のろのろと遅く、車両は古くさい。何より車の通行に邪魔――。そんな理由で姿を消していた路面電車がいま、次世代型の路面電車システム「LRT」として復権を始めている。床が低くて乗りやすく、デザインも斬新。路線バスなど他の公共交通との乗り継ぎもスムーズだ。車社会で「郊外へ郊外へ」と伸びた街を逆回転させ、空洞化した中心市街地に再び人を呼びこむ狙いもある。はたして地方都市再生の切り札になるか。(Yahoo!ニュース編集部)
新幹線駅と直結の路面電車
JR北陸新幹線の富山駅の改札を出ると、正面に路面電車の停車場がある。客を待つのは「LRT」(ライト・レール・トランジット)と呼ばれる低床式の車両だ。古くさい箱型ではなく、2両編成のしゃれたデザイン。富山駅は全国で唯一、路面電車が乗り入れる新幹線駅である。
このLRTは民間の富山地方鉄道が2009年から運行しており、富山駅南側の市街地を走る。メーンは中心街をぐるりと回る環状線「セントラム」。ヨーロッパでよく見かける低床式の路面電車「トラム」と同様の車体だ。
交通関係者の間で、富山市は「次世代型路面電車システムの街」として早くから注目されてきた。それはセントラムよりも3年早い2006年から、富山駅の北側を別のLRT「ポートラム」が走っているからだ。
「ポートラム」は第3セクターの「富山ライトレール」が運営する。路線は富山駅前から北へ延び、7.6キロの区間に13の駅がある。
LRTは「路面電車」と「鉄道」の役割を併せ持つ。市街地では路面電車として道路上の軌道を走り、郊外では鉄道として高速走行もできる。富山ライトレールの郊外区間は、JR富山港線の再利用だ。乗客の減少で廃線寸前だったこのJR線を、次世代型路面電車システムとして蘇らせたことから富山市の挑戦は始まった。
LRTを軸にした「コンパクトシティ構想」
富山市路面電車推進課の深山隆課長は、当時を振り返ってこう話す。
「富山港線をバスに変える話も検討されました。2003年ごろですけど、当時、富山市はコンパクトシティを意識し始めていたので、バス転換すると、一層公共交通離れが進むのでは、との懸念がありました」
コンパクトシティを目指すために、新しい路面電車を整備しよう――。その決断には、車に依存した「拡散型まちづくり」への反省があったという。
「全国の地方都市はどこでもそうだと思いますが、車社会の発達で郊外に道路を整備し、住宅団地も造成した。中心市街地にあった公共施設も広い敷地と駐車場を求めて郊外に造った。市民も、買い物は車で郊外のショッピングセンターに行く。その弊害として、公共交通と中心市街地の衰退が見えつつありました」
そこに少子高齢化の流れが重なってきた。
「経済規模が縮小し、税収も減って市の財政は硬直化します。これはまずい、と。拡散型を続けていると、公共交通も利用者がさらに減る。中心市街地の活気が消え、市全体が衰退します。2003年ごろ、それに気付き、影響の大きさに驚いた。そこで『今すぐ拡散型を止めるべきだ』と。これからは『公共交通を軸とした拠点集中型のコンパクトなまちづくりだ』と」
導入当時、富山ライトレールは全国初の本格的なLRTと言われた。今年でちょうど10年になる。
利用者が増え、高齢者も中心街へ
この4月下旬、ライトレールの駅で話を聞くと、若い女性は「毎日乗ります。駅前に駐車場があってすごく便利です」と口にした。高齢の女性も「15分おきに来るからすごく助かる。(バスと比べ)電車は便利。(乗降口に)段差もなく、つまずくこともない」。
神奈川県から来た観光客は「海外行った時、向こうで(LRTを)使うのでこちらでも乗りたいと。車体も綺麗」と言う。
利用者も順調に伸びている。ライトレール開業直前、JR時代の利用者は1日当たり約3200人だった。それが開業初年の2006年度は一気に約5700人になり、その後も5000人台を維持している。
富山市によると、利用者の約11%は自動車からの転換だった。JR時代と違って、日中の高齢者の利用が大きく伸びたという。沿線での住宅新築も増えている。
2009年度からは環状線「セントラム」の効果も加わった。市の調査によると、セントラムを利用した人が中心市街地で2時間以上滞在する割合は、開業翌年からの3年間で15%伸びた。
1万円以上消費する割合は20%の伸び。いずれも車でやって来る人よりも数値が高くなったという。
路面電車の「復権」はヨーロッパから
LRTを軸にした「路面電車の復権」は最初、フランスで始まった。1950年代までに3都市を残してすべての路面電車が撤廃されていた同国では、ストラスブールなどでLRTが導入され、成功事例として世界の注目を集めた。
2006年にはパリで約70年ぶりに路面電車が復活。その後もヨーロッパ各国や米国などでLRTが導入され、これまでに世界130都市以上で次世代型路面電車システムが動いている。
日本でも、富山市やヨーロッパの先行例にヒントを得て、各地で新しい路面電車への関心が高まってきた。計画や構想の成熟度に差はあるものの、ざっと列挙するだけでも以下のような都市が該当する。
宇都宮市、前橋市、横浜市、金沢市、名古屋市、神戸市、高松市、那覇市――。県庁所在地以外でも計画は多く、東京都八王子市や茨城県つくば市といった都心周辺の街にも計画がある。
これらのうち、最も計画が進んでいる宇都宮市を訪ねた。
3年後の開業を目指す宇都宮市
「計画は20年以上前に始まりました。道路をいくら整備しても車は増える。抜本解決にならない。特にJR宇都宮駅の東側は公共交通が不便で、核になる交通もない。バスのネットワークも脆弱です。そこで基幹の公共交通としてLRTをつくり、バスなどを組み合わせて網の目のように地域をカバーすれば、公共交通の利便性も上がっていく、と考えました」
宇都宮市の矢野公久LRT整備室長は話す。
計画は宇都宮駅東口からホンダやキヤノンの工場がある工業団地までの14.6キロで、2019年12月の開業を目指している。事業費は458億円。半分は国庫負担だ。現在、同駅の東側は慢性的な渋滞が起きており、ラッシュ時には駅から工業団地まで、車やバスで70分もかかる。LRTなら最速37分になるという。
狙いは交通渋滞の緩和だけではない。矢野室長はこうも言った。
「宇都宮も中心市街地が衰退した原因は、モータリゼーションです。郊外に大型店舗ができ、そこにみんなで行っちゃった。それで街の中心が寂れた。LRTは低床でバリアフリーで他の交通機関と連携しやすいシステムなので、さまざまな相乗効果が期待できます。富山では高齢者の外出機会を増やし、中心街のにぎわい創出にも力を発揮していますよね?」
「確かに中心街に魅力がないと、人は行かないかもしれません。でも、どちらが先か、って話でもない。魅力を作ってみんなを引きつけるのか、行きやすくしてまず行ってもらうのか。行政としては両方を実現させていこう、と」
宇都宮に「反対」の声、富山でも「効果ない」
宇都宮市の計画には根強い反対もある。「宇都宮市のLRTに反対し公共交通を考える会」は2014年に旗揚げし、約400人が加わる。これまで市議会に陳情を出し、市長に公開討論を申し入れるなどの活動を続けてきた。
同会は、LRT専用レーンができた場合に自動車交通の邪魔になることや、巨額の事業費が市の財政を圧迫することなどを問題にしている。代表の上田憲一さんは「膨大なお金をかけて、市民の移動がかえって不便になってしまう。宇都宮市には不向き」と明言する。
空洞化した市街地を再生できるのか、という疑問も根強い。宇都宮市中心部のオリオン通り商店街を歩くと、「自分の地区にLRTは来ないから関係ない」という声にも行き当たる。
同じような声は、富山市の「中央通り商店街」にもある。婦人服店を営む男性(61)は「セントラムは(自分らの商売にとって)全く機能していない。市も小さいまちづくりを目指すなら、もう一回ここに人を集めることを考えないと、富山の商業自体が衰退します」と言い切る。
実は、LRTの導入で中心街に人が戻るにつれ、環状線の内側には地場の百貨店「大和」も入る大型商業施設が立地した。それがまた、この商店街を寂れさせており、歩く人も経営者も「信じられないくらい人がいない」と口にする。
「点と点を結ぶだけでは全然だめ」と専門家
LRTに詳しい早稲田大学創造理工学部社会環境工学科の森本章倫教授は、次世代型路面電車システムは、まちづくりの一つの道具にすぎないと言う。そして、「東京では乗り換えが当たり前」と語った上で、こう指摘する。
「魅力的な場所というのは、中心市街地も郊外のショッピングセンターも病院も(一定の面の内側に)点在しています。だから、点と点を結ぶような交通機関では全然だめなわけです」
そういった指摘を地方都市の側は十分理解しているのだろう。富山市では、「ポートラム」と「セントラム」が数年後に接続され、富山駅を挟んでLRTが相互乗り入れを始める。宇都宮市も、駅東側の計画だけでなく、駅西側にもLRTを走らせる構想を持ち、将来は駅の東西をLRTで結びたいという。
日本では最盛期の1932年、全国65都市で路面電車が走っていた。モータリゼーションの影響で次々に廃線に追い込まれたのは、1960年代から70年代にかけてであり、最近になって急に現在の17都市になったわけではない。「復権」の成否についても、答えが出るにはもう少し時間が必要かもしれない。
※冒頭と同じ動画
[制作協力]
オルタスジャパン
[写真]
撮影:幸田大地
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝