米軍基地が集中する沖縄で今年4月、20歳の会社員女性の殺害・遺棄事件が発生した。しばらくして逮捕・起訴されたのは、元米海兵隊員で軍属の男だった。女性の遺体は海兵隊訓練場のフェンス脇で発見された。米軍がらみの凶悪事件が発生するたびに、沖縄では「日米地位協定」の改定を求める声が高まる。「犯罪の温床」という指摘もある日米地位協定。いったいどんな内容で、どこに問題があるのか。その実態を現場から報告する。(Yahoo!ニュース編集部)
「地位協定は犯罪の温床です」
沖縄本島の中北部は奥深い山々が連なる。恩納岳(おんなだけ)の東側に立つ三角の形をしたブート岳は、その格好の良さゆえに金武町(きんちょう)のシンボルとされてきた。いまは瑞々しい緑が覆っているが、かつては米海兵隊員たちの実弾射撃や砲弾訓練の標的とされ、植物が生えることはなかった。
町民は1万1000人。町の面積に占める基地の割合は59.3%に達する。その大半は山岳地帯を戦場に見立てた訓練場だ。そして、その訓練場を真っ二つに切り裂くように東西に走る道がある。県道104号線。20年前までは訓練で使用する155ミリ榴弾砲の実弾が頭上を飛び交っていた。
木々の間から、時折、強烈な朝日が路面を照らす。金武町側から車を西向けに走らせると、道路の両側がいまも海兵隊訓練場であることを示す「RANGE」と書かれた英語の看板が目に飛び込んでくる。恩納村に入り数キロ、<現場>はあった。3週間も行方不明となっていた同県うるま市の女性が、遺体となって発見された場所だった。
犠牲者を悼むために置かれた小さな折りたたみテーブルの上には、無数の花束や水、ジュースが捧げられている。それらに囲まれるように、小さな対のシーサー(獅子)が置かれていた。沖縄では古来、シーサーは魔物から身を守ってくれると信じられてきた。
この場所に毎朝、決まったようにやってくる人がいる。元金武町長の吉田勝廣さんだ。
「あのあたり・・・。5月19日に(遺体が)見つかったという連絡があって。あのあたりかと思います」
吉田さんが指さしたのは、立ち入り禁止を表す「沖縄県警察」と印字された黄色いテープの向こう側だった。灌木が茂っていて、その先にはフェンスが見える。海兵隊訓練場のフェンスだ。
死体遺棄容疑で米軍属の男が逮捕される決め手となったのは、男の車から検出された被害者のDNAだった。
「こういう事件が起きるたびに、綱紀粛正とか運用の改善、あるいは好意的配慮とか、いろいろ言います。しかし、政府や外務省は、こんな目先のことしか言えないんですか? あんた方は、なんべん沖縄の人を殺せば本当に起ち上がってくれるの、と言いたいですよ」
吉田さんには苦い思いがあった。それは21年前に沖縄はもとより、日本中を震撼させた少女暴行事件。当時、行政の長だった吉田さんには、少女を守れなかったという自責の念がある。
あのとき、暴行した3人の米兵は基地に逃げ込んでしまった。そのため、日本の捜査当局は3人の身柄を拘束して取り調べるという実効的な捜査手段が取れなかった。
日本で凶悪事件を起こしたという疑いがあるのに、なぜ、逮捕できないのか。日米地位協定でそう定められているからだ。吉田さんは最後の言葉を絞り出した。
「地位協定は犯罪の温床です」
米軍関係者の犯罪が繰り返される背景には、日米地位協定があり、米軍人・軍属を守っているからに違いない。吉田さんはそう考えている。
「犯罪の温床」とまで言われる日米地位協定とは、いったいどういうもので、どこが問題なのだろうか――
犯罪捜査を阻む「米軍関係者の特権」
米軍人・軍属が起こす殺人や強盗、強姦といった凶悪犯罪。そのたびに浮上する日米地位協定の問題とは、具体的には刑事裁判権を定めた「第17条5項C」を指すことが多い。
第17条(刑事裁判権)
5項(C)日本国が裁判権を行使すべき合衆国軍隊の構成員又は軍属たる被疑者の拘禁は、その者の身柄が合衆国の手中にあるときは、日本国による公訴が提起されるまでの間、合衆国が引き続き行うものとする。
わかりやすくいえば、事件や事故を起こした軍人や軍属が基地内に逃げ込んでしまった場合、米側は、日本が起訴するまで身柄を引き渡さなくてもよい、という意味だ。
今回、沖縄で起きた女性殺害・遺棄事件では、日本がいち早く容疑者の身柄を拘束したので、この条項が直接的には問題とならなかった。
しかし、21年前の少女暴行事件のように、容疑者が基地に逃げ込むなどして身柄が米側にある場合、日米地位協定「第17条5項C」が壁となって、日本の捜査権が及ばなくなってしまうことがあるのだ。
政治学が専門で、安全保障や地位協定を研究している法政大学法学部講師の明田川融さんは、日米地位協定が定める刑事裁判権の問題点を解説する。
日米地位協定によると、米軍人・軍属が「公務中」に起こした犯罪は、日本側に第一次裁判権がない。一方、「公務外」の犯罪については、日本側が第一次裁判権を持っている。ところが、容疑者の身柄の確保をめぐり大きな問題がある、と明田川さんは話す。
「日本側に裁判権がある場合でも、(5項Cにあるように)アメリカ側が容疑者の身柄を確保してしまうと、なかなかその身柄が日本側にわたってこないことが、以前から指摘されているんですね」
つまり、容疑者が基地に逃げ込んでしまえば、日本側は容疑者を逮捕して取り調べることができず、ひいては起訴できなくなる可能性があるということだ。
「米軍関係者の特権」にも見えるこの第17条5項C。被害者から見ると、米軍人・軍属が罪を犯しても罰することができないのか、という理不尽さや不平等さとして映る。
沖縄では、今回のような事件ばかりではなく、事故をめぐっても、日米地位協定に関する問題が起きていた。
「犯罪者が犯罪捜査をするようなもの」
「ここにヘリが落ちてきて、爆発したんですよ」
沖縄国際大学教授の前泊博盛さんの目の前には黒々と焼け焦げた樹木があった。米海兵隊の普天間飛行場に隣接する大学の一角に軍用ヘリが墜落したのは、12年前。ヘリが軍の「財産」であることを盾に事故現場を封鎖した米軍は、警察の捜査もカメラ取材も拒否したという。
「地位協定上、財産権ですね。自分たちの財産を管理する権利が、という言い方をされたんです」
本来であれば、事故現場はその原因の証拠が残されている最も重要な場所である。にもかかわらず、米軍は「墜落炎上したヘリの機体や部品は自分たちの財産だといって、日本の警察やメディアの立ち入りを拒否した」というのだ。
その根拠となったのが、1960年の日米地位協定締結の際に、日米の全権委員が交わした合意議事録に書かれている次の文章だ。
「日本国の当局は、合衆国軍隊の財産について、捜索、差し押さえ、または検証を行う権利を行使しない」
米軍が「財産権」を盾に封鎖した陰には、もう一つの理由があったという指摘もある。それは、ヘリに積まれていた劣化ウラン弾など放射性物質の回収、処理に当たるため、日本の捜査当局やメディアを近づけたくなかったのではないかという疑惑である。だが、そんな疑惑も闇に埋もれたままとなった、と前泊さんは語る
「犯罪者に犯罪捜査をさせるようなものです。事件の真相が分かるわけがないです。本来、ここは私有地です。(基地の)フェンスの外なので、日本の領土です。(日本の)領土・領海・領空にも関わらず、地位協定が適用された時点で、ここをアメリカ軍の占領地に変えることができてしまうということですね」
「地位協定の壁が私にぶつかった」
日米地位協定が問題となるのは、沖縄だけではない。
昨年、1冊の本が書店に並んだ。書名は『涙のあとは乾く』。本の帯には「あの日、私はレイプされた・・・」というショッキングな文言が並ぶ。著者はオーストラリア出身で、いまは日本で暮らしているキャサリン・ジェーン・フィッシャーさんだ。
取材の際、名刺に刷り込まれていた短い言葉が目にとまった。「レイプに反対なら、地位協定を変えるべきです」。ジェーンさんがこの意味を解説してくれた。
「レイプの被害者となったときに、何回も日本の政府とやり取りをしたんです。しかし、地位協定の壁が私にぶつかっちゃったんですよ。『地位協定があるからなにもできません』って、言われちゃったんですよ」
レイプ事件は2002年、神奈川県横須賀市で起きた。犯人は米海軍横須賀基地所属の兵士だった。だが、事件後、兵士は基地に逃げ込んでしまった。
本の書き出しは次のように始まる。
「アメリカ軍は日本の警察を呼んだ。レイプは基地の外で起こったからだ。『助かった』、私は思った。警察が私を保護し、犯人を捕まえてくれると信じて疑わなかった」
ところが、事実はそうならなかった。基地の外で、しかも公務外に起きた事件であるにもかかわらず、基地に逃げ込んだ容疑者に対する身柄の拘束や事情聴取は拒否され、結局、不起訴とするしかなかったのだ。しかも兵士は、軍の命令で帰国してしまった。
沖縄で起きた今回の女性殺害事件でも、もし容疑者が基地内に逃げ込んだとすれば、日米地位協定が大きな壁となって立ちはだかり、ジェーンさんのケースと全く同じことが繰り返されたかもしれない。
「改定に向けて何もしてこなかった政府は、加害者と同じ」。ジェーンさんは語気を強めた。
「犯罪は犯罪です。あなたが何をしていたかなんて関係ない。レイプには反対だ、と日本政府は言うべきです。公務中だろうが、公務外だろうが、ビーチにいようが、スーパーで買い物をしてようが関係ない。あなたは罪を犯した。ならば、服役しなければいけない」
日米地位協定は56年前に締結されて以来、一度も改定されていない。それは、なぜなのか。後編では、その理由を考える。
[制作協力]
オルタスジャパン
[写真]
撮影:千賀健史
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝