長谷川美祈

「プ女子」はこうして生まれた プロレス経営のいま、昔

2016/9/1(木) 10:45 配信

「プ女子」。プロレス好きの女性を指すこの言葉が使われ始めて2年ほど。かつて男性ファンが熱狂するイメージが強かった試合会場も、最近は観客の3割以上が女性ということが珍しくない。プロレス興行が活気を取り戻した要因ともいわれる「プ女子」だが、その出現は決して偶然ではなく、そこには主催団体側の明確な経営戦略があった。「プ女子」や団体トップらの話に耳を傾け、現在のプロレスを取り巻く環境を追った。(Yahoo!ニュース編集部)

プロレスラーは「会いにいけるアイドル」

東京都内の結婚式場で7月上旬、人気プロレス団体「ドラゴンゲート」の試合観戦型ディナーショーが開かれた。プロレスの試合を観ながら料理やワインを楽しむという女性ファン向けのイベント。試合だけではなく、所属選手たちによるファッションショーや歌のステージなど、プロレスになじみのない観客でも楽しめる内容だ。

チケットは一番安い席でも2万円もしたが、300席を完売。観客の9割は女性だった。お目当ての選手を撮影しようと一眼レフカメラを向ける「プ女子」も少なくない。

プロレスが再び活気を取り戻している(撮影:長谷川美祈)

ディナーショーの前日、東京・後楽園ホールで開催されたドラゴンゲートの試合を観にきた20代の女性ファンに、プロレスの魅力についてたずねると「肉体美と意外性」「会いに行けるアイドル」といった答えが返ってきた。

女性ファンを意識した仕掛けを展開するドラゴンゲートの岡村隆志社長は「僕らが勝負しているのは、ファンのみなさま。お客さんの喜怒哀楽を引き出せなかったら、我々の負けなんです」と語る。

プロレスの試合会場には多くの女性ファンが詰めかける(撮影:長谷川美祈)

ほかの団体も「プ女子」向けのイベントやグッズの展開が目立つ。街の中で行われる「路上プロレス」などエンターテインメント性の強い興行で人気を集める「DDTプロレスリング」の高木三四郎社長は「いま成功しているのは、女性ファンの取り込みができている団体」と指摘する。

「我々も女性ファン限定のイベント『BOYZ』などを開催しています。団体やプロレスをどう広めようかと考えたとき、息長く熱狂してくれる女性たちの力を取り入れたいと思ったんです」

高木社長が特に参考にしたのは、世代を超えて女性ファンたちの熱い支持を集める宝塚歌劇団やジャニーズだったという。

プロレスラーたちが「物販」にも協力し、ファンとの距離を縮める努力をしている(撮影:長谷川美祈)

猪木と馬場が去ったあと「低迷」の時代へ

もともとプロレスは、選手たちの屈強な肉体や空中殺法などの華麗な技で、多くの男性ファンを魅了してきた。プロレス人気が白熱していた1980~90年代の動きについて、専門誌『週刊プロレス』(ベースボール・マガジン社)の佐藤正行編集長が解説する。

「1980年代は、実在のタイガーマスクが登場し、ブームを起こしました。僕らの想像を超える“四次元殺法”でお茶の間のヒーローとなり、ゴールデンタイムのテレビ放送が平均視聴率20%を記録するほどでした」

90年代になると、プロレス番組は深夜帯へ移ったが、人気は続いていた。

「新日本プロレスの闘魂三銃士(橋本真也・蝶野正洋・武藤敬司)や全日本プロレスの四天王(三沢光晴・小橋健太・川田利明・田上明)といった若い年代のスター選手が出てきて、若いお客さんを会場に呼び込みました」

1997年に新日本プロレスが全国の4大ドームで試合を開催するなど、大きな会場に多数の観客を集める力があった。

アントニオ猪木らがプロレスの黄金期を支えた(写真:平工幸雄/アフロ)

しかし1998年、新日本プロレスの創始者であるアントニオ猪木が現役引退。99年には、全日本プロレスを立ち上げたジャイアント馬場が死去し、日本のプロレス界は大きな節目を迎えた。

さらに、90年代後半にはK-1やPRIDEといった他の格闘技が台頭し、プロレス人気を脅かした。その象徴とされるのが、97年10月に東京ドームで開催された総合格闘技のイベント「PRIDE.1」だ。

そのメインの試合で、当時のプロレス界で人気を博していた高田延彦が、ブラジル人柔術家のヒクソン・グレイシーに完敗し、多くのプロレスファンを失望させた。佐藤編集長は「高田が敗れたことで、プロレスが“最強の格闘技”であるという看板を下ろさざるを得なくなった」と振り返る。

プロレスの聖地「後楽園ホール」。数々の名勝負が繰り広げられてきた(撮影:長谷川美祈)

ワン・トゥ・ワン・マーケティングへの転換

K-1やPRIDEに押される形で、プロレスの人気は失速。プロレス界の盟主といえる新日本プロレスの売上は、1996年度に約40億円を記録して以降、減少していき、2004年度には約13億円に落ち込んだ。2005年11月にゲーム会社のユークスに買収されたが、低迷は続いた。

プロレス業界は変革を迫られた。「プロレスそのものの根幹は変わっていないんですけど、『お客さんをハッピーにさせなければいけない』というショービジネスの基本に、各団体が立ち返ったんじゃないかと思います」(佐藤編集長)

そんな中、2012年1月にカードゲーム会社のブシロードが新日本プロレスを買収して子会社化したことは、プロレス界に大きなインパクトを与えた。『プロレスの経済学』の著者である清和大学の野呂一郎教授はこう語る。

「プロレス界は、プロレスラーが経営していることもあり、良くも悪くもどんぶり勘定でした。新日本プロレスは『しっかりした企業』と一緒になることで、新しい経営戦略を取り入れました」

新日本プロレスはカードゲーム会社「ブシロード」の傘下に入ってから、急速に売上高を伸ばしている(撮影:長谷川美祈)

新しいプロレス業界の戦略とは何か。野呂教授は「テレビ中心のマス・マーケティングから、SNSを活用したワン・トゥ・ワン・マーケティングへの転換」を挙げる。

「マスという大衆を見るのでなく、一人一人のファンを大事にするという方向です。SNSの発達で、レスラー1人とファン1人が対等に関係を持てるようになった。ワン・トゥ・ワンで対応することで、ファンには喜びが生まれるし、プロレスの熱も上がってきました」

もう一つ、人気低迷の影響で、プロレスの興行が小さな会場で開催されるようになったことも、プロレスの魅力を伝える効果をもたらしたという。野呂教授は「レスラーとファンの距離が縮まり、試合会場が密接な空間となったことから、“ライブ感”が強まった」と述べる。

そして、レスラーとファンの距離の近さが女性ファンを引きつけ「プ女子」を生み出している面もあると指摘する。

「プロレスは常にマンネリと戦っている」

外部の力と視点を取り入れ、従来とは異なる戦略を打ち出した新日本プロレス。2015年度には年間売上が約32億円まで回復した。現在は、株式公開を見据えて、さらなる成長を目指している。

新日本プロレスの原田克彦社長。証券業界の出身だ(撮影:長谷川美祈)

親会社ブシロードの出身で、今年2月に新日本プロレスのトップに就任した原田克彦社長は「若い人はお金にシビアだと言われますが、自分が好きなものにはお金を使います。これまで足を運ぶことのなかった新しい人たちを取り入れなければ、プロレス業界全体の底上げにはつながりません」と、新たなファン層獲得の必要性を指摘する。

ブシロードの子会社となって以降、新日本プロレスは新規ファン開拓のための広告宣伝にあいついで資金を投下した。

「みんなでプロレスを見に行こうよという雰囲気を作ろうと、山手線のラッピング広告、駅や屋外で巨大な看板を設置するなどの施策を打ってきました」(原田社長)

さらに、2014年12月には、有料会員制のインターネットサービス「新日本プロレスワールド」を開始。約4万人の会員に試合のライブ映像などを配信している。さらに、大手芸能プロダクションと業務提携して、CMやテレビ番組に選手が出演する機会を増やそうとしている。

インターネットで試合をライブ配信するサービスも行っている(撮影:長谷川美祈)

ファンの心をつかむための様々な施策によって、再び熱気を取り戻しつつあるプロレス界。だが、「プ女子」に象徴されるブームに浮かれているわけではない。

DDTの高木社長は「ブームとは一過性のもので、プロレスも常にマンネリとの闘いです。『プ女子』ブームの先を見据えて、どんどん新しいことをやっていかなければなりません」と、自戒の言葉を口にしていた。

プ女子たちの声(動画)

[制作協力]
オルタスジャパン
[写真]
撮影:長谷川美祈
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝

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