天安門事件から31年、 香港で追悼集会強行(6月4日、ロイター/アフロ)
一国二制度が揺らぐ香港 中国「国家安全法制」に危機感をもつ若者たち
2020/06/09(火) 11:27 配信
オリジナル新型コロナウイルスの影響でデモが沈静化していた香港で、その自治が大きく揺らぎだしている。中国政府が突如打ち出した「国家安全法制」が、香港での政治活動や言論の自由を奪う可能性があるためだ。民主運動を続けてきた若者たちには危機感が広がっている。なぜ、いまこの法制度が打ち出されたのか、香港はどうなっていくのか。昨年、香港を取材したフォトジャーナリストが、現地の若者や専門家らに話を聞いた。(写真、文・八尋伸/Yahoo!ニュース 特集編集部)
法の支配、政党の自由、司法の独立も揺らぐ
「率直に言って、怖いです。香港が香港でなくなってしまうからです」
6月3日、Zoom取材の画面の向こうで香港の民主活動家、アグネス・チョウさん(23)は早口の日本語で語った。
「今回、中国で発表された『国家安全法制』が成立した場合、私たち香港の自由はすべて失われてしまいます。何かに反対する自由、デモに参加する自由、SNSを使う自由。それらがなくなるうえ、身の危険もある。そして香港が中国の一都市になってしまう。とっても恐ろしいことです」
5月28日、中国の最高意思決定機関、全国人民代表大会(全人代)で「国家安全法制」の導入が採択された。詳細な中身は今後詰められる予定だが、この法律が施行されると、香港における「高度な自治」「一国二制度」が事実上、無効になるのではと懸念されている。アグネスさんが続ける。
「香港には、法の支配、政党の自由、司法の独立というよさがあります。でも、中国と同じ共産党支配となれば、もう香港ではありません」
1997年に主権が英国から中国に返還された香港は、その歴史的経緯から独自の法制度、通貨、政府をもつ特別行政区だ。
しかし、中国全人代の発表によると、「国家安全法制」には以下の内容が盛り込まれることが決定している。
「香港で行う国家分裂、政権転覆、破壊活動の処罰」
「香港に干渉する外国勢力などに対抗する」
「中国政府が香港に関係機関を設置」
「全人代常務委員会が関連法案を制定」
香港問題に詳しい立教大学法学部の倉田徹教授は、この法律が成立すると、思想的な部分まで統制を加えてくる可能性があると説明する。
「中国政府、つまり共産党執行部は、民主主義を求める活動や外国勢力の自由な活動を脅威だと思っています。この法ができると、中国政府にとって邪魔な人物を排除・拘束できる可能性がある。そうした恣意的な解釈や行使が憂慮されています」
中国政府がしびれを切らした
香港の法制度は本来、中国ではなく、香港の立法会(国会)で制定される。にもかかわらず、「国家安全法制」は中国政府によって制定される。そこに従来とは異なる中国政府の強権がある。
もともと香港の憲法にあたる香港基本法(1990年制定)23条には、「国家に対する反逆」「国家の分裂」「外国の政治組織による政治活動」などを禁止する法律(条例)をつくるよう明記されている。だが、この香港版の国家安全法は作られてこなかった。2003年には立法会で立法手続きが進められたが、同年7月1日、当時としては最大の50万人デモという反発が起き、廃案に追い込まれた。
今回、全人代で中国政府が採択を急いだ背景には二つの事情があると倉田教授は言う。一つは今年9月に立法会選挙が実施されること。その前段として昨年11月に行われた香港の区議会議員選挙で民主派の候補が圧勝し、8割以上の議席をとった事実がある。もう一つは、その区議選の2日後に米国でトランプ大統領が香港人権・民主主義法案に署名をして成立させたことだ。香港で民主化が進まない場合は、香港の関税などの優遇措置を見直すなどの手段ができた。
「この二つの出来事に、中国は何らかの対抗措置をしなくてはと考えていたと推測できます」
制定後の変化として現時点でわかっていることは、中国の国家安全部門の出先機関が香港で設置されることだ。倉田教授が言う。
「中国政府が合法的に香港市民を監視できるようになります。Facebook、TwitterなどのSNSを禁止することはないでしょうが、何を書き込んだかは監視される。監視社会をつくって、共産党への批判が萎縮することを中国政府は期待しているのです」
実際、そうした中国政府による香港市民の監視や情報の統制は、しばらく前から静かに進んでいる。
何者かに晒された民主派の個人情報
香港理工大学で学生会長代理を務めた胡國泓(ウー・クウォック・ワン)さん(23)は、5月下旬、スマートフォンのメッセージアプリ「テレグラム」で、自分の個人情報がすべて晒されているのを発見した。
「アプリ内に『暴徒情報室』というチャンネルがつくられていて、そこに私の名前、住所、電話番号、身分証明番号、家族構成などの個人情報が晒されていました。自分の家族にも影響が出るかもしれないので恐怖を感じました。他の人の情報もありましたが、共通点はデモに参加して逮捕されているということ。こういった詳細な情報をもっている機関は警察だけです」
個人情報が晒された人の中には、民主派に協力的な外国人もいた。ウーさんは警察に出向き、個人情報の違法な公開だとして被害を訴えた。だが、警察はサーバーが海外にあって香港の法では取り締まれないと応じなかった。ウーさんは、これは当局の脅しだと見ている。
「誰に見せているのかといえば、私でしょう。警察など当局側はこういう情報を持っている、お前は監視されている、次はどうなるかわかっているよな、と心理的に威圧しようとしているのだと思います」
思想統制は香港でこの5年ほどの間に静かに広がっている。2015年には、中国政府に批判的な本を取り扱っていた個人書店関係者が相次いで失踪。のちに中国当局によって秘密裏に拘束され、中国国内へ移送、取り調べが行われていたことが発覚。衝撃が広がった(銅鑼湾書店事件)。
こうした中国の支配を恐れて、香港では「高度な自治」を維持するためのデモや運動がたびたび行われてきた。恣意的な権力から逃れたいという感覚、これは香港人の生存感覚に近いと倉田教授は語る。
「アヘン戦争以降、英国統治だった香港には、特に第二次大戦後に中国から逃げてきた人とその子孫が多い。そのせいか、自由と法の支配が奪われることを非常に嫌います。この国家安全法制と昨年の『逃亡犯条例』改正案は、まさにこの2点を揺るがせた。ゆえに大規模な抗議活動に発展したのです」
そんな背景のもと、昨年6月16日のデモはじつに200万人近く(主催者発表)が参加する空前の動員となった。
抗議デモの加速と新しい分断
デモの大きなきっかけは「逃亡犯条例」改正案だった。
刑事事件の容疑者の身柄引き渡しの手続きを簡略化するというこの改正案は、成立すると中国の干渉で香港の司法の独立性が危ぶまれると考えられた。改正案に反対する抗議運動が始まると、6月9日には103万人が参加するデモに発展した。
対して、デモを取り締まる当局側は催涙弾を使用し、実力行使で収束を試みた。それが逆に抗議運動を加速させた。ニュースを見た人たちは「平和なデモが不条理な暴力を受けている。仲間を助けよう」と抗議活動に駆けつけた。まもなくデモでは「五大訴求(五つの要求)」が掲げられた。
「『逃亡犯条例』改正案の撤回」「警察の暴力を検証する独立調査委員会の設置」「逮捕されたデモ参加者の逮捕取り下げ」「抗議デモを暴動とする政府の認定取り消し」「普通選挙の実現」
倉田教授は、6月15日に抗議者の一人が飛び降り自殺したことも大きいと語る。
「いわゆる弔い合戦で、香港人は犠牲を払った者に負い目を感じ、引けなくなった。じつは五大要求は、その自殺した青年が直前に掲げていたバナーに書いてあった文言から生まれたものでした」
10月1日の中国建国70周年となる国慶節では、香港全土で衝突が発生。未成年のデモ参加者が、至近距離で武装した警官に銃撃される事件が起きた。11月に入るとデモ参加者たちは香港理工大学を占拠、警察との激しい衝突が大学前で繰り広げられた。
前出のウーさんは理工大の学生会長代理として、学内で最後まで学生やデモ参加者を支援していた。警察は理工大を完全包囲。ウーさんは会長代理として最後に警察に投降、警察車両に自分で乗り込んだ。拘束される前、ウーさんはカメラの前でこう語った。
「700万人の自由のために、部屋(刑務所)で10年過ごす。それを私は悪い選択とは思わない」
ウーさんは当時の心情を、「私は香港の700万分の1の個人です」と振り返った。
「香港の未来がよくならなければ自分の未来がよくなるわけがない。私は香港のために正しいことをした。その結果、逮捕されても仕方がない。だから、警察に向かったんです」
こうした抗議デモは香港社会に団結を生んだ。しかしその後、新しい分断も生むことになった。
下から形成された香港市民のアイデンティティ
今年1月下旬、香港でも新型コロナウイルスの感染者が発見された。官民での在宅勤務が指示されるなど、行政府による感染防止対策がすばやく進められた。
ところが、この対策で人の移動が制限されると、一連の抗議行動の中で生じた政治的支持の色分けが香港社会で加速した。民主派支持が黄色、親中派が青色。スマートフォンの地図アプリなどで第三者によってラベリングされたもので、民主派系の市民は自分が支持する考えの店かどうかを確認して買い物をするようになった。
慶應義塾大学卒業後、香港中文大学大学院に留学中の石井大智さん(23)は、区議会議員選挙の得票結果を根拠に6割が黄色(民主派)、4割が青色(親中派)ぐらいに割れているとし、政治的信条の対立は香港人のアイデンティティ分裂にも関わっていると語る。
「一般的に国民国家のアイデンティティは、教育やメディアを通して形成されるものです。ところが、香港は長年、国民国家の枠外にあり、植民地時代あるいは中国返還以降も特定のアイデンティティを定着させることができなかった。だから、香港人のアイデンティティは、公的管理に置かれていない民衆から湧き上がったもの。だから揺れるのです」
現在は多くの香港人が自らを「中国人とは違う」と意識しているが、2008年の北京五輪の時のように、自らを中国人として意識する人が多かったときもあると石井さんは指摘する。
「中国国歌を侮辱する行為を禁止する条例や国家安全法制といった中国政府の香港への施策は、『中国国民』という特定のアイデンティティを押し付けているように見えます。しかし、香港は上からの愛国が管理されてきた中国本土と異なります。下から、つまり民衆からのアイデンティティをもつ香港に同じやり方をすると反発が起きるのは当然です」
前出のウーさんは1997年の香港返還の年に生まれた。中学生時代に前出のアグネス・チョウさんらが率いる2012年の「反愛国教育デモ」(中国国民としての愛国心を育成する「国民教育」の導入に反対)に触れ、大きな刺激を受けた。高校生になると2014年の「雨傘運動」(香港行政長官の選挙で、中国政府が民主派の候補者を事実上排除する仕組みを決定したことへの抗議デモ)に触れ、大学に入って昨年の抗議活動に自ら参加した。こうした節目の経験は、ウーさんの人生に大きな影響を与えたという。
「社会に出る前に、自分の未来は自分の手でつかむものと学んだ。自分の人生は香港の一国二制度の揺らぎを体現しているのかもしれません」
アグネスさんは活動を始めた当初、香港の学生が政治活動に参加する文化はなく、多くの大人に「やめろ」と言われてきたという。
「『もっと勉強して政治に参加しろ』とも言われました。でも、納得できませんでした。自分の国や家について考えるのは当たり前のことです。あの時に活動に参加していなければ、今の自分はなかったと思います」
ウーさんは自分が何者なのか、中学に入学した頃に考えたという。
「自分が中国人になれるのかと考えるのと同時に、中国の人たちは自分をどう見るのかも考えました。文化や価値観の違いから、中国人は私を否定するでしょう。結局、私の価値観を誰が認めてくれるのかというと、香港にいる人たちなのです。だから私は香港人だと思うのです」
そうした思いが、昨年の200万人のデモを引き起こしたのだろうか。昨年7月の世論調査を見ると、自身を「香港人」と答えた若者(18〜29歳)は返還後最高の75%に及んだ。
だが、目下、民主派の香港市民を取り巻く環境はきわめて厳しい。今回立案されている「国家安全法制」へのデモを行っても、法をつくる人たちは北京にいるためだ。声は届きにくい。
だからこそ民主派は、国外の声に希望を見いだそうとしている。
英国式法体系の中で中国政府の思い通りになるか
アグネスさんは、日本を含め、外国の世論が大事だと訴える。
「中国政府にコントロールされている香港メディアや中国メディアの報道ではなかなか伝わらないですが、外国の人たちなら香港市民の置かれている状況を理解してくれると思うのです。この法制に対して私たちは香港では何もできない。外圧こそ唯一の希望なんです」
前出の石井さんは、国家安全法制がつくられ、香港で機能しはじめるとこれが「前例」になる可能性があることを指摘する。
「香港基本法で定める香港の自治の範囲を中国政府が自由に解釈する前例となり、香港に対し中国政府による継続的な直接介入の入り口になるかもしれません」
前出の倉田教授は、この法律は「反逆」や「国家の転覆」という概念を恣意的に利用できる可能性があるとしつつ、法的な面ですべて中国政府の思い通りになるかといえば、そうでもないだろうと指摘する。
「香港の法体系は判例を積み重ねる英国式で、中国の法体系とは根本的に異なります。従って、中国がある人物を国家安全法制で香港の裁判所で有罪にしようとするなら、ほかのさまざまな法律も整合性が取れるように変えないといけない。つまり、全人代の常務委員会が詳細を詰めるこれからの作業は、中国の国会が英国の法律をつくるような作業と言えるのです。英国式の法体系を熟知したうえで、自分たちがやりたい政治的なアジェンダを香港ですぐ実現できるかというと疑問があります」
だが、いまを生きる香港市民にとって「今できることは、ただ持ちこたえること」だとウーさんは言う。
「香港市民は声を上げる大切さを知っています。抗議活動は続いていくでしょう。足を止めれば政府が捕まえに来るのはみんなわかっているからです。香港人は立ち上がり続けます。たとえボールを中国政府が握っていても」
八尋伸(やひろ・しん)
フォトグラファー。1979年、香川県生まれ。社会問題、紛争、難民、災害等を関心領域とする。フリーランスとして2010年頃より、タイ騒乱、エジプト革命、ビルマ民族紛争、シリア内戦、東日本大震災、福島原発事故などを取材し発表。シリア内戦シリーズで2012年上野彦馬賞、2013年フランスのThe 7th annual Prix de la photographie, Photography of the year受賞。website