絶対だ。

毎朝、分隊に分かれて定時点検が行われる(撮影:幸田大地)

表桟橋から江田島湾を見る。夏には8海里(約15キロメートル)を8時間かけて泳ぐ遠泳が行われる(撮影:幸田大地)

季節はずれの「江田島台風」

カツカツカツ……。

学生棟に乾いた靴音が響く。この靴音が通り過ぎた後には、無残な光景が広がることになる。

「最初の頃は、何が起きたのか理解できません。授業が終わり部屋に戻ってみると、せっかくたたんだ部屋の毛布とシーツが剥がされ、靴箱の靴が廊下に投げ捨てられているのですから」(一般大卒の幹部候補生)

4人1室の共同生活は携帯電話はもちろん私物を持ち込むことは許されない(撮影:幸田大地)

靴音の正体は「学生隊本部幹事付(通称・幹事付)」という役職の2人の教官。候補生の4期上で、卒業後、専門技術課程を優秀な成績で卒業した上位2名が任命されるのが慣わしだ。彼らの役目は、学生にあえて負荷を課し、強靱な体力と精神力を養成すること。年齢が近い彼らは候補生のお兄さん的な存在かと思いきや、海軍兵学校時代から「赤鬼」「青鬼」と呼ばれ恐れられている。今でも、笑ったところを見たことがないと真顔で話す候補生もいる。

とくに生活面は徹底して教え込む。中でもベッドメイキングは基礎中の基礎。一切の乱れは許されない。候補生の中には、生まれて初めて自分でシーツを交換したという者もいる。

候補生たちは構内の移動もいつも駆け足(撮影:幸田大地)

校内の廊下には生徒の靴墨や靴跡がくっきりと残されている(撮影:幸田大地)

「幹事付にシーツや毛布を剥がされることを『飛ばされる』と言います。20年ほど前までは、本当に窓の外にそれらが飛ばされ、校庭の木々にひっかかっていました。さすがにそれは理不尽だろうと、今はなくなったのですが、いつの頃からか、この抜き打ちチェックを『江田島台風』と呼ぶようになったのです」(幹部候補生学校総務課長)

候補生は学校内の移動も常に駆け足だ。休憩とか自由時間という概念はない。昼食と夕食の後に40分ほど時間があるのだが、この時間を使って「制服や作業服にアイロンをかける」「靴を磨く」「宿題をする」などの日課をこなす。

「ただでさえ時間がないのに、『飛ばされる』と一からやり直さなくてはならない。その時間が惜しいんです。日課ができないと幹事付に何度も指摘され、今度は自分のせいで同室者や分隊など他人に迷惑をかけてしまうのです」(幹部候補生)

共同生活に慣れた防衛大学校卒の候補生が、一般大卒の候補生の面倒をみる(撮影:幸田大地)

必ず決められた場所にかける(撮影:幸田大地)

理不尽にも見える仕打ちだが、全て海上自衛隊の学生服務要領に則って行われている。つまり、ここでの生活の全てが、海上自衛隊の主戦場である海の上での船上生活を想定して訓練なのだ。遵守しなければならない規則がここまで多いのは自衛隊の中でも海上自衛隊だけだという。

「ロッカーに洋服をかける順番まで規則で決まっています。これは、海上で船の電源が落ち、真っ暗になった状態でも、どこに何があるかを体で覚えるためです。ただ『飛ばされる』のではなく、そのひとつひとつに意味があります」(幹部候補生学校総務課長)

共用ロッカーも容赦なくチェックされる(撮影:幸田大地)

学生が恐れる「鬼」の住処

学生がもっとも緊張するのが学生棟の1階にある「学生隊本部」に入室する時だ。一般の学校の生徒指導室にあたる。中にいるのは「赤鬼」と「青鬼」だ。部屋の入り口には磨き上げられた等身大の鏡が設置されていて、学生たちは入室する前にここで立ち止まり、髪型、服装など全身をチェックし、一息飲み込んでから部屋のドアに手をかける。

「第〇分隊〇候補生〇〇、幹事付ブラボーに要件があり、参りました」。そう、声を張り上げると、中から「入れ!」と声が聞こえる。ここから先は取材が許されなかったが、廊下には、鬼たちの一際大きい激が洩れ聞こえていた。

慣れないうちは毎日のように呼び出しがかかる(撮影:幸田大地)

鏡に映る自分の姿を頭のてっぺんからつま先まで点検する(撮影:幸田大地)

言葉使いも徹底的に修正される。例えば、学生が、「〇〇でございます」「〇〇させていただきます」という言葉を上官に対して使うことは許されない。

「『〇〇でございます』は『〇〇です』、『〇〇させていただきます』は『〇〇します』と言え。これらの言葉は、いずれも『自分は判断していない』という責任回避を含めた表現だぞ。いいか、海自幹部としてのインテンション(意思)を示すためにも、こうした無責任な表現は使うな。わかったか」

「はい!」

神妙な面持ちで学生隊本部を後にする候補生たち。中には退室と同時に緊張の糸が切れ、堪えていた涙が溢れる者もいるという。

「年齢的にももっとも候補生に近いからこそ、訓練の過酷さがよくわかる」と語る幹事付。一挙一動が候補生からも上官からも見られているのは、幹事付もまた同じである(撮影:幸田大地)

カメラを向けると、幹事付は「お手柔らかにお願いします」と笑顔を見せた(撮影:幸田大地)

「意味もなく理不尽なことを言って追い詰めているわけではありません。人の上に立つ者は、体力や精神力だけではなく、知識や教養、立ち居振る舞いの美しさも必要だということです。それに、リーダーとはどうあるべきかについては、誰かに教えてもらうのではなく、自分の頭で考えてほしい。今の学生には、かえってそのことが難しいのかもしれません」(幹事付アルファー)

就職先としての自衛隊

「自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。」(自衛隊法第3条1項)

1959年に公開された映画「海軍兵学校物語 あゝ江田島」では理不尽な鬼教官の体罰やシゴキに耐える若い兵士の姿が描かれていたが、関係者に聞くと、いわゆる鉄拳制裁は「過去には存在した」と否定はしないが、現在は行われていないという。

学習時間は「教務」と呼ばれる。戦史、天文航法、語学などの座学の他に、遠泳や実弾射撃、護衛艦や潜水艦での実習など、1年を通じてカリキュラムが組まれている(撮影:幸田大地)

食事も訓練の一部だ。金曜日の昼の献立はカレーライスと決まっている(撮影:幸田大地)

印象的なシーンがあった。朝の総員起こしで腕立て伏せを撮影しようとした際、それは体罰と勘違いされるので撮影は遠慮してもらえないかと、同行する学校担当者に言われた。腕立て伏せといってもわずか20回である。自衛隊という組織が社会からどのような目で見られているのか、当事者たちも気にしているのだ。20年前にこの学校を卒業した海上自衛隊幹部の一人は、こう話す。

「幹部候補生といえども、今では防衛大学校卒よりも、早稲田や慶応など、一般大学卒が多く、昔のような極端な根性論だけでは長続きしない。その代わり、手は出さないけれども、汗と涙は流してもらおうというのが、この学校の指導方針なんです」

服装は帽子から背広、靴に至るまで統一されているが、運動靴は個人の自由が許されている。色とりどりの運動靴をはいて、3キロを走り、部隊ごとに記録を競う(撮影:幸田大地)

第67期207名のうち、一般大学卒が116名と、防衛大学校卒91名を上回っている。一般大に限ると競争倍率は13倍。今や自衛隊は人気の就職先なのだ。

「入学当初はなにしろ体力が続きませんでした。休日になると体中が痛くて起き上がることができない。自分がなんだかわからなくなってしまうんです。自由を制限する生活に身体が慣れるまで3カ月かかりました」(一般大学卒の幹部候補生)

防衛大学校卒の学生は、戸惑う一般大学卒の学生の面倒を見て、生活のあらゆる面でサポートに回る。それでも半年が経過すれば、その差は縮まってくる。

持久走の上位入賞者の表彰。庁舎の床は日露戦争で活躍した軍艦・金剛(1909年除籍)の甲板を移築したもの。毎日、候補生が磨き上げるので、ピカピカである(撮影:幸田大地)

候補生の体。無駄のない筋肉をしている(撮影:幸田大地)

話を聞いた学生に共通しているのは、日本という国家の防衛に貢献するという自衛隊の理念に共鳴したのが直接的な動機ではなく、海上自衛官の仕事を「就職先」として現実的な進路として選択したということだ。

「高校生の時に読んだ、(海上自衛隊の活躍を描いた)有川浩さんの小説『海の底』に憧れたのが最初でした」(防衛大学校卒の女性候補生)

「船舶に関係する仕事に就きたいと思って大手海運会社の就職試験を受けたが、ダメで、どうしても海で働く仕事を選びたいと思い志願した」(一般大学卒の候補生)

中には、「防衛大学校時代の恩師が海上自衛隊幹部だった」という学生もいるが、家族や親類に自衛官がいるという学生は少数だった。

校庭の黒板には国の防衛戦略について伝える記事が張り出されていた(撮影:幸田大地)

海上自衛隊幹部候補生学校長・海将補・真殿(まどの)知彦(50)は、1990年にこの学校を卒業した。

「歴史的に海での戦争は、陸戦のように数カ月も続くことはない。いざ、戦いとなれば勝負は一瞬で決まる。また、普段は美しい海も、ある日突然、文明を根こそぎ飲み込むような脅威となって牙を剝く。こうした予測のつかない事態が発生する環境の中で能力を発揮するには、柔軟な思考力とタフな精神力がなければなりません」

真殿知彦校長。1990年にこの学校を卒業した(撮影:幸田大地)

あどけなさを残す候補生たちだが、春に卒業すれば自分より年上の自衛官を部下として率いなくてはならない。時には自分の父親の世代の下士官が部下になる場合もある。事に当たって武器使用の許可を判断し、部下に引き金を引けと命令するのは、ここを卒業した未来の自衛隊幹部である。

国家のために死を選ぶことができるか−−。取材を受けてくれた候補生ひとりひとりに、単刀直入に聞いた。いずれも、想定したことがないのでわからないと回答した。すべての自衛官は入隊時に、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に努め、国民の負託にこたえるとする」という一文の入った宣誓に署名する。その宣誓の意味は、戦後から遠く離れつつある今だからこそ、重いのだ。

江田島の象徴ともいえる赤レンガを背景に生徒全員が整列する(撮影:幸田大地)


中原一歩(なかはら・いっぽ)
1977年生まれ。ノンフィクションライター。「食と政治」をテーマに、雑誌や週刊誌をはじめ、テレビやラジオの構成作家としても活動している。著書に『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』など。最新刊『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』。

[写真]
撮影:幸田大地
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝

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