ケータイから聞こえる緊急地震速報が不気味な音をたてる。揺れ続ける震源地。倒壊した家屋、殺気立つ避難所、余震におびえる人々。メディアが切りとる「被災地」の姿はいずれも間違ってはいない。けれども、当たり前だが被災地にだって朝はくる。雨上がりの抜けるような空には太陽がのぼり、その日差しの下で子どもたちははしゃぎ回る。駐車場に止めた車から出勤するお父さんがいて、避難所にだっていれたてのコーヒーの香りが漂う。いつもと少し違う朝だけど、誰かが懸命に生きる一日のはじまりであることには変わりない。地震発生から1週間。ドイツ在住の若きカメラマン木村肇が被災地のある一日を切りとった。震災下という非日常を精一杯生きる人々が、やがて日常を取り戻すであろう熊本の明日の輪郭をかたちどっている。
(撮影・木村肇/構成・ノンフィクションライター中原一歩/Yahoo!ニュース編集部)
震源地の真上で生きる 熊本県益城町(2016年4月24日)
最も被害が甚大だった益城町は熊本市に隣接し、空の玄関口である熊本空港を有する。活断層の真上にある益城町では、町のいたるところで家屋が倒壊し、間もなく田植えが始まるはずだった田畑には無数の亀裂が走る。多くの人々は学校や市営の文化施設の駐車場に避難。車中生活を送る人や、中にはビニールシートで作った簡易テントで暮らす一家も。もちろん電気、水道、ガスなどのライフラインはない。
昼間はたおやかな日差しの中、子どもたちのはしゃぐ声が聞こえるが、夜になると一転。「とにかく天井のある場所で眠りたくない」「二度目があったということは三度目があるかもしれない」。いつ発生するか分からない余震におびえながら人々は肩を寄せ合うようにして車中で眠りにつく。
「山の神様がみんなかぶってくんしゃった」熊本県阿蘇市(2016年4月23日)
火山や水害という自然災害と古くから向き合ってきた肥後の人々も、直下型地震は予想していなかったと語る。活火山がひしめく九州の「ヘソ」と呼ばれる熊本・阿蘇。山岳信仰の歴史は、いまも人々の生活と深く結びついている。そんな信仰の象徴が2300年の歴史を有する阿蘇神社。結婚式の祝言にも謳われた「高砂の松」をはじめ、重要文化財がひしめくパワースポットとして知られる。しかし、重要文化財にも指定されている「楼門」は、今回の地震で全壊してしまった。地元の人々は口々に語る。「山の神様がみんなかぶってくんしゃった。町はこれとした被害はなかったですけん」。この日、横なぐりの大雨だというのに社殿に向かってこうべを垂れる人の姿が絶えなかった。
都市型地震の現実 (2016年4月24日)
震源地から数キロも離れていない熊本市の市街地。阪神大震災以降に改正された耐震基準の備えもあって、ほとんどのビルは倒壊しなかった。確かに二度目の「本震」は揺れた。水道も電気もガスもライフラインは全て止まった。それでも、見た目には震災前とさほど変わらぬ街の姿がそこにある。名物のチンチン電車がガタゴトと音を立て、国道にはいつもと変わらない時刻に渋滞の列ができる。けれども、耳をそばだてると街には音がない。九州随一の繁華街の喧噪も何も聞こえない。まるで血流が止まったかのような街が、再び、動き出すのはいつになることだろう。
木村肇(きむら・はじめ)
写真家。1982年、千葉県生まれ。芝浦工業大学工学部建築学科卒業後、フリーランス。主な受賞歴に、バッテンフォール写真賞(2012、ドイツ)、コニカミノルタフォトプレミオ特別賞(2013、日本)、アルテラグーナ写真賞(2014、イタリア)。新潟を中心に5年間撮り続けた写真集「谺」がIPA写真賞2013の写真集部門でグランプリに、「Scrap book」がKassel photobook dummy awardで3位に選ばれ、2015年にドイツのVerlag Kettlerから出版される。タイム、ニューヨークタイムス、ニューズウィーク、ボストングローブなどにも写真を寄稿している。2016年から文化庁海外研修員としてドイツ在住。
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト 後藤勝