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塩田亮吾

安倍外交1300日をどう総括する 識者に聞く

2016/07/06(水) 17:04 配信

オリジナル

3年半で62カ国・地域──。安倍晋三首相が外遊した数は、過去最多だった小泉純一郎元首相(在任期間5年5カ月)のそれを大きく引き離す。外交の活発さは第2次以降の安倍政権の特徴だ。なぜ安倍政権は外交に力を入れてきたのか。アメリカが「世界の警察官」をやめる一方、ロシア、中国は「力による現状変更」を打ち出していく。揺れる世界の中で、安倍外交の1300日をどう評価するか。キヤノングローバル戦略研究所の宮家邦彦氏、日韓関係に詳しい木村幹・神戸大学教授、小泉政権下で北朝鮮との交渉を担った田中均氏に尋ねた。(ジャーナリスト・森健、岩崎大輔/Yahoo!ニュース編集部)

「アベはdeliverした」という評価が米の戦略を変えた

宮家邦彦・キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

宮家邦彦(みやけ・くにひこ)1953年、神奈川県生まれ。東大法学部卒、1978年、外務省入省。安倍晋太郎外相秘書官や中東アフリカ局参事官など歴任。2009年4月からキヤノングローバル戦略研究所研究主幹(撮影: 塩田亮吾)

安倍晋三首相の外交は過去の首相のそれとは大きく異なる。なぜかと言えば、彼には「国家戦略」があるからだ。以前の日本外交にはそれはほとんどないも同然だった。ところが、安倍首相の頭には、アメリカ、中国、ロシアの3大国の間で日本がどうやって生き延びるか、という戦略がはっきりとある。

外交の世界では、deliver(結果を出す)が大事。ワシントンでは「He can deliver.(彼は結果を出す)」と言われるかどうかにかかっている。その点、安倍首相は、デリバーを積み上げてきた。

2012年12月に第2次安倍政権が成立した段階では、ワシントンは安倍首相について「アベは復古主義だというが、アジアの安定を妨げる存在ではないか」「アメリカと付き合えるのか」と懸念の目で見ていた。

相前後して、中国では習近平氏が共産党総書記と国家主席にそれぞれ就任した。オバマ政権は当時、どちらかと言えば日本より中国に重きをおいており、米中関係の発展に期待を寄せていたようだ。実際、2013年2月、安倍首相の訪米時は会食も実務的なワーキングランチだったが、6月に訪米した習主席は国賓待遇。待遇の差が話題になるほどだった。

この頃、オバマ大統領は習主席に2つのことを迫っていた。1つはアメリカ企業へのサイバー攻撃をやめること。もう1つは南シナ海における人工島の軍事拠点化をやめること。しかし、習主席は米側の要請を聞かなかった。アメリカは中国が取引のできない国であることを再認識したのだ。

一方、2013年12月、安倍首相は突然、靖国神社に参拝した。米高官が靖国参拝を自重するよう発言した直後だったので、アメリカでは安倍首相への不信感が頂点に達した。この時点でアメリカは、「安倍首相の日本」をアジアでのオバマ政権のパートナーとすべきか迷っていたふしがある。

2013年末、靖国神社に参拝した安倍首相(写真:ロイター/アフロ)

しかし、年が明けて2014年になると、アメリカは最終的に中国に見切りをつけ、日本への関与を強め始める。また、安倍首相もアメリカが期待する政策を打ち出していく。TPP(環太平洋連携協定)と安全保障関連法制。国内を二分するような大きなイシューだったが、アメリカ内では「アベはdeliverした」と安倍首相の評価が変わり、アメリカ側の戦略も変わっていった。

2014年4月、オバマ大統領はアジアを歴訪した。日本では安倍首相と「すきやばし次郎」で会食し、東シナ海と南シナ海に触れた日米共同声明を発表した。その後、オバマ大統領はフィリピンで「南シナ海を中国の自由にはさせない」と中国を牽制するメッセージを国際社会に送った。そして7月、安倍首相は「集団的自衛権行使容認」という閣議決定を行った。

決定的だったのは、翌2015年4月の米連邦議会両院会議での安倍首相の演説だろう。日米ともに多数の犠牲者を出した硫黄島や真珠湾を引き合いに出し、「深い悔悟を胸に黙祷を捧げた」と先の大戦を深く反省する演説を行った。8月の戦後70周年「安倍談話」の内容もきわめて穏当なもので、日本が今後とも平和国家として歩んでいくことを強くアピールした。こうして安倍首相が米国の信頼を勝ち得たからこそ、今年5月オバマ大統領広島訪問が実現したと言えよう。

2014年4月、来日したオバマ大統領を銀座の寿司店「すきやばし次郎」でもてなす(写真:ロイター/アフロ)

ロシア、中国との対応でも安倍政権の特徴がある。この数年、中露両国は「力による現状変更」を推し進めている。ロシアはクリミアを併合、中国は南シナ海への海洋進出。日本は武力衝突を避けねばならないため、「関与と抑止」で接していくしかない。では、そこで中露とどう折り合いをつけていくか。ロシアとは北方領土のために対話を続ける。クリミア併合で国際社会の中で孤立しつつあるとき、安倍首相はあえてソチにプーチン大統領を訪れ、膝詰めの会談をした。この会談は領土問題の対話の一環でもあり、ロシアとの協議をしているという中国へのメッセージでもあった。

こうしてみると、安倍首相の3大国へのアプローチは非常に正しい。アメリカとの同盟は基軸として重視しつつ、中国とは戦略的互恵関係に戻って最低限の実務的関係を維持。そして、ロシアとは粘り強く対話を続ける。このように大国勢との絶妙な距離感を保ちつつ、巧みに日本の国益を増大させているのが安倍外交なのだ。

「安倍政権の本当の外交アドバイザーは?」と尋ねられることがよくあるが、私はこう答えている。それは「himself(彼自身)」だと。

米中関係の変化が安倍外交を成功させた

木村幹・神戸大学大学院教授

木村幹(きむら・かん)1966年、大阪府生まれ。京都大学大学院法学研究科修士課程修了博士。朝鮮半島地域研究が専門。『日韓歴史認識問題とは何か』で読売・吉野作造賞を受賞。神戸大学大学院国際協力研究科教授(撮影: 塩田亮吾)

戦後70年、2015年8月の「安倍談話」。これが出される前、過去の「村山談話」などと比べて、どういう言葉が出るのか。アメリカや中国、韓国など周辺国は相当気にしていた。結果としては「痛切な反省と心からのお詫び」を盛り込み、中国、韓国にも謝罪した。これには多くの人々が驚かされた。

このとき、韓国の外交部(外務省)の知人は、安倍談話を「気持ちの悪い談話だ」と漏らしていた。というのも、安倍首相は必ずや韓国を刺激するようなことを言うと考えていたのに、実際にはきわめて穏当で目配りの利いた内容だったからだ。知人からすると、突っ込みどころがなく、困ったという話だったのである。

安倍首相には2つの顔がある。1つは、東京裁判は間違いだ、という歴史修正主義者の顔。こちらには反米的な側面もある。ところが、彼にはもう1つ、現実的に国際社会で生きていく日米同盟を重視する顔もある。「安倍談話」ではみな歴史修正主義者の顔が出るかと思っていたら、現実主義の顔が出ていた。そして、その顔で信頼を勝ち得ていくことになった。

安倍首相にとって幸運だったのは、この3年半の間でアメリカも変質していったことである。

2013年、中国が習近平体制になってから、アメリカは中国に様々なアプローチを試みたが、上手くいかなかった。そこで2015年春には、中国の南シナ海での進出を絶対に止めると決意した。そうなると、アメリカは日本と韓国との関係が良好であってほしい。両国に中国の牽制役を担ってもらいたい。そのために日韓両国の協力が必要になった。

2013年6月に訪米した習近平中国国家主席は、2日間にわたりオバマ大統領と首脳会談を行った(写真:ロイター/アフロ)

中国の牽制という大局的な利益のため、日韓両国は歴史認識問題や慰安婦問題を解決してくれないか──そんな意図をもって接触するアメリカに対し、日本の安倍首相はたまたま同じタイミングで歴史修正主義者の旗を降ろす形になった。当然、日米関係は良好になっていく。

一方、韓国の朴大統領は選択を誤った。2015年9月、朴大統領は北京での「抗日戦勝70周年式典」の軍事パレードに列席した。天安門の上で、習近平主席、プーチン大統領、朴大統領と3人揃った。朴大統領は軍事パレードを観に行っただけで、外交的な約束は何もしていない。しかし、あの3人が並んだ絵柄はアメリカには許せなかった。「何一緒になって手を叩いとんねん。どっち側やねん!」とアメリカは怒った。この米側の怒りに、韓国の外交部はパニックになった。頑固でプライドの高い朴大統領は、他人に頭を下げるのは苦手。中国とは巨大な貿易を抱えており、今更距離をおくこともできない。強烈な板挟みにあった。

そんな米中の駆け引きに揺れる韓国の外交上の産物が、2015年末の慰安婦問題での日韓合意だった。あの合意の概略は10月末頃には韓国から提示されていた。

つまり、安倍外交が成功し、朴外交が破綻していったのは、米中両国との関係変化がもたらした部分が大きかった。

2015年12月、慰安婦問題合意で日韓外相が握手(写真:Lee Jae-Won/アフロ)

だが、もちろん米中だけでなく、安倍首相の外交手法にも成功要因がある。それは、一貫した主義主張を打ち出すより、結果を出すことを志向したことだ。

安倍首相は個人的な関係性を重要視しておらず、オバマ大統領との個人的な信頼関係を積極的につくろうとしているようにも思えない。歴史修正主義と親米主義の間で揺れ動き、結果として、予想以上の柔軟性をもたらしている。

一見すれば矛盾があったり、「でたらめ」に思えたりする行動がなぜ可能なのか。考えると、やはり幼い頃から政治の現場に触れてきた影響に行き着くのだろう。祖父と大叔父が首相、父が外相という超一流の政治家の家。祖父が首相のとき、安保闘争で大きなデモが起きても、自民党は選挙で勝った。こうした歴史を肌身で実感してきた人からすると、世間のことは何でも些事に過ぎない、と思えるのかもしれない。SEALDsや反原発デモが大きくなっても、選挙では勝てるとわかっていればこわくない。だから理屈で説明しようとしても、安倍首相のことを読み解けない。なかなか、食えない政治家だ、というべきだろう。

安倍外交の本質は安全保障体制の構築である

田中均・日本総合研究所・国際戦略研究所理事長

田中均(たなか・ひとし)1947年、京都府生まれ。1969年京都大学法学部卒業後、外務省入省。アジア大洋州局長、外務審議官などを歴任。北朝鮮との交渉を担い、小泉首相の訪朝、拉致被害者の帰還、日朝平壌宣言などを実現した。2005年、退官。現在(株)日本総合研究所・国際戦略研究所理事長、東京大学客員教授(撮影: 塩田亮吾)

安倍政権の3年半で最も進んだのは、日本の安全保障体制の構築だ。内外の情勢が変化した中で、日本自身の安全保障上の役割を見直し、体制を構築してきた。その実績は高く評価したい。

日米防衛協力のガイドラインを18年ぶりに見直し、集団的自衛権行使を実現する安全保障関連法も成立させた。これにより、たとえば朝鮮半島の有事を想定した危機管理計画が、アメリカや韓国とともに作業できるようにもなった。これらは安倍首相のリーダーシップがなければできなかったことだろう。

ただ、本当の安全保障は防衛力の向上だけでなく、外交力と合わせて両輪となる。米国を中心とする先進民主主義国と新興国の相対的な力関係が変わってきた。台頭する中国とどう向き合っていくかが、日本にとって最大の外交課題となっている。

安倍政権は、中国への牽制を念頭に置きつつ、米国との安保協力の強化、豪州やインド、東南アジア諸国との協力関係を築いてきた。だが、これだけでは不十分で、中国とともに協力できる分野を拡大していくべきだろう。この面で日本の外交が十分機能しているとは言いがたい。

もとより中国は日本にとって最大の貿易・投資のパートナーで、地理的、歴史的にも共生せざるを得ない関係である。であるなら、南シナ海や東シナ海での中国の一方的な行動に対しては国際社会とともに適切な対応をとっていくと同時に、日中関係を正しい軌道に乗せ、お互いに利益を得られるようにするのが外交の仕事だろう。

2016年5月、ロシアのソチでプーチン大統領と会談(写真:Kremlin/Sputnik/ロイター/アフロ)

アメリカは唯一の超大国であることに変わりはないが、「世界の警察官」といった役割から徐々に引いているのも事実である。その変化を前に、日本も昔と同じような同盟関係でいいのかといえば、そうではないはずだ。

秋にはアメリカの新しい指導者が選ばれる。共和党候補のドナルド・トランプ氏は日米安保体制の見直しに言及しているが、民主党候補のヒラリー・クリントン氏が政権を取ったとしても、日米同盟や負担割合の問題は見直されていくと思われる。

その観点からも沖縄問題が現状のままでよいはずがない。沖縄県民の米軍基地への感情は悪化したままだ。1996年、日本の国土の0.6%の面積でしかない沖縄に基地の75%が集中していた。20年経ったが、いまなお74%ある。沖縄県民が憤りをもつのも無理はない。だが、同時に、沖縄県民も事態を動かすため、日本政府に対して建設的な態度をとっていくべきだろう。安倍政権は沖縄県と対立しているが、このままではいつまで経っても解決しない。

安倍政権はアメリカの新政権と、東アジアの大きな変化を踏まえて、いま一度在日米軍の展開の仕方を含めた協議を緊密化させたほうがいい。今後20〜30年先を見越して、東アジア全体でどういう世界をつくっていくか、日本の役割は何か、そんなグランド・ストラテジー(大戦略)をもつことが重要だ。

2050年、日本は人口が現在より3000万人減ると予測されている。しかも、3人に1人が高齢者だ。それだけ国力が弱った中で、安全に暮らしていく環境をどうつくっていくか。中国を力で牽制するだけでは十分ではない。中国、韓国などとともに、外交で安全なレジームをつくることが重要だ。安全保障環境の改善を外交で活路を開けるか、政権の真価が問われるのはこれからだ。

田中氏のオフィスには、小泉政権時代を中心に自らの携わった外交関連の写真が多数並ぶ(撮影: 塩田亮吾)


森健(もり・けん)
1968年東京都生まれ。ジャーナリスト。2012年、『「つなみ」の子どもたち』で大宅壮一ノンフィクション賞、2015年『小倉昌男 祈りと経営』で小学館ノンフィクション大賞を受賞。

岩崎大輔(いわさき・だいすけ)
1973年静岡県生まれ。ジャーナリスト、講談社「FRIDAY」記者。主な著書に『ダークサイド・オブ・小泉純一郎「異形の宰相」の蹉跌』、『団塊ジュニアのカリスマに「ジャンプ」で好きな漫画を聞きに行ってみた』など。

[写真]
撮影:塩田亮吾
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝
[図版]
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