自らの職業を「イラストレーターなど」と名乗るみうらじゅんは、ひとつの職業を背負うのではなく、「など」と曖昧にすることを信条にしてきた。「あの人、何やってるかわからない」と言われ続けて35年、数多の「など」を仕事に結びつけてきたみうらは、ネタ出し&ネーミング&デザイン&執筆&広報活動まで、全て一人で行なう稼業を「一人電通」と呼ぶ。広く浸透した「マイブーム」「ゆるキャラ」の名づけ親は、誰からも頼まれていない「ない仕事」を無数に生み出してきた。仕事術を尋ねたところで、返ってくるのは「最終的には自分を洗脳させてノイローゼ状態に持っていくんです」との返事。先日、4年ぶりとなるトークイベント「ザ・スライドショー」を終えたばかりのみうらに“など”の仕事の今を聞いた。(武田砂鉄/Yahoo!ニュース編集部/文藝春秋)
【動画】「ザ・スライドショー」本番前、舞台裏のみうらじゅんを追った(約2分)
「自分自身をプロデュース」して50年
今回の記事には「時代の『主役』」というシリーズタイトルがついているんです、と伝えると、みうらは「俺に最も似合わないタイトルだよ」と笑う。ひところ、自分の仕事が“サブカル”との一言で括られると、「いや、大通りヘップバーンでしょ!」と勢い任せに切り返していた時期もあったが、“サブカル”とのカテゴリがあやふやになった現在、みうらは大通りの木陰を自由気ままに歩いている。みうらはずっと、みうらのプロデューサーだ。主役も脇役も監督も編集も全部みうら。昨年、雑誌『ガロ』で漫画家デビューしてから35周年を迎えたが、実のところ、プロデュース業/執筆業は今年で50周年になる。1966年、小学3年生の頃、友達と一緒に壁新聞「ケロリ新聞」を制作した。編集長はみうら。この頃から、切り抜きを使ったコラージュを駆使していた。
「やっていることはずっと一緒なんですよ。新聞部でもないのに教室の後ろに新聞を貼り出すものだから、先生たちの間でちょっとした騒ぎになりましたね。あの頃から、俺の仕事って、なくてもいい仕事ばかり。あってもいいけど、なくてもいい、っていう。ほら、この間のスライドショーなんて正にそう。あんなこと、やらなくたっていいんだから」
台本なしのトークイベント「ザ・スライドショー」
6月28日、代々木第二体育館で開催された「みうらじゅん&いとうせいこう ザ・スライドショー13『みうらさん、体育館かよ!』」に集まった3600人もの観客。みうらが数年かけて収集した写真やイラストなどをスライドで見せ、それをいとうが突っ込むだけのイベントだが、2時間もの間、始終笑いが止まらない。打ち合わせは一切せずにいとうは何も知らされぬままステージに立たされる。20年前に始まり、4年ぶりの開催となった第13回目の今回、映し出されたスライドを例示してみると、花に囲まれた美魔女みうら、迷わず購入したリアルな虎の頭のリュック、半日かけて描いた前都知事と思しきイラスト、今さら漁っているUFOキャッチャーの戦利品、土砂災害を防ぐための格子型コンクリが写り込んだ風景、街中にある「since」の連写……。こうやって素材を並べたところで、恐らくその面白さは伝わらない。ショーの最後には、みうらが作詞し、スチャダラパーのシンコに作曲を依頼したラップソングを流し、「since」愛を観客に押し付けた、と書けばますます混乱するだろう。
「なんでこんなことをやるか。どうだ俺、美魔女になってみたぞ、って自慢したいわけじゃない。どうやら俺、美魔女に近付いてきたんじゃないかな、って皆に報告したいんですよ。ほら、小学校の時からプロデュース業を続けていると、自分が自分に『ここはちょっとイヤでも熟女やってもらわなきゃ』なんて命令し始めるんですよ。『これやってもモテないけど、そこはちょっと我慢してちょうだい』なんて。基本的には苦行だらけです。蟹パンブーム(旅行代理店などに置かれている蟹を食べるツアーのパンフレットを集めるブーム)なんて、まだブーム来てないけど、当然2、3年目ぐらいでものすごく飽きてくる。誰よりも俺が一番蟹パンに飽きていますから。一人でやって、一人で飽きる。でも、オマエはまだ飽きてないんだ、と自分に言い聞かせる。修行ですね」
修行の割には、スライドショーの前夜は興奮のあまり眠れず、相棒のいとうにショートメールを送り続けていたという。「マイブーム」や「ゆるキャラ」のように、自分がプロデュースできる枠を飛び越えて世の中全体に浸透してしまうと、「一人電通」はもう手に負えないと自分の下から手放す。その上で、例えば、ゆるキャラの隣に付き添うオジさんを指して「ゆる人(びと)」と呼ぶなどして、自由気ままにカテゴリを深化させていく。黎明期のスライドショーでは「おもしろ画像」を映していたが、その手のネタはすっかりテレビ番組の定番企画となり、今ではTwitterをはじめとしたSNSで誰もが競い合うように投稿している。もはや、そのまま見せるだけでは面白くない。
「その手の土壌を築いたんだろうけれど、これだけ色んなところでやられちゃうと、こっちはもういいやって思うわけです。今はもう、映した瞬間に、シーンと静まっちゃうくらいの方が、緊張感があって面白いんです。この写真が面白い、ではなく、この概念が面白い、に変わってきたというか。面白い写真を1枚撮ったからといって、スライドショーじゃ使えません。概念をいくつも作りたいんです」
「since」を追い求め、ヒヤシンスを育てる
最近、みうらが熱心に“概念の布教”に励んでいるのが「since」だ。飲食店の看板などに添えられている創業年を記したアレを追い求めている。最古の「since」を探し、「since2016」を「最新ス」と呼び、自宅の庭には「since」つながりでヒヤシンスを育て、スライドショーでは「since」写真の合間に芽吹いたヒヤシンスを映す。
「ほら、最近、『since』の概念が壊れているでしょ、『since』のメンツが丸つぶれになってませんか……なんて意気込んで話をするでしょう。この話、当然伝わらないんですよ。だからこそ、俺自身はグッと来るし、これを長いこと続けていると、ここでしか伝わらない概念が生まれてくるんじゃないか、って思うわけなんです」
火のないところに煙を立てる。みうらは、自身の仕事を「ない仕事」だと繰り返す。「仕事がない」という言葉はあっても、「ない仕事」という言葉はない。ない仕事を作る、あたかもあるかのように見せる。流行がすぐに消費されてしまう現代、「マイブーム」はどんどん消費されていく。「趣味でやっているって言われるんだけど、俺はもう一切趣味を持たない人間ですから。そこはもう、肝に銘じてやっていますよね。皆さんあっての私なので」。こうやってハシゴを外される。火のないところに煙を立てておきながら、すっと消えてしまう。とってもテクニカルだ。
「人がおかしい、って感じるのは、着地点が面白いってことなんです。A+BがABにならずにCにいっちゃうから面白い。そういう数式を沢山探し出す。『since』にしても、今ではネットで画像検索すれば、いくらだって手に入るでしょう。でもね、それじゃ面白くないんですよ。着地点がつまらなくなる。ある年号の『since』を求めて、自分の足で探しに行く。例のごとく、プロデューサー目線でみうらじゅんを見ると、彼のアナログな考えに惚れちゃってるところがあるんですよ。何でも調べられるということにまだまだ気づこうとしていない……そんなところが好きなんです」
「since」ブームを流行らせるためにヒヤシンスを育てる、という珍奇さを前に「そんなことして何の意味があるのか」と指摘する人ではなく、みうらの周りには「花咲いた時に撮った方が面白いのでは」とアドバイスしてくれる人がいる。「こうやって、洗脳の輪が段々広がっていくんです」と笑う。「俺自身、I don’t believe me教なんですよ。つまり、教祖が教祖のこと、信じてないんです。でもね、こうして長年やって来たことで、いいぞ、信じろって、周りから色んな人が言ってくれるわけ」
これからは「老いるショック」
これからは、老いることに面白みが生まれると読む。「老化ってイヤな言葉でしょう。最近は『老いるショック』って呼んでいるんです。『老い』をマイルのように貯めていく。老眼だって進んだ方が面白いに決まってるでしょう。肩だってやっぱり四十肩よりも五十肩の方が偉い。あっ、六十肩って言わないのは痛くて当然だからなのかな。これからは『老いる』を面白く乗り越えていこうと思っていますね」
みうらじゅん
1958年、京都府生まれ。武蔵野美術大学在学中に漫画家デビュー。以来、イラストレーター、エッセイスト、漫画家、ミュージシャンとして幅広く活動。97年、造語「マイブーム」が新語・流行語大賞受賞語に。著書に『アイデン&ティティ』、『マイ仏教』、『見仏記』シリーズ(いとうせいこうとの共著)、『「ない仕事」の作り方』、『されど人生エロエロ』、『赤塚不二夫生誕80年企画 バカ田大学講義録なのだ!』(講師として参加)など。
Yahoo!ニュースと文藝春秋の共同企画「時代の『主役』」は各界で活躍する人物を掘り下げます。今後取り上げて欲しい人物や記事を読んだ感想などをお寄せください。
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[写真]
撮影:鬼頭志帆
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝
[映像]
制作協力:古田晃司・松井信篤