八尋伸

“介護殺人”当事者たちの告白

2016/7/1(金) 12:10 配信

いま、日本では2週間に一度、「介護殺人」が起きている。配偶者を手にかけてしまう「老老介護」のケースに加え、介護を担っていた娘や息子が親を殺害する事件もある。こうした「介護殺人」は、しばしばニュースで報じられる一方で、正確な統計はなく、全体を把握することは難しかった。NHKは2010年以降の6年間の事件を調査。半年間で11人の当事者に直接話を聞いた。なぜ一線を越えてしまったのか。悲劇を防ぐことはできないのか。当事者の告白から見えてくるものとは。(取材・文=NHKスペシャル “介護殺人”取材班/編集=Yahoo!ニュース編集部)

「何で首を絞めたのかはわからん」

「我に返った時にはタオル持って、(この人)動けへんなって。警察や検事さんからも、何度も聞かれたけど、何で首を絞めたのかはわからん。でもこんな生活耐えられへん思って、やったと思う。あんな地獄は絶対、嫌。ほんまに経験者でないとわからへんもん」

認知症の夫を殺害した女性( NHKスペシャル『"介護殺人"当事者たちの告白』より)

関西地方の閑静な住宅地にある一軒家。夫の遺影が飾られた居間に正座した70代の女性は、認知症の夫を手にかけた時のことを静かに語った。

自宅で夫を介護し続けて3年。ある日、玄関先から突然、夫の悲鳴が聞こえた。駆けつけると、夫は転んで床に倒れていた。打ち所が悪かったのか、足を押さえて「痛い、痛い」と叫んでいた。このままでは近所に迷惑がかかる。急いで部屋に運び込んだ。そして、普段、夫が寝つくようにと服用させていた睡眠薬を痛み止めの代わりに飲ませると、徐々におとなしくなり、やがて寝息を立て始めた。

「寝てるわ」

ほっとして寝顔を見ていた女性の記憶は、そこで途切れている。次に覚えているのは、横たわっている夫の前でタオルを握りしめていた自分。夫の首を絞めたタオルは、夫が立ち上がろうとする際にテーブルに手をついて踏ん張れるようにと常に用意していた、ぬれタオルだった。

「この人こんなかわいそうなん、生きててもええこともないし。昔、元気な人やったから、こんな弱っている姿、情けのうて。本人もつらかったと思うもん。この人もう、ここまで生きたんやから、もうええやろ思った。私、ほんまに余裕がなかった」

「加害者」を訪ねて

「介護殺人」の取材が始まったのは2015年の秋だった。全国にあるNHKの地方放送局の警察担当記者が取材に加わり、2010年以降の6年間に家族の間で起きた殺人や傷害致死、心中などの事件の情報を収集。当時の取材資料や裁判記録を調べ、弁護士への取材や現場周辺での聞き込みを行った。また、可能な場合は刑務所での面会も試みている。

介護が必要な人の数は増え続けている(写真はイメージ、撮影:八尋伸)

取材の結果「介護が関係していた」と確認できた事件は138件だった。約2週間に一度、悲劇が繰り返されていることになる。ひとつひとつ住所を訪ねて歩くと、ほとんどは空き家か更地になっていた。近所の人にたずねても、所在はわからない。少ないながらも服役後、事件当時の住所にそのまま住んでいるケースや、連絡先が判明するケースはあった。居場所が判明しても取材を断られることもある。取材は難航したが、最終的に半年間で11人の当事者に話を聞くことができた。

冒頭の女性は服役後、介護生活の末に夫の命を奪った家で暮らし続けていた。今年4月、女性の家を訪ね、匿名を条件に話を聞いた。

夫と結婚したのは40年以上前。男女2人の子宝に恵まれた。自営で、建築関係の仕事をしていた夫は、家事は妻に任せるタイプの「昭和の男」だったが、子煩悩でキャンプや旅行によく家族を連れていった。女性も育児のかたわら夫の仕事を手伝い、職場でも家庭でも夫を支えてきた。

「あの人、気は短かったけど、子どもにはすっごい優しかった。バブルの時代は収入もよかったし、私も仕事を手伝っていたから、生活に余裕があって、一番楽しかったね」

バブルの崩壊後は生活が急激に苦しくなった。それでも、夫は家族を養おうと懸命に働き続け、長男と長女は無事に成人。待望の孫も生まれた。夫は孫を可愛がり、家には笑いが絶えなかったという。部屋の柱には、孫の背丈を測ったペンの跡がいくつも残っていた。

どんな家族にも介護生活が訪れる可能性がある(写真はイメージ、撮影:八尋伸)

息子や娘に迷惑はかけられない

そんな平穏な生活は、夫が脳梗塞で体が不自由になり自宅での介護が始まってから一変した。多い日は1日に20回近くもトイレに付き添い、排せつも手伝った。1度に眠れるのは2時間ほど。ズボンをはかせようとして手間取ると叱られ、手を上げられることもあった。

事件の半年ほど前には、夫が認知症を発症。会話もほとんど成り立たなくなった。夫は溺愛していた孫にテレビのリモコンを投げつけ、昼夜を問わずわめき出すようになった。

「完全に眠れへん。夜中でも、ものすごいわめくし、訳のわからんこと言うんよ。24時間テレビもつけっぱなしで、じーっと画面を見ているだけ。大好きだった野球を観ていても反応しない。もう目が死んでた。頭の中がもうパニックになってきて。ほんま死ぬことばかり考えていた。でも、自分が死んだら、息子や娘に迷惑がかかるから、それはできん」

家庭や仕事がある子どもたちに頼ることはできなかった。介護施設に入居させられないかと自治体にも相談したが、特別養護老人ホームに空きは見つからなかった。民間の有料老人ホームも探したが、入居費用は月15万円。夫婦の年金を大幅に上回っていた。

唯一、介護から離れられたのは、夫がデイサービスに通っている時間だけだった。週3回、午前10時から午後4時までの6時間。その間に買い物や家事を済ませると、一人で近所の公園に出かけ、ベンチに座り続けていたという。

「家におったら、もう気が狂いそうになるから。いつまで介護をやるのかと、頭の中でぐるぐるぐるぐる回って。これからどないしていこう、どないしたらいいんかなと。携帯電話を持ってずーっと眺めてて…。また、あんなつらい思いせなならん思ったら、あの地獄がやってくる思うたら、もうほんまに家に帰るの嫌や思いました。公園で、仲良く楽しそうに散歩しているお年寄り夫婦なんか見ると、元気でいいなって…。ほんまにうらやましかった」

夫の命を奪うことで先の見えない介護生活は終わった。仏壇の前には夫の遺骨が安置され、女性はこの日も手を合わせていた。

「後悔はしてない。やったことは悪い。でも、ああするよりほかなかった」

「子どもには頼れない」と老老介護を続ける人もいる(写真はイメージ、撮影:八尋伸)

弟でなければ、自分が殺していたかもしれない

加害者となった家族を助けられなかった自分を、責め続ける人もいる。

今年2月中旬。土曜日の昼下がり、中部地方の県営住宅に住む60代の男性を訪ねた。弟が認知症の母親の首を電気コードで絞めて殺害した。男性は弟と一緒に母親を介護していた。弟は自首し、実刑判決を受けて服役中だ。

男性は工場で働きながら、父親の死後、20年ほど母親と二人で暮らしていた。事件の2年前、母親が認知症と診断された。症状は日ごとに悪化し、母親は夜通しふすまを激しく叩き、大声で叫ぶようになった。

「騒ぐと寝かしつけて、また起きて寝かしつけての繰り返し。頻尿がひどく、1時間に2,3回起きる。毎晩、ほとんど眠れませんでした」

男性の母親の場合、認知症でも歩行や食事は一人でできたため、要介護2だった。施設への入居も考えたが、民間の有料老人ホームは月に20万円以上かかると言われ、あきらめた。特別養護老人ホームは入居希望者であふれ、4、5年待ちだった。

週に4回、デイサービスに母親を預けてから出勤し、夜は介護に追われる生活。1年ほどたった頃、過労で倒れ、救急車で運ばれた。

体は限界だったが、生活のために仕事はやめられない。男性は、25年前に実家を出た弟を頼った。弟は当時、無職。中学生の時は学校でトップクラスの成績だったが、生真面目すぎるところがあり、人に合わせるということは苦手だったという。会社勤めは長く続かず、40代後半からは生活保護を受けていた。求職中だった弟は、男性の頼みを聞き、同居して母親の介護を分担することになった。

希望する介護サービスが受けられない場合も(写真はイメージ、撮影:八尋伸)

「母ではない化け物」

「全部きっちりやってくれました。掃除も洗濯も。料理は私がやりましたが、それ以外のことは全部任せていました」男性は振り返る。

しかし、認知症が進行した母親の姿は、弟にとって徐々に耐え難いものになっていった。

「被告人が特に辛かったことは、母親が大便を付着させた衣類の手洗い洗濯と、汚物の処理です。被告人は、認知症の症状によるものということが理解できず、意思の疎通もままならない母親が、次第に『母ではない化け物』であると思い込むようになっていきました」(弁護側の弁論より)

意味のわからない言葉を叫び続ける母親に、どう接していいかわからなかった弟。ある日、弟は暴れる母親を思わず叩いた。すると一時的におとなしくなったことから、母親が暴れるたび、殴りつけるようになっていった。

平日、男性が仕事に出た後に、弟は電気コードで首を絞めて母親を殺害した。介護を始めてから2カ月後のことだった。裁判の記録によれば、事件の少し前、弟は、母親が服やタオルに大量の大便を付けたままトイレから出てくるのを見た。その姿に、「一番辛いのは母親なのだ」と、殺害を決意したという。

いつ誰が介護者になるかわからない(写真はイメージ、撮影:八尋伸)

服役中の弟から届いた手紙には、
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。私は絶対に許されないことをしてしまいました。今は毎日毎晩母のことを思いながら手を合わせています」と、几帳面な字で記されていた。

男性は今も、弟の帰りを待ち続けている。

「弟はいきなり最悪の状態の母に直面し、急激に追い込まれてしまった。判決では、2カ月ぐらいでは介護疲れにならないと言われましたが、精神的に追い詰められていけば起こりうることだと思います。私は限界を超えそうになっていました。だから、弟を呼ばなかったら、私が母親を殺していたかもしれません。一番悪いのは、弟を呼んだ私です」

介護を始めて短期間で事件に至るケースもある(写真はイメージ、撮影:八尋伸)

いつ誰が介護者になるかわからない

支援も受けられず、孤立した状態で長年介護を続けた結果、事件に至る―。そんなケースが多いのではないかと、取材前は考えていた。だがその推測は取材を進めると覆された。介護を始めてからの期間が判明した77件のうち、半数以上が介護を始めて3年未満で事件に至っていた。また、当時の状況が判明した67件のうち、4分3のケースで何らかの介護サービスを利用していた。

介護を担う人が550万人を超え、今後も介護が必要な人は増え続ける。誰が、いつ、介護者になるかわからない。「加害者」たちの告白は、大介護時代の課題を浮き彫りにしている。


NHKスペシャル「“介護殺人”当事者たちの告白」は7月3日(日)午後9時~放送(NHK総合)

[写真]
撮影:八尋伸
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝

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