厚労省の推計では、認知症患者は2025年に700万人、65歳以上の5人に1人になると予測されている。認知症になった時、「施設への入居」か「在宅介護」か――。それは人生最後の時間をどこで迎えるかという「終の棲家」の選択でもある。そのひとつの形として、大阪府池田市に、国内外から注目されているグループホームがある。昔ながらの古民家を改修した「むつみ庵」。木造家屋に共同で暮らすことで、認知症になっても生活する能力を可能な限り落とさず、最後までごく普通に暮らしながら生を全うするのだという。そんな「家」を訪ねた。
(ライター青山ゆみこ/Yahoo!ニュース編集部)
「施設」ではない、「普通の家」
大阪府の北の端に位置する池田市。その郊外の山間にある村落の、見晴らしの良い高台の一角。敷地面積約1千平方メートルのゆったりした土地に、瓦屋根の木造2階建ての民家が建っている。ごく普通の「家」の佇まいからは、ここが認知症の高齢者たちが共同で暮らすグループホームだと誰も想像がつかないだろう。
玄関を開けると吹き抜けの広い土間、どこからかお出汁のいい匂いが漂ってくる。食堂、居間、仏間、広い縁側と、木の温もりに包まれた家のなかを歩けば、杉板の高い天井や太い梁、立派な大黒柱が目に入る。柔らかな質感の土壁や、襖に障子。高齢者向け施設でよく感じる消毒液のような匂いではなく、人が暮らしを営む生活の匂いが満ちている。
古民家の1〜2階それぞれに個室があり、入居する人の体力や症状の進行により部屋が割り振られる。現在は9室が満室で、男性3名女性6名の認知症高齢者が暮らしている。かつての日本でよく目にした大家族のような、どこか懐かしい風景。お年寄りたちの穏やかな表情からは、彼らにとってここが「自分たちの家」になっていることが伝わってくる。
「古民家」があったから、始まった
認知症高齢者のためのグループホームとして、むつみ庵が開かれたのは2003(平成15)年3月1日。代表を務めるのは、むつみ庵と背中合わせのような立地に建つ、如来寺の19世住職、釈徹宗さんだ。
1662(寛文二)年創立の如来寺は、古くからこの地域で親しまれてきた。現在、むつみ庵として利用されている古民家も、檀家さんである老夫婦が暮らしていた家だ。
老夫婦が亡くなったとき、空き家をどうするかが問題となった。伝統的な古民家を潰すのはもったいない。せっかくだから地域のために活用できないか。そんな話がきっかけとなり、古民家をどう活用するか。思案する中で釈さんが思い出したことがあった。
釈さんの母の友人が認知症になり、介護付き高齢者向け施設に入居した。すると、活動的だったその女性は極端に元気をなくした。見かねた息子さんが手を尽くして探してきたのがグループホームだった。当時はまだ認知症という言葉もなく、痴呆症と呼ばれていて、グループホームも珍しい形態だったが、そこに入居した母の友人は見違えるように元気になった。
田舎の村落では切実な「高齢化」。過疎化する地域でますます増えるだろう「空き家」。こうした地域の問題に、古民家を利用した「グループホーム」は何かの“希望”となるように釈さんには思えた。
民間でも運営可能なグループホーム
グループホームとは、病気や障害で生活に困難を抱えた高齢者が、専門スタッフのサポートを受けながら、1ユニット(5~9人)で共同生活する介護福祉施設の形態だ。
「うちのスタッフはほとんどが地域の人間で、お互いに顔見知りです。気心が知れているため長く勤める人が多く、利用者の方とも家族のような関係を築いています。生活の単位が小さいグループホームは、こうした関係がつくりやすいのも魅力ですね」
特別養護老人ホームの設置者は、制度上、地方自治体や公共団体、社会福祉法人などに限定されるが、グループホームは市民参加的に運営が可能。だから「いわば素人」の自分たちでも始められたと釈さんは振り返る。
介護保険が適用されるため入居者の負担は1割。医療費、食費などを合わせて、むつみ庵は1カ月13〜15万円ほどで利用可能だ。要介護度に応じて増減はあるが、介護付き有料老人ホームの一般的な月額費用が15〜30万円であることを考えると、むつみ庵は比較的安価な料金設定といえる。
ただし、グループホームの入居には条件がある。共同生活のなかで認知症の進行を遅らせることが目的なので、要介護・要支援が比較的軽度の高齢者に利用が限定される。また、治療や延命のための医療設備を持たないため、医療ケアが必要となった入居者はグループホームを退去しなければならなくなる。そうした背景から、約半数のグループホームは病院や老人ホームなどに併設されている(2013年富士通総研調べ)。
また、運営主体の面から見ると、社会福祉法人や病院法人などが運営するグループホームが約5割を占め、それらは小規模ながらバリアフリーなどの近代的な設備を備えている。
むつみ庵のように、民間のNPO法人が運営する単独型グループホームは6.1%と、全体の1割にも満たない(2011年公益社団法人日本認知症グループホーム協会調べ)。
施設への「通い」を中心とした小規模多機能型居宅介護施設では、築130年あまりの木造古民家を大改修した石川県加賀市の「きょうまち」や、長野県上田市の「国分の家」などが民家改修型としてあるが、むつみ庵のように共同で居住するグループホームで古民家を改修して利用するケースは珍しい。
急な階段、敷居や段差……バリアフリーでなくても大丈夫?
むつみ庵を訪れた人は、その住環境にまず驚く。足が引っかかりそうな敷居や段差があちこちにあり、昔ながらの階段は幅が狭く傾斜も急だ。足下のおぼつかない高齢者で、ましてや判断能力の低下した認知症のお年寄りに、こうした環境は危険ではないのだろうか。
「今年で13年ほどになりますが、入居されてる方が階段から落ちて怪我をしたことなんて一度もありませんよ。認知症であっても、この階段は危険だとわかるんです。上から物を放り投げられたってことはありましたけど(笑)」
開設当初からむつみ庵を見てきたホーム長の谷口静子さんが、階段を見上げながらにこにこと笑う。
最新の高齢者向け施設では、随所に設置されたセンサーが人の動きを察知して、お年寄りが歩けば自動で灯りが点き、手を差し出せば水が出る。行き届いたバリアフリーにより、歩行を妨げるものもない。
「でも、そんな機能的で便利な環境で1カ月も暮らせば、蛇口をひねって水を出すような生活能力自体が消えてしまうんです」
例えば、洗濯物を畳んだり、毎朝自室の掃除したり、むつみ庵では日常のできる限りを入居者は自分で行う。段差はあるが、転(こ)けるのが怖いから、頑張って足を上げる。特別なリハビリは行わないが、普通の民家で普通に暮らすだけで頭も身体も使うのだと谷口さんは言う。
「そのせいか、うちでは認知症であっても生活する能力がなかなか落ちないんですよ。これはこの家で暮らしているうちに、少しずつわかってきたことなんですけど」
環境が及ぼす認知症の周辺症状の変化
家の前に広がる大きな庭も、認知症の進行に良い影響を与えることがわかってきた。
認知症には、中核症状と、中核症状に伴って現れる精神・行動面の症状である周辺症状がある。中核症状とは、脳の細胞が壊れることによって直接起こる症状で、記憶障害や、いつ・どこ・だれといったことがわからなくなる見当識障害、理解・判断力の低下、実行機能の低下など。周辺症状とは、食物ではないものを食べたりする異食、便を触ったりする弄便、もの盗られ妄想、徘徊など。中核症状の進行を止めることは難しいが、むつみ庵では周辺症状はあまり起こらないと言う。
例えば、徘徊。むつみ庵の玄関は開けっ放し。広い庭も自由に徘徊できる。交通量が少ない田舎道に面しており、危険が少ないという判断で門扉も開ける日もある。そんなふうに好きに歩き回れるようにしていると、徘徊自体が問題化することもなく、逆に危険な徘徊はおさまっていった。
「老人ホームなどの施設だと厳重なセキュリティーがあるし、在宅介護だとどうしても留守の間は鍵をかけて閉じ込めてしまうでしょう。うちは24時間スタッフが交代で見ていられるし、田舎だから地域のみんなが顔見知りで気にかけてくれるので、屋内に閉じ込めずにすむんです」
ある時、ひとりのおばあちゃんが庭を徘徊して、手で土を掘るようになった。スタッフが気づいて家族に話を聞くと、若い頃に農業を営んでいたことがわかった。それならばと畑をつくった。むつみ庵では、前例やルールにないことが起きると、その都度対応策を考える。その時に大切にしているのは、施設の都合ではなく、そこで暮らす人の物語に添うことだ。大きな施設では難しいが、この規模だからこそできることだろう。
事業者認可取得が難しい改修型グループホーム
生活にある程度の負荷のかかる住環境は、認知症の進行に良い影響を生むことが周知されるようになったが、グループホーム開設時には、それがハードルとなった。各ユニット(個室)の居室面積確保や、共有スペースの整備など、厚生労働省で細かく定められた必要な設備基準をクリアすることに特に苦労したと釈さんは言う。
大小の改修を重ねる中で、「古民家を解体して、新しく施設を建てた場合は補助金が出る」と、行政の担当者から施設を新築する方法を勧められたこともあった。というのは、施設の創設や大規模修繕等の施設整備を行う社会福祉法人などには、国から補助金がおりる国庫補助制度があるからだ。2005(平成17)年からは、地域介護・福祉空間整備等交付金などの助成制度が創設されたが、当時はまだむつみ庵のような小規模改修に補助制度は適用されなかった。
グループホーム運営を開始したあとにも、再び設備の課題は浮上する。
開設して10年経った頃、2013(平成25)年に起きた長崎市の認知症グループホームの火災事故を受けて、行政のグループホームに対する防災指導が厳しくなった。むつみ庵にも、木造の天井や壁を不燃材で覆うよう指導が入る。しかし、それでは一般的な老人ホームのような無表情な空間になり、手間と費用をかけて古民家を改修した意味がない。
10年も暮らすうちに、木造建築の持つやわらかな表情や木の香りといった「肌感覚」に触れてくる住環境が、そこで暮らす人を心身ともに心地良くすることにむつみ庵のスタッフは気づいていた。
消防署や池田市行政の担当者の中にも、その独自性に意味を感じて、木造の良さを活かした改築プランを提案してくれる人が現れた。試行錯誤の末、建材の一部に不燃材を取り入れてスプリンクラーを設置することで、なんとか防災基準をクリアすることができた。
不合理なものを大事にする家
もともと民家であるむつみ庵には仏壇がある。グループホームの運営主体は制度上は限定されておらず、宗教法人による施設も少なくない。むつみ庵は如来寺との関係が深いが、宗教法人ではなく民間NPOで運営しているため、線引きの意味も込めて普段は仏壇に御簾をかけていて見えないようにしている。不思議なことに、認知症のお年寄りたちは見えなくても仏壇に足を向けて寝転がったりはしない。釈さんは、家の中にこうした何か気になる、理屈ではないものがあることが、暮らす人間の身体の知性に関わるのではないかと、考えている。
「合理的なものは頭の栄養になりますが、理屈に合わないものは身体の栄養になる。家中段差だらけなのも階段が急なのも、介護理論にはまったく添っていませんが、そもそも身体というのは理屈通りにはいかないものなんです」
非近代的な住環境で、「不合理な文化」を内包するむつみ庵は、その独自性からスタンフォード大学やサンフランシスコ大学の研究チームが視察に訪れたことがある。
日本と同様に高齢化が加速するアメリカでは、高齢者の福祉施設への関心が高い。スタンフォード大学では、アメリカの持つ多文化国家という背景から、どんな文化を持つ人からも反発がないように、あえて文化的なものを排除して合理的な居住施設を実験的につくったことがある。誕生したのは特色のないシンプルな空間。しかし予測に反して高齢者たちから受け入れられなかった。その結果を受けて、高齢者福祉の先進国である日本に参考となる事例を探したところ、釈さんの知人を介してむつみ庵に辿りついたという。
取材の少し前(2016年4月)には、タイからも高齢者福祉の関係者が訪れたという。
「タイでは、歳を取ればぼけるのは当然と考えるらしく、認知症という言葉も概念もないそうです。でも田舎では日本と同じように高齢化が進んでいて、日本の在宅ホスピス医のように独居老人の家を回っている人がいます。タイの人は毎日僧侶に施しをするのが喜びのため、医師と介護の人に僧侶が加わったチームを組んで、看取りもしておられるそうです。そのチームが日本に見学に来られたんです」(釈さん)
日本の最新の高齢者福祉施設も見学したが、そちらには全く興味を示さず、伝統的な日本の民家で高齢者が暮らすむつみ庵の様子を目にすると、とても感心し、「これはタイにもぴったりだ」と喜んで帰国した。
実は、田舎の古民家を利用したむつみ庵のスタイルは、それを懐かしいと感じる日本の特定の年代の人にしか喜ばれないと釈さんは考えていた。だが異なる文化圏からの反応を受け、それまでとは違った可能性を感じるようになった。
「日本の伝統的な古民家や木造といった特定された形態が注目されているのではなくて、その国、その地域、その年代の人にとっての『不合理的なもの』が見直されているということではないでしょうか」
むつみ庵が正解の形なのではなく、それぞれにとって「合う」スタイルがある。その多様性に目を向けることが、近代化、合理化の道を突き進んできた今の時代に大切なことではないかと釈さんは言う。
多様な「死」にその人らしい「生」がある
むつみ庵では、元気なときに延命治療の拒否を表明して、家族も賛同していた人をこれまで7人看取ってきた。それぞれが亡くなる直前まで古民家で普通に暮らし、少しずつ弱り、最期を迎えた。
「積極的な医療を特に施さずに生活していると、どんどん食べられなくなって、見る見る枯れ木のように痩せていくけれど、息を引き取る朝まで痛みも苦しみもないんです」
息を引き取ったと感じた時点で、釈さんが枕経を勤めた。中には、ご家族から「ずっと暮らしていた家で最期も見送ってあげたい」と希望があり、むつみ庵の仏間でお通夜とお葬式を行った方もいる。
「家の雰囲気がいつもと違うことがわかるのか、認知症の方でもお通夜のときになんとなく後ろに座っておられる方もいました。そんななかでお経をあげていると、ああ、ここが本当にみんなで暮らす家になったんだなあという感じがしました。ご家族もいいお別れができたと、とても喜んでくださって」
昭和30年代までは、日本でも約8割の人が自宅で亡くなっていたが、現在は約8割の人が病院で最期を迎えている。認知症高齢者が増える今後は、自宅でも病院でもない、「高齢者向け施設死」の比率はますます高くなるだろう。多くの日本人にとって「施設」が「終の棲家」になる。それは、「死」だけではなく、私たちが人生の最後をどう「生きる」かにも深く関わってくる。
近代化の中で見落とされてきた「不合理なもの」に目を向け、認知症になっても、普通の家で普通に暮らしながら、穏やかな最期を迎えることができるむつみ庵には、切り捨てられてきた多様な「生」の可能性が垣間見える。
青山ゆみこ(あおやま・ゆみこ)
1971年神戸市生まれ。エディター・ライター。『ミーツ・リージョナル』誌副編集長などを経て、2006年よりフリーランスに。雑誌のインタビューや対談を中心に、市井の人から、芸人や研究者、作家など幅広い層で1000人超の言葉に耳を傾けてきた。著書に淀川キリスト教病院のホスピスを取材したインタビュー集『人生最後のご馳走』。
[写真]
撮影:宗石佳子
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝