今 祥雄

ニューヨーク・タイムズ紙が絶賛した日本人ダンサー「どん底から這い上がる力」

2016/7/15(金) 14:11 配信

NHK『からだであそぼ』で5年間レギュラーを務めたほか、映画やCM出演、ミュージカル、ファッション紙、絵本制作など幅広く活躍する、森山開次。本来は振付師・ダンサーであり、世界のダンス界で彼を知らない者はいない。ソロ公演のツアーチケットはソールドアウトするほど、国内外から圧倒的な評価を得ている。

森山がダンスを始めたのは、21歳の時。

ダンサーとしてはかなり遅いスタートだが、28歳の時にはイギリスのScotsman誌に「今年最も才能あるダンサーの1人。彼1人のために観にいく価値あり」とまで書かれた。34歳では、世界最古の芸術祭『ヴェネチア・ビエンナーレ』で全世界でたった15組しか選ばれないうちの1人として新作を発表している。

今年43歳。引っ込み思案だった少年時代、突っぱっていた20歳の頃……「生きている実感がなかった」という森山は、いかにして世界を代表するダンサーになったのか。その軌跡を辿る。(ライター・河野桃子/Yahoo!ニュース編集部)

(撮影:今 祥雄)

「オリンピックに出たい」―― 夢を抱き、失った10代

空気がピンと張りつめる。息もできない。あまりの緊張感に、彼に目が釘付けになる――。

2005年、NYで上演された森山開次のソロダンス公演『KATANA』は、ニューヨーク・タイムズ紙に“驚異のダンサーによる驚くべきダンス”と絶賛された。電子音響が地響きのように遠くで響く中、上半身裸の森山がしなやかに、空気を切るように動く。その後の日本公演では観客は50分間、文字通り呼吸を忘れ、中には失神してしまう人まで出た。

『KATANA』撮影:仙田祐一郎、映像提供:森山開次プロジェクト(2006年、スパイラルホール)

空間を支配する圧倒的なダンスと、華麗な経歴を持つ森山。子どもの頃は、絵を描くことが好きで、静かな少年だった。

小学5年生のときに兄とロサンゼルスオリンピックを見たことで、内気な森山少年に転機が訪れる。

「テレビ画面の中で、体操選手たちがライトを浴びて技を披露している姿がキラキラと輝いて見えたんです。僕もオリンピックに出たい――そう思って体操を始めました」

2歳離れた仲のいい兄は森山にとってライバルでもある。反発するように兄とは別の体操教室に入り、体操に打ち込んだ。しかしある日、その夢を打ち砕く事件が起きてしまう。

「交通事故にあったんです。体が宙をくるくると回って、地面に落ちた。それで、僕の体操が終わってしまった」

夢を失ったままの森山は大学へ進学し、学費を稼ぐため新聞配達をしながら6畳一間のアパートに住み込みで働いた。

(撮影:今 祥雄)

スポットライトを浴びている人達を横目に見ては、憧れを募らせる毎日。親にも友達にも会わず一人で過ごす日々を続けていた。そんな彼に再び転機をもたらしたのは、共にオリンピックの感動を味わった兄だった。

「そんな生活のなかで僕がもがいていることに気づいたのか、兄がミュージカルのチケットをくれたんです。その時初めて、舞台というものを観に行きました」

そこで森山は、大きなショックを受けた。感動したのではない。舞台で輝いている人達と自分を比べて、ただただ悔しかったのだ。

周りはトゥシューズ、自分は運動靴を履いたオーディション

いてもたってもいられなくなり、森山は勇気を振り絞って兄に「劇団に入りたい」と相談。事故以来やめていた体操の練習を再開し、バク転を武器にオーディションを受けることになった。

トゥシューズを履いたダンスやバレエの経験者に混ざって、森山が履いていたのは運動靴。「ピルエット回って」「バットマンして」……審査員から指示されるダンス用語は、まったく分からない。

「何もわからないなりに、とにかく自分をアピールしなきゃと思って、眉毛を剃って行ったんです。今思うと『何やってんだろう』と思いますけど……そのときはもう、とにかく必死でした」

『スポーツ祭東京2013』(国体)開会式式典演技メインパフォーマー 写真提供:スポーツ祭東京2013実行委員会 (2013年、味の素スタジアム)

結果、森山はオーディションに合格した。周囲からは「お前は人を殴りそうな目をしていて怖かったから受かったんだ」なんてことも言われたが、それほど真剣な目をしていたのだろう。

幾度となくもがき、苦しみ、結果すでに体操選手として活躍していた兄と似た道を選んだ。もうサラリーマンにはなれない。そのとき、森山はすでに21歳だった。

それからは、朝9時から夜までダンスや芝居の授業が続く日々が始まった。しかし、ダンスの決まり事が理解できず、何度も先生に楯突いた。

「なぜみんなと同じように踊らなければいけないのか」
「なぜバレエはガニ股が美しいとされるのか」

疑問ばかりを抱えてもがきながらも、ただひたすら、自分の体と向き合った。

だが「本当は「踊りたい」という欲求はあまりなかった」という。どちらかといえば歌いたかったし、セリフを喋りたかった。けれども森山は、ダンスに惹かれていった。

「ダンスはとにかく痛いし、苦しい。でも体を動かすと気持ちいいし、楽しい。いろんな感覚を実感するうちにダンスに惹かれていきました」

『KATANA』(2006年、撮影:宮川舞子)

やりたいことがなく、もがくばかりだった10代は、生きている実感すら持てなかった。だからこそ、“実感”できることが嬉しかったのだ。そして森山は、ダンスの道に進むことを決意した。

その後はソロダンサーとして活動し、森山はみるみるうちに成長していった。ミュージカルや能とのコラボレーション、NHK『からだであそぼ』や映画、CMへの出演など、活躍の幅を広げていくこととなる。

2005年に発表したソロ公演『KATANA』はニューヨークで大喝采を浴び、森山開次は世界を代表するダンサーにまで上り詰めたのだ。

『KATANA』の再演、そして森山が追い求める可能性とは

どんな振付にすれば、思い描いた表現ができるのか――。作品をつくる途中、森山も行き詰まるときがある。

「仕事でもプライベートでも、一つのことだけを突き詰めると障壁がうまれますよね。僕はそんなとき“絶対これがいい”とわかっていても、真逆のことを受け入れる余裕がもつようにしています」

森山は、両極端なものの中に本質があると考える。今年10年ぶりに再演される『KATANA』も、“刀”と“花”という相反するモチーフを描く。

(撮影:今祥雄)

「10年経ったら、もう一度やりたいと思っていたんです。同じことはできないけれど、年月が経てばきっと新しい何かを見つけているだろうと思ったので」

その先の作品のことは、まだ決まっていない。先を考えずとも、目の前の舞台を真剣に取り組むことで、次の課題、そして取り組むべきことが見えてくると森山は話す。

今その瞬間、自らがベストだと感じられる作品を見せるため、森山開次は常に可能性を追い求め続けている。

(撮影:今祥雄)

編集協力:プレスラボ

(撮影協力:世田谷パブリックシアター)

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