木村肇

「避難所」より「車」。孤立する被災者の選択

2016/5/20(金) 16:51 配信

熊本名物の路面電車が、ガタゴトと音を立てながら何食わぬ顔をして市街地を進む。人通りこそまばらだが、街の表情は、ここが最大震度7を観測した「被災地」であることを忘れさせるほど穏やかだ。と、突然、ケータイが不気味な音をたてる。緊急地震速報だ。「熊本地方で震度4」。それでも路面電車は緊急停止することもなく、渋滞する車列を何事もなかったように追い越して行った。熊本地震の発生から1カ月。体に感じる余震は1400を超えた。学校の再開によって避難所が整理、統合される中、行政も把握できていない「車中避難」の実態と課題をリポートする。
(ノンフィクションライター中原一歩/Yahoo!ニュース編集部)

熊本地震は「都市存続型」の地震だった

Yahoo!ニュース取材班が熊本入りしたのは4月23日。すでに地震発生から1週間が経過していた。最初に感じた違和感は、地震発生以来、メディアを通じて見聞きしていた情報と実際の現地の被害状況とのギャップだった。

当時、この震災の名称をめぐって、「なぜ熊本地震を『大震災』と呼ばないのか?」という意見がネットで話題になっていた。少なくとも東京で見聞きする報道では、阪神淡路大震災に相当する震度7の直下型地震が2度発生していることから「大地震」に相当するだろうという意見が多勢だったような気がする。

しかし、初めて熊本を訪れた時の印象は「肩すかし」を食らったようだった。確かに、震源地に近い地域では、町の至るところで家屋が全壊し、その被害は甚大だった。けれども、そこから2キロも離れていない熊本市内は建物の内部はともかく、ほぼ地震発生前と変わらぬ外観をとどめていた。全国的に有名なアーケード(商店街)は、電気、水道、ガスなどのインフラは滞っていて閑散としていたが、プロパンガスで営業をしている飲食店もあった。市内のほとんどのコンビニは、食料品こそ少ないもののオープンしている。こんなことは東日本大震災ではありえなかった。

熊本の繁華街の夜。閑散としていたが営業する店もちらほら(撮影:木村肇)

ある避難所に顔見知りのテレビディレクターがいて、目が合うなり周囲に聞こえないような小声でこう耳打ちされた。

「熊本には東北で感じたような『絶望感』はない。テレビは2週間で撤退だろうな」

褒められたもの言いではないが、確かに熊本には東日本大震災時に感じた「絶望感」はなかった。もちろん、人の生き死にを数字で評価することは許されない。けれども、津波や火災の被害がなかったことは不幸中の幸いだったと地元の人は口を揃える。

震源近くても地域によっては全く無傷の場所もある(撮影:木村肇)

熊本市の中心部から車で20分。熊本市のベッドタウンを担う人口32000人の益城町は稲作や畑作で知られる農業の町だ。また熊本の空の玄関口でもある「阿蘇くまもと空港」。そして、九州交通網の大動脈である「九州自動車道・益城熊本空港インターチェンジ」を有する物流の拠点として知られている。

この益城町こそ、今回の地震で震度7の揺れを2回観測。震源にもっとも近い場所であり、犠牲になった69人(5月16日現在)のうち、その3分の1にあたる21人が亡くなっている。全壊した家屋は1026棟、半壊した家屋は4373棟。その数字だけを見ると気が遠くなるが、実は全半壊した家屋は、益城町にある家屋の半数に過ぎない。つまり、残りの半数の家屋は、震源地にありながら以前と変わらぬ姿をとどめているのだ。この数字をみるだけでも、いかに被害が「極地的」で「不均等」だったか分かる。

2度目の「本震」で土台ごとつぶれてしまった木造二階建ての家(撮影:木村肇)

大地が隆起したので水平な場所がひとつもない(撮影:木村肇)

東日本大震災をはじめ、数多くの活動経験がある公益財団法人・共生地域創造財団・代表理事の奥田知志さんは、熊本地震は、東日本大震災とは全く性質が異なる「都市存続型地震」だと強調する。 

「町のインフラを含めたあらゆる機能が津波によって消失、崩壊し、人の生き死にを含めて、何事もあきらめるしかなかった東北のケースと比べると、幸いにも被害が限定的だったため何事もあきらめがつかない。余震が怖いからこそ避難する人が多いが、だからといって遠隔地避難するまでの決断はできない」(奥田)

SNSの普及によって物資の収集も格段に早くなった(撮影:木村肇)

「リバテープはないですか?」
物資配布所を取材していると聞き慣れないある物を求める人が行列を作っていた。場所を変えても、やっぱり必要とされているのは、この「リバテープ」。調べてみると、それは「絆創膏」(ばんそうこう)のことだった。熊本に本社を持つ、その名もリバテープ製薬会社は、国内初の救急絆創膏の開発に成功。熊本では子どもの頃から、怪我をしたら絆創膏ではなく「リバテープ」が常識なのだ。

指にリバテープを巻いた人のほとんどが、倒壊した家屋の下から、貴重品や生活必需品を引っ張りだそうとした際、破損したガラスや木材などで怪我したのだという。津波や火災で家屋そのものが根こそぎ消失していたら、そうはいかない。被災された人の手のひらを見せてもらうと、一様に血色を無くし、爪の先に黒ずんだ垢がたまっている。指先に巻かれたいくつものリバテープが、何事も「あきらめがつかない」という熊本地震を象徴していた。

どの避難所でも真っ先になくなるのはリバテープ(撮影:木村肇)

孤立する車中避難者

現在、益城町には15カ所の避難所があり、およそ3299人が避難している。しかし、同じ被災者でありながら、この数字には含まれていない人々がいる。それが、避難所ではなく、個人が所有する車で各地を転々としながら生活する「車中避難」者だ。なぜ彼らは避難所ではなく路上にいるのか−—。

「家屋が全壊したので、ペットの猫と一緒に車中で暮らしている」(60代独身女性)「家族は避難所、荷物は半壊した自宅。仕事が不規則なため、自分自身は自宅脇の駐車場で生活し、車でスーツに着替えて出勤している」(30代男性)「朝はマーケットのレジ打ち、夜は水商売と昼と夜とで二つの仕事を掛け持ちしながら、小学校5年生の娘と車中生活するシングルマザー」(40代女性)など……。

夜になっても眠れないのか車中で何かを話し合う親子(撮影:木村肇)

この「車中避難」という現象は熊本地震特有のものだ。震災発生から5日目。この「車中避難者」がエコノミークラス症候群で死亡するというニュースによって初めて、その存在が可視化されることになる。

益城町に、およそ2200台の車を収容できる大型駐車場を有するグランメッセ熊本という公共施設がある。現在は避難所となっているため施設は閉館しているが、その駐車場には、車中避難者がおよそ200人いる。

グランメッセ熊本の駐車場。今でも200人の「車中避難者」がいる(撮影:木村肇)

地震発生直後から、車中避難をする4人家族に出会った。家は全壊し、取り壊しが決定している。その事実を知っているのか否か。小学校4年生になる長男は気丈に振る舞っていた。

「いつも何時に寝ているの?」
「12時くらいかな」
「それで、何時に起きているの?」
「朝5時」
「なんで、そんなに早く起きる?」
「だって、雨や風の音がうるさくて、寝られないんだもん」

何気ない会話だったが、こうした生活を1カ月も強いられているのだ。

車の傍らにビニールシートでテントを作って暮らす(撮影:木村肇)

地震発生当初、被災者の対応に追われる地元の社会福祉協議会(社協)の職員やNPO関係者は、活火山である阿蘇山の噴火や、河川の氾濫などの自然災害に対する防災意識はあったが、地震は想定外。避難所ですら人手不足の問題もあり、その全体像を把握するために3週間を必要としたと打ち明け、こう続ける。

「災害対策本部でも早い段階で、車中避難が課題であることは理解していました。けれども広範囲に点在する車中避難者を、どのように把握し、対応すればよいのか、マンパワーもそうだがノウハウがなかった。そもそも行政組織の中で、どの部局の誰が司令塔になって対応に乗り出すのか曖昧だった」(社協職員)

そんな状況の中、「心をつなぐ『よか隊』ネット」という民間団体が、熊本市内や益城町などで車中避難をしている131人に対し、個別に聞き取り調査したアンケートが公開された。同団体は地震発生以前から熊本で「東日本大震災などの災害支援」「子どもの貧困や教育問題」などに関わってきたおよそ30団体のネットワークだ。副代表の高木聡史さんは熊本で長年、ホームレスなど困窮者支援に携わってきた。

「広範囲に点在し、孤立する人々(ホームレス)を探しだし、まずは声をかけて関係性を作る。その上で当事者のニーズの沿った支援を開始する。この『当事者に会う』ことからしか支援が始まらないという状況は「車中避難者」の置かれた状況とも重なる部分がありました」

「よか隊ネット」代表の佐藤彩己子さんも「車中避難」している(撮影:木村肇)

調査は毎夜、20時から23時。震源に近い地域を中心に、二人一組になって共通の調査票をもとに聞き取りを行った。ゼンリン地図をもとに地域を割り出し、ボランティアの力も借りて、どこに、誰がいるかをローラー作戦で探し出した。

こうしてまとめられたアンケート調査では、車中避難を始めた事情について、大きく二つの理由があげられている。「余震への不安」と「家屋の損壊」だ。とくに熊本地震の特徴でもある「二度目の本震」の恐怖は計り知れない。これまでに観測された震度1以上の余震は1465回(5月16日現在)にもなる。

「これまで本震より大きい地震はないと言われてきたでしょうが。ばってん、今回は本震と言われていた最初の地震をしのぐ規模の地震が、その2日後にきた。いつまた大きい地震が来るか分からないという恐怖が、これから先、いつまで続くのかと思うと気が遠くなる」(60歳男性)

外観からは分からないが奥のマンションは亀裂が入り傾いている(撮影:木村肇)

車中避難をしている人の多くは「自宅や避難所など、天井のあるところでは寝たくない。車のほうが揺れが少ない」と言う。この男性が暮らすアパートは、市町村の委託を受けた建築士による応急危険度判定(大地震により被災した建築物を調査し、その後に発生する余震などによる倒壊など二次災害を防止する目的で行われる判定)で、「要注意(黄)」に判別された。

もちろん、これに法的拘束力などはない。しかし、震度3程度の余震でも倒壊する可能性がゼロではないと宣告された。「正直、『調査済み(緑)』や『危険(赤)』のどちらかの判定だったら、もっと気が楽でした」と、その男性は本音を漏らし、今後の自宅に戻るか、車中生活を続けるかは分からないと話した。その一方、アンケートでは、自宅があまり損傷をうけていないと答えた人の8割以上が「余震への不安」を車中避難の理由として挙げている。

例えば、「マンションの4階で暮らしているが、地震で閉じ込められる恐怖を感じる」「余震があると子どもが怖がる」。中には「最初の地震の発生後、夫が大丈夫というので家に戻ったが、二度目の地震で整理ダンスが倒れ、その下敷きになって肋骨を折った。もう、家には戻りたくない」など、建物の状態とは別に、度重なる余震への心理的な不安が、避難行動に影響を与えていることが分かる。

会社から戻ってきた父親を出迎える子ども(撮影:木村肇)

真夜中の避難所

アンケートによると「避難所での生活よりも車中避難のほうが良い」理由として、「プライバシーが守れない」をあげる人が最も多かった。実際、避難所での生活はどのようなものなのか取材してみた。ある熊本市内の避難所の夜はこんな感じだ。

深夜零時。真っ暗な体育館にポツリ、ポツリと浮かぶ光は、ケータイの画面だろうか。ところ狭しと布団が敷き詰められた避難所では、誰もが他人に迷惑をかけまいと、寝返りはおろか、息を押し殺すようにして夜を耐える。



突如、年配男性らしき人の叫び声が轟く。寝言だろうか。それとも精神的に不安定なのか。周囲の誰にも聞こえる大きさだったにもかかわらず、人々は何事もなかったように微動だにしない。不気味なのは余震だ。天井が高い上、真っ暗なので、余計にその振動が大きく時間的に長く感じる。



「避難所の夜の静けさは、不気味というより怖い。誰もが人間の人格を押し殺すようにして、地べたに転がっている。他人に絶対に迷惑をかけたくないという心理がそうさせるのだと思う。正直、仕事だとしても、夜までもここで過ごせと言われたならば、自分自身の精神状態もおかしくなってしまうかもしれません」



関西から応援で駆けつけた県の職員で、避難所の運営に携わる30代の女性は語る。足が不自由にもかかわらず、体育館へと通じる廊下で、段ボールを敷いて横になる年配男性がいた。



「いびきがうるさいと自覚しているので、どんなに声をかけても、一度も体育館の中では寝たことがないんです」

昼間は和やかな空気の避難所も夜は不気味なまでに静まりかえる(撮影:木村肇)

こうした「車中避難」の不安解消には、①「全壊・半壊」の世帯に対しては「公営住宅や仮設住宅への入居」②「全・半壊ではないが、かなりの損傷をうけた」世帯には「自宅の改修・耐震工事」が不可欠だと「よか隊ネット」の高木さんは言う。しかし、一方で解決が難しいのが、同じ駐車場でも人目をはばかるようにして隅のほうで生活している「単身世帯」だ。

グランメッセ熊本で50代の単身男性に会った。この男性はアパートが全壊し、地震発生直後から仕事にも出ていない。軽乗用車の後部座席は、ビニール袋に詰め込んだ衣服と生活用品で埋もれていて、助手席を倒した状態で横になるスペースを作っている。サイドブレーキの脇には、つぶれた缶ビールの空き缶が無造作に置いてあった。

風呂に入っていないのか体臭が鼻を突いた。

「もう夜逃げですよ。夜逃げ。これからどうなるか分からない。ここにいると、ボランティアの人がドアを叩くんです。トントンってね。一日、何回、これで起こされるか。その度に跳ね起きるんです。心臓が止まるかと思いますよ」

ペットが唯一の家族だという独身世帯が「車中避難者」に多い(撮影:木村肇)

不精ヒゲをたくわえた男性は、ちょっと迷惑そうにこちらを睨み付けた。着ているのは上下、ねずみ色のパーカー。物資配布所でもらってきたもの。生活で困っているのは、何より「風呂とトイレ」。風呂は我慢し、トイレは近くのコンビニなどに借りに行くそうだ。避難所には入らないのか聞いてみた。

「もう、この歳になって人の世話になりたくない。向こうは気にしているんだろうけど……。名前を名乗るのも嫌なの。食事や物資は必要な時にとりに行きますって言うんです」

取材も、車のドア越しにわずか5分程度だった。最後に「ご親戚の方はおられないんですか?」とたずねようとしたが、やめた。おそらく、震災以前から家族とは無縁の生活をしているのだろう。数日後、男性の車はこの場所から姿を消した。どこへ行ったのかは誰も分からない。

満月の夜には再び大地震がやってくるとの噂が広がる(撮影:木村肇)

本当に必要なのは「偏った支援」

熊本地震の現場を取材していると、熊本のそれも土地柄なのか「地縁」の強さ、集落の「絆」の深さを痛感する。もしかすると、それが「肥後もっこす」という正義感が強く、地域に誇りを持ち、一度決めたら最後まで頑固にやりぬく自立精神の高い熊本の県民性なのかもしれない。

また東日本大震災の経験から、多くのボランティアやNPOなどが現場で活躍している。ソーシャルメディアの普及で短時間のうちに相当額の支援金や募金が集まったはずだ。混乱こそあったが、迅速に物資を集め配る。必要なカンパを募る。ボランティアを集める。こうした民間の「大きな支援」は間違いなく進化し、期待以上の効果を生んでいると思う。

晴れた朝にすべての窓を放って空気を入れ換える(撮影:木村肇)

けれども、そうした「大きな支援」では救われない、解決されない現場がある。「車中避難者」のように、周囲を気にして本音を言えず、自ら助けを求めることができない人もいる。もしかすると、そうした人々の声は、地震発生以前から届いていなかったのかもしれない。

「本当に必要なのは偏った支援である」とは、アンケート調査を行った「こころをつなぐ『よか隊ネット』」の合い言葉だと言う。大きな網の目ではすくいとることができないもっとも小さく、弱い人々への支援を優先するという意味だ。そもそも、こうした人は可視化されにくく、アンケートでも78.6%の人が行政(県や職員)から、今度の生活に関する説明や状況の聞き取りを受けたことが「まったくない」と答えている。つまり、避難所で暮らしている人との「情報格差」がここにあるということだ。

間もなく被災地には雨の季節がやってくる(撮影:木村肇)

今月に入り、学校の再開に伴い避難所が閉鎖され、ここで暮らしていた人々は、仮設住宅を希望するにしても、それまでの間、どこで生活するのか選択をしなければならない。半壊でも家屋がその姿を止めている自宅で余震に怯えながら暮らすか、車中生活をするか。仮設住宅の建設はまだはじまったばかりだ。避難所が閉鎖され、人がいなくなるということは、またその実態が可視化されにくくなるということだ。都市存続型地震は、時間をかけて真綿で首をしめるように、ジワジワと人々と追い詰めてゆく。細く、長い支援が求められる。熊本は間もなく雨の季節を迎える。


中原一歩(なかはらいっぽ)
1977年生まれ。ノンフィクションライター。「食と政治」をテーマに、雑誌や週刊誌をはじめ、テレビやラジオの構成作家としても活動している。著書に『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』など。

[写真]
撮影:木村肇
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝

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