新型コロナウイルスの感染拡大で延期となった東京五輪だが、懸念すべきは開催の可否だけではない。五輪という晴れ舞台が終わった後も、莫大な資金を投入して建設した大型施設は日常として存在し続ける。歴史を紐解いてみても、レガシーの有効活用は容易ではない。サッカーの2002年ワールドカップ(W杯)の試合会場となった宮城と大分は今も、レガシーのあり方と向き合っている。“ポスト東京五輪”に向け、彼らの苦悩、努力の歩みを探った。(取材・文:元川悦子/協力:Kick&Rush/Yahoo!ニュース 特集編集部)
完成済みの大規模施設をどう受け継いでいくかという課題
JR千駄ヶ谷駅から東京体育館を横目に見ながら直進すると、やがて三層構造の巨大なスタジアムが姿を現す。2019年12月に完成した新国立競技場だ。2020年元日のサッカー天皇杯決勝でお披露目して五輪本番を待つばかり……の予定だった。
ところが、新型コロナウイルスのパンデミックにより3月下旬には五輪の開催延期が決定。嵐のコンサートなどの大型イベントも相次いでキャンセルとなり、目玉の一大施設は白いフェンスで頑丈に覆われた状態が長く続いた。
ようやく2020年11月7日に初の有観客イベントとしてサッカー「Jリーグ・ルヴァンカップ決勝」が行われるはずだった。だが、直前に出場チームの柏レイソルが新型コロナウイルスに集団感染。東京五輪のテストケースとなるはずが来年1月4日まで延期となり、“with コロナ”に向けた取り組みに暗雲が立ちこめた。
新国立競技場に関しては、五輪後の見通しも明るくはない。指定管理者の選定も遅れていて、1529億円という巨額投資を回収する道筋は不透明だ。総工費308億円を投じて19年5月に完成した海の森水上競技場、73億円の総工費をかけて新設されたカヌー・スラロームセンターも同様だ。こうした施設をレガシーとして受け継いでいくにはどうしたらいいのか。
「解体すべき」という強硬意見まで出た宮城スタジアム
国家的な一大イベント後に、大型施設の有効活用という困難な問題に直面した自治体の1つに宮城県がある。宮城スタジアム(20年4月からキューアンドエースタジアムみやぎ)は2002年日韓W杯の試合会場となったが、大会後の運用には険しい道のりが待っていた。
宮城を本拠地とするJリーグのベガルタ仙台にはユアテックスタジアム仙台(ユアスタ)というホームスタジアムがあり、地下鉄駅から徒歩4分とアクセスしやすい。一方、宮城スタジアムは最寄駅のJR利府駅から徒歩50分ほど。バスやタクシーに頼らざるを得ず、立地面で見劣りする。
同競技場のこけら落としとなった2000年6月のキリンカップサッカー・日本代表対スロバキア代表戦の際、周辺道路は大渋滞に陥った。日韓W杯でトルシエジャパンがトルコに苦杯を喫した歴史的一戦でも、冷たい雨の中、バス待ちの長い行列ができ、移動に相当な時間を要した。「アクセスの悪い競技場」というイメージが強烈に焼き付き、地元からは「スタジアムを解体すべき」という強硬意見まで出たほどだ。
「グランディ21(宮城県総合運動公園)が厳しいクレームを受けたのは事実です。そういう中でも、幹線道路の2車線化、高速ICの3カ所分散などハード面の改善を進め、来退場時の分散化といったソフト面の対策も講じました。課題は年々、解決に向かっていると思います」と宮城県教育庁スポーツ健康課の担当者は言う。
また、当初は否定的だった地元住民の一部が施設に紐付くボランティア団体を立ち上げ、イベント時には交通整理の戦力になるなど援軍に回るようにもなった。地元ボランティア委員会キャプテンの村松淳司・東北大学教授はその経緯を説明する。
「公園前の団地の住人だった私にとって、スタジアムは『迷惑』という認識でした。ベガルタサポーターでもあるため、仙台市営地下鉄・泉中央駅前にある見やすいユアスタがあれば十分だった。しかし国体やW杯、サッカーの代表戦が行われるたびに『4万人規模の東北唯一のスタジアムが存在するのはやむを得ない』という考えが強まり、『何とかしなきゃいけない』という意識に変わった。2011年の東日本大震災の際、グランティ21が救援拠点になったのも『自分たちの施設』という考えが根付く重要なきっかけになったと感じます」
自治体側も、財源確保とコスト削減に努めた。中心施設の宮城スタジアムにはSMAP、EXILEなど集客力の高いコンサートを積極的に誘致し、グランディ21内の宮城県総合体育館(セキスイハイムスーパーアリーナ)では頻繁にコンサートなどのイベントを開催。また、地元学生や社会人の陸上大会などアマチュアの受け皿としても活用促進を進めるなど、地元住民の理解を深める試みを重ねてきた。
コストも見直した。2005年は管理料が県の負担で13億円にのぼったが、指定管理者制度を導入してからは7億円、そこから徐々に下がり、2018年段階では5億6000万円まで圧縮。ただ、それでもまだ赤字体質から脱却できていないというから大規模施設運営の難しさが伺える。
コロナ禍に見舞われた2020年度は新たな苦境に直面している。本来であれば、東京五輪の男女サッカー競技10試合が行われていたはずだが、大会が1年延期されたうえ、利用できない期間も増え、公園全体が収入減少のただ中にある。
「スタジアムは五輪関連工事などのため、2019年7月から2020年6月1日まで休館となっていましたが、6月2日から利用を再開。8月末までに500〜1000人規模の陸上大会が4件開催されています。一方で13件のコンサートが中止となり、三密回避の利用も重なって、公園稼働率は前年比6割にとどまっています」と宮城県の担当は言う。
五輪延期の追加経費は発生しておらず、来年の本大会利用料も組織委員会からの補填で賄えるというが、コロナ禍のマイナス影響は当面続きそうだ。
「大分スタジアム」の場合
パンデミックという未曾有の事態に苦慮しているのは宮城だけではない。2019年にラグビーW杯で盛り上がっていた大分県も、コロナの影響を大きく受けている。
大分スポーツ公園の指定管理者である大宣の担当者は「6月以降に再稼働していますが、利用率は50%くらい」と厳しい現状を口にする。中心施設の同総合競技場(愛称・ビッグアイ=昭和電工ドーム大分)では、Jリーグ・大分トリニータのホームゲームが毎週のように行われているが、利用料減免措置が講じられているため、クラブからの支払いは見込めない。しかも、2020年のJリーグは7月上旬まで無観客開催で、それ以降は徐々に収容制限を緩和しているが、現時点でもまだ50%。そして実際に足を運ぶ観客はその上限まで達していない。
大分はラグビーW杯の開催で約253億円の経済効果を見込み、実際は想定を上回る256億円に達した。だが、まさかその半年後に、人もモノも動かなくなる事態に陥るとは、地元の人々も想像だにしなかっただろう。
大分のスタジアムも日韓W杯のレガシーとして20年間存在してきた。日韓W杯と2008年の国体を視野に入れ、競技場が作られたのは2001年。総工費約250億円を投じ、建築家・黒川紀章氏が設計した可動式屋根がシンボルのスタジアムとして名を馳せた。こけら落としは2001年のJリーグ、大分トリニータ対京都パープルサンガ戦で、日韓W杯でも3試合を開催。トリニータの本拠地となり、サッカー日本代表戦やラグビーW杯、B’zやMr.Children、EXILEのコンサートにも使われるなど「九州唯一の4万人収容規模のスタジアム」として守備範囲を広げた。
公園内にもトリニータの練習場になっているサッカー・ラグビー場のほか、野球場、投てき場、サブ競技場、テニスコート、宿泊研修センター「希感舎」などを続々と整備、2019年4月にはバスケットボール4面と観客席を備えた最新鋭の武道スポーツセンター(昭和電工武道スポーツセンター)も完成。2018年度の公園全体の年間収入は約8500万円となっている。
とはいえ、施設運営には支出も伴う。2018年度に大分県が大宣に支払った委託管理料(支出)は約3億5600万円。スタジアム単体で見ると、収入が約5200万円、委託管理料が約2億4500万円とより苦しい状況だ。ただ、2009年に経営危機に瀕したトリニータを救済するため、2010年から利用料免除にしたという特例的事項がなければ、公園全体の収支バランスはある程度均衡が取れていると言っていい。
「昭和電工ドームの場合、オープンした2001年度の支出が約3億3000万円、指定管理制度を導入した2003年度の費用(支出)が約3億円、大宣が指定管理者となった2006年度が約2億2800万円と現在とそれほど大きな差異はありません。当初からコスト削減の意識は高く、指定管理者も最大限の努力をしています。収入面も、スポーツイベントやコンサート、B級グルメや中古車展示会、サーカスなど幅広く誘致しています。2018年時点で1億5000万円ほどの赤字ですが、県民も『必要な施設』という認識を深めています」と担当部署である大分県庁土木建築部公園・生活排水課都市公園管理班の担当者は説明する。
ただ、一般利用という観点では、自治体がもう少し熟慮すべき面もある。たとえば、以前はスタジアム前の広大な駐車場を利用したイベントが定期的に実施され、収入にもつながっていたが、そこに武道スポーツセンターが建てられたことで従来のような催し物が開きにくくなった。指定管理者の大宣としては、他の大きめの駐車場を使ったイベント誘致、そば道場や陶芸塾など集客を増やす取り組みを行って、少しでも収入を増やしていく考えだが、計画段階からすり合わせができていたら状況は違っていただろう。
また、公園のある松岡・明野地区が大分市街地から約10キロ離れた丘陵地帯ということで、以前からアクセス面の課題があり、18年11月に行われたサッカーの日本対ベネズエラ戦開催時にはチームバスが大渋滞に巻き込まれるというアクシデントも起きた。
そこで、大分県では2019年に渋滞対策会議を発足。こうした努力もあり、ラグビーW杯開催時はスムーズな人の往来が実現し、大きな経済効果を享受できた。コロナ禍の今は大規模イベントを思うように開催できずに厳しい状況だが、「九州唯一である4万人規模の国際基準スタジアム」という存在価値は確実にある。
宮城・大分の両スタジアムは最初から県民に歓迎されたわけではなかった。長い年月を経て共生してきたからこそ、今がある。過去20年間に浮上した数々の課題を地域一丸となって乗り越えた結果、賛否両論あるなかでも“レガシー”として受け継がれてきた。新国立など複数の競技場を新たに整備した東京も、同様に地域や住民の理解が求められることになる。
東京都オリンピック・パラリンピック準備局大会施設部施設整備第一課の担当者は「オリ・パラを契機に整備された新規恒久施設は、大会後も広く都民に利用され、レガシーとして親しまれる施設としていくことが重要。都民利用やアマチュアスポーツへの配慮、障害者スポーツ振興の場など、民間施設とは異なる役割が期待されています」と強調する。
利便性には恵まれながら投資回収の道のりが厳しい新国立、アクセス問題が深刻な海の森水上競技場、レジャー利用に活路を見出そうとするカヌー・スラロームセンターなど各施設の事情は異なるが、ベストな後利用策をどう探っていくのか……。レガシーとして受け継いでいくのは決して容易なことではない。
元川悦子(もとかわ・えつこ)
1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から7回連続で現地へ赴いた。近年は他の競技や環境・インフラなどの取材も手掛ける。