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八尋伸

変わりゆく「右翼」 “愛国”の現場から

2016/11/09(水) 10:41 配信

オリジナル

日本の右傾化が言われて久しい。ただ、「街宣車」「戦闘服」といった“右翼スタイル”をあまり見かけなくなったな、と感じる人も多いのではないか。実は、右翼団体のメンバーは高齢化が進み、若い世代はほとんど活動に参加していないのだという。ネット上では右翼的で過激な言論が飛び交い、街頭でも極端な「ヘイトスピーチ」が目立つ時代。そんな現在を右翼団体はどんな思いで見詰めているのだろうか。古くから「愛国」を掲げてきた右翼は、いま―。(Yahoo!ニュース編集部)

六本木で「中国との国交断絶せよ!」

9月29日の木曜日。もうすぐ10月だというのに、東京の気温はこの日、27度を超えた。時折、雨もぱらつく。暑苦しさも感じる中、六本木の街路に100人近くのデモ隊が現れた。「日中国交を断絶せよ!」「中国共産主義を打倒せよ!」。そんなシュプレヒコールを響かせながら、六本木ヒルズの前を進む。先頭には横断幕を掲げた「街宣車」があった。

この日は、右翼団体の間で「反中共デー」と呼ばれる日だった。日本と中国の国交正常化は1972年の9月29日。共産党が実権を握る中国との国交を許さない、との理由で、右翼団体は毎年この日に中国との国交断絶を訴え、デモなどを続けてきた。

冷めた視線に「自分のことしか考えてない」

六本木では、シュプレヒコールに耳を傾ける人はほとんどいない。手で耳を塞ぎながら足早に通り過ぎる人もいた。ショッピングに来たという若い女性は「人に迷惑をかけるのは、恥ずかしい。日中国交? どうでもいいです」と立ち去った。

デモの最後尾を行く大日本愛国党総本部長の舟川孝さん(撮影・八尋伸)

大日本愛国党(愛国党)の総本部長、舟川孝さん(55)は、そんな様子を意に介していないようだった。

「みんな問題意識が低いんだよ。そういう人は自分のことしか考えてないの。仕事とかね。問題意識が低いから、けげんそうな顔をするんだと思いますよ」。舟川さんの周囲には「守れ尖閣諸島!」と書かれたのぼりを持った人が、何人も歩いている。「今これだけ日中間の問題がクローズアップされている。そんな中で、このスローガンを見れば何か思うはず。この活動は世論の喚起をしているわけですからね」

「国土をどう守るのか。それが趣旨」

デモの解散後、いくつかの右翼団体は近くの中国大使館に向かった。大使館前で宣伝活動するためだ。ところが、はるか手前で道路は警官隊によって封鎖され、街宣車は大使館に近づくことができない。すぐ、双方のにらみ合いが始まった。「ふざけるな、警視庁! 日本を守らず中国を守るのか! ここを通せ!」。メンバーの大声が響く。

中国大使館へ続く道で、バリケードを挟んでにらみ合う警官隊と右翼活動家(撮影:八尋伸)

経済規模が格段に大きくなった中国には今、日本や米国などから膨大なカネ、ヒト、モノが流れ込む。その逆の流れもある。「共産主義の脅威」など、もう無いのではないか。愛国党の榎本隆生さん(45)にそこを聞くと、こんな答えが返ってきた。

「共産主義だから、っていうわけじゃなくて、『守れ尖閣諸島』とここに書いてあるように、日本の国土を守るためにどうしたらいいの、って。共産主義国家による侵略を阻止しよう、というのが趣旨。国土があって、そこに人が住んで、産業が生まれて、文化が生まれて、国になっていく。国土を守るために何をすればいいのか、ってことです」

「テロは抑止力」の発想

街宣車を用いる活動スタイルは、愛国党の総裁だった赤尾敏氏が始めたとされる。

戦前に国会議員だった赤尾氏は、1951年に党を結成し、「日本はソ連・中共を叩くために、米英と組むべき」と主張。街宣車に日の丸とともに星条旗、ユニオンジャックを掲げた。1990年に91歳で没する前まで、ほぼ毎日、一説には3万回を超す演説を行ったといわれ、特に銀座・数寄屋橋には頻繁に足を運んだ。

大日本愛国党の創始者、故・赤尾敏氏の肖像写真。総本部に掲げられている(撮影・田川基成)

愛国党の総本部は、下町の風情を残す東京・田端にある。居酒屋や工具店が並ぶ通り沿いの一角だ。中に入ると、神棚と並んで故・山口二矢氏のデスマスクがあった。

山口氏は1960年、東京・日比谷公会堂で行われていた3党首演説会の会場で、演説中だった日本社会党(現社民党)委員長の浅沼稲次郞氏を刺殺したことで知られる。当時、彼は17歳。自身の行動が党に迷惑をかけるなどと判断し、愛国党を離れた身だった。聴衆として会場に入った右翼団体メンバーが「売国奴、浅沼!」といった激しいヤジを浴びせる中、「愛国少年」は突然、短刀で浅沼氏を突き刺す。多くの報道陣も見守る中でのテロは当時、社会に大きな衝撃を与えた。

この事件に限らず、政財界の要人を相次いで狙った戦前の「血盟団事件」のように、かつての右翼には「要人テロ」を否定しない考えがあった。

故・山口二矢氏のデスマスク。17歳で政治家を刺殺した(撮影・田川基成)

今も右翼はテロを容認するのだろうか。

事務所で向かい合った榎本さんは「正当化できるかできないかで言うと、(テロは)正当化できない」と言った後、「ただし」と続けた。

「それがなかったら誰も議員さんを止められなくなるでしょう? 悪政に対する抑止力として、僕らはいなきゃいけない。必要悪。(そういうものが無いと政治家は)言いっぱなし、やりっぱなし。思い付きで政治をやっていると、苦しむ人がいっぱい出てくる」

「テロは正当化できないが…」と語る愛国党の榎本隆生さん(撮影・田川基成)

「僕が(総本部長の)舟川から愛国党に誘われた時、『愛国心なんかないですよ』と話した。そしたら『いや、愛国党は愛国心を持つ人の団体じゃない。全ての人民が自ずと愛せる国に変えていこうという党なんだ』って。ああ、そうなんだ、って……。こんなこと、できることならやりたくないけど、(世の中が)まともじゃないから世直しするわけで」

活動家の減少と高齢化、止まらず

時代は大きく変わり、右翼の活動も荒波に揉まれている。何よりも高齢化が進んだ。

愛国党の榎本さんも「俺は45歳だけど、『貴重な40代』って言われる。20代なんて『幻の20代』。若い人が、政治に興味を失っている」と話す。毎年9月29日の「反中共デー」も参加者の減りが目立つ。今年の約100人は、昨年の半分だったという。

「警察白書」は1981年版まで、右翼の数を12万人と記載していた。それが2015年には「8000人」(警察庁広報室)。正確な数は把握できていないにしても、大幅な減少は疑いない。

今年の「反中共デー」。参加者は昨年の半分だったという(撮影・八尋伸)

「日本の右翼」「評伝・赤尾敏」の著書を持つジャーナリストの猪野健治さんによると、1960〜70年代は左翼の力が大きく、その対抗勢力として右翼の活動も活発だった。衰退が決定的になったのは、1990年代初めの冷戦崩壊。ソ連や東欧などの社会主義国が消えて「反共」は敵を失った。その後は全国各地の自治体で騒音を規制する条例ができたり、強化されたりと、法的な規制も厳しくなった。「法律的な締め付けで外堀が埋められて、自由に発言できなくなっている。牙を抜かれた状態。(右翼活動家も)何かやったら、すぐ逮捕される」

日本最大の右翼団体「街宣はしない」

時代が変化する中、日本最大の右翼団体と言われる日本青年社(東京)は、2008年から都内での街宣活動をやめている。それが功を奏したのか、会員の減少や高齢化はない、と言う。

総本部室長の山﨑誠さんは「右翼=街宣車=特攻服というイメージを国民に持たれている。果たして、それでいいのか、と。一般市民から耳を塞がれる運動は、見直さないといけない。その代わり、ホームページに主張を掲載している」と話す。

もっとも、日本青年社はそれ以前から、街宣とは違う活動を続けていた。1978年と96年の2度にわたり、尖閣諸島に灯台を建設し、2005年にはその一つを日本政府に無償提供した。2009年にはロシア側の招きに応じてモスクワを訪問し、元首相らと会談して北方領土問題で意見交換を行ったこともある。

山﨑さんは言う。

日本青年社の活動について語る幹部たち(撮影・オルタスジャパン)

「政府がやりたくてもできないものに、我々はレールをひく。道筋をつける。あとは政府同士(の交渉)になる。彼らが動きやすい道筋をつけるのは大事な運動です」

「ヘイト」に対しては「卑怯」「ただの差別」

伝統的な右翼活動は最近、別の環境変化にも遭遇している。

韓国人や中国人などに対し、「日本から出ていけ!」「ゴキブリ」などと差別的な言葉や罵声を投げつけ、街頭を集団で練り歩く人々の群れがそれだ。ネット上での呼び掛けに応じて集まり、若い世代も多く参加する。ヘイトスピーチ規制法の制定などによって、風向きは変わりつつあるものの、そうした活動に対し、伝統的な右翼活動家は辛らつだ。

日本青年社理事長の山本正實さんは「もともと日本の文化に『満座の場面で、大声で、声なき人をののしる』という卑怯な文化はない」と言い切る。

30年前から愛国党の活動に参加する男性の意見はこうだ。「僕らは中国共産党“政府”に対しては文句を言うけど、中国人に文句を言うわけじゃない。ネットの人たちは個人的なこともあげつらって差別的なことを言う。僕らは今度、そっちを是正していかなくてはいけない」

街宣活動で使われる愛国党のハンドマイク(撮影・田川基成)

愛国党の榎本さんは、さらに手厳しい。「あなたたち(メディア)が右翼と言うから、彼らは右翼になっちゃう。ネットにあふれているのは、ただの差別的な発言。人種を一括りにして『劣っている』という発言などあり得ない」

そうした団体と愛国党の活動を一緒くたにされた経験が、榎本さんにはある。その日、愛国党が訪れた場所では、直前まで別の団体がヘイトスピーチをしていた。その団体は、在日朝鮮人に対して「あらゆる差別的な言葉」を投げつけていたという。愛国党もその団体と同列に見なされ、「差別主義者」と批判されたのだ、と。

「『天皇陛下を中心に団結せよ』って宣伝カーに書いてあるだけなのに…。僕らは差別しに行ったわけじゃない。朝鮮総連の解体を訴えに行ったんだ。在日朝鮮人すべてが悪いなんて、僕らは言わない」

「日の丸が泣いている」

政治団体「一水会」元最高顧問の鈴木邦男さん(73)も、今の日本の“空気”に危機感を抱いているという。鈴木さんは以前、「対米自立」を訴えるなど、既存の「親米右翼」とは違った活動を展開し、「新右翼」と呼ばれた。

「日の丸を先頭に差別なんて、おかしい」。鈴木邦男氏はそう語る(撮影・オルタスジャパン)

「今は何か違ったことをすると、すぐ『北朝鮮に帰れ』と言われる」

3年前、在日朝鮮人に対してヘイトスピーチを繰り返す団体の動画を見たことがある。先頭に日の丸。鈴木さんには、その旗が「泣いている」ように見えたという。

「日の丸はもともと、対話の精神を表現するもの。日本は古来、大陸から人が自由に入ってきた。漢字もそう。そういう外国の文化や人に助けられて発展してきた。なのに、日の丸を先頭にして差別運動するのはおかしいじゃないか? 今の日本は“ストーカーに狙われている国”だと感じる。『俺はお前が好きなんだ、だからお前も俺を認めてくれ』と」

鈴木さんはこうも続けた。

「作家の三島由紀夫は自決する2年前、『私は「愛国心」という言葉が好きではない』と書いています。『この言葉は官製のにおいがする』と。『どことなく押しつけがましい』と。当時は全然、分からなかった。でも、今やっと分かるよ」

[制作協力]
オルタスジャパン
[写真]
撮影:八尋伸 田川基成
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝

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