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西野嘉憲

本質は「人を喜ばせるための笑い」――知られざるお笑い激戦地、沖縄芸人地帯を行く

2021/02/07(日) 17:05 配信

オリジナル

独特のお笑い文化が育まれてきた沖縄。そのお笑いは新しいようで伝統に裏打ちされており、沖縄的であるようで非・沖縄的でもある。近年ではM-1で2位になったコンビやYouTubeの人気芸人などを世に送り出してきた。齢80を超えた喜劇の女王から若手のホープ、さらにせやろがいおじさんまで、沖縄芸人たちを直撃しその本質を探った。(ライター:中村計/撮影:西野嘉憲/Yahoo!ニュース 特集編集部、文中敬称略)

沖縄の「お笑い第七世代」

ボーダーレス化が叫ばれて久しい昨今、しかし、沖縄だけは今も「境界」が存在する。それはお笑いの世界も例外ではない。

恋人は米兵。沖縄の漫才師ならではの「ネタ」だった。よしもとエンタテインメント沖縄に所属する結成7年目のお笑いコンビ、ありんくりんのツッコミ担当のクリスが言う。

「バーで働いていたんで、いろいろな人とつながりがあったんです。でも米兵の彼女とは、1カ月で別れました。だって、デートが筋トレなんです。デートの約束をしたのに、トレーニングウェアで来るんですもん!」

日本人の母親とアメリカ人の父親の間に生まれたクリスは、NBAの名門、シカゴ・ブルズの真っ赤なユニホームが舞台衣装だ。

左がボケ役のひがりゅうた、右がツッコミ役のクリス。次世代の沖縄を代表する漫才コンビ

一方、濃い口ひげとあごひげを生やしたボケ担当のひがりゅうたは、頭に手ぬぐいを巻き、簡素な着物に身を包んでいる。昔の沖縄の暮らしを想起させる格好だ。

それぞれの見た目がいかにも沖縄的なコンビは、県内でもっとも伝統がある通称「O-1」こと「新春!oh笑い O-1グランプリ」で2019年、2020年と連覇を果たしている。ただ、漫才日本一を決めるM-1グランプリでは、まだ準々決勝どまり。「境界」はオリジナルを守る壁にもなるが、そのまま全国進出を阻む壁にもなっている。

彼らの強みは、その見た目だ。彼らは戦争にからめたボケを頻繁に繰り出す。たとえば、ひがが地面をまさぐっていると、クリスが「不発弾探してるの?」とツッコみ、爆笑を誘う。これは2人だから通用するのだとクリスが説明する。

「おきなんちゅ(沖縄人)が戦争批判みたいなことをやったら、角が立つし、かわいそうと思われるだけ。僕がいることで中和されるというか、バランスが保てている。僕ら、きっと売れますよ。キャッチコピーは『最後の第七世代』でお願いします」

「県民がいちばん喜ぶのは、県外で活躍すること」とM-1グランプリ優勝を目標に掲げるクリス。「決勝に進んだら、甲子園の決勝のときみたいにパブリックビューイングで応援してほしいですね」

お笑いの世界でいう「第七世代」とは2010年以降にデビューした20代から30代前半の若い世代のことを指し、霜降り明星やEXITなど次々と人気者が出ている。

沖縄は隠れたお笑い王国だ。沖縄の人口は約150万人。川崎市や福岡市など、大きな都市くらいの規模だ。にもかかわらず、よしもとエンタテイメント沖縄をはじめ県内には有力なお笑い系事務所が三つも存在する。クリスは冗談交じりに嘆く。

「沖縄で売れるのは内地で売れるより難しいかもしれないです。東京も芸人が多いですけど、そのぶんメディアも多い。沖縄は芸人が多いのに、メディアが少ない。競争率、高すぎますよ」

ありんくりんは今の沖縄を代表する芸人だが、ひがが巧みにに三線を奏でるなど同時に昔の沖縄を感じさせる芸人でもある。

2人は当初、東京のNSC(吉本のタレント養成所)に入学するつもりだった。ところが、ひがの強い希望で沖縄に残る道を選択した。

「最初、トリオでやっていて、そのうちの1人が、本土っぽいしゃべりに変えて、沖縄ネタも封印しようと提案してきたんです。でも、それが僕にはできなかった。沖縄のお笑いを継承していきたいという思いがあったので」

ひがが苦い思い出を振り返る。「東京のライブで、ばりばりの方言で挑んだことがあるんですけど、信じられないくらいスベった。あの時は一生、島から出ないでおこうと思いましたね」

沖縄の笑いの歴史を語るとき、欠かすことのできない巨人が2人いる。「沖縄のチャップリン」こと小那覇舞天と、その愛弟子で「てるりん」の愛称で親しまれた照屋林助だ。舞天は1969年、林助は2005年に鬼籍に入っている。

ひがは舞天の歴史を調べ上げ、「ヌチヌグスージさびら沖縄のチャップリンと呼ばれた男~」という舞台脚本を書き、自ら主演を務めた。「ヌチヌグスージサビラ」とは「命のお祝いをしましょう」という意味だ。

終戦後、舞天と林助は、地元の家々を回って、打ちひしがれていた人たちに「せっかく命を拾ったのだから、その祝いをしましょう」と語りかけ、風刺を混ぜた歌や踊りで笑いを届けた。沖縄のお笑いの原風景の一つがここにある。

舞天の薫陶を受けた林助は1957年、コザ(現・沖縄市)の芝居小屋で、歌、踊り、曲芸などを混ぜた「ワタブーショー」の上演を始め、沖縄演芸界に革命を起こした。ワタブーとは沖縄の言葉で太っている人を表す。林助自身、身長180センチ、体重100キロ超の巨漢だったことから、こう命名した。

伝説的お笑い番組を作った男

林助の最後の弟子である玉城満は、初めてワタブーショーを見たときの衝撃をこう語る。

「昔は、沖縄出身ということだけでバカにされたから、自分たちの文化にどんどん蓋をしてきた。でも、林助さんは、沖縄の古典を発掘し、さらに、本土やアメリカのリズムを取り入れた。これもいい、あれもいい、っていう人だったから。チャンプルー文化の走りでしたね」

沖縄県沖縄市(旧・コザ市)にある三線店「てるりん館」。写真の玉城満は「かつて、ここの2階で林助さんはライブを行っていたんです」と説明する

チャンプルーとは、ゴーヤチャンプルーに代表されるように「混ぜる」という意味だ。チャンプルー文化が生まれた背景を玉城はこう分析した。

「沖縄はユガワリ(世替わり)を何度も経験してるでしょう。琉球の世があって、中国の世があって、大和(本土)の世があって、そしてアメリカの世があって。そして、また大和。拒んでいたらキリがない。生きていくために何でも受け入れるしかなかったんだと思うよ。表立って不満は口にできないから、僕らもそうだけど、そうしたものは歌や芝居の中に風刺として織り込んだ。そうして笑いの文化も発達したんだと思います」

沖縄には今も伝説として語り継がれるお笑い番組がある。本土ではダウンタウンが時代の寵児となり、テレビ界を席巻し始めていた1991年、琉球放送の月曜から木曜までの深夜帯で『お笑いポーポー』という10分間のコント番組が始まった。その番組に出演していたのが、玉城が座長を務めていた笑築過激団である。東京のレビュー劇団「松竹歌劇団」に引っかけて旗揚げした喜劇集団だった。

『お笑いポーポー』で扱われるネタは方言丸出しで、沖縄県民の習性や癖をおもしろおかしく皮肉ったものがメインだった。

「笑築過激団」元座長の玉城満。2008年から3期、沖縄県議会議員を務めた。「お笑いの次は、沖縄を演出したくなった」

当時の教育で、県民は自分たちの文化は恥ずかしいものだと刷り込まれていた。『お笑いポーポー』は、それを逆手に取ったのだ。玉城が話す。

「僕らはウチナーグチ(沖縄の言葉)を使うと『汚い言葉を使うなよ』と言われた世代。そんなこと、ないんだけどね。僕らの番組をきっかけに子どもたちもウチナーグチを使うようになった。コントを見て笑って、解放されたんだろうね。僕はいつも軟骨精神ということを言ってきたの。沖縄には反骨の人もいっぱいいるけど、基地問題にしても、本土とウチナーがじかにぶつかったら痛いでしょう。骨と骨がぶつかっても痛くないように軟骨がある。世の中の軟骨になるのが沖縄の喜劇人の役目だって思うわけ」

当然、ありんくりんも『お笑いポーポー』の洗礼を浴びている。ただし、ひがは沖縄のお笑い界の未来についてこう語る。

「今、沖縄の笑いは現状維持になっていると思う。先人のやってきたことをただ継いでいるだけ。沖縄の人の本音をもっとお笑いに込められるようにならないと。それができればお客さんも喜んでくれるし、沖縄のお笑いももっと強くなると思う」

立っているだけで面白い喜劇の女王

沖縄の笑いの強さ。それを体感するのに最適な場所がある。

那覇市の繁華街に「仲田幸子の店」というスナックがある。こんなストレートな名前が許されるところが「喜劇の女王」と呼ばれる仲田の仲田たるゆえんだろう。

マイクを片手にカウンターに腰かけている、一見、どこにでもいそうな87歳のおばあ。その人こそ生ける伝説、仲田幸子だった。

那覇市の繁華街にあるスナック「仲田幸子の店」でおどける喜劇の女王、仲田幸子。「舞台の上で倒れれば本望だよ」

沖縄はライブ等の前売りチケットがほとんど売れない。芝居や歌を生の舞台で鑑賞するという文化が定着していないせいだ。ただ仲田の芝居だけは毎回、1000枚前後のチケットが瞬く間に完売する。

仲田は15歳のときから70年以上も舞台に立ち続けてきた理由をこう語る。

「沖縄の人に喜んでほしいもの。毎回、楽しみよ。何をやったら、喜んでくれるか。これは緊張とは呼ばないよ」

彼女は「笑わせたい」ではなく、二言目には「喜ばせたい」と語った。

そもそも仲田は「男に惚れられるような女優になりたかった」という。ところが、17歳のとき、ある悲劇の主役を務めたところ、客席から何度も笑いが起きた。

「間違えて笑われたのか、おもしろくて笑われたのか、わからなかった。芝居の後、えらい人に、あんた、上手だけど、突飛に笑わせたりしてたら悲劇にならないよって言われた。喜劇向きだから、喜劇を勉強したほうがいい、って」

「喜劇の女王と言われ始めたのは28歳ぐらいから。びっくりしたよ。女王になったのかね、って」と仲田幸子は語る。「好きな言葉は、生きている限りは死なないさ。当たり前のことなんだけどね」

仲田の喜劇人としての才能を語るとき、誰もが「(舞台に)出てきただけでお客さんは笑ってるから」と口をそろえる。動き、表情、セリフに、天性のおかしみがあるのだ。だから、あえて笑わせようとしているわけではないのに、お客さんが笑顔になる。

スナックを訪れる馴染みの客たちも仲田が何か楽しいことをしてくれることを期待しているわけではない。手土産を持参し、ただ、仲田とともに過ごす時間を楽しんでいる。

仲田のような人材を生み、また、必要とされ続けているところに沖縄の笑いの世界の豊穣さを実感する。

「せやろがいおじさん」でブレーク

連綿と続く沖縄の笑いがある一方で、そことはまったく無縁でありながら全国の注目を集める芸人もいる。沖縄のタレント事務所の一つ、オリジン・コーポレーションの看板芸人である榎森耕助だ(3月末に退所予定)。O-1と並ぶ沖縄のビッグコンテスト、お笑いバイアスロンを4連覇した実績を持つコンビ・リップサービスのツッコミ担当である。ちなみにオリジンは漫才日本一を決めるM-1グランプリで2位となったスリムクラブ(現・吉本)がかつて在籍した事務所でもある。

奈良県出身の榎森は、沖縄の大学に進学し、そのまま沖縄で芸人となった。それゆえにこんな苦労を味わったという。

「最初の頃は、沖縄県民のくせに、笑わせようとして無理に関西弁をしゃべってるやつと勘違いされることが多くて。『うちなーんちゅのくせに、あいつ、関西弁使ってるばー』みたいな。それがいちばん嫌でしたね」

せやろがいおじさんとしてYouTubeで活躍するリップサービスの榎森耕助。「沖縄にいると関西弁が抜けそうになる。でも関西弁キャラを守るために沖縄弁が入ってこないよう、がんばっている状態です」

榎森が全国にその名を知られるようになったきっかけはYouTubeだった。「せやろがいおじさん」のニックネームで、2018年から、様々な時事問題について突っ込みつつ、かつ、わかりやすく解説する動画『ワラしがみ』を投稿し続けている。沖縄の青い海をバックに、赤いふんどし姿でまくしたてる様子のインパクトも手伝い、今やチャンネル登録者数は33万人を超えている。せやろがいおじさんは、一時期、朝のワイドショー番組『グッとラック!』でレギュラーコーナーを持つまでになった。

「ごりごりの評論家やコメンテーターほどには知識はないけれども、僕のほうが話す技術や笑かす技術は長けている。その分、シビアな内容でも、空気が硬くなりすぎない。そこに僕の芸人としての価値があんのかなと思う」

ネットを主戦場にしている榎森はこれまで沖縄には存在しなかったタイプの芸人だ。これまで沖縄から全国区となったガレッジセールやスリムクラブは沖縄色を自分たちの武器としていた。しかし榎森は沖縄弁を話さず、ことさら沖縄ネタを扱うわけでもない。それだけに「沖縄の」というくくり方には抵抗を覚えるようだ。

「僕は沖縄も、関西も、東京も、根っこは一緒やと思いますけどね。芸人は人を笑わせて、よっしゃーと思う人たち。その環境を求めてやってるだけなんじゃないですか」

デリケートな基地問題の投稿をするときは指が震えるという榎森。「いや、本当に怖いっすね。どのネタも怖いんですけど。でも、芸人が政治のことを語るなみたいなのは本当に嫌。そこを変えていきたい」

榎森に「沖縄の芸人」というしがらみはない。ゆえに活躍の場も、どんどん広がっている。

多様化とボーダーレスの時代において、榎森が言うように「沖縄の」とくくるのはそもそもナンセンスなことなのかもしれない。だが、沖縄の喜劇文化の中に、ここでしか生まれえなかったものを感じるのも事実だ。

沖縄で芸人を続けることは、全国を見据えるなら、ときにマイナスに作用する。しかし、何らかのきっかけで「無理解」が「理解」に転じたとき、それは沖縄芸人にしか持ちえない最強の武器になるのではないか。

沖縄のお笑いの本質とは

沖縄では最古参といっていい事務所、FECオフィスのタレントマネージャーを務める大久保謙(36)は話す。

「吉本が沖縄に来て、もう10年近くになる。でも沖縄のFECもオリジンも今も存在感を維持しています。沖縄は全国で唯一、吉本にのみ込まれていない土地と言っていいんじゃないですか。それくらい沖縄には沖縄にしかない笑いがあるんだと思います。沖縄のお笑いは、(東京と大阪に)カウンターを放てるぐらいのポテンシャルはあると思いますよ」

大久保はもともと東京の大手芸能事務所に所属していた。その大久保から見た沖縄の笑いとは――。

「大阪や東京は笑わせるための笑い。それに対し、沖縄は人を喜ばせるための笑いのような気がするんですよね」

笑いの聖地は国内に三つある。東京、大阪、そして沖縄である。

*本取材・撮影は2020年10月に行いました


中村計(なかむら・けい)
1973年、千葉県船橋市生まれ。同志社大学法学部政治学科卒。ノンフィクションライター。某スポーツ紙をわずか7カ月で退職し、独立。『甲子園が割れた日 松井秀喜5連続敬遠の真実』(新潮社)で第18回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇』(集英社)で第39回講談社ノンフィクション賞を受賞。他に『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』(集英社新書、ナイツ塙宣之著)の取材・構成も担当した。近著に『金足農業、燃ゆ』(文藝春秋)、『クワバカ クワガタを愛し過ぎちゃった男たち』(光文社新書)がある。好きな芸人は春風亭一之輔と笑い飯、趣味はキャンプとホットヨガ。