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キム・ゼソン(金載松)

1千万円で愛犬「復活」 韓国研究所の“クローンビジネス”

2017/01/12(木) 10:28 配信

オリジナル

亡くなった愛犬がもう一度、自分の元に戻ってきたら? 何もかもそっくりなペットをもう1匹、そばに置くことができたら? クローン技術によってそれを実現させてくれる施設が韓国・ソウルにあるという。「スアム生命工学研究所」。日本を含む国内外の愛犬家から依頼を相次いで受けるほか、世界中から軍用犬や警察犬のクローンの依頼もあるという。価格は1匹1千万円。「科学の成果を実社会で役立てるのは当然」とする研究所に対し、「神を冒とくするビジネス」という批判も止まない。しかも研究所の主宰は、論文捏造事件でソウル大学教授の職を追われた学者だ。懐疑の目が消えぬ中、この10年間で既に800匹以上のクローン犬を世に送り出したという。(Yahoo!ニュース編集部)

「愛犬リフ」のクローンに会いに

2016年9月末。銀色のセダンが1台、スアム生命工学研究所の玄関に滑り込んできた。1人の男性が降りてくる。米国の医師で、「対面」のため太平洋を越えてきたという。

彼の話によると、愛犬「リフ」ががんになったことを知り、「死後」に備えてクローン作りを頼んでいた。実際にリフが亡くなったのは、2016年6月。そしてこの日、「リフ」のクローンに会いにきた。

愛犬「リフ」のクローン。2匹ともそっくりだと男性は言う(撮影:キム・ゼソン)

男性は施設の内部に入り、クローンが待つ部屋へー。その瞬間、彼は「ワォ」とも「ウォ」とも付かぬ声を上げた。「信じられない。本当にそっくりです」「奇跡だ」。リフの細胞から生まれたクローン犬は2匹。顔や姿、明るいクリーム色の毛並みまでほぼ正確にリフを再現できている、と男性は語る。

「おかえり」蘇ったペットにキス

男性はスタッフに「キスしていいか」と尋ねて、クローン犬を抱き上げ、頬ずりするようにキス。そして「おかえり」と言い、「ありがとう」を繰り返した。「私たちとリフの間には特別な絆があります。妻が最初の子どもを身ごもった時、家族の誰に対しても、リフは落ち着かせようとしてくれました。全員が穏やかに暮らせるようにしてくれたんです」

「リフ」の死から約3カ月。クローンを抱き上げ、キスする男性(撮影:キム・ゼソン)

男性によると、2015年の秋ごろ、この研究所の存在をニュースか何かで知った。1匹1千万円は確かに高い。それでも「代理母」の妊娠確率が100%ではないと説明を受け、クローンを2匹頼んだという。

“リフ”をその腕で抱いた後、男性はこう力説した。「クローン技術があれば、望めば望むだけ犬をこの世に留めておけます。科学の素晴らしい成果です」

「羊のドリー」と同じ体細胞クローン

研究所によると、ここでは「体細胞核移植」と呼ばれる技術を用いてクローン犬を作っている。どういう技術なのだろうか。

スアム生命工学研究所の研究風景(撮影:オルタスジャパン)

まず、「代理母」となる犬の卵子からDNAを取り除き、そこに再生したい犬の皮膚や耳から取った体細胞核を入れ、電気を流す。すると卵子は、体細胞核の持つ遺伝情報にアクセスできるようになり、そこからクローン胚が発生する。それを代理母の子宮に着床させれば、あとは通常の妊娠と同じ。代理母の胎内でクローンが育ち、やがて生まれる。

作業の様子を映しだす研究所の映像。DNAを取り除いた卵子(左側の球状)に器具を使って体細胞核を入れる(撮影:オルタスジャパン)

ほ乳類として世界初の「体細胞クローン」は1996年、英国スコットランドで誕生した羊の「ドリー」だった。スアム生命工学研究所も基本的にはそれと同じ「体細胞核移植」でクローン犬を生みだしているという。

「論文捏造事件」の主役が所長

ただ、この研究所のクローンには、懐疑と好奇の目線も途切れない。大きな理由の一つは「所長がファン・ウソク博士」だからだ。博士はソウル大学の教授だった時代、「論文捏造事件」を引き起こし、韓国のみならず、世界の科学界に衝撃を与えた人物だ。

論文捏造事件の渦中にあったときのファン博士(2005年12月=ロイター/アフロ)

論文はヒトの胚性幹細胞(ES細胞)に関するもの2本で、2004年と2005年、米の科学雑誌「サイエンス」に発表された。「世界レベルの研究者」「韓国の英雄」などと言われながら、2005年末にこれらの論文が捏造だったとされ、翌年3月、博士は教授職を追われた。さらに研究費の横領、実験に使うヒト卵子の売買による生命倫理法違反などの刑事事件にも問われ、2014年には韓国の最高裁判所で懲役1年6カ月(執行猶予付き)の判決を受けている。

そんなトップが指揮するクローン技術は、本物なのだろうか。例えば、「リフ」のクローンは本当に「リフ」なのか。

取材班のそんな質問に対し、研究所は「証明書」を提示した。DNA鑑定の結果だという。研究所は、第三者機関としてソウル市内の民間企業「韓国遺伝子情報センター」に委託し、STR型(短鎖縦列反復配列)検査という手法で鑑定している。「リフ」の結果欄には、「一致」の文字。研究所の研究員によれば、リフが正真正銘のクローンであることを示すのに十分な証拠だという。

「リフ」とクローンのDNA型が一致した、とする検査結果(撮影:オルタスジャパン)

河野教授「生き物には生と死があるのに…」

東京農業大学の河野友宏教授は「(スアム研究所のやっていることは)サイエンスではなくビジネスです」と言う。河野教授の研究室では、クローンのマウスを作るなどしてこの分野の研究を続けている。

河野教授によると、ほ乳動物であれば体細胞核移植によってクローンが作れることは2000年初めごろには分かっており、犬のクローンを作ったところで、科学的な目新しさはない。

「(スアムは)異質だと思いますよ。人の治療で治療費を取るのは分かるけど、ペットの再生で(高額を請求する)というのは医学としての重要さでもないし、はっきり言えばビジネスですよね。生き物には生と死があるんだから、それをどう受け入れて乗り越えていくか、というのが人間性。安易な複製は、あまりいいと思わない。(クローンで人が)癒されるはずもありません」

スアム生命工学研究所。ソウル郊外にある(撮影:キム・ゼソン)

既に800匹 依頼は世界中から

論文捏造事件で大学を追われたファン博士は2006年にこの研究所を設立し、これまでに800匹超のクローン犬を生みだしてきたという。現在は約60人の研究員がいる。「注文」は日本も含め、世界中から届くという。

「人間や社会に必要であり、利益をもたらす分野であれば、有用な方向へと技術を求めていく。それは、科学者にとって最低限の社会への道理だと思います」とファン博士は力説する。研究所では、クローン犬以外のプロジェクトも進行中だという。その一つがクローン牛の研究だ。

畜産農家の牧場で、クローン牛の研究について語るファン博士(撮影:オルタスジャパン)

韓国では2000年から口蹄疫が度々発生し、大量の牛が殺処分された。これに関し、スアム研究所は京畿道政府の依頼を受け、優れた遺伝形質を持つ母牛をクローンで大量に複製する計画だ。雌のクローン「韓牛」を年間80頭生産する目標があり、それぞれが成長して子牛を産めるようになったら、クローン牛から生まれた子牛の肉が市場に出回るようになる、という。ファン博士はさらに、絶滅の危機に瀕しているエチオピアオオカミやリカオンなどの動物をクローンによって救いたい、とも語る。

警察犬や探知犬も「複製」

「スアム」の名前を知らしめたクローン犬がいる。2007年春、韓国・済州島で9歳の女児が誘拐され、約40日後に遺体で見つかるという痛ましい事件があった。警察はその間、延べ3万人超の態勢で大捜索を続けたが、遺体を見つけたのは「クィン」という名の探知犬だった。しかも、クィンはわずか30分間で少女を見つけたという。

研究所はそのクィンのクローン5匹を作りだした、というのである。韓国メディアの報道によると、そのうち4匹が仁川国際空港などで警備の任務についている。優れた嗅覚を持つ警察犬や探知犬を複製してほしいとの依頼は、国外からもあるという。研究所が示した書類によれば、これまでに米国やロシア、ミャンマー、中国、アラブ首長国連邦などから要請があったとされている。

訓練を受けるクローン犬とされる犬。警察犬や探知犬にする(撮影:オルタスジャパン)

探知犬などのクローンは、ソウル市内の「フォーシーズンズ愛犬訓練所」で1年間ほどの訓練を受ける。この訓練所は2016年4月に法人化された株式会社で、7人の社員がいる。施設の代表、ハン・ユンチャンさんは「クローン犬は(一般の犬と比べて)スタミナと集中力が優れています」と言う。

研究所のチョ・ヨンソク行政局長によると、普通の犬は、訓練を重ねても探知犬などとして活躍できるようになるのは2割程度。これに対し、クローン犬は8割程度になるという。ファン博士も「優れた遺伝の能力を持つ個体を選んで複製し、大量に生産して訓練を行うと、治安維持や社会の安全に貢献できます。テロや犯罪を未然に防ぐ効果もあります。(そうした面でもクローン技術を社会に生かす)時代が始まったと思います」と話した。

代理母からの出産手術に立ち合うファン博士。クローン犬(右)がまた生まれた(撮影:オルタスジャパン)

「複製」はどこまで許されるか

クローンは基本的に複製技術だ。生命と倫理の関係に加え、宗教観なども複雑に絡み合う。そのため、ヒトのクローンについては日本でも2000年に「人クローン技術規制法」が出来ている。では、犬ならいいのか? 牛は? ほかの動物は? 東京農大の河野教授は「最終的にどうしてもこの形質は残したいという時にクローンは良い技術になる可能性はある。けれども、一般的にそれですべてを作ればいい、というわけではない」と話す。

そもそもクローン技術によってDNAが100パーセント一致する動物が生まれても、その動物の形質までもが全て一致するとは限らない。DNAのどの部分が発現するかは、後発的に決まるからだという。そうした点を踏まえつつ、東北大学の種村健太郎教授(動物生殖科学)は、クローンの実用化は「まだ早い」と指摘する。

「夢の技術を身近なものにするためには、(今は)さらに基礎研究を充実させることによって科学的なエビデンスを集積させる段階ではないでしょうか。基礎があって応用にいくわけですから、まだ早いのかなと思います」

生まれたばかりのクローン犬。スアム生命工学研究所で(撮影:キム・ゼソン)

種村教授によると、研究成果がある程度蓄積されているマウスのクローンですら、成功率が10%を超えればいい方だという。犬にはそうした研究の蓄積がない。だから、スアムでの失敗はかなりの数に上っているのではないか、と種村教授は考えている。

「(基礎研究が蓄積され、社会的な環境が整っても)クローン技術は僕だったら使わないかもしれない。産業で使うとしてもクローン技術は難しすぎるので、他の方法の方が現実的ではないでしょうか。口蹄疫にしても(衛生的に管理するなどの対策によって)ある程度の封じ込めができている。動物管理技術も含めて対応できるのであれば、その方が早いですよね。コストも、恐らく低いと思います」

「クローンが死んだらまたクローンを」

研究所での取材中、シンガポールから来た20代の女性に会った。最後にこの女性の話を紹介しよう。

研究所内にはこれまでのクローン犬の写真がたくさん掲げてある(撮影:キム・ゼソン)

彼女は現在、8匹の犬を飼っている。その中でのお気に入りは「サム」。研究所を訪ねたのは、サムのクローンを作りたいからだと言う。サムはまだ元気に生きている。それなのにクローンを?

「ただの犬じゃないか、と言う人がいるのは分かります。でも、私には家族同様。絶対にクローンを作ります。1匹だけのつもりですが、お金に限りがなければ何匹でもほしい」。サムのクローンが死んだら、またクローンを? 「今は分かりません。でも、彼には私の兄弟として生涯一緒にいてほしいんです」

[制作協力]
オルタスジャパン
[写真]
撮影:キム・ゼソン(金載松)オルタスジャパン

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