田川基成

消えゆく「死者との交信」―― 青森のイタコを訪ねて

2016/12/29(木) 10:34 配信

あの世に旅立った魂を降ろしてもらい、遺された者はその魂の言葉を聞く。「どうして突然、逝ったのか」「思い残したことはないの?」——。逝った者と遺された者。東北に根付いたイタコはその両者の間に身を置き、魂の言葉をやりとりしてきた。イタコとは何者か。魂を呼び寄せ、その言葉を聞く「口寄せ」とはー。最盛期の昭和40年代に300人以上いたとされるイタコはいま、6人しか残っていないという。晩秋の東北でイタコに会った。(Yahoo!ニュース編集部)

和室に老女が座っている。白装束。顔にも手の甲にも深いしわがある。現役最高齢のイタコ、中村タケさん(85)だ。タケさんは目が見えない。かつてイタコは、盲目の女性がその役を担った。いま、盲目のイタコはタケさんだけだ。

向き合った女性に「亡くなったのは、いつですか?」とタケさんが問うた。午後の太陽が窓越しに部屋を照らしている。

死者の魂を降ろす「口寄せ」。依頼した庭田美子さん(左)は頭を下げ、イタコに向き合う(撮影:田川基成)

その女性、庭田美子さん(59)も正座していた。「4年前です」。庭田さんが父の命日や名前などを告げると、タケさんは座ったまま背を向け、祭壇に向き直った。

「口寄せ」が始まる。

死者の魂を降ろし、声を聞く

青森県八戸市の山間にある南郷地域は、古くからイタコ文化が栄えた。タケさんは今もここで「口寄せ」を行う。先立ったあの人は、心の中で何を考えていたのか。それを聞くために、人々はタケさんの家に足を運ぶ。

八戸市近郊の庭田さんは、4年前に亡くした父の思いを知りたかった。

イタコの中村タケさんが住む八戸市の南郷地域。依頼者の庭田さんの父は、この空のどこかにいる(撮影:田川基成)

高校3年生の時、庭田さんが「農家を継がない」と宣言して以降、娘と父はほとんど口をきかなくなったという。娘はその状態で家を出て、結婚し、子どもが生まれた。孫を連れて帰っても父の冷淡さは変わらない。娘の頑固さも父譲り。歩み寄る言葉を互いに交わさぬまま、父は他界した。

あれ以来、庭田さんには、ずっとわだかまりがある。どんな事情があったにせよ、父は父。自分の夫や子どものことを本当はどう思っていたのか。それが知りたい。厳しい言葉でもいい。父の言葉を聞きたかった。

「口寄せ」、始まる

庭田さんに背を向けたまま、タケさんの「口寄せ」が始まった。

「ここに申し願い頼み奉る 極楽の役人どもに 今 呼びしたい方の道を 必ず与えて下さることを…」

「口寄せ」で経文を唱え続けるタケさん(撮影:田川基成)

白装束が時に左右に、上下に揺れた。眉間にしわを寄せ、強く目をつむる。苦しそうにも映る。ゆっくりした、まさに絞り出すような声で経文。この地方だけの方言か、イタコしか使わない言葉か。傍らで耳を傾けても、経文の意味を解することは難しい。

「降りてきてください」

口寄せの間、経文が続く。白装束にも経文(撮影:田川基成)

15分ほどが過ぎ、タケさんはそう口にした。経文の、最後の言葉だ。

タケさんが向き直った。咳払い。素早く数珠をこする。仏になった庭田さんの父。その思いがタケさんーイタコの口を突いて出ようとしていた。

亡き父の言葉はー

「思いそめての大難だ(思いがけない災難があったのか)。心寄せて喜びのだつきに(みんなが集まって何か良いことがあったのか)」

降りてきた父の、最初の言葉だった。そして、一言ずつ、区切るような言葉が続く。

「(仕事を)頑張ることを人生の一番の願いとして暮らした時代もあったが」「あんたたちの来る楽しみを心の喜びにしながら」「(家族と会う)喜びを届けてみたかったという心残りはあるけれども」「何と言葉に交わせばよろしいか(言葉にすることができなかった)」

晩秋の八戸市で庭田さんは亡き父の言葉を聞いた。涙が出た(撮影:田川基成)

イタコの口を借りた父の言葉は、およそ20分続いた。途中から顔を上げて聞いていた庭田さん。彼女は和室を去る前にこう言った。

「涙が浮かびました。(自分が自宅に)帰れば、(父は)うるさがって、孫の顔なんか見たくない、という感じだったので。(本当は)そう思ってくれていたんだ、って。しみじみと思いました」

父の言葉を聞いている間、確かに、庭田さんの目はうるんでいた。

あの世はありますか?

タケさんには、仏が降りて来た時の記憶はない。何を喋ったのかも覚えていない。あるのは、仏が降りた瞬間に、背中のあたりがもやもやと温まるような感覚だけだ、と言う。

國學院大学大学院特別研究員の大道晴香さんによれば、イタコは神仏の声を聞く巫女(みこ、シャーマン)の一種であり、盲目や視力の悪い女性が主にその役を担ってきた。巫女文化は東北に古くから広く存在し、イタコ以外にも、オガミサマ(岩手県・宮城県)、ワカサマ(福島県)などがいた。しかし、いずれの巫女も、既に途絶えているか、数名を残すだけだという。

カメラは確かに口寄せをとらえた。巫女となったタケさんはレンズの前で、庭田さんの父になった。死者との交信である。しかし、そんなことが本当にできるのか。失礼だとは思いつつ、盲目のイタコに尋ねた。

あの世は「ある」。イタコのタケさんはそう言う(撮影:田川基成)

——仏様なり、神様なりが実際に降りてくるんですよね?

「はい、降りてきます」

———敢えて聞くんですが、あの世は本当にありますか?

「それはね、ある、ある。あると思います。私も終わって行ってみない(いない)から、ね、あの、こういうとこだよ、って言うことはできないけど、でも、あの世があるから、みんな、仏さんになれば行くとこに行って、仏という道をちゃんと守って暮らしている。私たち(イタコはそう)伺ってきたから、それを信じてます」

水垢離、断食。厳しい修行

タケさんは3歳で全盲となり、13歳でイタコに弟子入りした。弟子は、師匠の家に住み込み、学ぶ。修行は長ければ10年ほど。身を浄めるために冷たい水を浴びる「水垢離(みずごり)」や「穀断ち」(断食)などの苦行もある。目が見えないため、100近い経文はすべて耳で覚える。タケさんはおよそ2年で独り立ちした。

口寄せで使った物、その時の仕草。あれは何だったか。それもタケさんに尋ねた。

「口寄せ」の時に背負う「オダイジ」。開けたことはない(撮影:田川基成)

背負っていた、布で包まれた竹筒は「オダイジ」と呼ばれる。独り立ち直前の「師匠上がり」の際、師匠が与える。竹筒の中に入っているという巻物は、一度も取り出したことがない。一度でも開くと、巻物は「二度と収まらなくなる」と教えられたからだ。

数珠をこすって鳴らすのは、魂が降りる場所を知らせるためだ。数珠に取り付けた六文銭は、三途の川を渡るときの船賃である。

数珠に取り付けた六文銭。こすって音を出し、魂の降りる場所を知らせる(撮影:田川基成)

厳しい自然が育んだ文化

「カミサマ」と言われる青森県の他の巫女などと違ってイタコには明確な特徴がある、と國學院大学の大道さんは言う。イタコは「師匠のもとでの修行」が必須であり、例えば、ある人が突然、「仏が降りてきた」などと言っても、イタコになれるわけではない。江戸時代まで師匠の系譜をさかのぼることができるイタコもいる、と大道さんは指摘する。

東北の人々は昔から、厳しい自然に悩まされてきた。貧しい土地で作物が取れるのか、いつ漁に出ればいいのか。そんな日々の心配事にも、イタコは「占い」や「お祓い」で応えてきた。口寄せだけが、イタコの役割ではなかった。

その文化も最近、大きな曲がり角にある。八戸市在住の郷土史家で、長年イタコの実態調査を進めてきた江刺家均さんは「イタコは現在、6人しかいません」と言う。

イタコ文化について語る八戸市の郷土史家、江刺家均さん(撮影:田川基成)

江刺家さんによれば、東北には「死ねば、お山さ行ぐ」という言い伝えがある。特に青森県の下北地方では、死者の魂は「恐山」に向かうと信じられてきた。そうした死生観が、イタコ文化を育んだ。しかし、50年前に60人ほどだったイタコは激減した。「自分が生活していくのに精一杯で、師匠になるイタコさんがいなくなった」と江刺家さん。恐山に口寄せの場を設けるイタコはもう、2、3人しかいない。

大道さんも、時代の変化を強調した。東日本大震災の後、宮城県の人たちから新たな依頼者が訪れるなど、口寄せへの需要は高いまま。しかし、イタコ減少の流れは変わらない。「福祉、医療制度が発展したことが大きい。目が見えないからといって、イタコを職業に選ぶ人は圧倒的に減りました」と大道さんは言う。

「最後のイタコ」、その姿は

イタコは、このまま消えるのだろうか。

八戸市に住む松田広子さん(44)を訪ねた。最年少のイタコで「最後のイタコ」とも呼ばれる。松田さんは高校生の時、病院でも治らない症状をイタコに治してもらったことに心を動かされ、この道に入った。そのイタコが後に松田さんの師匠になる。

「最後のイタコ」と言われる松田広子さん(撮影:田川基成)

「いま考えると」と松田さんは言う。「免許がないので不便(な職業)なんですけどね。毎月決まった給料が入ってくるわけでもないですし」。依頼者に地元の住民は少ない。「東京からが来る方が多いですね。沖縄や北海道からも来ます」。全国各地からネットを通じて問い合わせがあり、そして八戸に足を運んで来る人がほとんどだ。今は毎月、10日ほどイタコの仕事口を手掛ける。

「オシラサマ」のお祓い

松田さんには2人の子どもがいる。大将君(7)と、樹理ちゃん(6)。正座した2人に対する「お祓い」の様子を見せてもらった。松田さんの両手には、家の神様「オシラサマ」。二つあるのは、男女の対を意味している。

松田さんの両手に「オシラサマ」。男女の対だという(撮影:田川基成)

それを子どもたちの背中や肘、頭などに触れさせていく。“悪い虫”がつかないように、である。オシラサマを遊ばせる「オシラサマアソバセ」も見せてもらった。その家の1年を占う儀式だ。これもイタコの役目であり、古くから東北に根付いている。

「オシラサマ」を手にする松田さんの子どもたち(撮影:田川基成)

松田さんは樹里ちゃんに後を継がせるつもりはない。「もう神様仏様のせいにする時代でもないですし、イタコで生きていくのは難しいと思います」。松田さんが弟子を取らなければ、イタコの習俗は途絶える可能性が高い。

83歳のイタコ「弟子を取らなかった」

八戸の市街地と港を結ぶ国道を車で走ると、イタコの電柱広告が目に入る。タテに大きく「小笠原イタコ」の文字。昔はあちこちにあった電柱広告も、今はここしかない。

広告の主、小笠原ミヨウさん(83)は20歳でイタコの道に入ったという。10年ほど前までは、恐山でも口寄せの場を設けていた。最近はそれも難しくなった。ぜんそくが悪くなり、イタコとして動くことができないからだ。カメラ取材の日も「これでも治ったほうです」と言いながら、時々激しく咳こんだ。

ミヨウさんは弟子を取らなかった。「自分が(修行で)つらい思いをしたから、同じ思いをさせたくないと思って」のことだ。そう、イタコは誰でもなれるわけではないのだ。

夜明けの八戸港。市街地とここを結ぶ間にイタコの小笠原ミヨウさんはいる。静かな海も時に荒れる。その自然の中で、人々はイタコを頼った(撮影:田川基成)

自身も覚えていない、数え切れないほどの死者との交信。それを手掛けてきたミヨウさんは、あの世をどう捉えているのだろうか。新幹線が八戸を通る時代にあっても、あの世を信じているのだろうか。

「私も死んでないから、そっちの世界は分かりません」

イタコでも分からない?

「分からない。でも、私はこれ(イタコ)で良かったと思っています。私は神様仏様のおかげで、今日まで救われたと思っています」

————あの世から魂を降ろし、亡き者の言葉を聞く。イタコがつくる習俗の世界。その声と音と共に、イタコのいる空間を動画で感じ取ってほしい。あなたにも。

[制作協力]
オルタスジャパン
[写真]
撮影:田川基成
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝

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