最近よく聞く「ICT(情報通信技術)教育」。タブレットや電子黒板などICT機器を活用した教育のことで、政府は「2020年代に1人1台情報端末」の目標を掲げている。しかし結局のところICTで何がどう変わるのか、よくわからないという親や教師も少なくない。
iPadが1人1台導入されたある公立中学でも、教師たちは、触ったこともない機器に戸惑い、授業にどう使えばいいのか頭を抱えた。しかし5年目の今、自信に満ちた顔で言う。
「教え方、学び方が変わった。iPadなしの授業は考えられない」
ごく普通の公立中学が試行錯誤の中からつかんだものとは?
(Yahoo!ニュース編集部/AERA編集部)
先生も生徒も全員iPad
松阪牛で有名な三重県松阪市。市立三雲中学校があるのは、田畑が点在するのどかな地域だ。
「うちでは今、全部の学年、全部の教科でiPadを使ってます。えーっと、この時間帯は、何の授業をやってるかな」
川口朋史校長が校内を案内しながら手元のiPadを見る。三雲中では、先生も生徒も全員が1人1台iPadを持つ。2011年度に総務省と文部科学省からICT教育の実証研究校に指定された。実証研究事業自体はすでに終了しているが、今やiPadなしでは三雲中そのものが成り立たない。時間割のほか、各教科の先生が作ったオリジナル教材、デジタルドリル、部活の掲示板、教員用の掲示板、保護者に見せる学級通信――、学校生活に必要なものはすべてここに入っているという。
教え合いでコミュ力も
中2の数学、連立方程式の授業をのぞいてみた。
「ではミッション1。きょうやることは今までやってきた計算とどう違うのか。スクショ(スクリーンショット)して送ってください」
数学科の湊川祐也先生が呼びかけると、生徒は一斉にiPadに向かった。提示される「ミッション」に対して、ホワイトボード機能を使って回答を書き込んでいく。ある生徒は、「文章問題なので自分で式を作らないといけない」。また別の生徒は、「式を作らなあかん」と書き込む。
それぞれの生徒が回答をスクショし、「送信」。すぐに先生の脇に置かれた電子黒板に、全員の回答が一覧表示された。一人一人がiPadに書くことで、その日、自分は何を勉強するのかを意識したところで、「例題を解きそのポイントを書く」という次のミッションへ移った。
これまでの一斉授業のスタイルでは、声に出して説明し、板書し、生徒の間を見て回り......と忙しいのは先生のほうで、生徒は受け身だった。ただただ黒板を眺めていれば、睡魔に襲われて当然。しかしiPadを使った授業では、ぼんやりしてはいられない。みんなが回答を送信しているのに自分だけそれをしなければ、電子黒板ですぐにバレる。例題が解けたら、デジタルドリルへ。○×がすぐに画面に表示されるので、ゲーム感覚で眠くならない。先生のほうは、電子黒板で授業についてきている生徒とそうでない生徒が すぐわかるため、遅れている生徒のところにただちにヘルプに入れる。
「余裕がある子に、『つまずいている子に教えてあげて』と頼むこともあります。自分がわかることと、人に教えることは違うので、わかっている子もどういう伝え方をしたら相手が理解できるのか、必死に考える。教わる側の子も、どこまでわかって、どこからがわからないのか、ちゃんと友だちに伝えなくてはならない。そのやりとりを通してコミュニケーションスキルも上がっていきます」(湊川先生)
本当につけさせたい力とは?
湊川先生が授業で使う教材は、ほとんどがMacのアプリで作ったオリジナルだ。空間図形であれば、違う角度から見たり、展開できるように工夫。1次関数の式y=ax+bのグラフであれば、aの値の変化に合わせてグラフの傾きが変わるのを、生徒が指一本で体感できるようにしている。
「タブレットでは黒板ではできない表現ができる。いきなり抽象から入るより、具体的なイメージから入ったほうが理解しやすいんです」(同)
自信に満ちた表情で語る湊川先生だが、3年前に赴任したときは、iPadを触ったことすらなかった。三雲中の他の先生も、4年前の導入当初は知識ゼロ。実証研究校に決まったときは、職員室では「えー、なんでうちが......」とため息が漏れた。
三雲中に限らず、どの学校でも「ICT」と聞くと教師は戸惑う。そんなものがなくたって、これまでちゃんと授業はできていたのに、なぜ使わなくてはならないのか。どんな効果があるのか見当がつかない。不慣れな機器の操作に手間取って、肝心の授業が進まないのではないか。
三雲中のICT活用をリーダーとして引っ張ってきた楠本誠先生はこう振り返る。
「最初は機器を使うことばかりに目が向いていました。でも途中から、本当に大事なのは、子どもたちにどんな力をつけさせるかだということに気づいたんです。目指す力をつけさせるのに一番有効なのが紙なら紙、ICTならICTを選べばいい。そう思い直して、教師ひとりひとりが自分の授業を一から見直し、再構築していった。その結果、教え方が変わり、学び方が変わっていきました」
楠本先生の専門の理科では、特に実験でiPadが威力を発揮する。例えば、水素の性質を調べる実験では、マッチで火をつけるとポンと音がして小爆発が起きる。復習する時、それをノートに書いた文章でするのと、動画で撮って、それをスロー再生するのとでは、子どもたちの理解度が違ってくるという。楠本先生は、勉強が苦手なある生徒のつぶやきに、ICTの大きな可能性を感じた。
「実験の振り返りで、その子が言ったんです。『火を近づけると試験管の中に炎が吸い込まれていく。そして一気に広がった。先生、これを爆発っていうんだね』と。通り一遍の『水素は火をつけると爆発する」ではなく、その子は心の内側から湧いた自分の言葉で表現した。本当にわかったからです。そんな経験は初めてで、これこそが新しい学びだと思いました』(楠本先生)
学力調査で応用力の得点がアップ
三雲中では、3年前からiPadの自宅持ち帰りを始め、復習や宿題にも使えるようにした。宿題のデジタルドリルは生徒自身が、進度によって選ぶことができる。弱点が見つかれば、少し前の単元はもちろん、場合によっては小学校レベルまでさかのぼることも可能だ。全部がiPadに入っているので、昔のドリルや教科書をひっぱり出さなくて済む。
「私たちはこれを『自己調整学習』と呼んでいます。子ども自身が自分の学びをデザインする。これこそがアクティブラーニングです」(同)
現在の中学生より下の子どもたちは、2020年度からの「大学入試改革」の当事者になる。そこでは、何かを覚えることより、主体性や思考力、表現力などが問われるようになる。その思考力や表現力は、現在でいえば「全国学力・学習状況調査の『B問題』」にあたるわけだが、三雲中ではこのB問題の得点が、ICT教育導入以降、向上しているという。
「子どもも教師も毎年変わるので、すべてがICTの成果とは言い切れません。しかし、実感として、点数というわかりやすい形で見える学力、学ぶ意欲のように見えない学力の双方が、確実に上がってきています」(川口校長)
肝心の生徒は、三雲中での学びについて、どう思っているのか。中3の男女に聞くと、こんな答えが返ってきた。
「電子黒板に全員の答えが出るので、自分の考え方を他の人に知ってもらえるし、他の人の考え方を見て、そうだったのかと気づくこともある」
「特に数学や理科は、先生の伝えたいことがよくわかる」
「音楽や体育でも、自分たちのやってることを動画で見られるのがいい。言葉で『違う』と言われてもどこがどう違うのかわからないけど、動画だと一発だから」
文部科学省は今年7月、「2020年代に1人1台情報端末」という目標に向けて、ICT化を加速させると発表した。しかし、昨年3月時点では全国平均でまだ6.4人に1台。タブレットを校内のどこでも使用可能にする無線LANの整備率も、23.5%にとどまる。
そのために国は、2014〜17年度の4年で、総額6712億円という相当な予算を投じている。しかし問題は、そのお金が地方自治体に配分されるときに「地方交付税」の形になってしまうことだ。つまり、それが本当にICT化に使われるかどうかは、自治体の裁量次第。それが、進んでいる地域、そうでない地域の差につながっている。
未来を担う子どもたちのために、三雲中のような実践をスピーディーに全国に広げていくことができるだろうか。教育委員会や首長の責任は重い。
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