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五輪目指して「就活」 トップアスリートの挑戦

2015/10/8(木) 8:10 配信

「就職か、それとも引退かーー」。現役ピークを過ぎたアスリートの言葉ではない。まだ20代前半、これからの活躍が期待される国内トップアスリートの口から出た言葉だ。メダルを期待されるほど華々しい実績を残しても競技が続けられない。2020年の東京五輪に向けて高まるスポーツ熱の陰で、もがくアスリートたちがいる。(Yahoo!ニュース編集部)

「競技と生活」が両立可能にする事業

9月28日、東京五輪の追加種目候補が発表された。選ばれたのはサーフィンやスポーツクライミング、空手など5競技18種目。正式種目として採用されれば日頃、目にする機会が少ないスポーツがオリンピックの舞台で脚光を浴びることになる。

だが、正式種目に選ばれたとしてもスポーツ一本で生計を立てていくことのできるアスリートはごく一握りだ。プロリーグがない種目ともなれば、生活との両立はさらに厳しい。20代前半で早くも「引退」を意識する選手もいる。

だが、そんな状況を打破すべく、2010年からJOC(日本オリンピック委員会)が始めた事業がある。「アスナビ」だ。JOCが自己資金で活動するアスリートを企業に紹介、マッチングを行う。そこからアスリートは「就活」を行い、社員として採用されれば、勤務しながら安心して競技にうちこむことができる制度だ。

国内トップクラスでも月に200時間のアルバイト

「いらっしゃいませ。アイスコーヒー2つですね」

埼玉県の三井アウトレットパーク 入間、コーヒーや軽食を売るキッチンカーの中で働く佐藤夏生さん(22)。女子スノーボード・スロープスタイルで世界選手権やワールドカップの日本代表に選ばれた実績を持つ。

今年3月に行われた全日本選手権大会では2位入賞を果たした。2018年の韓国・平昌冬季五輪の出場も期待される。

華々しい実績を残す佐藤さんだが、スノーボーダーとして活躍し続けるためには多額の費用がかかる。海外遠征や大会参加費などを含めれば年間で約170万円が必要だ。

費用はアルバイト代とスポンサー収入、競技団体からの補助によってまかなっている。生活費などを差し引けば自分の手元に残るお金はほとんどない。
すでに4年間もアルバイトで競技活動を支えており、多いときで週に5日、働くこともある。

「シーズンオフには月に200時間もアルバイトをしなければなりません。ですが、私が働いている間にも世界のトップクラスの選手は練習している。彼女たちは生活時間のほとんどをスノーボードにあてています」

練習時間の差は顕著に結果に現れてしまう。今年8月に日本代表として出場したワールドカップでは予選敗退に終わってしまった。平昌五輪の選考対象となるためには来シーズンのワールドカップで好成績を残すことが条件だ。今後、さらに練習を重ねなくてはならない。

こうした例は佐藤さんだけに限らない。

悲願達成か、引退か

「このままなら引退しないといけない」と語るのは大和田真さん(24)。スピードスケートのアジア選手権で優勝した経験を持つ、若きアスリートだ。大和田さんはソチ五輪の出場を目指していたが、最終選考の試合では0.03秒差で出場を逃した。平昌五輪の出場は悲願とも言える。

五輪出場に向けて練習に集中したい、そんな思いから、生活のための仕事はしない。現在はスポンサー収入以外の収入はなく、両親からの援助に頼っている状況だ。そんな中、9月には妻が男の子を出産、1児の父になった。経済面のプレッシャーはさらにのしかかる。

「競技を続けていく以上に日常的な生活が厳しい。ずっと親のすねをかじってはいられない」

日本屈指のアスリートでも競技と生活の両立が難しい。それが日本のスポーツ界の現状だ。

日本はスポーツビジネスでは発展途上国

スポーツビジネスマネジメントやスポーツマーケティングに詳しい早稲田大学スポーツ科学学術院・原田宗彦教授はこう説明する。

「日本はスポーツビジネスという点においてはまだ発展途上なんです。例えば、アメリカではスポーツビジネスの仕組みが確立されており、様々な種目をプロスポーツ化しています」

事実、日本では馴染みの薄いラクロスもアメリカでは1980年代にプロリーグが成立している。ラグビーも来年からプロリーグが設立される予定だ。競技団体側はスポンサー獲得に動き、時にはメディアも活用し、大勢の観客を呼びこむ。そうやって集まった資金を選手に還元する。スポーツビジネスとして継続的な仕組みが出来上がっている。

「一方の日本には実業団をはじめとする『企業スポーツ』という世界的にも非常に珍しい制度があるわけですから、企業をもっと活用すべきでしょう」

そこで選手と企業をマッチングさせるべくJOCが主導して生まれたのが「アスナビ」だ。スポーツ実業団が企業のバックアップのもと、大々的に資金と人員を割き、チームを組織化するのに対し、「アスナビ」の仕組みでは企業が一人ひとりを採用することができる。採用されたアスリートは一般社員と同様、出勤義務もあり、仕事も割り当てられる。アスリートは企業との契約において、練習時間を確保し、生活との両立を図る。

「アスナビ」を主導したJOCの八田茂氏はこう語る。

「私のところに、選手やコーチから『経済的に厳しい』というSOSがきていた。ならば民間企業の力を借りて社員として雇用しながら、選手をサポートしていく制度を作ろうと思ったんです」

アスリートを社員として雇用する企業側にも十分なメリットがある。それはスポンサー契約のように契約に多額の費用をかけることなくトップアスリートとつながることができることだ。社を挙げて応援すれば会社全体の団結感も生まれる上に、選手が活躍すれば広告効果も期待できる。

「アスナビ」の導入から5年、53社の企業と75名のアスリートのマッチングに成功した。夏季五輪競技で38名、冬季五輪競技で29名、パラリンピックで8名がそれぞれ、競技と生活の両立に励んでいる(10月2日時点)。

スケート選手が作業服。競技と生活を両立

「まさかスケート選手の自分が作業着を着て働いているとは想像もしませんでした」

そう語るのはアスナビを通じて三菱電機に就職した小黒義明さん(25)。2014年のスケート・ショートトラックの全日本選手権で3位に入賞した過去を持つ。今年の4月にアスナビを通じて同社に就職、現在は総務部に勤務するかたわら平昌五輪の出場を目指す。

小黒さんの勤務形態は週5日出勤だが、練習時間確保のため、週3日は仕事を早く切り上げることが可能な契約となっている。シーズン中や試合日には出勤義務はなく、安心して競技に打ち込むことができる。

「会社のみんなに応援してもらえているという心強さはあります」と今の心境を語る。

選手の本音、企業の本音

9月16日、スノーボード・スロープスタイルで五輪出場を目指す佐藤夏生さんの姿は、都内の「アスナビ」選考会場にあった。今年最後となる選考会には21社の企業が集った。

少々緊張気味の佐藤さんに自己PRのチャンスが訪れる。6分間のプレゼンでは自ら編集したVTRを交えてスロープスタイルという競技を説明した。映像技術を身につけたことのアピールにもなる。

プレゼンでは、スノーボードを学ぶため単身でカナダ留学に踏み切った経験やその後、最優秀留学生に選ばれた経歴、帰国後の競技人生を語り、平昌五輪での目標を掲げてプレゼンを終えた。

自己PRが終わると企業と採用担当者との1対1での情報交換を行う。プレゼンとは異なる柔らかい雰囲気での会話は互いに深く知り合ういい機会だ。佐藤さんはスロープスタイルという競技のことや、大会に出場するため、通年での勤務はできないことなどを正直に話した。

「海外留学の経験やスロープスタイルの魅力はしっかりアピールできました。そこに興味を持ってくれた企業の方いると思います」と自信をのぞかせる。

だが、「アスナビ」選考会の終了後、足を運んでいた採用担当者の一人は、本音を吐露する。

「年間を通して社員として活動できる人でない限り採用は難しいかもしれません」。冬季スポーツは海外遠征や大会参加などで、長期間、勤務から離れなければならないこともある。通年勤務を求める会社での採用は難しい。

一方でストイックにスノーボードを極めてきた佐藤さんの努力を高く評価する採用担当者もいる。「きっと仕事にも活かせる優れた資質を持っているはず。それに世界的なアスリートが社内にいることで他の社員のモチベーションも向上する」。選手を雇うことによる広告宣伝効果は二の次だという。

企業の目にとまれば、そこからは個別の採用面接へと進む。現在、佐藤さんは練習に励みながら企業からの連絡を待っている。

制度開始から5年、意外な課題も浮き彫りになった。JOCの八田氏は語る。

「トップアスリートの中には仕事をする場面でも優秀な人間がいます。だから企業の中でも重宝され、どんどん役割が大きくなってしまう。そうなっては本末転倒。JOCは採用後も、企業に対してアフターフォローを行って、練習時間の確保など、選手への理解を深めてもらわなければなりません」

オリンピックを目指し、二足のわらじを履く「企業内アスリート」たちから目が離せない。


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